血の記憶

甘宮しずく

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別離

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 晃聖の部屋は、白と黒で統一された広いワンルームだった。部屋を区切るキャビネットには、いかにも高価そうなカメラが並び、壁をパネルが飾っている。向こう半分は寝室で、黒いシーツがかかった大きなベッドがあった。まさに女性を誘惑するためのベッドだ。

 たちまち女性と眠る彼の姿が浮かび、嫌悪感がのたうち出した。いやな汗が流れ、胸がむかつく。なりふりかまわず部屋を飛び出したくなる。

 それを堪え、夜明けのパネルに見入っているふりをした。

 「ほら」晃聖がキャビネットの上に、数枚の写真を置いた。

 まだ動揺の納まらない蒼依は、彼を見なくて済むよう写真だけに注目した。

 それは、陽だまりの中にしゃがむ彼女の姿だった。つややかな髪が肩に流れ、夢見るようにスミレの群れを見下ろしている。おだやかで、はかなげで、彼女がいつも鏡の中に見る自分とは似ても似つかない。いつも父似と言われていたのに、どこか母に似ていた。
 二枚目の滝を見つめる彼女も同じような表情だ。

 「いつもとぜんぜん違うだろ?」

 尋ねられ、蒼依は現実に引き戻された。
 「そう?」声が震えなかっただろうか。

 「今のきみは、すごく……」言葉を探している。「淋しそうだ」

 「気のせいじゃ――」

 「その指輪はどうしたの?」

 突然、話題が変わり、手を見下ろした。小さなダイヤをあしらった金の指輪が、鈍い光を反射している。

 「これは……」いとおしむように指輪を撫でる。「母の形見」

 沈黙が落ちた。

 「ごめん」ようやく晃聖が声を取り戻した。
 「ひとりじゃ淋しいだろ?お父さんはどうしてる?たまには会ってるのか?」根堀り葉堀り訊いてくる。

 「どこにいるか知らないから」詮索から逃れようと、彼から離れた。

 「捜したことはないのか?」晃聖が後ろをついてくる。

 「別にいいし……」蒼依は落ち着きを失い始めていた。

 「一緒に捜してやろうか?」

 蒼依は血相を変え、彼を振り返った。
 「会いたくないの。お節介はやめてよね!私、もう帰る!」

 「何で、会いたくないんだ?」蒼依の両腕をつかんで、揺さぶってきた。

 追いつめられ、責められている気分だ。
 「帰るんだから、放してよ!」

 「両親が離婚でもしたか?それで、恨んでいるのか?」勝手な憶測を並べ立て始めた。
 「そのくせ、きみは淋しいんだ。ほんとは、家族に会いたくてたまらないんだろ?だからいつも淋しそうな顔をして、内にこもってる。素直に認めたらどうだ?逃げてるだけじゃ、何も変わらないだろ?」

 グサリと本音を指摘され、心が悲鳴をあげた。
 蒼依は彼の手をふりほどいた。
 「私がどんな思いをしたかも知らないくせに!あなただって、同じ目に遭えば――」自分がとんでもないことを口走っているのに気づき、口をつぐんだ。

 晃聖が、彼女が秘密を打ち明けるのを息をひそめて待っている。いつまでも蒼依が黙っているので、ついに彼は尋ねた。
 「どんな目に遭った?」

 「説教の次は尋問?どうしてあなたに話さなきゃならないの?」

 「話してくれなきゃ、救う方法もわからないだろ」

 何も知らないくせに、勝手な想像をして決めつける彼が腹立たしかった。無理やり口を割らせようとするやり口が気にいらない。強引な物言いに、反発を感じる。彼の言いなりになりたくなかった。

 蒼依は反抗的につんと顎をあげた。
 「そんなこと言って、ほんとは興味本意なんでしょ?大方、店での女遊びに飽きたものだから、変わった女を試してみたくなっただけじゃないの?」

