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EX-延長戦
とある姉によるえげつない所業-後編-
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シャルロッテと会話をしてから十日ほど経ち、オズワルドは周囲の自分を見る目がなんとなく変化しているのを感じ取っていた。
以前は廊下を歩くだけできゃあきゃあと取り囲まれていたのだが、近頃は物陰からやけに熱っぽい視線を感じる。それでいて振り向くと黄色い声だけを残し逃げていくのだ。
「?」
この変化はいったいなんなのか。シャルロッテは何をしたというのだろうか。
まぁ絡まれるよりかは断然マシかと思いつつ、中庭を抜けて正面玄関に入ろうとする。すると、そこで待ち構えていた人物と目があった。緑の髪の彼は器用に欄干に腰掛けながらこちらをチラリと見る。
そういえばこの男も近頃は自分に近づいてこなかったなと思いながらも何となく足を止める。ランバールはなんというか、この世の終わりのような顔をしていた。
「……腹でも壊したのか」
間の抜けた問いかけだなと思いつつ尋ねると、虚ろな眼差しで見上げられる。彼はどこか投げやりに鼻で笑うと地獄の底から這うような声で言った。
「オレさぁ、超親切だからさぁぁ、なぁ~んにも知らないセンパイに教えて差し上げますけど」
完全に上から目線の言い方にムッと来るが、言い返す前にランバールは一冊の小冊子を手の中に押し付けてきた。
「『知らぬが仏』とかクソ喰らえだ、テメェも知って絶望しろバーカ」
やけに幼稚な罵りを残しランバールは去っていった。その足取りはおぼつかなく、大丈夫かアイツとガラにもなく心配してしまう。
取り残されたオズワルドは手の中に残された冊子を見やる。書店で並んでいるような製本されたものではなく、紐で簡易的に留められただけの紙の束のようだ。表紙も著者名もなく、ただ一番上に『ひねくれ王子と偽りの仮面』とだけ手書きで書かれている。
妙に見覚えのある字体に嫌な予感がしながらも、パラと一ページ目を捲り――
***
暗い帳が降りる空き教室に、彼の怯えたような声が響く。
「お前っ、何考えてるんだよ!」
これまで散々押し込めていた気持ちも、ギリギリのところで何とか堪えていた想いも、自分に組み伏せられている男を見てしまえばあっけなく崩壊してしまう。
普段は強気な青い瞳も、今は怯えたように潤みこちらを一心に見上げている。透けるような白い肌が闇の中に浮かび上がり素直に綺麗だと思った。
「先輩、オレの事が本気で嫌いなら全力で押しのけて下さい」
今ならまだ間に合いますよと、耳に吹きかけてやれば面白いように過敏に反応する。
「やっ……!」
狂おしいほど愛しい。気持ちまで捕らえることなど出来ないのはわかっている。それでも
「っ、おかしいだろ、俺は男で、お前も」
その目をまっすぐに見て、今まで抑えつけていた気持ちを解放する。
「オレはアンタが男だから好きになったんじゃない、先輩だから好きになったんだ」
その言葉に男の目が見開かれる。
「先輩……」
「あ、んっ……」
***
本から顔を上げたニチカはヒクリと頬を引きつらせた。視線の先でキラキラと瞳を輝かせたメリッサが両こぶしをこれでもかと握り締めながら感想を待っている。
「めりっさ、あの、これ」
「どう!? めっちゃ萌えない!? これ校内の女子生徒の間で年々引き継がれてる伝説の同人誌なのよ!!」
その隣、うっとりとした表情で頬を押さえていたアンジェリカが、勢いよく後方へ振り返り尊敬のまなざしを向けた。
「まさかこの作者がシャルロッテさんだったなんて! お会いできて本当に光栄ですわっ」
「アハハ、懐かしいわね~、まさかまだ読まれてるとは思ってなかったわー」
「これ実話って聞いたんですけど本当ですか!?」
「ふふ、そこはご想像にお任せするわ」
紅茶のカップをソーサーに戻したシャルロッテは軽く笑いながら受け流す。
軽く流す。
軽く!
