4 / 42
拒絶
4
しおりを挟む
蒼依が仕事を終えたとき、まだ日が暮れたばかりで、昼間の暖かさを残していた。
<youサービスプロモーション>はイベント運営会社で、結婚式からコンサート、果ては誕生会までイベントに関することなら何でもプロデュースしている。
今日の仕事は企業の入社式で、永く堅苦しい挨拶のあと歓迎パーティーへと移行した。結婚式と違ってアルコールがない分トラブルは少ないが、それでも出席者ははしゃぐ。当然、蒼依も接待に追われた。
コンパニオンになって四年。この仕事が気に入っていた。皆と同じ制服、同じ色、同じ台詞、髪は地味にうなじでまとめている。周囲に溶けこみ、対等になれたようで安心できた。
苦労はある。厳しい礼儀作法に、気まぐれな客の対応、プライベートな誘いをうまく断るのに気を使うが、永く仕事を続けているうちに慣れた。
唯一、苦手なのは、噂好きの同僚だ。他人に興味のない人、おとなしい人、親切な人もいるが、中には噂話に命を賭けている人もいる。親しげに擦り寄ってきて、根掘り葉掘り旺盛な好奇心を満たそうとする。
だけどそれはどこに行ってもあることで、転職までするつもりはなかった。
そんな困った同僚である裕美たちが、今朝、夕べのことで謝りにきた。ひどく消沈して、彼女の機嫌をうかがっていた。その様子からも、彼女たちが後悔しているのは明らかだった。
だから許した。しかし、怒りが収まったわけではない。
我慢ならないのは、あのホストだ。いきなり抱き寄せ、恥ずかしげもなく腰を押しつけてきた。
辱められ汚された気分だった。思い出しただけで顔から火を噴きそうだ。
できれば、あんなくだらない男に反応したくなかった。何も感じず、無表情で終わらせたかった。
それなのに、どうしても我慢できず爆発した。大声を出さなかっただけましだが、それも時間の問題だった。
あの過剰な反発に、彼女の暗い過去がにじみ出てしまっている。あの姿を見た祐美が、加奈が、静香が、何か勘づいたかもしれない。
そのことの方が、よっぽど由々しき事態だ。あの場にいた全員から、夕べの記憶を消し去りたいくらいだ。いや。それができるなら、自分の過去を消している。
蒼依は諦めのため息をついた。変えられない過去を、いつまでも悔やんでいたって仕方がない。何もなかったように毎日を過ごせば、そのうち記憶も薄れるだろう。あとは二度と感情的にならないことだ。
蒼依は上着のボタンを留め、ビルの外に出た。
この季節はどこに行っても浮かれている。花々が咲き、重いコートからは解放され気分も軽くなるのだろう。
だが、彼女にとっては大嫌いな季節だ。蒼依は足早に会社の前を離れた。
「望月蒼依さん」
聞き覚えのある声に、蒼依はギクリと足を止めた。鋭く息を吸い、動揺を呑み込む。
どうしようかと迷っていると、太い声が再び彼女を呼んだ。
蒼依はいやいやその男を見た。
淡い色合いのブランド物のスーツに、ピカピカの革靴。キザな笑顔を振りまいて、晃聖がカッコつけて立っていた。
相変わらず醒めた目だ。いかにも迷惑そうな顔が、うんざりしながら俺を見ている。
昨日あれだけ彼女を怒らせたことを考えれば、当然の反応だ。塩をまかれたって文句は言えない。
晃聖はくじけまいと、精一杯の笑顔を返した。
どうしてもあのまま負けを認めることができず、慎司から会社名を聞き出した。彼にはさんざん諦めが悪いと笑い者にされたが、決意は揺るがなかった。
望月蒼依はまるで、何もなかったように歩きだした。取りつく島もない。
晃聖は慌てて後を追った。「ちょっ、待ってよ」
返事はなかった。それどころか、彼女はスピードをあげた。
「昨日のことを謝りに来たんだ」彼女について歩きながら、話しかけた。「悪かったよ。ちょっと話すぐらいいいだろ?」
それでも彼女は無視し続けている。
あまりのつれなさに、たまりかねて声をあげた。
「きれいなのを鼻にかけて、ずいぶんな態度だな?何でも思い通りになると思っているんだろ?」
蒼依はピタリと立ち止まった。ぎらつく視線で彼を見あげてくる。
晃聖はここぞとばかりに目を合わせた。
この方がずっといい。にらみつけられようが、確かに彼女は俺を見ている。
