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第二章 始まりの春と宵闇の海辺街
幕裏挿話:渦巻く風向き、暗雲立ちこむ春の夜
しおりを挟む『幼かった大人たちは、獣の子のような知恵も知識も持っていなかった。
己が前にひれ伏し、許し乞いながら沈みゆく彼らを見詰め、静まり返った洞窟の中。深紅のドレスを着たアレはワインを啜り、キャンディをしゃぶって』
全部、全部、ぜんぶ。
また後先考えず、考えれぬまま、全部。
甘いのも苦いのも、黒いのも白いのも赤いのも。
彼女は探している。
もはや顔すら思い出せない×する人を、もう一度。
その傍ら。『渾名』を割り当てられた子供たちは、欲しいものを全て手に入れた。
まるで蛇が脱皮するかのように、はたまた怪物が産声を上げるように。
どぷりドクドク浸かって逝く、裏側の社会。
駄句駄句抱く混濁や、底底に張り巡らされた蜘蛛の糸。
深々あっちこっち犇めく甘い毒と、蜃気楼の獣道。
伽藍洞の目をした女たちが飴を強請り、未だ未だ果てぬ、曼殊沙華。
「な、なんだねッ、キミ……っ!!?! ……ウッ、ガ、」
不夜と黄金の城にて、ネズミが龍の腹を喰らい。長い夜に、安らぎが戻ることはない。
慎重、回避、遊走。そして、極上の笑み。
常に神経を尖らせ、安全を考慮し、前後左右を見回すこと。
掟を守り『弁える』、それが重要。
□
———光は前方を照らし、白をより白くする代わり、黒もより黒くする。
笑い、拍手、嗤い、晒し、嘆き、慟哭。泣きに泣ける、感動的な黄金の物語。
むき出しにされた人の性に心の真実。劇中歌はまるで揺り籠か、若しくは棺のようで。
禁令と恐怖の彼方、果てしなく続くランウェイは遥か遠く、演劇に終りなどない。
薔薇色に染められたドレスは洗っても色が落ちず、夢の国の月が夜空の頂に近づく頃、又もや楽しい戦争の合図が鳴り出し…。
夕方の薄暗さから始まった鬼ごっこ。
楽しげな笑い声に混じって、夢の中。ごぽりごぷり、泡の上る音がした。
「首領! おかえりなさーいっ!!」
気だるげに入って来た男に、一人の少女が嬉しそうに駆け寄り。子供特有の甲高い声を出す、歳僅か10ばかりな見た目をした娘であった。
如何にもな服装を着て、この地の人間らしからぬ髪の色。
この男も娘も異邦人である事を指し示す。
で、そんな娘に『首領』と呼ばれた男は、主人を見つけた仔犬の風情で駆け寄って来る少女を目に入れるや否や、眉間に皺を寄せ、
「黙れ。頭に響く。」
と、低く言う。
春の夜風と共に仄か漂う、独特な甘い香り。
男の手に持つ一糸の曇りない異国の武器には、所々濁った色、テラテラ反射する赤が付着し、まだ少し濡れていて。廊下の薄明かりに照らされたその色が、男がこれまで一体何をして来たのかを理解させるには十分であった。
だのに幼い娘はそれらに見向きもせず、何らかの反応も大した素振りもなく。
「えー! だって、首領が帰って来てうれしいんだモン!!」
と、元気に言い及ぶ。
そして続け様に「ひどーい!」と、相も変わらず大きな声色を響かせながら、きゃらきゃら愛らしく笑うのである。
「黙れ、ガキはもう寝ろ。疲れた、くだらんお喋りに付き合う気はない」
「もう! 首領はいつもそう!! もう少し構ってくれてもいいじゃーん!!」
だから、そんな娘に対し。如何にも慣れたウンザリ顔で、男は傍らを素通りしようとした。
台詞通り、文字通り。いつものコトながら、それだけ相手にするのも面倒臭いので。
「ぶー、首領のケチ!」
「じゃあ、首領。『報告』はどうしたらイイ? 明日の朝に改めるー?」
