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12-ヒロイン症候群(シンドローム)

138.少女、拒絶する。

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「知ってるのか?」

 たぶんなんだけど、と前置きをして彼女は推察する。

「あれもイニの手の内の一つだと思うよ。こっちの世界に転移させる時にあの子の服のどこかに種を仕込んでいたんだろう。自分で使えればそれでよし。そうでなくても彼女に付け込むための不安材料になるしね」
「詳しいな」
「んーまぁ、経験者は語るというやつで……」

 バツの悪そうに頭を掻いていたユーナは「僕もやられた」とオズワルドにだけ聞こえるように零す。なるほど、先ほど言っていた制約とはフェイクラヴァーの事だったのか。

「経験者の見立てでどうだ? あとどのぐらい持つ」
「気力が失せてるのが幸いしてそこまで進行速度は早くなさそうだけど、それでも二日、三日が限度ってとこじゃない?」

 あの種は寄生者の魔力を糧に開花する。そして女性と男性とでは魔力の型がそもそも相反しているので、混ぜ合わせることで相殺することができる。
 つまりキスすれば抑制できるというのは後世の後付けであり、実際は水分に溶け込みやすい魔力で種周辺の魔力を打ち消していたに過ぎないのだ。

 キャンディーを作りその辺りはなんとなく予想がついていたオズワルドだったが、それでもこの茨の包囲網をどうにかできる決定打にはならない。いや、打ち破ったところで本人があの様子では……

「魂をつなぎとめる器が無い以上、生きようという気力がなければ種は関係なしに長くはないよ」

 感情を滲ませない声だったが、ユーナの横顔は緊張を色濃く含んでいた。

「センパイ、ニチカちゃんの魔力……消えそうなほどに弱いッス」
「そもそも、どうしてあんな状態になっちゃったワケ? あんなに『明るく』て『良い子』が……」

 シャルロッテの言葉に、あの映像を見せられたオズワルドとルゥリアは黙り込む。


 いつの間にか自分たちは彼女に対してそう言ったイメージを押し付けていたのだろうか。そして期待されていると感じたニチカはますます本性を押し込め明るく振る舞い、本当の自分を知られた事で崩壊した? 知らず知らず追いつめていたのは自分たちなのだろうか。


 言えない。少なくとも自分たちの口からは話すべきではない。
 己の中でさえ未だに整理できずに戸惑っているのだ。もしこうなることを想定して自分を天界に招いたのだとしたらイニは相当な策士だ。

 そう考えたオズワルドは舌打ちをして部屋を出て行こうとする。扉の側に立っていたグリンディエダが慌てたように尋ねた。

「オズワルド、どこへ?」
「……」

 立ち止まり背を向けたままの男は、まるで自分に言い聞かせるように言った。

「俺は魔女だ。神でも全知全能の力を持った超人でもない、なら魔女なりの解決方法を探すしかないだろう」

 研究室借りるぞとだけ短く言い残し彼は出て行った。
 残された者たちは各々がその言葉をかみ砕く。
 フッと笑ったユーナを皮切りにそれぞれが動き出した。

「確かにその通りだ。それじゃみんな得意な事教えてよ。僕が役割を振り分けるからさ」

***

 しかし皆の努力も虚しく状況はどんどん悪化していった。

「あ、また……」

 控え室のテーブルに置かれていた魔導球に目をやったメリッサは表情を暗くする。
 これはニチカの魔力を感知して赤く光る魔女道具で、校長が自室から引っ張り出しここに置いていったものだ。
 見るたびに暗くなっていくそれは、今やぼんやりとした埋め火のようになっていた。

 シャルロッテとランバール飛行組、そしてルゥリアを除く精霊たちはイニの行方を探すため各地を奔走しているが一向に彼の足取りは掴めていない。
 校長はフェイクラヴァーに関する本を片っ端から調べ、オズワルドは研究室にこもったまま出てこない。
 残るメリッサとアンジェリカはニチカの世話をするためここに残っていた。再三、扉の外から話しかけてはみたが返事が返って来る事はなかった。

 この感知器はアンジェリカには見せられないなと思いつつそっと撫でる。彼女は心配で夜も寝れないらしく、今は泣きつかれたのか向かいのソファで浅い眠りについていた。頬にはうっすら涙の跡がついている。

 その時、横でじっと膝を抱えていたルゥリアがぽつりと呟いた。

「わらわは、こうなるかもしれない事を分かっていたのだ」
「ルゥちゃん?」
「イニの性格を考えれば、ニチカの器をユーナ用に取り出すかもしれないと分かっておったのに……それでもユーナを選んだ」

