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76.全なる尾
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「ようこそおいで下さいました、どうぞ近くへ」
消え入りそうな声で私たちを呼び寄せるイオ様は、どうかこのような体勢でお話するご無礼をお許しください。と、詫びた。いえいえ、全然かまいませんから。
「全なる尾」の称号を持つイオ様は、予想していた通りピアジェのお母さんだった。理知的なエメラルドの瞳をした彼女にこれまでの事を聞かせて貰う。とはいえ、だいたいは前もって聞いていた通りの話だ。
「先代の全なる尾、わたくしの夫はメルスランド海域から越してくる途中にサメに襲われて亡くなりました。この隠れ家を偶然見つけひとまずの安全は確保できましたが、それもいつ崩れるか分からぬ砂上の楼閣……魔王様どうか、わたくし達をお救い下さいませ。生き永らえられるのなら何でも致します。絶滅するよりはその道を選ぼうと我らは決めたのでございます……」
長引く逃亡生活に人魚たちは疲れ切っていた。うちの国に助けを求めるかどうかの採決もあっさりと可決されたそうだ。そうして代表としてピアジェが地上に来たらしい。
とりあえず今日は長旅でお疲れでしょうからと、正式な回答は明日にして宿を用意して貰うことになった。指定されたのはわざわざ人間用に改築してくれたというゲストハウスだ。送りましょうかというピアジェの申し出を断った私たちはメインストリートを歩いていた。時刻はもうそろそろ夕暮れで、貝の中に魔法の明かりをともしたランプがあちこちに吊り下げられていた。その幻想的な風景に見惚れながらあちこちの店を冷かしていく。
「みんなへのおみやげどうしようか。貝の髪飾りとか買っていったらラスプ怒るかな~」
「人魚団子とかどうです? 生地に海藻が練り込んであるのでこんな色になるのだとか」
「わっ、緑色!」
存分に買い物を楽しみながら街の様子を伺う。あまり晴れやかとは言えない顔つきが多いんだけど、子供たちは元気なもので走り回っている。それを見ていた大人たちにも少しだけ笑みが出る。ささやかだけど小さな幸せを噛みしめて生きてるんだろうな。でも……
「今回の件、どうされるおつもりで?」
買い込んだ荷物を抱えながら横を歩くルカがさりげなく問いかけてくる。私はこちらを気にかけている人が居ないことを確かめた後、少しだけ肩を落として正直に打ち明けることにした。
「迷ってる。ハーツイーズでこの海域を自分の領地と主張してしまえば、確かにピアジェたちは庇護下に入る事ができる。たぶんさっきみたいなチンピラ達も手は出しづらくなると思う。でもここまで自警団を派遣するのは現実的じゃない」
「我らが警備隊長さんはカナヅチですからね」
それだけじゃないって、と苦笑すると、ルカは分かっていますよとつられて笑った。だけどもその表情をすぐに引き締めて現実を突きつける。
「そこまでするだけのメリットを彼らには感じない。残念ながらそこは私も同意します」
「……」
そうなんだ。確かに彼らは善良で(魅了の歌さえ歌わなければ)害のない種族ではあるのだけど本当にそれだけ。何か莫大な見返りでもあるのなら多少無理してでも引き込むんだけど……。
もちろん損得抜きに守ってあげたい気持ちは山々だ。だけどそれではただの「おんぶにだっこ」状態になってしまう。うちの国もようやく窮地を脱した状態で、彼らを庇うのは正解と言えるだろうか。少ない護衛力を分散して共倒れになったら元も子もない。
「あああ~、思ったより遠かったのが問題なのよ! みんなまとめて地上に引っ越してこれたらいつでも受け入れるのに!」
「それこそ現実的ではないでしょう。水中の生き物がどうやって地上で暮らしていくんです」
「ライムに頼んで何とかしてもらう!」
「彼が笑顔でぶっ倒れる未来しか見えませんよ、おやめください」
ここですね、とルカは足を止めて少し大きめの岩場を見上げる。指定されたゲストハウスの前まで来たのを機に彼は話を締めくくった。
「ここまで領地を主張するとなると侵略国としてのイメージを他国に与えかねません。残念ですが今回の申し出は断るより他ないでしょう」
***
用意された宿は思った以上に快適で、人間向けに作り変えられていた。空気のバブルで部屋全体を覆っており、小魚が泳ぐ窓の外を見なければここが海中だということを忘れてしまいそうだ。タライに入った足湯まで準備されていて、私たちに喜んでもらおうと一所懸命考えてくれたんだろうなと言うのが伝わってくる。
「……」
やけに足の長いベッドに腰掛けぼんやりしていると先ほどの街並みの様子がよみがえってきた。必死に生きている彼らを見捨てるのはつらいけど、人の上に立つってこういう事なんだと自分に言い聞かせる。無茶をして何とかできるのは少年漫画の主人公だけだ。
角が立たない断り方ってどんなだろう、なんて考えていた私は、ふいに聞こえて来たメロディに意識を引き戻した。窓まで寄って見上げると、ちょっと離れた岩場の上に誰かが腰掛けているシルエットが見えた。勘違いじゃなければこの声……。