「あなたのお名前は?」蒼依が冷ややかに訊いてきた。
「晃聖。頭に血が昇って、忘れたな?」わざと馴れ馴れしく答えた。彼女に関心を持ってもらえてうれしかった。
「覚えています」蒼依はムッとしたようだ。「知りたいのは名字の方」
「真崎だよ」
「では、真崎さん。昨日のことは忘れてください」さらに一線を引くように、敬語を使った。「それに今の――」蒼依が顔をそむける。「失礼な言葉は聞かなかったことにします」
彼女はいかにも時間が気になる様子で、時計に目をやった。
「急ぎますので、失礼します」蒼依は再びキビキビ歩き出した。
晃聖の果敢な挑戦はあっけなく終わった。
蒼依は逃げるように駅へ向かった。急ぎの用などない。だが、拒絶の言葉としては十分なはずだ。
わざわざこんなところまでやって来るなんて、どういうつもりだろう。謝れば、また店に行くとでも思ったのだろうか?私が行かなくても、彼のファンは大勢いるだろうに。
蒼依はあることに思いあたり、唇をゆがめた。
彼は肘鉄を食らったのが気に入らないのだ。人前で恥をかかされ、彼のちっぽけなプライドが傷ついたのだろう。女はみんな、自分を無視できないと自惚れていたのかもしれない。
端正な容姿を鼻にかけているのは彼の方ではないか。あのチャラ男にそう言ってやればよかった。
いや。あれでよかったのだ。感情を抑え、理性的にふるまえた。これでいい加減、あの男も諦めるはずだ。
<youサービスプロモーション>はイベント運営会社で、結婚式からコンサート、果ては誕生会までイベントに関することなら何でもプロデュースしている。
今日の仕事は企業の入社式で、永く堅苦しい挨拶のあと歓迎パーティーへと移行した。結婚式と違ってアルコールがない分トラブルは少ないが、それでも出席者ははしゃぐ。当然、蒼依も接待に追われた。
コンパニオンになって四年。この仕事が気に入っていた。皆と同じ制服、同じ色、同じ台詞、髪は地味にうなじでまとめている。周囲に溶けこみ、対等になれたようで安心できた。
苦労はある。厳しい礼儀作法に、気まぐれな客の対応、プライベートな誘いをうまく断るのに気を使うが、永く仕事を続けているうちに慣れた。
唯一、苦手なのは、噂好きの同僚だ。他人に興味のない人、おとなしい人、親切な人もいるが、中には噂話に命を賭けている人もいる。親しげに擦り寄ってきて、根掘り葉掘り旺盛な好奇心を満たそうとする。
だけどそれはどこに行ってもあることで、転職までするつもりはなかった。
そんな困った同僚である裕美たちが、今朝、夕べのことで謝りにきた。ひどく消沈して、彼女の機嫌をうかがっていた。その様子からも、彼女たちが後悔しているのは明らかだった。
だから許した。しかし、怒りが収まったわけではない。
我慢ならないのは、あのホストだ。いきなり抱き寄せ、恥ずかしげもなく腰を押しつけてきた。
辱められ汚された気分だった。思い出しただけで顔から火を噴きそうだ。
できれば、あんなくだらない男に反応したくなかった。何も感じず、無表情で終わらせたかった。
それなのに、どうしても我慢できず爆発した。大声を出さなかっただけましだが、それも時間の問題だった。
あの過剰な反発に、彼女の暗い過去がにじみ出てしまっている。あの姿を見た祐美が、加奈が、静香が、何か勘づいたかもしれない。
そのことの方が、よっぽど由々しき事態だ。あの場にいた全員から、夕べの記憶を消し去りたいくらいだ。いや。それができるなら、自分の過去を消している。
蒼依は諦めのため息をついた。変えられない過去を、いつまでも悔やんでいたって仕方がない。何もなかったように毎日を過ごせば、そのうち記憶も薄れるだろう。あとは二度と感情的にならないことだ。
蒼依は上着のボタンを留め、ビルの外に出た。
この季節はどこに行っても浮かれている。花々が咲き、重いコートからは解放され気分も軽くなるのだろう。
だが、彼女にとっては大嫌いな季節だ。蒼依は足早に会社の前を離れた。
「望月蒼依さん」
聞き覚えのある声に、蒼依はギクリと足を止めた。鋭く息を吸い、動揺を呑み込む。
どうしようかと迷っていると、太い声が再び彼女を呼んだ。
蒼依はいやいやその男を見た。
