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#20 日常を歩む(4)

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 ヘルムの出現により、ライラとエリックは部活訪問する気が無くなった。二人で図書館に向かうことにする。

「短い髪も似合うよ、だっけ。小さい時から気障だったよねエリックは」
「なに、何の話」
「お披露目のときのことがあってから初めて、我が家に遊びに来たときに言ったエリックの台詞」
「え、覚えてない」

 ごめん、を繰り返すエリックに、ライラは手を引っ張って遊びに誘った。そのとき、肩より短くなったライラの髪を見て言ったのだ。
 長い髪もアレンジがきいて好きだが、動くのに軽そうな短い髪にもしたい。けれど短髪は、呆然自失に突っ立って傷を負っていた姿をファルマスが思い出してしまうらしい。そうポツリと言ったときの兄の顔が辛そうで、ライラは短髪にするのをやめている。

「エリックって、女と見れば口説き文句言うもんね。うちの侍女の皆が言ってた」
「は!? 何でそういう話になる!? ってか口説いてなんかない!」
「ごめん、一応褒めてるつもりで言った。さらりと自然に嬉しいこと言ってくれるから、優しくていいよね食べちゃいたい、って言われてるよ」
「えっ、それで褒めてるの? ありがとう?」

 ライラたちが図書館に来た目的は、洗脳や魅惑系の魔術書である。淫魔の得意分野であり専門分野のそれを勉強及び復習しておこうとエリックが言ったのだ。ヘルムを意識してのことである。ヘルムは淫魔の魔術を崇高で至上だと考えているという。他系統の魔術が不得意なのもあるだろう、洗脳系魔術に特化しているそうだ。
 専門的な魔術書は借りることができないので、数冊を選んで近くの座席に運ぶ。貸出禁止書架の近くには机と椅子が多く配置されてあり、勉強している生徒も多い。ライラたちは四人掛け用の机に向かい合って座った。

 淫魔であれば特に考えず自然とできる《魅惑》についてのページを開く。決して簡単ではない魔法陣と詠唱詩が書かれており、系統や詳しい説明、応用等に続いていく。
 ライラはその魔法陣を指でそっとなぞった。何度も描き、何度も詠唱し、ときには兄が書いてくれた魔法陣を使い、それでも一度も《魅惑》が発動することはなかった。なんとか頑張ったらできる、という範疇ではない。ライラに《魅惑》をすることは無理なのである。証明こそできないが確信があった。そもそも淫魔であれば魔法陣も詠唱詩も必要ない。その瞳で見つめることだけで発動できるのだ。

「ライラ、これ見て」

 エリックが開いて見せたのは、《魅惑》から《魅了》に完遂させる応用例のページだ。《魅了》とは、簡単に言えば《魅惑》した状態を半永久的に持続させた状態である。とても高度で、かかる側にとっては致命的な魔術である。

「なんでこんなもの、簡単に見れるような図書館にあるの」
「調べたら、まぁ、すぐ分かるようなもんだし。それに、《魅了》された状態を解除する方法も書いてある」
 淫魔の家であれば一冊は置いてあるような魔術書だ。むしろ、使う側よりも使われる側のために所蔵しているのかもしれない。

「《魅了》だなんて、なかなかできない芸当だよね。魔族相手なら尚更」
「けど、ヘルムとかは好き好んでやってきそうじゃない? 黒い噂ばっかだし」

 ライラは深く頷き、魔術書を読む。家にも似たような魔術書は沢山あるが、《魅了》だなんて縁が遠いもの、あまり勉強していない。
 《魅惑》から《魅了》へ進む応用例はいくつかある。どれも対象者を《魅惑》漬けにして監禁状態にするのが定石のようだ。《魅惑》した状態を保ち、食べ物、補助香等の薬物を使ったり、洗脳系の魔術を複数重ね合わせたり、体に快楽を教え込んで《魅了》へ持っていく。

