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黙っていよう~子爵令息ジュエル・サイラス~
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「チラシを見て頂いたお客様ですね! 大丈夫ですお席は空いていますよ!」
やたら元気な受付嬢に、僕は先程抱いていた不安を、またもや感じてしまった。そしてその売り文句に反応し、まんまと来てしまった自分のふがいなさも。
絶対これ、やっぱり新手の詐欺商法じゃないか……?
そう思っていても確認せずにいられなかった。それ程心は欲していた。
――彼の存在を。
“王家にも公爵家にも相応しくない、か……。……ははっ、……それは否定出来ないな”
僕の言葉に、彼は笑う。
内心は酷く傷付いているだろうに。現に笑って見せていても一瞬、泣き出しそうな顔になった。そんな表情を僕がさせてしまった。
どうしよう? どうすれば? と困惑するだけの僕を、逆に気遣うように彼は言う。
“――でもまぁ、このような私でも取りあえずは、第3王女殿下の婚約者だ。必要な時には是非頼って頂きたい。
それに……今のように、至らないと思った点があったらまた教えて頂きたい。……よろしく頼むよ、サイラス子爵令息”
そんな筈は無い。
貴方に至らない点なんて、ない。貴方がどれ程優秀で、それを維持するのに必死なのかを知る者が、僕以外にもどれ程いるか。
――と、言えれば良かったのに、いい言葉が出て来なくて俯いてしまった。
それにしてもこの劇場、よく倒れないな。
グニ、と床がたわむのを靴裏に感じ、ついそう思ってしまった。
でも事実、全体が劇場と言うよりも、廃屋、と呼ぶ方が相応しいくらいに古く、ボロい。照明がついている筈なのに、薄暗く感じる廊下。そのあちこちはげかけた壁には、色褪せたポスターが貼られている。
――が。正面ホールの扉を開き、中に入った瞬間。驚くと同時に、やっぱりと納得する自分がいた。
広くない客席から見える、小さい舞台。そこに――彼がいた。
被っているカツラで顔が分からなくても、声で分かる。
その声は決して高くはない、どちらかと言うとテノールだ。バラードのメロディに乗り、低い声が優しく静かに、波のように広がっていく。
まばらにしかいない客達は、シンとして彼の歌声に聞き入っていた。退屈で眠るのとは違う、母親が揺らす揺りかごで微睡む赤児のような、安心した表情で。
曲が終わり、彼が頭を下げた途端に客席から拍手が起こった。
次の歌は前とは打って変わってかなり激しかった。未知の弦楽器が立て続けに奏でる稲妻のような音と、先程と打って変わった“解き放て!”とか、“覆せ!”などの激し目の歌詞について行けず、ポカンとしている僕をよそに、ワァッと場内が沸く。
「これがヤマトノ国で流行ってるっていう“ロック”か! 騒音みたいなのになんかワクワクするな!」
「な、何か分かんないけどすごーい! うるさいとか思うのに、どうしてー?」
もはや総立ちし、客も奏者も一緒になって乗りまくっている。老若男女関係なく、もはやお祭りだ。不安も負担も吹っ切るように楽しげに。――そんな中でも。
僕の前では、彼だけがキラキラして見えた。
楽しそうに歌う彼。
滑らかな声が響き渡る。どんな高名な歌手の歌声よりも優しく強く、心に浸透する。
「やっぱり僕の思ったとおりだった」
レオン殿……君はやっと相応しい場所に行けたんだね。
あの後。
日がすっかり暮れたのに、僕は帰らないで劇場の周りをうろうろしていた。
そうしたら、もう一度彼の姿を見られるかも知れないと。
そんな小さい望みなど、叶うはずはないと思っていたのに。
「レオさん」
「……どこのどなたかは存じませんが、こんな夜更けにこんな場所にいらしてはいけません。見れば貴族のご子息の様子。これから連絡して、警備兵に来てもらいましょう。……ですが、どうしてこんな時間に?」
出会えてしまった。
何とか口から出たのは、これだけだった。
「貴方と、話したかったんだ」
その後、2,3言葉を交わし、また逢う許可をもらうと、家路につく。
夜道は少し肌寒いけど、気持はとても弾んでいた。
彼に、また会える。
僕が気付いていることは、話さない方が良いだろう。彼だって今の暮らしを守りたいだろうし。
それに……ずるいと自分でも思うけど、良い態度を取っていない僕を、彼は受け容れてくれない気がするから。
彼の歌が好きな人間の、1人として存在しよう。
やたら元気な受付嬢に、僕は先程抱いていた不安を、またもや感じてしまった。そしてその売り文句に反応し、まんまと来てしまった自分のふがいなさも。
絶対これ、やっぱり新手の詐欺商法じゃないか……?