淡い色合いのブランド物のスーツに、ピカピカの革靴。キザな笑顔を振りまいて、晃聖がカッコつけて立っていた。
相変わらず醒めた目だ。いかにも迷惑そうな顔が、うんざりしながら俺を見ている。
昨日あれだけ彼女を怒らせたことを考えれば、当然の反応だ。塩をまかれたって文句は言えない。
晃聖はくじけまいと、精一杯の笑顔を返した。
どうしてもあのまま負けを認めることができず、慎司から会社名を聞き出した。彼にはさんざん諦めが悪いと笑い者にされたが、決意は揺るがなかった。
望月蒼依はまるで、何もなかったように歩きだした。取りつく島もない。
晃聖は慌てて後を追った。「ちょっ、待ってよ」
返事はなかった。それどころか、彼女はスピードをあげた。
「昨日のことを謝りに来たんだ」彼女について歩きながら、話しかけた。「悪かったよ。ちょっと話すぐらいいいだろ?」
それでも彼女は無視し続けている。
あまりのつれなさに、たまりかねて声をあげた。
「きれいなのを鼻にかけて、ずいぶんな態度だな?何でも思い通りになると思っているんだろ?」
蒼依はピタリと立ち止まった。ぎらつく視線で彼を見あげてくる。
晃聖はここぞとばかりに目を合わせた。
この方がずっといい。にらみつけられようが、確かに彼女は俺を見ている。
「あなたのお名前は?」蒼依が冷ややかに訊いてきた。
「晃聖。頭に血が昇って、忘れたな?」わざと馴れ馴れしく答えた。彼女に関心を持ってもらえてうれしかった。
「覚えています」蒼依はムッとしたようだ。「知りたいのは名字の方」
「真崎だよ」
「では、真崎さん。昨日のことは忘れてください」さらに一線を引くように、敬語を使った。「それに今の――」蒼依が顔をそむける。「失礼な言葉は聞かなかったことにします」
彼女はいかにも時間が気になる様子で、時計に目をやった。
「急ぎますので、失礼します」蒼依は再びキビキビ歩き出した。
晃聖の果敢な挑戦はあっけなく終わった。
蒼依は逃げるように駅へ向かった。急ぎの用などない。だが、拒絶の言葉としては十分なはずだ。
わざわざこんなところまでやって来るなんて、どういうつもりだろう。謝れば、また店に行くとでも思ったのだろうか?私が行かなくても、彼のファンは大勢いるだろうに。
蒼依はあることに思いあたり、唇をゆがめた。
彼は肘鉄を食らったのが気に入らないのだ。人前で恥をかかされ、彼のちっぽけなプライドが傷ついたのだろう。女はみんな、自分を無視できないと自惚れていたのかもしれない。
端正な容姿を鼻にかけているのは彼の方ではないか。あのチャラ男にそう言ってやればよかった。
いや。あれでよかったのだ。感情を抑え、理性的にふるまえた。これでいい加減、あの男も諦めるはずだ。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。

とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。
すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。
そこで私は一人の男の人と出会う。
「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」
そんな言葉をかけてきた彼。
でも私には秘密があった。
「キミ・・・目が・・?」
「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」
ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。
「お願いだから俺を好きになって・・・。」
その言葉を聞いてお付き合いが始まる。
「やぁぁっ・・!」
「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」
激しくなっていく夜の生活。
私の身はもつの!?
※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
では、お楽しみください。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる