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序章 予知夢
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はぁっ……はぁっ……
息を切らせて、私は疾走する。
ギィッ……ギィッ……
腐食しかけた床板は踏み締めるとひどくたわみ、足がもつれそうだ。
長い長い廊下が、果てしなく続いている。
ヒタヒタ……ヒタヒタ……
不気味な足音。
私を追跡する者だ。
振り返っちゃダメ──!
強く自分に言い聞かせる。
それなのに、私の頭部はゆっくりと後方へ向けられた。
「ヒッ!」
後悔とともに、私の口から短い悲鳴が漏れる。
あれは……、あれは一体なんなの!?
前屈みにゆらゆらと、不安定な動きで迫る白い着物姿の男。
どう考えても普通じゃない。
その不気味な追跡者は、ひどくゆったりした動きであるにもかかわらず、全力で走る私のすぐ後ろまで迫っていた。
長い長い、どこまでも続くかと思われた廊下だが……
「嘘っ、行き止まりだなんて!」
このままでは、あの不気味な追跡者に捕まってしまう。
捕まったらどうなるのか──
わからない。けれど、ひどい目に遭うことは確かだろう。
どうしよう!?
どうしよう!?
どうしよう!?
狂ったようにあちこちを見回す。
すると、向かって左側の壁の下部に、小さな引き戸があることに気がついた。
勢いよく開け放ち、私はそこに滑り込む。
8畳ほどの和室に通じていた。
家具と言えるものは何もなく、がらんとした空間が広がっている。
私の目は、押し入れの襖に定まった。
隠れられそうな場所はここしかない。
けれど、袋小路であることも確かだ。
それでも迷いはなかった。
むざむざ捕まるよりは絶対にいい。
襖を開けると、下段には、見るからにたっぷりと湿気を含んでいる布団が、ぎっしりと詰め込まれている。
上段には何もなかった。
私はそこに登ると、そろそろと襖を閉じた。
真の闇に包まれる。真っ暗で何も見えない。
ヒタ……ヒタ……
足音が部屋に侵入してきた。
私は息を殺して身を固くする。
絶対に動いちゃダメ──!
心臓だけは反比例して激しく打つ。
ヒタ……ヒタ……
ヒタ……ヒタ……
ヒタ……ヒタ……
ヒタ……ヒタ……
ヒタ……ヒタ……
足音は近づいたり遠ざかったりする。
探してるんだ、私を!
ヒタ……ヒタ……
ヒタ……ヒタ……
ヒタ……ヒタ……
………………
足音が止まった。
──襖の前で。
お願い、来ないで。
来ないで──!
………………
………………
………………
それきり何も聴こえない。
痛いくらいの無音が続く。
胃の辺りがチリチリする。暴れ続ける心臓は、今にもはち切れて破れそうだ。
ヒタ……ヒタ……
ヒタ……ヒタ……
ヒタ……ヒタ……
足音が遠ざかっていき、やがて消えてしまった。
……諦めたのだろうか?
とりあえず逃げ切れたことに安心を覚えた。
暴れていた心臓が、少しずつおとなしくなっていく。
それでも、用心のためにもう少しだけここにいることにしよう。
暗闇に目が慣れたのか、ほんの少しだけ押し入れの中が見える。
それでも何か明かりが欲しいところだ。
ポケットからスマホを取り出す。
電源ボタンを押すと、パッとディスプレイが明るくなる。
すっかり暗闇に慣れてしまった目だ。チカチカとちょっと痛い。
これで助けを呼べると安心したのもつかの間。
──圏外。
大きなため息が漏れた。
泣きたい気持ちでいっぱいだ。
なぜ、こんなことになってしまったのか……。
ここは一体どこなんだろう──?
無論、いくら考えてもわからなかった。
そして、
さっきの白い着物の男は──?
