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第一章 君は迷子の子猫ちゃん
何事にも限度はある
しおりを挟む夢を見た。
美しい海の夢を。
名も知らない人魚たちが歌い、イルカたちも踊っていた。
絵本で見る、お伽噺の様な世界。
幼い頃から海は好きだけど、一度も行ったことのない場所なのに。
何故か、すごく懐かしい気がした。
【魔力暴走】後も一週間ほど、生死の境を彷徨った。
生まれつき頑丈とは到底言えない体で、ひどい熱だった。
今日も真夏の様に茹だつ頭で、夢を見る。
光のない真っ暗な部屋で、小さな女の子が泣いている夢を。
最後の記憶。
最期の記憶?
『ああ、そうか』
と思いだす。
———「前世の『私』は、車にひかれて死んだのか」と。
熱でグラグラする頭の中。
まだ、死にたくない。今も『私』が泣いていた。
———『私』が?
それとも、『彼女』が?
雪崩れ込む前世の記憶。
思いだした? 前世での記憶……。
『何だか、私が出て来る本を読んでいる気分だ』
そこで知る前世の私、『九条雪乃』がどんな人間だったのか。
それからは、よくある小説的な話。
今も知識熱で死にかけている今生の体に……あの日、死んでしまった前世の人格や、アレコレとした記憶が一発入魂してしまった件について。
二重の意味で嘗ての私は二人とも死んだし、神も死んだ。
□
———この世界における『彼女』の役割は、一体何なのか?
世の中、何事にも限度はある。
"事実は小説より奇なり"と、皆は言うけれど。
……元大人でも、未知ほど怖いものはないし。誰もここまでやれとは言っていない。
夢、浪漫、信仰、冒険。
貴族に平民。
確かな神はいれど、基本的にいない世界で。
はっきり線引きされた身分差の激しい、社会。
中世ヨーロッパ的な西大陸と、在りし日の東洋的な東大陸。
果てのない雄大な海、険しい神々の山稜。
神話時代の終幕と共に、世界各地に散りばめられたダンジョンや禁足地……。
神と人間、獣人や人魚。
精霊に魔物、魔法にオーラ……等と。
前世からすればただの夢物語でしかない、そんな摩訶不思議パワーと生物が蔓延る世界で、私———『アトランティア・ピオニー・アールノヴァ』は生まれた様だ。
それも現段階の世界観からして、世にも珍しい東大陸出身の母×西大陸で生まれ育つ父から爆誕したハーフ娘。
西大陸二大帝国うちの一つ、アースガレイシア帝国四大公爵家・西部アールノヴァのご令嬢。
実の兄が二人ほどいる末っ子で、マジモンのお嬢様……。
生れながらにして親ガチャ家ガチャSSR、不動の地位、尽きぬ財産。美貌の母によく似た色味の、類まれなる顔面偏差値を誇る、『公爵令嬢』……。
とどのつまり、何が言いたいのかといえば———フラグである。
……少なくともアトランティアが、この度取り戻した前世感覚からして……原作不明だろうと、不明でなかろうと、俗に定義された『公爵令嬢』とは、基本的にファンタジー異世界物における最大級のフラグ身分である。
前世が前世で色々あって庶民な分。すごいと思う以前に、普通にヤバ。
日本産、元平凡オタク女子大生からすれば、もっとヤバ。
今生の実家、未来の王子様うんぬんいざ知らず。婚約破棄、国外追放、娼館オチ、断頭台……数えるだけ無駄で、指が足りない。
いくら原作不明な段階でのモブ令嬢ポジでも、油断すれば明日の我が身となるのがファンタジーなのだから。
もはや奇跡とか、心底どうでもいい。
あんな前世の最期に引き続き、今生の身までもがご臨終しなかったのは喜ばしいが。
……良くも悪くも同時に『九条雪乃』であった頃の人格や記憶等が、この身体にInしてしまったが故に。色々素直に喜べない、今日この頃。
その様な、今生。
爆誕した時から約束されし、勝ち組のはずなのに……死の淵で昨今が巡り会い、出会い、そのまま融合を果たした今の全『私』は泣いた。
どれほど前世の記憶を弄っても、知らない世界。
巷で有名な俺TUEEEどころか、こうしてこの世界の原作を知らぬ存ぜぬ以上、今後何かにつれ攻略・回避・介入のしようがないし、出来もしない。
その分の自由度はあれ、コレはない。
七つまでは神の子だろうと、コレばかりはひどい。
———彼女は思った。
「咳がひどく、熱も更に上がったようです。夜が明けたら、直ぐにでも主治医を……」
朦朧とした意識の中、心配そうな誰かの声がする。
こんな頭では『今』が夢か、現実なのか区別が付かない。
七年付き添った自分の体が、自分の体じゃないみたいで……ここ数日を境に、まだ幼い脳に一気に押し寄せた情報量の多さで又もや熱が上がる。
そんな、夢と現実の落差。
どんな世界でも、世の中知らない方が幸せな時分は多々あるのに。要らぬところまで、前世を知った時点で色々気づいてしまう事がある。
世界への違和感、現状への不快感。
胃も頭も途轍もなく気持ち悪く、しんど過ぎて今にも、又もや死にそうだ。
体中が重く、ひどく眠い……。
「ああ、可哀想に、私の子……、」
耳元で囁かれる誰かの声。
キーンと鳴りやまない、耳鳴り。
咽喉が渇き、水が飲みたい。
海の夢。
新たな現実。
……でも、このまま深い深い眠りについて、次に目覚めた時。果たして『私』は『何』になって、どこに居るのだろうか。
殆ど寝たきり状態のまま、アトランティアはぼんやり考える。
相変わらずこのままの姿形なのか。
それとも今回を期に思いだした前世が終わった、あの世界に戻っているのか。
———そのどちらでもないのなら、今度こそ。
「もう、少し……」
あの夏の日から、今日も全身が沸騰しているように熱かった。
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