血の記憶

甘宮しずく

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遺恨

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 悪夢を見たにもかかわらず、翌朝の目覚めはおだやかだった。晃聖があの大きな胸に包み込み、孤独を追いやってくれたおかげだ。命を吹き込まれる感覚にもっと浸っていたくて、身をすり寄せたくらいだ。

 肩に回した腕の下で固く筋肉が強張り、重なり合った胸に彼の鼓動が強く響いていた。その力強さに励まされた。
 それが晃聖にどんな影響を及ぼしているかなど考えもしなかった。
 苦しげな声に呼ばれて、初めて自分が彼を悩ませていたのに気づいた。それでもかまわなわなかった。彼の熱に包まれ寄り添っていたかった。

 あのときの自分はどうかしていたと思う。晃聖が理性を働かせてくれなかったら、今朝は顔も合わせられなかったところだ。

 その朝、晃聖は『また来る』と言って帰っていき、早くもその夜、食材持参でやってきた。しぶとい彼に根負けして食事の席についたときには、一年前の再演のようだと思った。
 だが食後、彼が蒼太の話を持ち出すと、思い出を懐かしむ気持ちは吹き飛んだ。

 「私に兄はいないの」とげとげしく言い放った。
 今や憎しみの矛先は行方のわからない父から兄へと代わり、その名を聞いただけで拒絶反応を起こした。

 「きみの兄さんだろ。きみを心配してるんだ」
 いくぶん厳しくなった声が、気に障る。

 「あの人は自分からその役目を降りたのよ」

 「彼はそのことで自分を責めてる」

 蒼依は顔をしかめた。
 彼らはひそかに連絡を取り合っているに違いない。晃聖が兄の味方をしているらしいと勘づいた途端、心は冷え冷えとした。あたたかいもやは吹き払われ、この茶番に嫌気がさす。

 「なら、伝えてくれる?兄とは思っていませんから、責任を感じる必要はない、って」

 「蒼依!」

 叱りつけられ、蒼依は身をすくめた。

 「いつまですねてるつもりだ」むち打つような厳しさだ。「きみがつらい目に遭ったのはわかる」

 「あなたにわかるわけない!」

 「だが、お母さんが亡くなったのは蒼太のせいじゃない」

 まるで、兄弟みたいに兄をかばう彼が憎い。
 蒼依はやり場のない怒りを目にたぎらせ、晃聖をにらみつけた。

 「きみは辛さや苦しみを、兄貴を恨むことで憂さ晴らししてるだけだろ?」

 反抗心が暴れ出し、固く握ったこぶしをテーブルに叩きつけた。食器が派手な音をたてて飛び跳ね、グラスが水をまき散らして転がる。

 晃聖が、彼女のこぶしを押さえ込んだ。

 必死に手を引き抜こうとするが、びくともしない。

 「蒼太に八つ当たりしたって、なんの解決にもならないぞ。そろそろ大人になったらどうだ?この状態から抜け出したいんだろう?」

 少し優しくなった声が、惨めさをかき立てた。図星をさされ、胸がヒリヒリと痛む。子どもじみた八つ当たり。執念深い憎しみ。そのどれもが事実だ。兄を恨むことは、筋違いだとわかっている。
 だが、苦しみを吐き出したのと同時に心のたががはずれ、抑えられなくなってしまった。

 生々過ぎる苦しみは出口を求め、今も彼女の中で暴れ回っている。兄ではなく、父ではなく、どこへこの荒れ狂う感情をもっていけばいいの?

 「どうやって?」思いはそのまま叫びとなって飛び出した。「どうやって憎しみを消すの?当たるなと言うなら、来ないでよ!あなたも兄も二度と私に近づかないで!」

 「それはできない。当たりたければ、俺に当たればいい。きみの憎しみは全部俺が引き受ける。蒼太もきみと同じだ。わけのわからない運命に翻弄され、後悔し苦しんでいる。彼はきみと同じ被害者で、手を取り合って助け合っていくべき兄弟だ。明日、蒼太を連れてくる」

 「絶対、連れてこないで!」その訴えは悲鳴に近かった。「まだ私の忍耐を試したいわけ?そんなもの、とっくに擦り切れたわよ!」

 「それでも、連れてくる」
 相変わらず彼は頑固だった。

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