続きを持ってくるわ!と、メリッサとアンジェリカは談話室を飛び出していった。それを見送ったニチカは、ギギギとぎこちない動きで振り返る。
「しゃ、しゃ、シャルロッテさん、これ、まさか」
『ひねくれ王子と偽りの仮面』――身分を隠して入学した落胤の王子ロズワルドに最初は反感を持ちながらも、少しずつ惹かれていく主人公ランドール。切なくも儚い独白形式で語られる純愛ストーリー。
名前はぼかしてあるが、どう読み込んでもよく見知った二人の青年に特徴が酷似しすぎている。『そういう』ジャンルがあるのは知っていたが、まさか実の弟をモデルにするなんて、そんな恐ろしい事をする姉が――
「いやぁ、あんなに効果があるとは思わなかったわ。それ以降オズちゃんに近づく女子生徒はみんな見守り体勢にシフトしたし、ランランは怯えて私たちに近寄ってこなくなったし」
居た。ここに居た。
悪びれもせずにアッハッハと笑うシャルロッテは手をパタパタと振りながら思い出を掘り起こす。
「思ったより広く浸透しちゃってねー、もう完全に校内は二人のことを『そういう目』で見てたわね。受け攻め論争で校内派閥も起きたりして」
なまじ二人とも美形で、ランバールがオズワルドにやけに絡んでいた事実も手伝って、それはもう爆発的にウワサが広まっていったそうだ。
「続刊は周囲の目を気にしだした二人が耐え忍ぶ恋がテーマだったわねー、リアルの二人もわざわざそれに沿うように行動してくれなくても良かったのに、まぁ上手く動いてくれちゃって」
そりゃそんな目で見られたら相手を全力で避けるだろう。
悲しいかな、それは完全に裏目に出てしまったようだが。
懐かしそうに目を細めたシャルロッテは長い脚を組んで頬杖を突いた。タイミングよく少女二人が息を切らしながら談話室に駆け込んでくる。
「まさか今でも読まれてるなんて思わなかったな。作者冥利に尽きるわぁ」
「はい、お待ちどうさま! 愛蔵版三巻セットよ!」
***
押し付けられた同人誌三巻セットを胸に抱いたまま、ニチカは校長室への道のりを歩く。
「どうしよう、これ……」
手の中の紙袋が必要以上に重く感じられるのは何も気のせいではないだろう。
まるで爆発物のように捧げ持ちながらも歩いていくと、遠くから聞きなれた明るい声が聞こえてきた。
「んじゃ、こっちの手配は任せてください」
「頼んだぞ、こんな事頼めるのはお前くらいしか居ないからな」
オズワルドとランバールだ。
校長室の前で立ち話をしていた彼らは親しげに視線を交わしている。
ニチカは物陰からそーっと様子を伺いながら聞き耳を立てていた。
「嫌だなぁ、オレとセンパイの仲じゃないッスかぁ。まぁ確かに、多少は骨の折れる仕事ですし、……お礼期待しちゃってもいいですかね?」
(お礼……)
「あぁ、満足させられるようなものを用意するつもりだ」
(ま、満足させられるような!?)
先ほど読んだ物の影響か、どうしても意味深に聞こえてしまう。
いけないいけない、あれは創作だ。作り話だ。けれど――
「それじゃあ愛して止まないセンパイのためにも一肌脱ぎますかーっと」
「はいはい、俺もアイシテルから仕事はきっちりやれよ」
「なんという棒読み……あぁ、あんなに激しく求め合った夜は幻だったのね!」
「お前がここでそれを言うと洒落にならないな……」
「確かに、オレも今おんなじこと思いました……」
嫌な過去を思い出したのか、二人は同時に吐き気を催すような顔をする。
ため息をつき気を取り直したらしいランバールは軽く片手を上げて去っていった。
「さて、アイツはどこに――」
オズワルドは歩き出そうとして、物陰からジィッと見てくる「そのアイツ」と、まともに目が合った。思わずビクッと半歩引く。
「……」
「……」
なんだ、その視線は。
信じられないような物を見てしまったような眼差しのニチカは、ハッとしたかのように首を振ると飛び出してきた。
「ごめん、なんでもないの。それよりどうだった? ユーナ様から学校を通しての依頼、いけそう?」