不気味な姿を思いだしていまい、身体中がぞわっと粟立った。
わからないことだらけだ。
もしかして私は夢を見ているのでは……。ちらっとそんな思いが胸の中で生まれた。
けれど──
床や壁をそっと撫でる。少しざらついた木材の感触がした。
ちくっと痛みが走り、思わず手を引っ込める。どうやら、ささくれだった箇所がトゲになって刺さってしまったらしい。
呼吸をする度に、埃と黴かびが混ざりあった、湿っぽくて嫌な臭いが鼻腔を刺激する。できることなら、体内には取り込みたくはない。
ううん、これは夢なんかじゃない。
五感を通して感じられるこのリアルさは、とても夢だとは思えなかった。
助けを求めることはできない。
頼れるのは自分だけだ。
怖くてたまらないが、こんな気味悪い場所にいたくない、という気持ちの方が遥かに勝っている。
ためらいがちに押し入れの戸を開けた。
押し入れから出ると、ひどく寒さを感じた。
「寒い……」
思わずこぼれ出た呟きは、ねっとりとした闇に溶けて消えていった。
スマホのライトをつけて周囲を照らす。
無数の細かい塵が照らされ、まるで生き物のように見えた。
ライトでぐるりと室内を照らす。
改めて見てみると、8畳ほどの和室はひどく傷んでいる。
とても人が住んでいるとは思えない。
ということは、ここは廃屋なんだろうか──?
……まあ、そんなことはどうだっていい。
不毛な疑問を振り払うように、私は引き戸の前に屈み込んだ。
戸に手を掛けた時だった。
強い力で右肩を掴まれた。
反射的に振り向く。
「──ッ!」
あの白い着物の男だった。
近距離なのに顔がよくわからない。
左半身が痛々しいほどに爛れている。
怖いのに悲鳴が出てこない。
悲鳴どころか声を出すことさえできなかった。
何か言いたげに男の口許がかすかに動いた。
キィーーン──
突然、ひどい耳鳴りに襲われた。
ザザ……ザザザ……ザザ……
立て続けに今度は、ざらついたノイズが耳の奥で発生した。
見えない閃光で目が眩む。
そんな、この感覚は──!
脳内に押し寄せる、いくつものビジョン。
床に伏せる者と、それを看取る者。
水際にたたずむ和服姿の男女。
岩肌の陰鬱な小部屋。
水際から身を投げる和服姿の女性。
鉈を振り上げる和服姿の男。
意味不明のビジョンが、まるでスライドショーのように次々と展開される。
……キ……ユキ……
最後に聴こえたのは誰かの名前だろうか──?
そこで私の意識は途切れてしまった……。
息を切らせて、私は疾走する。
ギィッ……ギィッ……
腐食しかけた床板は踏み締めるとひどくたわみ、足がもつれそうだ。
長い長い廊下が、果てしなく続いている。
ヒタヒタ……ヒタヒタ……
不気味な足音。
私を追跡する者だ。
振り返っちゃダメ──!
強く自分に言い聞かせる。
それなのに、私の頭部はゆっくりと後方へ向けられた。
「ヒッ!」
後悔とともに、私の口から短い悲鳴が漏れる。
あれは……、あれは一体なんなの!?
前屈みにゆらゆらと、不安定な動きで迫る白い着物姿の男。
どう考えても普通じゃない。
その不気味な追跡者は、ひどくゆったりした動きであるにもかかわらず、全力で走る私のすぐ後ろまで迫っていた。
長い長い、どこまでも続くかと思われた廊下だが……
「嘘っ、行き止まりだなんて!」
このままでは、あの不気味な追跡者に捕まってしまう。
捕まったらどうなるのか──
わからない。けれど、ひどい目に遭うことは確かだろう。
どうしよう!?
どうしよう!?
どうしよう!?
狂ったようにあちこちを見回す。
すると、向かって左側の壁の下部に、小さな引き戸があることに気がついた。
勢いよく開け放ち、私はそこに滑り込む。
8畳ほどの和室に通じていた。
家具と言えるものは何もなく、がらんとした空間が広がっている。
私の目は、押し入れの襖に定まった。
隠れられそうな場所はここしかない。
けれど、袋小路であることも確かだ。
それでも迷いはなかった。
むざむざ捕まるよりは絶対にいい。
襖を開けると、下段には、見るからにたっぷりと湿気を含んでいる布団が、ぎっしりと詰め込まれている。
上段には何もなかった。
私はそこに登ると、そろそろと襖を閉じた。
真の闇に包まれる。真っ暗で何も見えない。
ヒタ……ヒタ……
足音が部屋に侵入してきた。
私は息を殺して身を固くする。
絶対に動いちゃダメ──!
