血の記憶

甘宮しずく

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 蒼依は三十分遅れでロータリーにやってきた。晃聖が待っているのに気づくと、あからさまにいやな顔をした。黒のカラーシャツにブラックジーンズ。デートには程遠い姿だ。化粧っ気のない顔は、いかにもしぶしぶといった感じだった。

 「そっちから時間指定したくせに、待たせるね。すっぽかされたかと思ったよ」愛車のカブリオレのドアを押し開け、いやみを言ってやった。

 「すみません。待たずに、帰ってくださってもよかったのに」馬鹿丁寧な物言いで、反撃された。
 どうやら、闘いはもう始まっていたようだ。

 彼女がシートベルトに手間取っているようなので手伝おうとすると、サッと手を引き、身体が向こう側に逃げた。

 やれやれ。過剰な反応に、ため息が出そうだ。『処女か?』と突っ込みたくなる。

 気が滅入ってくるのを堪え、晃聖は努めて陽気な顔を向けた。
 「さてと、行きたいところはある?」

 「海沿いを眺めながらの、ドライブはいかが?」

 行き先などどうでもよかったので、晃聖は黙って車をスタートさせた。

 空は晴れて、風は暖かかった。街路樹の若葉が風に吹かれてチラチラと光を反射させ、通りすぎる庭先の桜が白い綿雲みたいに美しい。
 平日のこの時間は道も空いていて、ドライブするには最高の日だ。

 車の流れにのると、晃聖は彼女の様子をうかがった。

 彼女はひざに置いたバッグの上に両手をそろえ、ゆったりと座っていた。前方に目をそそぎ、唇をキュッと結んでいる。こちらから話しかけないかぎり、ずっとそのままなのだろう。

 「今日は来てくれて、ありがとう」

 「約束しましたから」

 時間には遅れたくせに。心で文句を言い、話題を変えた。
 「いつも、休みの日は何をしてるの?」

 「いろいろ」

 だめだ。まるで話が続かない。赤信号で止まり、晃聖は単刀直入に切り出した。
 「どうして、そんなにつんけんしてるんだ?」

 返事はない。

 「慎司にもずいぶん冷たかったらしいね?」

 蒼依が横目に彼をにらんだ。
 「あなたたちは何か企んでるでしょう?わかってるんですよ」

 内心ひやっとしたが、認めるわけにはいかない。
 「まさか。考え過ぎだよ」

 「それなら、なぜ私を誘ったんですか?」

 「興味があるからに決まってるだろう?」好奇心ではちきれそうだ。

 疑り深い視線がこちらを見据える。やがて、そっけない声が返ってきた。
 「迷惑です」バッグから煙草を出した。その仕草で彼女がいら立っているのがわかる。

 晃聖は気を利かして、車の灰皿を引き出した。
 ところが、中にべったり口紅のついた吸い殻が残っていた。
 やましさから、チラッと蒼依の顔色を盗み見る。

 彼女はしっかりと灰皿を見ていた。
 「見ーつけた」低くつぶやき、軽蔑のまなざしを向けてきた。
 「わざわざ私に構わなくても、あなたにはちゃんとお相手がいるでしょう?私を降ろしたら、今度はちゃんとチェックした方がいいですよ。あなたの恋人は本当にかわいそう」

 「恋人じゃなくて、お客」
 信号が変わり、車の流れが動きだした。

 「そういう言い方もあるんですね?彼女たちのおかげで車も買えたのでしょうから、乗せてあげなきゃね」いかにも小馬鹿にした言い方だ。さらに彼女は辛辣になった。
 「ちょっとちやほやすれば、もっとお金を引き出せると思ってるんでしょ?セックスはできるし、言うことなし。違いますか?」今日のドライブがよっぽどいやだったらしく、やたらと突っかかってくる。

 「それは違うね。向こうがちやほやしてもらいたがってるんだ。たまに車に乗せてやれば、特別って感じがするだろ?僕は彼女らを気分よく楽しませることで、給料をもらっているからね」彼女の挑発にのるつもりはないので、淡々と返した。

 「それで次は私の番だったんですか?」蒼依は鼻で笑った。
 「女はみんな、あなたに優しくしてもらいたがってる、って勘違いしてません?男ってちょっとモテるとこれだから……」そっぽを向いた。