「あぁ、素材自体は珍しくもない物なんだが何しろ量が必要で……何を持っている?」
ぎこちない笑顔でこちらを見上げていた少女は、後ろ手に何かを隠し持っているようだった。指摘した瞬間「ぎくぅ!」とでも効果音がつきそうなほどに反応する。……怪しい
「何だその袋」
「お、乙女の秘密?」
「見せろ」
「ダメ!」
胸の前で掻き抱くようにニチカはガードする。
そうまでされると見たくなってしまうのが人の心理なわけで
「……底、穴開いてるぞ」
「えっ、あっ!?」
慌てて確認しようとした少女の手からすばやく紙袋を抜き取ろうとする。しかしあと少しのところで端を掴まれてしまった。
「ああああ!おねがいー!おねがいー!これだけは勘弁してぇぇ」
涙目で懇願され、多少の罪悪感がこみ上げる。だがオズワルドの直感はここで引いてはならないと告げていた。
バリィッ
ついに力の均衡が崩れ、紙袋が悲痛な声を上げ真ん中から千切れる。
「……」
「……」
バサバサと落ちた本には、黒髪と緑髪の少年が絡み合う耽美なイラストが描かれていた。タイトルを読んだ男はひくりと頬を引きつらせながらようやく口を開く。
「お、まえ……これを読んだのか?」
我ながら動揺を隠せていない声だと思った。
とうに過去の物になったと思っていた物がなぜ、しかも立派に製本されご丁寧に絵まで付けられているのだ。
しっかり混乱していたオズワルドを引き戻したのは取り繕うような少女の明るい声だった。
「しっ、心配しないで! 創作と現実との区別は付けてるつもりだから! ラン君とはおホモだ――じゃない、お友達よね!」
「おい」
決定的な失言にブチ切れそうになったその時、校長室からグリンディエダが顔を出した。
「何ですか騒々しい」
眉を潜めた校長は、廊下で固まる師弟を見やる。
ところが床に散らばっていた冊子に目を止めると「あら」と呟いた。
「懐かしい『ひねくれ王子』じゃないですか」
「んなっ!?」
校長は言葉を失うオズワルドの足元から本を拾い上げると、彼の手にそれを押し込んだ。カタカタと細かく震える男はおそるおそる聞いてみた。よせばいいのに
「し、ししょう、まさか読者……?」
しばらくその顔をじっと見ていたグリンディエダは、厳格な顔つきはそのままに神妙に語りだした。
「オズワルド、表現の自由は決して抑えつけるべきではありません。わたくしは純粋にこの物語りの『深さ・繊細な心理描写・構成力』を評価しているだけです」
胸に手をあてそっと目を閉じる。厳かな雰囲気を保ったまま彼女は諭すように言った。
「ペンは魔女道具より強し。優れた文学は人の心を動かす。その事を心に留めておきなさい」
「……はぁ」
なんとなく雰囲気に呑まれ曖昧な返事を返す。
まぁ、自分の師匠が言うのなら、そうなのかもしれな――
「ちなみにわたくしは『ラン×オズ固定の精神的リバ派』だったのだけど、実際のところどうだったの?」
「師匠ーっ!?」
「ねぇニチカさん。青年期編を出すつもりはないのかとシャルロッテに打診しておいてくれないかしら」
「先生ーっ!!?」
爆弾発言を投下した校長は、思い出したかのように手元の懐中時計を見て「いけない、こんな時間」と言い残し去っていった。
残された師弟はただ立ち尽くす。
ニチカが怖々横を見上げるとオズワルドは青ざめた顔で微かに震えていた。
「師匠……まさか在学中から俺のことをそういう目で……」
「げっ、元気出して! 私は現実と混同視したりしないから!」
励ますつもりで背中をポンと叩くが、急に真顔で正面から見つめられて固まってしまう。
「本当か?」
「……」
「……」
たっぷり深呼吸をするだけの時間が過ぎ、上目遣いの少女がそっと口を開いた。
「ない、よね?」
限界だった。
ブチッとこめかみの辺りが切れる音を聞いた男は、彼女の首根っこを掴んで引きずり、手近な空き教室の扉をやや乱暴に開け放つ。
「ちょっと!?」
