上 下
17 / 42

#17 日常を歩む(1)

しおりを挟む
 午後の授業が終わり、キャロンがぐるんと後ろを振り向いた。

「ライラ、今日は暇ですか。カフェテリアに行きません? 結構種類ありますし――ちょっと聞きたいこともありますの」

 キャロンはいつもより早口で、有無を言わせぬ圧があった。

「う、うん。私もキャロンちゃんに聞いてみたいことあったんだった」
「そうですの? じゃあ、行きましょう」

 さっと立ち上がるキャロンに、ライラは慌てて鞄に荷物を詰める。今日は週末なので、特に用事がなければ学園に来るのは三日後。ライラは隣の席のレオナルドを見た。レオナルドもちょうどライラの方を向き、二人の視線が交わった。

「えと……」
 何か言いたいのに、何を言えばいいか分からない。
「ライラ?」
「あっ、うん、ごめんキャロンちゃん」

 キャロンはもう教室を出ている。去り際、レオナルドが「またな」と言った。ライラは頷くことしかできなかった。


 学園内にあるカフェテリアは昼こそ賑わうものの、放課後になれば疎らだ。人気のテラス席には木製のテーブルと椅子が置かれており、ライラとキャロンはそこに座った。陽の光を遮るよう樹木が等間隔に植えられ、風が吹くと葉が擦れる気持ちいい音がする。
 ライラはマグカップにたっぷり淹れられたキャラメルマキアートを口に含む。甘さとほんの少しの苦みが美味しい。

「ねぇライラ、ウォーウルフの狼と何かありました?」
「たまにキャロンちゃんが怖いよ」

 キャロンは忌々し気な顔をしてコーヒーを飲んだ。「やっぱり」

「キャロンちゃんは分かってたの? あの狼さんがレオだってこと」
「れ、レオ? ええ、結構すぐ気が付きました。そういう分析は得意ですの。戦闘となるとてんで駄目なんですけどねぇ。それよりも、ライラは驚いてませんの? ってか怒ってませんの? いつの間にレオって呼んでますの!?」
 言葉を重ねるごとにキャロンの怒気が膨れ、姿勢は前のめりに、早口になっていく。
「そりゃ驚いたよ……。怒ってもいる、けど、謝罪されたから、もういいかなって。レオって呼んでるのは、そう呼んだらいいって言われたから」
「……もっと怒りましょうよ」

 キャロンが毒気を抜かれたように脱力した。ライラの分まで怒ってくれているようで、胸が温かくなる。

「ううーん……すごく謝られたし」
「どんな?」
「土下座とか?」
「土っ下っ座っ! 見たかったですわぁ!」

 キャロンは心底楽しそうに笑う。もしかしなくとも、レオナルドのことを嫌っているのかなとライラは思った。

「それで、ライラはどこでアレがウォーウルフ君だと分かりましたの?」
「目の前で変身が解けた」
「ウォーウルフ君ほどの魔族が、本性を解いてしまったのですか? ライラ、何をしましたの?」
 しまった。狼の口を舐めたなど言えるはずもない。
「……ちょっとしたアクシデント?」
「あ・や・し・い!」

 その後もキャロンに追及されたが、ライラは絶対言わなかった。



 土曜の朝。珍しく朝から起きだしていたファルマスに誘われ、ライラは人間界に来ている。
 魔界から人間界に行くのは簡単である。各地にある専用ゲートを通るか、魔術でゲートを作り出すか。トゥーリエント家は家業柄、屋敷の敷地内にゲートを設備している。魔界でも重要視されている家業、それは人間界での経済活動である。
 トゥーリエント家が根城にしているのは主に日本。商売を始めたのは室町時代まで遡り、今や日本の大財閥の一角を成している。働いている社員も、まさか会社の中枢が魔族で構成されているなど思いもしないだろう。
 人間界での経済活動は他家も担っており、世界各地に点在している。そこで得た金で人間界のものを購入し、魔界へ輸入しているのだ。
 人間界に住む魔族は少なくない。ただ、なかなか老けないので魔術変化で容貌を変えたり、転職したりして働いている。人間に比べて長命であるため、物見遊山に人間界で暮らしていたり、ただの暇つぶしであったり、仕事が面白かったりと、理由は様々だ。

 また、人間界での経済活動の基盤を担う役割の他、規定違反の魔族がいないか巡回もしている。魔王軍にも専門の部署があるが、それだけでは不十分なのだ。規定違反行為とは、人間界での略奪や、人間を襲うことである。対象の魔族は魔界に連れ帰るか、専門部署に連絡して引き取ってもらう。ライラの父グイードが母の翠と出会ったのは、この巡回のときのことである。
 現在の魔界では、人間を襲わないよう定めていた。人間に化けて普通に暮らしている魔族たちの、人間同士のような個人的トラブルはそれに当てはまらない。
大事なのは、魔族としての干渉を避けることだ。それは人類の増加と、化学兵器の発達が原因である。
 人間は魔術が使えないし、重なり合った層にある魔界の感知もできない。だが、何が起こるか分からない――もし偶然、天体の巡りあわせ等の奇跡が起きて、人間界から魔界へのゲートが開いてしまったら。現に百年前、魔界と別の異界が重なり合った事件は起きたのだ。