 ギュッと膝に顔を埋めた幼い精霊は懺悔のように繰り返す。

「ガザンとノックオックは半ば諦めておる、魂が肉体から離れても流れに還るだけで側には居るからと言うのじゃ。だがニンゲンとは共に笑いあい触れ合うことで相手の存在を確かめるのであろう? ならこんな結末悲しすぎるではないか!」
「……」

 どうやら精霊の中でも意見が分かれているようだった。人と身近に接してきたシルミアと精神的に幼いルゥリアは、他の二柱ほど割り切れないらしい。

「すまぬニチカ、わらわこそ卑怯な臆病者であった」

 水精霊の悲痛なまでの泣き声にも、扉の向こうは無反応だった。

***

 そして数日後、とうとうその時がやってきてしまった。
 ほとんど消え入りそうな感知器の前に皆が集まり、鎮痛な面持ちでそれを見つめている。ジジッ、ジジ……と、命の炎が燃え尽きようとしている。肉体的にも精神的にも限界が近づいていた。

 少女たちがすすり泣き始めたその時、最後の希望が戻ってきた。

「ただいまーっ、ただいまタダイマただいまーっ!! 配達員が戻ったよーっ」

 茶色の大きなオオカミ、ウルフィが嬉しそうな足取りで部屋に飛び込んで来た。彼は息つく間もなく背中のリュックを下ろす。せがまれるままに開けてやるとその中にはたくさんの手紙が詰まっていた。

「由良様とか、マキナくんとスミレさん、ミームとか風の里のみんなとかブロニィ村とかユナスの街とか、あともちろん僕の故郷も! とにかくたくさんの人からメッセージ預かってきたよ!!」

 ニチカがここに運び込まれるなり飛び出していった彼は、その俊足を活かして各地を周ってきたらしい。開けてみれば、どの手紙にも倒れたニチカに対する見舞いと暖かい言葉がしたためられていた。

「きっとね、きっとね、これを読めばニチカも元気が出ると思うんだっ」
「よくやりましたわワンコ君! 褒めて差し上げますっ」

 一縷の望みを託し、目元をぐしっと拭ったメリッサが立ち上がる。
 そうだ、これさえ聞けば、あの情に篤い彼女ならきっと――

「ニチカ! みんなあなたの事を心配してるわ。手紙を預かってきたの、読んであげる。いい? よーく聞きなさいよ」

 焦る手で手紙の封を開け、中の手紙を取り出そうとする。
 だがその時、それまで全く反応の無かった中から鋭い静止がかかった。

 ――やめて! そんなもの聞きたくない!!

 死に掛けの者とは思えないほど強い声に思わずビクッと跳ねる。床に落ちた手紙がパサリと乾いた音を立てた。

 静まり返る中、メリッサは震える声で懇願するように尋ねた。

「ねぇ、どうして? お願いニチカ、わけを話して。あなた『そんな人じゃなかったはずよ』!」

 事情を知らない彼女からすれば当然の意見だ。だがそれは今一番言ってはいけない言葉だった。中からすすりなくような音と搾り出すような声が聞こえてくる。

 ――ごめんなさい。あなた達が知っているニチカはもう居ないんです。
 ――あたしが殺しました。殺して……しまいました。
 ――もう放っておいて……このまま消えたい……

 誰も、何も言えない。

 時間さえ止まってしまったかのような空間の中、その男が動いた。
 オズワルドは落ちていた手紙を拾い上げ扉の前に立つ。そしてそのまま凪いだ海のように……しかしすさまじい怒気を孕んだ声音で控え室の皆に宣言した。

「もういい、俺が始末をつけてくる」

 予想だにしない発言に誰もが言葉を失う。かろうじて動くことができたグリンディエダが弟子を止めようとするのだが

「な、何をするつもりですかっ、手荒な真似は――ヒッ!」

 うろんに振り返ったオズワルドの目の下には寝不足ゆえか酷い隈ができていた。薄く笑ったその顔があまりにも壮絶で周りの者が一歩退く。

「なに、あのウジウジした甘ったれの根性を叩きなおしてくるだけですよ師匠」

 ダメだ。これはあれだ、確実にブチ切れている。
 ゆるりと扉に向き直った彼はノブに手をかけゆっくりと開ける。部屋の向こうに茨の檻が見えた。

「誰も入ってくるなよ」

 そういい残したオズワルドは躊躇いもせず中に入り、そして後ろ手に扉を閉め中から錠を下ろした。
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