「安心しろ、俺が女にしか興味がないことをたっぷりと教えてやる」
その目は完全に据わっていた。これから何をされるのか嫌でも察してしまった少女は、最後の抵抗とばかりに叫んだ。
「ごめん、うそ! 信じてますから……っ、いやああああ!!!」
無情にも扉はピシャリと閉められ、声がシャットアウトされる。
廊下に残されたのは、散らばり落ちた三冊だけだった。
以前は廊下を歩くだけできゃあきゃあと取り囲まれていたのだが、近頃は物陰からやけに熱っぽい視線を感じる。それでいて振り向くと黄色い声だけを残し逃げていくのだ。
「?」
この変化はいったいなんなのか。シャルロッテは何をしたというのだろうか。
まぁ絡まれるよりかは断然マシかと思いつつ、中庭を抜けて正面玄関に入ろうとする。すると、そこで待ち構えていた人物と目があった。緑の髪の彼は器用に欄干に腰掛けながらこちらをチラリと見る。
そういえばこの男も近頃は自分に近づいてこなかったなと思いながらも何となく足を止める。ランバールはなんというか、この世の終わりのような顔をしていた。
「……腹でも壊したのか」
間の抜けた問いかけだなと思いつつ尋ねると、虚ろな眼差しで見上げられる。彼はどこか投げやりに鼻で笑うと地獄の底から這うような声で言った。
「オレさぁ、超親切だからさぁぁ、なぁ~んにも知らないセンパイに教えて差し上げますけど」
完全に上から目線の言い方にムッと来るが、言い返す前にランバールは一冊の小冊子を手の中に押し付けてきた。
「『知らぬが仏』とかクソ喰らえだ、テメェも知って絶望しろバーカ」
やけに幼稚な罵りを残しランバールは去っていった。その足取りはおぼつかなく、大丈夫かアイツとガラにもなく心配してしまう。
取り残されたオズワルドは手の中に残された冊子を見やる。書店で並んでいるような製本されたものではなく、紐で簡易的に留められただけの紙の束のようだ。表紙も著者名もなく、ただ一番上に『ひねくれ王子と偽りの仮面』とだけ手書きで書かれている。
妙に見覚えのある字体に嫌な予感がしながらも、パラと一ページ目を捲り――
***
暗い帳が降りる空き教室に、彼の怯えたような声が響く。
「お前っ、何考えてるんだよ!」
これまで散々押し込めていた気持ちも、ギリギリのところで何とか堪えていた想いも、自分に組み伏せられている男を見てしまえばあっけなく崩壊してしまう。
普段は強気な青い瞳も、今は怯えたように潤みこちらを一心に見上げている。透けるような白い肌が闇の中に浮かび上がり素直に綺麗だと思った。
「先輩、オレの事が本気で嫌いなら全力で押しのけて下さい」
今ならまだ間に合いますよと、耳に吹きかけてやれば面白いように過敏に反応する。
「やっ……!」
狂おしいほど愛しい。気持ちまで捕らえることなど出来ないのはわかっている。それでも
「っ、おかしいだろ、俺は男で、お前も」
その目をまっすぐに見て、今まで抑えつけていた気持ちを解放する。
「オレはアンタが男だから好きになったんじゃない、先輩だから好きになったんだ」
その言葉に男の目が見開かれる。
「先輩……」
「あ、んっ……」
***
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「めりっさ、あの、これ」
「どう!? めっちゃ萌えない!? これ校内の女子生徒の間で年々引き継がれてる伝説の同人誌なのよ!!」
その隣、うっとりとした表情で頬を押さえていたアンジェリカが、勢いよく後方へ振り返り尊敬のまなざしを向けた。
「まさかこの作者がシャルロッテさんだったなんて! お会いできて本当に光栄ですわっ」
「アハハ、懐かしいわね~、まさかまだ読まれてるとは思ってなかったわー」
「これ実話って聞いたんですけど本当ですか!?」
「ふふ、そこはご想像にお任せするわ」
紅茶のカップをソーサーに戻したシャルロッテは軽く笑いながら受け流す。
軽く流す。
軽く!