そう思っていても確認せずにいられなかった。それ程心は欲していた。
――彼の存在を。
“王家にも公爵家にも相応しくない、か……。……ははっ、……それは否定出来ないな”
僕の言葉に、彼は笑う。
内心は酷く傷付いているだろうに。現に笑って見せていても一瞬、泣き出しそうな顔になった。そんな表情を僕がさせてしまった。
どうしよう? どうすれば? と困惑するだけの僕を、逆に気遣うように彼は言う。
“――でもまぁ、このような私でも取りあえずは、第3王女殿下の婚約者だ。必要な時には是非頼って頂きたい。
それに……今のように、至らないと思った点があったらまた教えて頂きたい。……よろしく頼むよ、サイラス子爵令息”
そんな筈は無い。
貴方に至らない点なんて、ない。貴方がどれ程優秀で、それを維持するのに必死なのかを知る者が、僕以外にもどれ程いるか。
――と、言えれば良かったのに、いい言葉が出て来なくて俯いてしまった。
それにしてもこの劇場、よく倒れないな。
グニ、と床がたわむのを靴裏に感じ、ついそう思ってしまった。
でも事実、全体が劇場と言うよりも、廃屋、と呼ぶ方が相応しいくらいに古く、ボロい。照明がついている筈なのに、薄暗く感じる廊下。そのあちこちはげかけた壁には、色褪せたポスターが貼られている。
――が。正面ホールの扉を開き、中に入った瞬間。驚くと同時に、やっぱりと納得する自分がいた。
広くない客席から見える、小さい舞台。そこに――彼がいた。
被っているカツラで顔が分からなくても、声で分かる。
その声は決して高くはない、どちらかと言うとテノールだ。バラードのメロディに乗り、低い声が優しく静かに、波のように広がっていく。
まばらにしかいない客達は、シンとして彼の歌声に聞き入っていた。退屈で眠るのとは違う、母親が揺らす揺りかごで微睡む赤児のような、安心した表情で。
曲が終わり、彼が頭を下げた途端に客席から拍手が起こった。
次の歌は前とは打って変わってかなり激しかった。未知の弦楽器が立て続けに奏でる稲妻のような音と、先程と打って変わった“解き放て!”とか、“覆せ!”などの激し目の歌詞について行けず、ポカンとしている僕をよそに、ワァッと場内が沸く。
「これがヤマトノ国で流行ってるっていう“ロック”か! 騒音みたいなのになんかワクワクするな!」
「な、何か分かんないけどすごーい! うるさいとか思うのに、どうしてー?」
もはや総立ちし、客も奏者も一緒になって乗りまくっている。老若男女関係なく、もはやお祭りだ。不安も負担も吹っ切るように楽しげに。――そんな中でも。
僕の前では、彼だけがキラキラして見えた。
楽しそうに歌う彼。
滑らかな声が響き渡る。どんな高名な歌手の歌声よりも優しく強く、心に浸透する。
「やっぱり僕の思ったとおりだった」
レオン殿……君はやっと相応しい場所に行けたんだね。
あの後。
日がすっかり暮れたのに、僕は帰らないで劇場の周りをうろうろしていた。
そうしたら、もう一度彼の姿を見られるかも知れないと。
そんな小さい望みなど、叶うはずはないと思っていたのに。
「レオさん」
「……どこのどなたかは存じませんが、こんな夜更けにこんな場所にいらしてはいけません。見れば貴族のご子息の様子。これから連絡して、警備兵に来てもらいましょう。……ですが、どうしてこんな時間に?」
出会えてしまった。
何とか口から出たのは、これだけだった。
「貴方と、話したかったんだ」
その後、2,3言葉を交わし、また逢う許可をもらうと、家路につく。
夜道は少し肌寒いけど、気持はとても弾んでいた。
彼に、また会える。
僕が気付いていることは、話さない方が良いだろう。彼だって今の暮らしを守りたいだろうし。
それに……ずるいと自分でも思うけど、良い態度を取っていない僕を、彼は受け容れてくれない気がするから。
彼の歌が好きな人間の、1人として存在しよう。
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