消え入りそうな声で私たちを呼び寄せるイオ様は、どうかこのような体勢でお話するご無礼をお許しください。と、詫びた。いえいえ、全然かまいませんから。
「全なる尾」の称号を持つイオ様は、予想していた通りピアジェのお母さんだった。理知的なエメラルドの瞳をした彼女にこれまでの事を聞かせて貰う。とはいえ、だいたいは前もって聞いていた通りの話だ。
「先代の全なる尾、わたくしの夫はメルスランド海域から越してくる途中にサメに襲われて亡くなりました。この隠れ家を偶然見つけひとまずの安全は確保できましたが、それもいつ崩れるか分からぬ砂上の楼閣……魔王様どうか、わたくし達をお救い下さいませ。生き永らえられるのなら何でも致します。絶滅するよりはその道を選ぼうと我らは決めたのでございます……」
長引く逃亡生活に人魚たちは疲れ切っていた。うちの国に助けを求めるかどうかの採決もあっさりと可決されたそうだ。そうして代表としてピアジェが地上に来たらしい。
とりあえず今日は長旅でお疲れでしょうからと、正式な回答は明日にして宿を用意して貰うことになった。指定されたのはわざわざ人間用に改築してくれたというゲストハウスだ。送りましょうかというピアジェの申し出を断った私たちはメインストリートを歩いていた。時刻はもうそろそろ夕暮れで、貝の中に魔法の明かりをともしたランプがあちこちに吊り下げられていた。その幻想的な風景に見惚れながらあちこちの店を冷かしていく。
「みんなへのおみやげどうしようか。貝の髪飾りとか買っていったらラスプ怒るかな~」
「人魚団子とかどうです? 生地に海藻が練り込んであるのでこんな色になるのだとか」
「わっ、緑色!」
存分に買い物を楽しみながら街の様子を伺う。あまり晴れやかとは言えない顔つきが多いんだけど、子供たちは元気なもので走り回っている。それを見ていた大人たちにも少しだけ笑みが出る。ささやかだけど小さな幸せを噛みしめて生きてるんだろうな。でも……
「今回の件、どうされるおつもりで?」
買い込んだ荷物を抱えながら横を歩くルカがさりげなく問いかけてくる。私はこちらを気にかけている人が居ないことを確かめた後、少しだけ肩を落として正直に打ち明けることにした。
「迷ってる。ハーツイーズでこの海域を自分の領地と主張してしまえば、確かにピアジェたちは庇護下に入る事ができる。たぶんさっきみたいなチンピラ達も手は出しづらくなると思う。でもここまで自警団を派遣するのは現実的じゃない」
「我らが警備隊長さんはカナヅチですからね」
それだけじゃないって、と苦笑すると、ルカは分かっていますよとつられて笑った。だけどもその表情をすぐに引き締めて現実を突きつける。
「そこまでするだけのメリットを彼らには感じない。残念ながらそこは私も同意します」
「……」
そうなんだ。確かに彼らは善良で(魅了の歌さえ歌わなければ)害のない種族ではあるのだけど本当にそれだけ。何か莫大な見返りでもあるのなら多少無理してでも引き込むんだけど……。
もちろん損得抜きに守ってあげたい気持ちは山々だ。だけどそれではただの「おんぶにだっこ」状態になってしまう。うちの国もようやく窮地を脱した状態で、彼らを庇うのは正解と言えるだろうか。少ない護衛力を分散して共倒れになったら元も子もない。
「あああ~、思ったより遠かったのが問題なのよ! みんなまとめて地上に引っ越してこれたらいつでも受け入れるのに!」
「それこそ現実的ではないでしょう。水中の生き物がどうやって地上で暮らしていくんです」
「ライムに頼んで何とかしてもらう!」
「彼が笑顔でぶっ倒れる未来しか見えませんよ、おやめください」
ここですね、とルカは足を止めて少し大きめの岩場を見上げる。指定されたゲストハウスの前まで来たのを機に彼は話を締めくくった。
「ここまで領地を主張するとなると侵略国としてのイメージを他国に与えかねません。残念ですが今回の申し出は断るより他ないでしょう」
***
用意された宿は思った以上に快適で、人間向けに作り変えられていた。空気のバブルで部屋全体を覆っており、小魚が泳ぐ窓の外を見なければここが海中だということを忘れてしまいそうだ。タライに入った足湯まで準備されていて、私たちに喜んでもらおうと一所懸命考えてくれたんだろうなと言うのが伝わってくる。
「……」
やけに足の長いベッドに腰掛けぼんやりしていると先ほどの街並みの様子がよみがえってきた。必死に生きている彼らを見捨てるのはつらいけど、人の上に立つってこういう事なんだと自分に言い聞かせる。無茶をして何とかできるのは少年漫画の主人公だけだ。
角が立たない断り方ってどんなだろう、なんて考えていた私は、ふいに聞こえて来たメロディに意識を引き戻した。窓まで寄って見上げると、ちょっと離れた岩場の上に誰かが腰掛けているシルエットが見えた。勘違いじゃなければこの声……。
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