続きを持ってくるわ!と、メリッサとアンジェリカは談話室を飛び出していった。それを見送ったニチカは、ギギギとぎこちない動きで振り返る。
「しゃ、しゃ、シャルロッテさん、これ、まさか」
『ひねくれ王子と偽りの仮面』――身分を隠して入学した落胤の王子ロズワルドに最初は反感を持ちながらも、少しずつ惹かれていく主人公ランドール。切なくも儚い独白形式で語られる純愛ストーリー。
名前はぼかしてあるが、どう読み込んでもよく見知った二人の青年に特徴が酷似しすぎている。『そういう』ジャンルがあるのは知っていたが、まさか実の弟をモデルにするなんて、そんな恐ろしい事をする姉が――
「いやぁ、あんなに効果があるとは思わなかったわ。それ以降オズちゃんに近づく女子生徒はみんな見守り体勢にシフトしたし、ランランは怯えて私たちに近寄ってこなくなったし」
居た。ここに居た。
悪びれもせずにアッハッハと笑うシャルロッテは手をパタパタと振りながら思い出を掘り起こす。
「思ったより広く浸透しちゃってねー、もう完全に校内は二人のことを『そういう目』で見てたわね。受け攻め論争で校内派閥も起きたりして」
なまじ二人とも美形で、ランバールがオズワルドにやけに絡んでいた事実も手伝って、それはもう爆発的にウワサが広まっていったそうだ。
「続刊は周囲の目を気にしだした二人が耐え忍ぶ恋がテーマだったわねー、リアルの二人もわざわざそれに沿うように行動してくれなくても良かったのに、まぁ上手く動いてくれちゃって」
そりゃそんな目で見られたら相手を全力で避けるだろう。
悲しいかな、それは完全に裏目に出てしまったようだが。
懐かしそうに目を細めたシャルロッテは長い脚を組んで頬杖を突いた。タイミングよく少女二人が息を切らしながら談話室に駆け込んでくる。
「まさか今でも読まれてるなんて思わなかったな。作者冥利に尽きるわぁ」
「はい、お待ちどうさま! 愛蔵版三巻セットよ!」
***
押し付けられた同人誌三巻セットを胸に抱いたまま、ニチカは校長室への道のりを歩く。
「どうしよう、これ……」
手の中の紙袋が必要以上に重く感じられるのは何も気のせいではないだろう。
まるで爆発物のように捧げ持ちながらも歩いていくと、遠くから聞きなれた明るい声が聞こえてきた。
「んじゃ、こっちの手配は任せてください」
「頼んだぞ、こんな事頼めるのはお前くらいしか居ないからな」
オズワルドとランバールだ。
校長室の前で立ち話をしていた彼らは親しげに視線を交わしている。
ニチカは物陰からそーっと様子を伺いながら聞き耳を立てていた。
「嫌だなぁ、オレとセンパイの仲じゃないッスかぁ。まぁ確かに、多少は骨の折れる仕事ですし、……お礼期待しちゃってもいいですかね?」
(お礼……)
「あぁ、満足させられるようなものを用意するつもりだ」
(ま、満足させられるような!?)
先ほど読んだ物の影響か、どうしても意味深に聞こえてしまう。
いけないいけない、あれは創作だ。作り話だ。けれど――
「それじゃあ愛して止まないセンパイのためにも一肌脱ぎますかーっと」
「はいはい、俺もアイシテルから仕事はきっちりやれよ」
「なんという棒読み……あぁ、あんなに激しく求め合った夜は幻だったのね!」
「お前がここでそれを言うと洒落にならないな……」
「確かに、オレも今おんなじこと思いました……」
嫌な過去を思い出したのか、二人は同時に吐き気を催すような顔をする。
ため息をつき気を取り直したらしいランバールは軽く片手を上げて去っていった。
「さて、アイツはどこに――」
オズワルドは歩き出そうとして、物陰からジィッと見てくる「そのアイツ」と、まともに目が合った。思わずビクッと半歩引く。
「……」
「……」
なんだ、その視線は。
信じられないような物を見てしまったような眼差しのニチカは、ハッとしたかのように首を振ると飛び出してきた。
「ごめん、なんでもないの。それよりどうだった? ユーナ様から学校を通しての依頼、いけそう?」
「あぁ、素材自体は珍しくもない物なんだが何しろ量が必要で……何を持っている?」
ぎこちない笑顔でこちらを見上げていた少女は、後ろ手に何かを隠し持っているようだった。指摘した瞬間「ぎくぅ!」とでも効果音がつきそうなほどに反応する。……怪しい