 たちまち晃聖の顔が険しくなった。
 「きみにかかると、俺は何をやっても最低の男なんだな?じゃあ、本音を話そう。男はね、女が逃げれば逃げるほど追いかけたくなるもんだ」乱暴に言い放った。
 だが次の瞬間には深く息を吸い、気を静めたようだ。
 「何、言ってんだ、俺は……。いいか、俺は本気で心配してるんだ。いつもいつも辛そうな顔をして、このままずっと過去を引きずるつもりか?いつまでも殻に閉じこもってないで、本当のきみを見せてくれ」晃聖は熱心に訴えたが、後の祭りだった。

 『男はね、女が逃げれば逃げるほど追いかけたくなるもんだ』その言葉が頭の中を巡っている。
 『男はね、女が逃げれば逃げるほど……』

 そして、捕まえたあとはどうするの?彼をあてにし、会いたいと願い、他の女性といると考えただけで動揺する私はもう捕まっているの?

 『逃げれば逃げるほど追いかけたくなる』

 蒼依は身震いした。心と身体。心を奪われ、母の二の舞になるくらいなら……。
 「それなら」身体を与え、心を守る。「私を慰めて」蒼依は真っ直ぐに彼の目を見つめ、ブラウスのボタンに手をかけた。

 突然の成り行きに当惑し、晃聖は当惑した。蒼依が何を考えているのかわからない。
 「蒼依?」真意を測ろうと、彼女を凝視する。

 それでも彼女の手は止まらない。薄いブラウスは肩からするりと落ち、足元に広がった。
 夕方が近いとはいえまだ明るい部屋の中に、白い上半身が浮かびあがる。

 晃聖は懸命に顔だけに意識を集中しようとした。
 「それじゃ、何の解決にもならないだろ?」

 「そう?」

 晃聖はなんとか目をそらした。

 「したくないの?」その静かな声がスイッチのようだった。

 誘惑は抗いがたく、吸い寄せられるように彼女の姿をむさぼった。

 細い首は白く、さらに白い胸のふくらみが息づいている。
 匂い立つ色香を意識したとたん、目の前は彼女だけになり、頭の中で心臓の鼓動が鳴り響いた。



 晃聖のまなざしに欲望が燃え上がるのが、蒼依にもはっきりわかった。
 またたく間に鼓動が跳ねあがる。緊張がみなぎり、息苦しい。言い知れない恐怖が背筋を這いのぼり、理性がしきりにわめいていた。

 晃聖がジワリと動き、間近に迫ってきた。彼の放つエネルギーに、圧倒されそうだ。

 覚悟を決めたつもりだった。
 だがいざ現実味を帯びてくると、尻ごみしそうになる。早くも手足は小さく震え始めていた。

 「ひ、避妊は?」いかにも慣れてるみたいに訊こうとしたのに、失敗した。

 「持ってる」ざらついた声が答える。

 それは多くの女性を相手にしていることを物語っていた。そうやっていつも準備しているのだろう。
 彼を嫌う理由をひとつひとつ数えあげた。

 晃聖が片手で彼女の顎をすくい上げ、食い入るように見つめてきた。真剣な表情が怖いほどだ。

 果たして、最後までやり通せるんだろうか?
 蒼依は絶望的な気分で彼の唇を受けとめた。身を引こうとすると、指が髪に絡みつきウエストを引き寄せられる。体が密着し彼の高まりを感じると、蒼依の恐怖はより大きくなり、後悔が生まれた。

 彼を遠ざけるために身体を差し出すなんて、どうしてそんな突拍子もないことを思いついたんだろう?身体が震え、歯が鳴る。

 「怖いんだな?」

 怖くてたまらない。

 「俺と付き合って、また傷つくんじゃないかと不安なんだろ?」彼女の耳の縁を舌でなぞり、晃聖が勘違いして囁いた。
 彼が顔をあげ、瞳をのぞき込んでくる。
 「信じてくれ。絶対、傷つけない」
 晃聖の目に期待と欲望、そして決意が満ちていた。蒼依に腕を回し、ギュッと抱きしめる。晃聖の手が背中を撫でたかと思うと、彼女の乳房は解放され手のひらに包まれていた。