 もしかすると、彼女はどこかのモテ男に棄てられたことがあるのかもしれない。
 「そう思ってるから、男を毛嫌いしてるんだな?」気楽に言った。

 誰だって失恋くらいするものだ。それは考え方しだいで人を強くも魅力的にもする。

 「大丈夫。きみみたいな美人なら、一生奴隷になってもいい、って奴いるから」励ましの意味も込めて、おだてた。

 「やめてよね!そういう話」いきなり、蒼依が切れた。

 晃聖は驚いて彼女に目を走らせた。

 火の点けられないままの煙草がギュッと握った指の間で折れている。何かに耐えるように歯を食いしばり、蒼依はフロントガラスをにらみつけていた。

 ただならぬ雰囲気に、晃聖はカブリオレを路肩に停めた。
 声をかけたが、彼女は押し黙ったまま身動きすらしない。どうやら、また殻に閉じこもってしまったようだ。

 何が彼女の気に障ったのか、さっぱりわからない。ふつうなら、ご機嫌になるような話だったはずだ。謎を解き明かしたつもりが、また、わけがわからなくなってきた。知ろうとすればするほど、溝は大きくなるばかりだ。

 晃聖は話しかけるのを諦め、ドライブの続きに戻った。

 車中は長い間、沈黙に包まれていた。晃聖が気を利かせてかけたCDが、なんとか間をもたせている。時々、彼女の様子を窺いながら、話しかける機会を狙っていた。

 そろそろ海岸線沿いの道に入るころ、意外にも彼女の方から話しかけてきた。
 「この先に何があるか知ってますか?」どうやら、彼女はすっかり落ち着きを取り戻したようだ。いつものいまいましい敬語に戻っている。

 「眺めのいい高台に出るね。そこでちょっと休む?」

 そこは晃聖のお気に入りの場所だった。
 高台に続くゆるい上り坂はまるで空に向かって走行しているようで、上り切ったとたん、海岸線の眺望が広がる。その下は断崖絶壁になっていて、その雄大さに毎回息を呑んでしまうほどだ。
 右に大きくカーブする道路の左側には、眺めを楽しむためのスペースがあった。

 「あそこから飛び降りる人がいるって知ってますか?」晃聖の問いかけに関係なく、蒼依が訊いてきた。「飛んでみたいと思いませんか?」

 晃聖は言葉を失った。彼女が何を考えているのかわからない。

 蒼依を見やると、冗談のつもりなのかチラリと笑った。

 さっきの仕返しに、困らせてやろうと思ったのか?
 そう思いあたると、混乱はおさまり、狡猾な考えが浮かんできだ。デートの最中スリルを感じると、気持ちが高揚し相手にときめきを覚えるという。吊り橋効果というやつだ。思いがけない恐怖が、彼女の心を高揚させるかもしれない。

 「飛んでみる?」

 蒼依がぽかんと口を開けた。
 やっぱりだ。脅かすつもりが思わぬ反撃に遭い、言葉も出ないようだ。

 晃聖はしたり顔で、アクセルをグッと踏み込んだ。
 カブリオレは青い空目指してぐんぐんスピードを上げていく。それにつれ車内の緊張も高まった。

 蒼依はショック状態なのか、ひと言も発しない。

 晃聖は運転に集中した。
 やがて坂を上り切り、どこまでも続く海が見えた。休日には大勢いる人影も、今日はない。彼はひるむことなく、絶壁に向かって疾走した。
 が、これ以上は避けられないというその寸前、鋭くハンドルを切り、サイドブレーキを引いて車をターンさせた。愛車は大きく横滑りして反転し、車体をきしませて止まった。

 晃聖は自分の腕前に満足して、蒼依を見た。
 きっと、恐怖に顔が引きつっていることだろう。

 蒼依はゆったりとシートにもたれ、目を閉じていた。みじんも恐怖はなく、穏やかと言っていいくらいだ。

 晃聖はショックに青ざめた。
 彼女は本気だったのか?

 蒼依はゆっくりと目を開き、視線を合わせてきた。穏やかさは消え、今は無表情になっている。
 「どうしたの?」感情のこもらない声だ。「怖くなった?」


 「マジかよ?」言い知れない怒りが膨らみ始める。「何なんだ、きみは?おかしいんじゃないのか?」



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