「何だその袋」
「お、乙女の秘密?」
「見せろ」
「ダメ!」
胸の前で掻き抱くようにニチカはガードする。
そうまでされると見たくなってしまうのが人の心理なわけで
「……底、穴開いてるぞ」
「えっ、あっ!?」
慌てて確認しようとした少女の手からすばやく紙袋を抜き取ろうとする。しかしあと少しのところで端を掴まれてしまった。
「ああああ!おねがいー!おねがいー!これだけは勘弁してぇぇ」
涙目で懇願され、多少の罪悪感がこみ上げる。だがオズワルドの直感はここで引いてはならないと告げていた。
バリィッ
ついに力の均衡が崩れ、紙袋が悲痛な声を上げ真ん中から千切れる。
「……」
「……」
バサバサと落ちた本には、黒髪と緑髪の少年が絡み合う耽美なイラストが描かれていた。タイトルを読んだ男はひくりと頬を引きつらせながらようやく口を開く。
「お、まえ……これを読んだのか?」
我ながら動揺を隠せていない声だと思った。
とうに過去の物になったと思っていた物がなぜ、しかも立派に製本されご丁寧に絵まで付けられているのだ。
しっかり混乱していたオズワルドを引き戻したのは取り繕うような少女の明るい声だった。
「しっ、心配しないで! 創作と現実との区別は付けてるつもりだから! ラン君とはおホモだ――じゃない、お友達よね!」
「おい」
決定的な失言にブチ切れそうになったその時、校長室からグリンディエダが顔を出した。
「何ですか騒々しい」
眉を潜めた校長は、廊下で固まる師弟を見やる。
ところが床に散らばっていた冊子に目を止めると「あら」と呟いた。
「懐かしい『ひねくれ王子』じゃないですか」
「んなっ!?」
校長は言葉を失うオズワルドの足元から本を拾い上げると、彼の手にそれを押し込んだ。カタカタと細かく震える男はおそるおそる聞いてみた。よせばいいのに
「し、ししょう、まさか読者……?」
しばらくその顔をじっと見ていたグリンディエダは、厳格な顔つきはそのままに神妙に語りだした。
「オズワルド、表現の自由は決して抑えつけるべきではありません。わたくしは純粋にこの物語りの『深さ・繊細な心理描写・構成力』を評価しているだけです」
胸に手をあてそっと目を閉じる。厳かな雰囲気を保ったまま彼女は諭すように言った。
「ペンは魔女道具より強し。優れた文学は人の心を動かす。その事を心に留めておきなさい」
「……はぁ」
なんとなく雰囲気に呑まれ曖昧な返事を返す。
まぁ、自分の師匠が言うのなら、そうなのかもしれな――
「ちなみにわたくしは『ラン×オズ固定の精神的リバ派』だったのだけど、実際のところどうだったの?」
「師匠ーっ!?」
「ねぇニチカさん。青年期編を出すつもりはないのかとシャルロッテに打診しておいてくれないかしら」
「先生ーっ!!?」
爆弾発言を投下した校長は、思い出したかのように手元の懐中時計を見て「いけない、こんな時間」と言い残し去っていった。
残された師弟はただ立ち尽くす。
ニチカが怖々横を見上げるとオズワルドは青ざめた顔で微かに震えていた。
「師匠……まさか在学中から俺のことをそういう目で……」
「げっ、元気出して! 私は現実と混同視したりしないから!」
励ますつもりで背中をポンと叩くが、急に真顔で正面から見つめられて固まってしまう。
「本当か?」
「……」
「……」
たっぷり深呼吸をするだけの時間が過ぎ、上目遣いの少女がそっと口を開いた。
「ない、よね?」
限界だった。
ブチッとこめかみの辺りが切れる音を聞いた男は、彼女の首根っこを掴んで引きずり、手近な空き教室の扉をやや乱暴に開け放つ。
「ちょっと!?」
「安心しろ、俺が女にしか興味がないことをたっぷりと教えてやる」
その目は完全に据わっていた。これから何をされるのか嫌でも察してしまった少女は、最後の抵抗とばかりに叫んだ。
「ごめん、うそ! 信じてますから……っ、いやああああ!!!」
無情にも扉はピシャリと閉められ、声がシャットアウトされる。
廊下に残されたのは、散らばり落ちた三冊だけだった。
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