 新たな接触に、蒼依はおののき、うずき、波立つ。

 彼の唇は喉のくぼみをさまよい、大きな手は乳房をつかんでいる。優しく揉み、頂をつまみ、やがて唇が乳首をついばんだ。

 目のくらむような衝撃に、思わず蒼依は彼の肩にすがりついた。体がほてり、どうしようもなく息があがる。ゾクゾクするような歓びが、かたくなな恐怖を溶かし、奥底に眠る情熱を呼び覚まそうとしていた。
 蒼依の意識は理性の岸を離れ、感覚の世界に流され始めた。



 明るい部屋の黒いシーツの上で、彼女の身体は白く輝いていた。頬は羞恥の色に染まり、震えている。
色っぽさと初々しさが渾然一体となり、まさに男の理想だ。これまでにない興奮で、彼女と繋がることしか考えられない。

 晃聖は乱暴に服を脱ぎ捨て、再びキスを始めた。彼女の上に乗り、吸いつくすように味わい、あがめるように触れる。
 俺の知っているありとあらゆる方法で、彼女を歓ばせたい。俺以外の男など、忘れさせてやる。いくら努力しても埋められない溝を、セックスすることで飛び越えたかった。

 乳首をねっとりと吸い上げながら、脚の間へと手を進める。
 そこはもう濡れ始めていた。蒼依が慌てて脚を閉じようとするのを腰を入れてはばみ、指を一本挿入した。

 彼女の腰が跳ね、うごめく中が締めつけてくる。
 それを押さえつけ、蕾を刺激しながら指を二本に増やした。

 蒼依が切れ切れに声を上げている。惚けた顔と上下する豊かな乳房に、正気を奪われそうだ。彼女の腰が小さく揺れ始めると、もう我慢も限界だった。

 脚を拡げ、ゴムをつけた高まりをあてがう。その光景に、所有欲が満たされるようだ。
 晃聖は先端をなじませたのち、ゆっくりと押し入った。肉襞が絡みついてきて、たまらない。
 さらに腰を進めたとき、蒼依が押し殺した声をあげ、身体が逃げた。
 蒼依は彼の胸に両手を突っ張り、脚は押し開かれたまま固まっている。

 「蒼依?」

 蒼依がギュッと閉じていた目を開いた。苦しそうな顔に、うるんだ目がつらそうだ。これはもう、疑う余地もない。

 「初めてだったのか?」
 これまで彼は、蒼依が男性不信であることや雰囲気から、経験があるものと思い込んできた。
 どうやら、それは勝手な思いこみだったようだ。

 晃聖は彼女のおでこに額を合わせ、目を閉じた。荒れ狂う欲求を根性で抑えつけようとする。
「やめようか?」興奮で息は切れ、自分でもおかしくなるくらい苦しげな声だ。

 すると、晃聖を拒絶していた両手が背中に回った。おずおずと撫であげてくる。

 全身に震えが走った。押し入ったままのペニスが、さらに奮い勃つ。

 「大丈夫」

 かすれた声が晃聖を熱狂させた。
 「蒼依……」
 衝動に任せて腰を振りたいところだが、それを堪えて優しいキスをした。健気な彼女がいじらしくて、いくらキスしても足りないくらいだった。



 蒼依は優しいキスに身体の力を抜いた。晃聖の狂暴な欲望に刺し貫かれているとは思えないほどの穏やかさだ。

 やがて彼の手が、ふたりの繋がっているあたりをさ迷い出した。感じやすい蕾を見つけ出し、刺激してくる。

 快感がぶり返し、痛みを押しやっていく。とろけそうな感覚に、蒼依は甘い吐息をついた。

 それを合図に、晃聖が再び挿入を開始した。ゆっくりとより深く、彼女の中を埋めていく。
 「痛い?」

 蒼依は小さく首を振った。痛みは消え去り、彼の存在のみを感じる。

 晃聖が動き出した。

 初めてなのに、身体は引いていく彼にすがり、突き入れられる圧力を歓迎する。激しくなる動きに揺さぶられ、どこかに追いつめられていくようだ。最奥をえぐられたとき、いきなり何かが弾け飛んだ気がした。
 蒼依は彼にしがみつき、しばし真っ白な空間を漂った。

 すぐ後に、晃聖が身を震わせたのには気づく余裕もなかった。


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