 魔界の魔族数は一億もいない。もし戦争になった場合、化学兵器がなければ、全面戦争であっても勝利するだろう。化学兵器を投入された場合、魔族は人間界の各地に飛び、人間に紛れて行動を起こす。魔界は捨てるしかない。そして、魔族も人間も、おそらく壊滅状態になる。
 万が一ゲートが開いてしまったとき、少なくとも余計な禍根はないようにと、人間を襲う行為を禁止しているのである。


「ファル兄、今日は何か用事があるの?」
「ライラちゃんにプレゼントを買いたいなと思って」

 人間界の服――トゥーリエント家グループ会社のブランドもの――を着て、兄妹は銀座を歩いていた。ファルマスは黒いハットにサングラスをかけ、ライラはキャスケットに伊達眼鏡をかけている。淫魔が人間界に降り立つと、その美しさで異様な人目を惹いてしまう。ファルマスは自分たちに関心を寄せられないよう、存在感を消す魔術もかけていた。

「プレゼント? 特に欲しい物もないよ?」
「念のため、俺があげたいの。ここだよ」

 ファルマスは宝石店の前で立ち止まった。店の間口は狭く、奥行きが長い。黒い縁取りのガラス窓の向こうは、温かく明るい光に満ちている。ショーケースに並ぶ宝石がきらきらと輝き、見る者を魅了させる。

「宝石? 何故突然」
「御守り代わりにしようと思って。真珠を買うよ」

 手を引かれてライラは店内に入る。床は重厚な赤いカーペットが敷かれ、靴の上からでもフワフワとする感触があった。「御守り?」
 ファルマスは慣れた様子で店の奥へ進み、唇に弧を描いた店員に話しかけた。

「真珠のペンダントを選びたいのですが。品質は高めのもので、可愛らしい感じのもの」
「少々お待ちください」

 店員があれこれ用意してくれている間、ライラはファルマスを物言いたげに見上げていたが、ファルマスは微笑むだけだ。

「どうぞ、ご覧ください」

 ジュエリートレーに置かれているのは五つ。どれも美しくまろやかな輝きを放っている。宝石に詳しくないライラでも一級品だと分かる存在感だ。
 その中で、一際惹かれたものがあった。ほんのりピンク色を帯びた、一粒の真珠である。向きによれば水色にも緑色にも見える光の膜を弾き、やさしく輝いている。この真珠を林檎に見立て、茎と葉っぱの造形をダイヤモンドと金であしらい、そこから金のチェーンに繋がっているペンダントだ。

「ライラちゃん、これ気に入った?」
「えっ、あの」
「そちらは花珠になります。真珠鑑定書もお渡しできます」
「うん、これいいんじゃない。ライラちゃんに似合う。よろしくお願いします」
「ふぁ、ファル兄、待って」
「あれ? 気に入らない?」
「そうじゃないけど」

 とても好きだ。それが伝わったのか、ファルマスと店員は頷き合って、商品お渡しの準備に移る。ライラはよく分からないまま進む事態に慌てた。

「突然こんな、買ってくれるなんて訳が分からない。ファル兄にはほかにも沢山貰っているのに」
 ライラはいつも真珠の髪飾りをつけている。飾り櫛や、飾りピン、全てファルマスからのプレゼントである。
「言ったでしょ、御守り代わりにするって」
 ファルマスが屈み、声を落として言う。「この真珠に、俺の魔術を仕込むから」
「そうなの?」

 ライラは納得した。真珠と魔術は相性が良い。魔術を仕込むというのは、何かしらの魔術式や魔法陣を描いたり、封じ入れたりすることを指す。最もよく使われるのは紙だ。ただし、紙が燃えたり濡れたりして陣が崩れた場合、効力はなくなる。そういった面で真珠を媒介にするというのは半永久的であり、他の宝石に比べて定着率が良い。

「だから、肌身離さず着けていてね」
 よしよし、とファルマスはライラの頭を撫でる。
(私はいつも、甘やかされている)
「ありがとう。何の魔術か聞いていい?」
「ライラちゃんを護る魔術にする予定」
「いつもごめんね、ファル兄……」

