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#5 前途多難な学園生活(5)

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「ふぅ! ちゃんと帰れた!」

 ライラは無事に《転移》できた。白と黒を基調とした、重厚なその屋敷がトゥーリエント家の本邸である。屋敷中央の上部には大きな塔を作り、その先端は高く空へ伸びている。左翼と右翼にも中位の塔を、各屋根の端には金属製の装飾が、空に向かうように作られている。その一つ一つに当主グイードによる魔術がかけられており、トゥーリエント家の守りを堅くしている。
 ライラは転移術が成功したことにホッとし、門をくぐった。結界の中に入る、むにゅりとした感触がする。入ることを許されていない者は、ここで問答無用に弾かれる。エリックでさえ年間フリーパスではなく、毎回結界免除をしてもらう徹底さだ。
 重々しい玄関扉を開き「ただいま」と口を開こうとしたとき、右方向から突然襲われた。身長の高いソレは嬉々としてライラに覆いかぶさり、その勢いで玄関の地べたに押し倒す。ライラの両肩を掴んで額にキスを落とし――

「いきなり襲撃してこないで!」

 ライラは右の拳を握り、覆いかぶさってきたソレのボディーを思い切り殴った。ソレは吹き飛んで壁に激突し、重力に従って床に落ちる。ぶつかった壁にはヒビが入り、塗装が剥がれ、屋敷は少し振動した。しかしすぐさま修復魔術が働いて、壁は元通りになる。

「痛てて……そろそろ手加減を覚えてもいいんじゃないかな、ライラちゃん」
「ファルにいこそ常識を覚えたらいいと思う」
「ライラちゃんが可愛いから我慢できない!」

 そう言いながらライラに抱き着くのは、異母兄の一人であるファルマス。次兄でライラの二つ上だ。ところどころオレンジ色を溶かし込んだような髪色で、少し癖のある毛を短く切っている。淫魔らしい色気は勿論、愛嬌があって、おおらかな雰囲気を持っている。優しそうな垂れ目で、瞳は海を思わせる青色。体格はよく、見た目以上にがっしりとしている。美形ぞろいの淫魔の中でもトップクラスの美丈夫だ。ただしシスコン。
 ライラは慣れたもので、抱き着いてきている次兄を引きずりながら歩き進む。年々ライラの《怪力》が酷くなっていくのも、兄たちのせいだと思っている。そして彼らも年々身体の耐久性が向上しているため――間違いなくライラのせい――加減なくぶっ飛ばす練習台になってもらっている。

「ファル兄、まさかさっきまで寝てたの?」
「だって起きたらライラちゃんもう学園に行ってるし。俺が送ろうと思ったのに」
「だからって寝すぎでしょ」
「惰眠を貪るのも極上の休日の使い方だろー? で、学園にはどうやって行った?」
「どうやって、とは」
「一人で? ヨハンとか? それとも別の奴?」

 ニコニコしながらライラに尋ねるファルマスだが、その目は笑っていない。本当は言いたくないが、どうせバレる。

「エリックが送ってくれた」
「チッ!」

 ファルマスは盛大に舌打ちした。

「何でそんなにエリックを目の敵にするの? 喧嘩してたっけ?」
「うーん、そんな頓珍漢なところもライラちゃんの可愛いところだけど、いざ学園に入学して狼の群れに放られた今、心配で心配で心配だよ兄ちゃんは」
「狼の群れ?」
「あのガキ、どうせライラちゃんにベタベタ触ったりしたんだろ? 兄ちゃんが消毒してあげるからねー」

 より一層ライラを抱きしめようとしたファルマスを振りほどき、ライラは華麗に回し蹴りをした。ファルマスが咄嗟に作った魔術防御壁に、重い打撃が響く。

「いい蹴りだね! その調子で男共を撃退するんだよ!」

 輝かしい微笑みのファルマスに対し、ライラは呆れ顔だ。
 ファルマスは一つ息を吐き、表情を改めた。兄らしい優し気な表情で、ライラの頬に手を伸ばす。ライラの深緑の瞳を見つめ、左目の下にある黒子を親指でさすった。