「主に監禁……」
「……これだから淫魔は、って言われる所以だね」

 気分が滅入る。
 ライラがふと顔を上げると、エリックが不愉快そうに目を歪めていた。それでようやく気が付いたが、真後ろに大柄の男が立っていたのだ。彼は気配を消すのが上手い。ライラの手元に屈みこんでいたらしく、真上を見上げると視線がかち合った。

「《魅惑》と《魅了》? 誰かにする予定でもあんの?」

 優しく凪いだ水色の瞳がライラを見下ろしている。

「レオ……と、キャロンちゃん」
 少し離れたところにキャロンもいた。苦笑気味に手を振っている。
「ウォーウルフ君はどうしてここに?」エリックの声は誰が聞いても機嫌が悪そうだ。
「貴方がライラを連れ出して、なんだか可哀想な感じになったウォーウルフ君を、私が連れてきてあげたんですの。その様子ったらまるで飼い主に恋人ができたときの犬みたい」
「フォレスト、ちょっと黙れ」
「なるほど、飼い犬ねぇ」エリックが口を挟む。
「気安く喋りかけんな淫魔」

 キャロンには疲れた声で、エリックにはとげとげしい声でレオナルドは言う。その応酬にライラは少し笑った。

「レオ、紹介するね。こちら、幼馴染のエリック・バーナード。成績優秀な優等生だよ。エリック、彼はレオナルド・ウォーウルフ。席が隣で、滅茶苦茶強いよ」
「知ってる。戦闘においては魔界上位にいつもいるウォーウルフ家の長男でしょ。ちりちり溢れている魔力は、制御できてないからかなー?」

 エリックはしなやかな足取りで近づき、握手の手を差し出す。微笑みながら挑発している。

「どうも。俺の魔力は桁違いでね、これっぽっちで眩むようなら悪いなァ」

 レオナルドも微笑みながら握手を交わしたが、全く友好的な雰囲気ではない。キャロンは二人を見てにやにやしている。
 この二人、前から面識があったのだろうか……とライラは考えた。

「部活訪問に行くのではなかったのですか?」
 笑いをおさめたキャロンが言った。ライラとエリックは気まずげに視線を交わす。
「エリック、二人は私の大事な友達だから、大丈夫だよ」
 ライラが自信ありげに言うと、エリックは小さく息を吐いた。
「確かに、君たちには知ってもらっていた方がいいかもね」

 四人は図書館にある小さな学習室を借りることにした。普段はグループ発表を行う準備として借りることが多く、周りに遠慮せず喋れるのも利点だ。
 中に入るとエリックは、先程使ったのと同じ沈黙系の魔術を行った。これで外に声が漏れることはない。

「……なかなか警戒してるな。何があった?」
「ヘルム・シュタインって知ってる? あいつが、ライラに興味を持っている。よろしくない方向で」

 ヘルムの名が出た途端、レオナルドは顔を顰め、キャロンは真面目な顔つきになった。彼女の指が自分の顎を二、三度叩く。

「爵位落ちの淫魔の名家ですわね。莫大な財産と広大な土地を有していると思われます。あの家からはろくでもない噂しか聞きません。ヘルムも品行方正とは言えませんわ。おそらく同意なく人間に手を出したこともあると――けれど証拠不十分で罰せられてはいません。厄介なのは、そこそこ魔力が高く、強いこと。とは言え、淫魔系統の魔術に特化しているので限られてはいるのですが」
「流石、フォレストさんはよく知っている」エリックが言うと、キャロンはニコリと会釈を返す。

「私ね、学園に来るまで箱入りで育ったの。比喩じゃなくてそのままの意味。屋敷か、所有地か、人間界か。魔界の辺鄙なところには――めったに誰も来ないようなところには、兄様たちと散策したりもした。過保護でしょ? 理由は、私を護るため。《羊の姫》って二人は知ってる?」