 ライラは守ってもらうばかりだ。淫魔として、魔族として、不完全で、出来損ないであるから心配をかけてしまう。有難くて、申し訳なくて、悔しい。

「そんな顔しない。兄ちゃんは、ライラが笑顔でいてほしい。御守りも俺が勝手にやってるだけ。な?」

 うん、と呟いた声は鼻声になった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしてもモテない俺に天使が降りてきた件について

塀流 通留
青春
ラブコメな青春に憧れる高校生――茂手太陽(もて たいよう)。 好きな女の子と過ごす楽しい青春を送るため、彼はひたすら努力を繰り返したのだが――モテなかった。 それはもうモテなかった。 何をどうやってもモテなかった。 呪われてるんじゃないかというくらいモテなかった。 そんな青春負け組説濃厚な彼の元に、ボクッ娘美少女天使が現れて―― モテない高校生とボクッ娘天使が送る青春ラブコメ……に見せかけた何か!? 最後の最後のどんでん返しであなたは知るだろう。 これはラブコメじゃない!――と <追記> 本作品は私がデビュー前に書いた新人賞投稿策を改訂したものです。

落ちこぼれの貴族、現地の人達を味方に付けて頑張ります!

ユーリ
ファンタジー
気が付くと見知らぬ部屋にいた。 最初は、何が起こっているのか、状況を把握する事が出来なかった。 でも、鏡に映った自分の姿を見た時、この世界で生きてきた、リュカとしての記憶を思い出した。 記憶を思い出したはいいが、状況はよくなかった。なぜなら、貴族では失敗した人がいない、召喚の儀を失敗してしまった後だったからだ! 貴族としては、落ちこぼれの烙印を押されても、5歳の子供をいきなり屋敷の外に追い出したりしないだろう。しかも、両親共に、過保護だからそこは大丈夫だと思う……。 でも、両親を独占して甘やかされて、勉強もさぼる事が多かったため、兄様との関係はいいとは言えない!! このままでは、兄様が家督を継いだ後、屋敷から追い出されるかもしれない! 何とか兄様との関係を改善して、追い出されないよう、追い出されてもいいように勉強して力を付けるしかない! だけど、勉強さぼっていたせいで、一般常識さえも知らない事が多かった……。 それに、勉強と兄様との関係修復を目指して頑張っても、兄様との距離がなかなか縮まらない!! それでも、今日も関係修復頑張ります!! 5/9から小説になろうでも掲載中

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

もう死んでしまった私へ

ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。 幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか? 今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!! ゆるゆる設定です。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

旦那の真実の愛の相手がやってきた。今まで邪魔をしてしまっていた妻はお祝いにリボンもおつけします

暖夢 由
恋愛
「キュリール様、私カダール様と心から愛し合っておりますの。 いつ子を身ごもってもおかしくはありません。いえ、お腹には既に育っているかもしれません。 子を身ごもってからでは遅いのです。 あんな素晴らしい男性、キュリール様が手放せないのも頷けますが、カダール様のことを想うならどうか潔く身を引いてカダール様の幸せを願ってあげてください」 伯爵家にいきなりやってきた女(ナリッタ)はそういった。 女は小説を読むかのように旦那とのなれそめから今までの話を話した。 妻であるキュリールは彼女の存在を今日まで知らなかった。 だから恥じた。 「こんなにもあの人のことを愛してくださる方がいるのにそれを阻んでいたなんて私はなんて野暮なのかしら。 本当に恥ずかしい… 私は潔く身を引くことにしますわ………」 そう言って女がサインした書類を神殿にもっていくことにする。 「私もあなたたちの真実の愛の前には敵いそうもないもの。 私は急ぎ神殿にこの書類を持っていくわ。 手続きが終わり次第、あの人にあなたの元へ向かうように伝えるわ。 そうだわ、私からお祝いとしていくつか宝石をプレゼントさせて頂きたいの。リボンもお付けしていいかしら。可愛らしいあなたととてもよく合うと思うの」 こうして一つの夫婦の姿が形を変えていく。 --------------------------------------------- ※架空のお話です。 ※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。 ※現実世界とは異なりますのでご理解ください。

〖完結〗王女殿下の最愛の人は、私の婚約者のようです。

藍川みいな
恋愛
エリック様とは、五年間婚約をしていた。 学園に入学してから、彼は他の女性に付きっきりで、一緒に過ごす時間が全くなかった。その女性の名は、オリビア様。この国の、王女殿下だ。 入学式の日、目眩を起こして倒れそうになったオリビア様を、エリック様が支えたことが始まりだった。 その日からずっと、エリック様は病弱なオリビア様の側を離れない。まるで恋人同士のような二人を見ながら、学園生活を送っていた。 ある日、オリビア様が私にいじめられていると言い出した。エリック様はそんな話を信じないと、思っていたのだけれど、彼が信じたのはオリビア様だった。 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。

処理中です...