心臓だけは反比例して激しく打つ。
ヒタ……ヒタ……
ヒタ……ヒタ……
ヒタ……ヒタ……
ヒタ……ヒタ……
ヒタ……ヒタ……
足音は近づいたり遠ざかったりする。
探してるんだ、私を!
ヒタ……ヒタ……
ヒタ……ヒタ……
ヒタ……ヒタ……
………………
足音が止まった。
──襖の前で。
お願い、来ないで。
来ないで──!
………………
………………
………………
それきり何も聴こえない。
痛いくらいの無音が続く。
胃の辺りがチリチリする。暴れ続ける心臓は、今にもはち切れて破れそうだ。
ヒタ……ヒタ……
ヒタ……ヒタ……
ヒタ……ヒタ……
足音が遠ざかっていき、やがて消えてしまった。
……諦めたのだろうか?
とりあえず逃げ切れたことに安心を覚えた。
暴れていた心臓が、少しずつおとなしくなっていく。
それでも、用心のためにもう少しだけここにいることにしよう。
暗闇に目が慣れたのか、ほんの少しだけ押し入れの中が見える。
それでも何か明かりが欲しいところだ。
ポケットからスマホを取り出す。
電源ボタンを押すと、パッとディスプレイが明るくなる。
すっかり暗闇に慣れてしまった目だ。チカチカとちょっと痛い。
これで助けを呼べると安心したのもつかの間。
──圏外。
大きなため息が漏れた。
泣きたい気持ちでいっぱいだ。
なぜ、こんなことになってしまったのか……。
ここは一体どこなんだろう──?
無論、いくら考えてもわからなかった。
そして、
さっきの白い着物の男は──?
不気味な姿を思いだしていまい、身体中がぞわっと粟立った。
わからないことだらけだ。
もしかして私は夢を見ているのでは……。ちらっとそんな思いが胸の中で生まれた。
けれど──
床や壁をそっと撫でる。少しざらついた木材の感触がした。
ちくっと痛みが走り、思わず手を引っ込める。どうやら、ささくれだった箇所がトゲになって刺さってしまったらしい。
呼吸をする度に、埃と黴かびが混ざりあった、湿っぽくて嫌な臭いが鼻腔を刺激する。できることなら、体内には取り込みたくはない。
ううん、これは夢なんかじゃない。
五感を通して感じられるこのリアルさは、とても夢だとは思えなかった。
助けを求めることはできない。
頼れるのは自分だけだ。
怖くてたまらないが、こんな気味悪い場所にいたくない、という気持ちの方が遥かに勝っている。
ためらいがちに押し入れの戸を開けた。
押し入れから出ると、ひどく寒さを感じた。
「寒い……」
思わずこぼれ出た呟きは、ねっとりとした闇に溶けて消えていった。
スマホのライトをつけて周囲を照らす。
無数の細かい塵が照らされ、まるで生き物のように見えた。
ライトでぐるりと室内を照らす。
改めて見てみると、8畳ほどの和室はひどく傷んでいる。
とても人が住んでいるとは思えない。
ということは、ここは廃屋なんだろうか──?
……まあ、そんなことはどうだっていい。
不毛な疑問を振り払うように、私は引き戸の前に屈み込んだ。
戸に手を掛けた時だった。
強い力で右肩を掴まれた。
反射的に振り向く。
「──ッ!」
あの白い着物の男だった。
近距離なのに顔がよくわからない。
左半身が痛々しいほどに爛れている。
怖いのに悲鳴が出てこない。
悲鳴どころか声を出すことさえできなかった。
何か言いたげに男の口許がかすかに動いた。
キィーーン──
突然、ひどい耳鳴りに襲われた。
ザザ……ザザザ……ザザ……
立て続けに今度は、ざらついたノイズが耳の奥で発生した。
見えない閃光で目が眩む。
そんな、この感覚は──!
脳内に押し寄せる、いくつものビジョン。
床に伏せる者と、それを看取る者。
水際にたたずむ和服姿の男女。
岩肌の陰鬱な小部屋。
水際から身を投げる和服姿の女性。
鉈を振り上げる和服姿の男。
意味不明のビジョンが、まるでスライドショーのように次々と展開される。
……キ……ユキ……
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