 レオナルドは首を振り、キャロンは苦虫を嚙み潰したような顔をする。

「昔、ある淫魔たちが犯した罪ですわね。淫魔は精気をエネルギーに、魔力に変換できる唯一の魔族。ある一族に、魔力が少なく精気が多い女の子が産まれた。学園入学前にその子は攫われて行方不明。数十年後に分かったのが、彼女は精気を貪り尽くされながら囚われていたこと。《魅了》に犯し尽くされ、自我なんて無い状態で、酷い有様だった。発見が遅れたのは、複数の淫魔が巧妙に隠していたから。そしてその淫魔たちは、他の淫魔と比べて魔力量がかなり多く強かった。魔術で口を割らせたところ、彼女の精気を食べると魔力量が上がるのだと言ったそうです。羊とは生贄のこと。記録を残す際、彼女のことを《羊の姫》と仮称した――」

「私が《羊の姫》になり得ると噂がたったの。七歳のとき初めて社交の場に行って、お披露目目的だったんだけど、そのとき《鑑定屋》っていうややこしい淫魔がやってきて、私の魔力量がものすごく少ないことや、《魅惑》ができないことや、もしかしたら《羊の姫》になれるかも――みたいなことを言って、場を荒らしていったんだよ」
「ちょうど、参加者もかなり多い夜会だった」エリックが付け足す。

「え、ライラは《魅惑》できませんの?」
「あっ、そうなの、できない。いつかバレるようなことだけど、一応秘密にしててね」
 キャロンは急いで首肯する。
「それでお前、そんだけ世間知らずと言うか、ちょっとズレてるって感じなのか?」
「えっ、ズレてる?」

 二人に反応してほしいのはそこじゃない、とライラは思った。話を戻すように、エリックがこほんと咳をする。

「えーと。それで、《羊の姫》のように誘拐監禁等が起こりかねない状況になり、以降社交界には出ず、ライラは箱入りで育ったんだ。ああでも、親交のあるバーナード家は行き来していたよ。だからこんなに幼馴染」

 エリックはレオナルドの方を見て話す。少し得意げに見える。

「さっき、ヘルム・シュタインと鉢合わせした。ヘルムは《羊の姫》の噂をほのめかしていた。誰に囚われるんだろうね――とも。多分、ライラは、標的の一つにされたと思う」
「ヘルムはそういう淫魔だろう。警戒するべきだ」

 レオナルドは断言した。ヘルムについて何か知っている口ぶりだ。三人が問うような視線を投げる。

「俺の姉貴は同級生だ。姉貴は強い。だから興味がわいたのか、ヘルムが《魅惑》をかけてきたらしい。それも簡単なやつじゃなくて、補助魔法陣も使った、冗談じゃ済まない本気レベルのやつ。姉貴は魔力ごとねじ伏せたよ。あとブチ切れて半殺し……まではしてないか。傷を負わせて、二度と近づいてこないように約束させた」
「ウォーウルフ家のブルーガーネットに手を出そうだなんて命知らずですわね」
「ブルーガーネット?」
「ブルーガーネットは姉貴のあだ名。その名のような瞳と髪と毛並みを持つんだ」

 ライラは強く美しく煌めく狼を想像した。

「《羊の姫》の噂を本気にしようがしまいが、遊び半分でライラを襲うくらいのことはしそう、ということですわね?」

 ライラとエリックが頷き、束の間誰も喋らなかった。口を開いたのはレオナルドだ。

「俺も警戒する。ただ意外なのが、ライラ、お前結構気丈なのな」
「学園入学前から、ある程度予想はしてたの。ちょっと、思ってたよりも早かったけど」
「私も、魔術関連では役に立たないですけど、協力しますわ。情報収集にかけては自身があります」
「ありがとう、二人とも。……聞かないんだね、本当に《羊の姫》なのか、って」

 レオナルドとキャロンは珍しく顔を見合わせた。ライラに向き直って同時に言う。

「そんなのどっちでもいい」
「どちらでも関係ないですわ」

 嬉しいのに、涙が出そうになった。
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