「ライラちゃんは……特別製だからね。これでも心配してるんだよ」
「知ってるよ。過保護すぎるよ」
「びっくりするほどライラちゃんの精気は美味しいから、それに誰か気付くんじゃないかとヒヤヒヤするなぁ。男とは喋らなくていいからね」
「そんな無茶な」

 それに今のところは心配無用だ。淫魔族は嫌われているのかと、ファルマスに相談しようかとも思っていたが、今日はやめておく。『特にトゥーリエント家は』と言われたことは引っかかっているが、この屋敷の皆が好きだ。兄たちのことも、大好きだった。

「ありがと、ファル兄」
「お礼はライラちゃんからのチューでいいよ!」
「うん、ところで、そんなに私の精気って美味しいの?」
「ライラちゃん無視? そうだね、俺がこれまで味わった無数の中でも断トツだよ」
「それシスコンフィルターかかってるよね。……ん? 無数の中?」
「兄ちゃんモテちゃうからなー」

 妹から見てもさぞモテる容姿をしているので、嫌味でも何でもなかった。でも。

「ファル兄も来る者拒まずなの?」
「それでこその淫魔だろー?」

 さも当然、というようにファルマスはウィンクをした。

「……」
「私を食べてって向こうからくるんだよ? 据え膳食べないと逆に失礼だろー。っつーか、男も多いしな……あいつら俺を便利な測定器みたいに思ってやがる」
「う、ううーん? 男も多い?」
「でも兄貴ほど爛れてないから。安心安全のファルマスで通ってるから」
「アル兄は爛れてるの……」
「一応言っとくけど、俺たちとも《魅惑》は使ってないからね? なーんか結構疑われるんだよなぁ」

 要するに疑われる程モテている、と。
 こういうところが淫魔の嫌われる原因なのだろうか、とライラは思った。


       ○


 目覚めると、恐ろしく綺麗な男が横たわっていた。この世界の何よりも美しいものを造ろうとして出来上がったかのような至高の存在。魔族であるのに、微笑むだけで目がチカチカするような光を纏う。その男は、何よりも代えがたく愛おしいものを見る目で言った。

「ライラ、おはよう」
「……何やってんの」

 ライラは虫けらを見るような視線を送る。それもそうだろう、場所はライラのベッドの上である。カーテンの隙間から朝日が漏れ、室内は爽やかな明るさで包まれている。

「……いつベッドに入ってきたの」
「え? 深夜ぐらいです。疲れてたようで、ライラはぴくりとも起きなかったですね。屋敷内とはいえ警戒心なさすぎですよ」
「……で?」
「昨日はコミュニケーションが取れなかったので、一緒に眠ることでそれを埋めることにしました。ライラは本当にいい匂いがしますね。自慢の妹です」
「で?」
「ああ、ちょっと精気頂いたのバレてしまいましたか? いつも通り美味しかったです」
「そういう、ことじゃ、ないでしょお!?」

 ライラは右腕を振り上げて拳を叩き落としたが、美青年はひょいと身を躱し、代わりに打撃を受けた分厚いマットレスが弾け破れ、豪華なベッドがベキリと壊れる。

「ライラ、また強くなりましねぇ」
「誰の、せいだと、思ってるの」

 暫くした後、何事もなかったかのようにベッドとマットレスが自己修復し、元通りになる。グイードの魔術が無ければ、この屋敷は修復費用で破産……はしないが、毎月馬鹿みたいな請求書が届くだろう。

「でも学園では手加減を覚えてくださいね。ここみたいに修復魔術はかかっていませんから。請求書が毎日届けられてしまいます」
「……魔術で直したり、とかは」
「直せる範囲だったらいいんですけどねぇ。ライラはその魔術、使えます?」
「……むり」
「でしょう? ライラには少し高度ですね」