が、しかし。その様な彼らのやり取りに、新たな声が割り込んで来るのも束の間。
そう朗らかに声をかけたのは、娘と瓜二つの容姿をした少年で。『報告』と言う言葉に男はようやく歩みを止め、ゆっくり振り向く。
そんで少しの間をおいて、ため息を付きながら。
「……言ってみろ」
月の陰りで、その表情は酷く分かりづらい。
「例のドブ鼠たちについて、ワタシも調べてみたヨー。マジで首領の読み通り、あっちこっちでバカみたいにヤラカシてるみたいネ!」
「そそ。向こうにいた頃からそうだったけど、この地に来てここ最近、特に、ネ? 本当、命知らずなヤツらだヨ」
「では、噂になるのも早いか。」
静かな夜がよく似合う声で、男は言った。
それに少女は少年の腕に抱き着き、コテンと小首を傾げ。
「たぶんネー。……で、どうするノ、首領??」
と、ニコニコ言い返す。
そう口遊んだ娘の瞳には、可憐な容姿からは到底想像付かない獰猛な光が宿っていた。
「ならば、もうしばらく放っておけ。今はまだ無視しろ。もっと面白くなる頃合いまで泳がせて、……それから決める。それまで、余計なことするなよ」
「エー、つまんないノ」
「でも、首領らしいよネ」
「そうだけどさぁ………」
だから、その年端に似合わぬ獰猛さが血華という形で本領発揮される前、水と釘を同時に刺した男に。少女は拗ねた雰囲気を隠すつもりなく、チェッと鼻を鳴らす。
それを、少年が宥めすかして………。これは、そんな彼らにとっての、日常風景だった。
———ただ、それでも。
この夜に限って、男の心臓はいつもと比べ少しだけ、速く。
「やはり、風向きが変わろうとしている」
と、思考を巡らせながら。代わり映え無い部下たちの姿を最後に、自身の寝室へと足を踏み入れ。衣服の上だけを脱ぎ捨てた男は、そのまま寝台へと身を沈めた。
そして、こんな。草木も眠る朧月夜を背景に、ここ最近の市場を賑わらせている蓄音石で物悲しい旋律を流し。その音色に合わせる寝物語を語るかの如く、男は口遊む。
「……いくら絶対的な王者が居れど。ひとつの街に、こんなにも多くの組織が犇めいているのだから、暗黙下の均衡など初めからあってないようなもの。———どれほど頑丈な城でも崩すのは容易い。何より築き上げるより手間がなくて、ずっと楽だ」
それでも唯一の懸念となり得る『あの女』やこの地の猛獣共は、相変わらずの満腹具合で傍観者を気取る様だし……。それに比べ、本国から意気揚々とこの水底までやって来た鼠どもも、この国の無能な警吏どもも。これから、毒餌と分かっていようがいまいが、結局のところで、喰らう以外の選択肢はない。
「ようやく楽しい遊びが始まる、か」
———、と。
だが、同時に。『遊び』と表するには感情の読めぬ退屈気な口ぶりで、男は「……しかし、何かと面倒な存在だな。あの【怪物】は」と続け。窓から覗く春の月を最後に、目を瞑る。
風の音すらしない静かで、閑で、月の美しい夜だった。
そんな嵐前の、静けさにて。
夜明けまで、もう少し。果たして最後まで笑っていられるのは、誰なのか。
虚しく貧しい過去から脱却するも、例えどれだけの月日が流れても。この身から、母の嘆きと赤が混ざり合った匂いは消えずにいる、全て手に入れたあの日の少年。
未だ狂気だけが側頭葉の砂丘に沿って前進し、脳裏にぴったりとつきながら、悪意が耳元で「もっと、もっとオレを愉しませろ」と囁く。柔らかい布団に反し、冷め切った体に心。
『さがしています』
思わず嗤い出しそうになる。
こんなに愉快な夢はないな。
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