血の記憶

甘宮しずく

文字の大きさ
上 下
40 / 42
待ちぼうけ

40

しおりを挟む
 誰かが階段をあがってくる。急ぎ足で重い響き。男の足音だ。足音は彼のいる階でのぼるのをやめ、こちらにやってきた。

 だが晃聖は幾度も味わった落胆で、顔もあげられなかった。人目を気にする気力など、とうの昔に失せている。

 「ずっとここにいたの?」

 晃聖はがばりと顔をあげた。

 驚愕顔の蒼太が立っている。

 「何かわかったか?」抑えた声に期待がにじみ出る。

 蒼太は浮かない顔で首を振った。

 芽生えた期待は見る間にしぼんだ。立ち上がる気力もない。この時点まで、彼だけが頼りだったのだ。

 今度の失踪で、彼女の行方を知る者はいない。前回、彼女に手を貸した結城夫妻は晃聖の話を信じられず、わざわざ部屋まで訪ねてきたほどだ。感情的にあれこれ聞きとがめる綾の姿は、とても演技とは思えなかった。

 「俺の知るかぎりの所をあたってみたけど、わからなかった。もっとも俺は妹と再会したばかりだから、大して知ってるわけじゃないけど……」面目なさそうに肩を落とした。

 「どうやら蒼依は、俺に遊ばれたと思って姿を消したみたいだ」

 蒼太が顔色を変えた。
 「どういうこと?」

 「言った通りさ。さっき、昔ちょっとつき合ってた女が蒼依を訪ねてきた」知佳が彼女にやったことの邪悪さに、顔が歪む。
 「知佳は、“俺が彼女の所にいる”って、蒼依に言ったそうだ」

 「まさか――」

 晃聖は、疑いの表情を浮かべる蒼依そっくりの顔を見た。
 「考えただけで、胸が熱くなるような女に会ったことがあるか?」

 「いや」蒼太が無愛想に答える。

 「その女に会うのが一日の楽しみで、そのために頑張れる。俺は蒼依に会って、初めてそういう感情を知った」せめて彼にはこの思いをわかってもらいたい。
 「一緒にいるとたまらなく幸せで、一時も離したくなくなる。この先一生を共にしたいと思っているのに、ずっと前に別れた愛してもいない女に会いにいくと思うか?」

 「蒼依と結婚したいの?」蒼太が息を呑んで訊いてきた。

 「この間、プロポーズしたところだ。それなのに……」晃聖は両手に顔を埋めた。
 「知佳は棄てられた腹いせに、蒼依をいたぶりに来たんだ。誰かに頼まれた、とか言っていたが、楽しんでやったのは間違いない。こうなったのは全部、俺のせいだ」晃聖は喪失感にうなだれた。
 西日にあぶられ噴き出す汗が、顎の先から滴り落ちる。

 あふれる悲愴感に、蒼太はかける言葉もなかった。


 「そこ!」いきなり高圧的な声が飛んできた。
 足早にふたりの警察官が近づいてくる。
 「“不審な男がここ数日、廊下に座りこんでいる”と苦情があったんだが、どっちがその不審者だ?」ふたりのうち小太りで鼻の頭に汗を浮かべた警官が、おまえだろうと言わんばかりに晃聖を問い詰めた。

 蒼太は晃聖に目をやったまま、口を閉ざしている。

 晃聖はのろのろと立ちあがった。
 「俺です」

 「ちょっと来てもらおうか?」小太り警官が容赦なく言った。
 もうひとりの若い警察官は、晃聖を挟む形に回り込む。

 「ここを離れるわけにはいかないんです」晃聖は抵抗した。

 「そうはいかないんだよ。他の住人が気味悪がって、怯えてんだ。さぁ、来てもらおうか」
 まるで犯罪者あつかいで、荒々しく彼の腕を掴む。

 「待ってください。これには理由があるんです」

 警官は、蒼太の訴えにも聞く耳を貸さなかった。

 「蒼太!」無理矢理連れ去ろうとする彼らから身をよじり、晃聖は叫んだ。「蒼依が帰ったら、俺が戻るまで引き留めといてくれ!」

 「黙れ!」小太りの警官がいらだたしげに一喝し、嫌がる晃聖を引きずっていった。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました

加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!

魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて

アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。 二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...