 そう微笑みながらライラの頭を撫でているのが長兄のアルフォード。ライラより三つ上の、恐ろしく美しい、まさに美の結晶のような淫魔。薄緑色のベールをかぶったような銀髪で、襟足は少し長め。切れ長の瞳は吸い込まれそうな青色をしている。輪郭に鼻梁、蠱惑的な唇、顔のパーツ一つ一つが丁寧に作り上げられた作品のように完璧だ。
涼しい理知的な雰囲気の物腰穏やかな青年だが、この家の者で最も情熱的に快楽を好む。

「そのネグリジェ、ちゃんと着てくれていて僕は嬉しいですよ。やはり白が似合う」
「妹に贈るような品じゃないよね、普通」

 裾に三重のシフォンレースをあしらったネグリジェは上等なシルクで作られており、風が吹けばふわりと広がる。全体は無垢な白地、前身ごろにはレースが控えめに飾られ、肩紐は太く袖はない。お気に入りの一品だが、贈ってくれたのはアルフォードである。むしろ手持ちの部屋着から下着まで全て兄からのプレゼント及びセレクトである。

「ライラの無垢な魅力が最大限活かされてますよ。襲いたくなるくらい」
「アル兄、き」
「キモイって言ったら、べろちゅーしますからね」
「……」

 真正面からきた場合は力技でしのげるが、それ以外では勝てない。
 ライラは一足でアルフォードに肉薄し、右ストレートを打った。防御壁で弾かれるのは織り込み済み、そのまま右足の上段蹴りをお見舞し、防御するもののぐらりと傾いだ体に目がけて、左足の回転蹴りを撃った。ライラはくるりと空中で一回転し、着地する。
 アルフォードは勢いを殺しきれず、飛ばされて壁にぶつかっていた。

「ふーっ。スッキリした。もう勝手にベッド入ってこないでね」
「そりゃあ、ここまでやったらスッキリするでしょうね。痛たた」

 アルフォードは輝く髪をかき上げる。涼しい顔をして微笑み、何事もなかったかのようにライラに近づく。そして、合格点、というようにライラの頭を撫でた。

「もっと色気のある下着も似合うと思いますよ。今度贈ってあげましょうね」
「外では短パン履いてるもん!」

 どうりで壁にぶっ飛ばせた訳だ。防御することよりも下着を見ることを優先したのだから――やっぱりこの兄、ちょっとおかしい。


 学園生活二日目は、アルフォードと登校することになった。門前に《転移》した途端、周囲にいる学生の注目が集まってくる。横にいる美貌の兄へ向けてのものである。そのピンク色の視線にたじろぎ、兄の様子を確認すると、彼は涼しく微笑んでいた。

(アル兄にとって、これが普通なのか)

 視線の中には男からの恨みがましいものもあるが、情熱的な目で見つめている男もいた。アルフォードの美貌は男女関係ないらしい。
 次第にチクチクと刺さるような視線をライラは感じる。「アルフォード様の横にいる子、誰?」「あれは何族? 魔力もあまり持ってなさそうなのに……どうしてアルフォード様と……」などという声が聞こえ、ライラは背筋を震わせた。
 このままアルフォードの隣にいては、身が危険。
 ライラはそそくさと兄から身を離したが、彼の方がそれを許さず、ライラの肩を抱いて引き寄せた。

「ばっ、アル兄、何考えてんの。これ以上私をハブらせる気!?」
「兄妹ってことはいずれ知れ渡りますよ。それより、ってどういうことですか。聞いていませんよ」

 しまった。

「まず兄妹でもこんな引っ付いたりしないから! いーから離して」

 怪力をもってして肩に回っている手を引き剝がし、脱兎の如く駆ける。アルフォードの怪訝な視線を背中に感じるが、無視である。

「幸先はよろしくなさそうですねぇ」

 ため息まじりの兄の声が、風に乗って聞こえた気がした。
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