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12-ヒロイン症候群(シンドローム)

137.少女、篭もる。

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 天界に行き、そのまま元の世界に戻ったはずのニチカが戻ってきた。それも抜け殻状態になって。

 その事実は送り出した者たちにとって衝撃的だった。慌てて容体が悪化しないよう各々が奔走し、最終的に彼女は日の差し込まぬ静かな地下室に安置されることになった。
 ここは一般の生徒には解放されていないエリアで、貴重な魔材や資料などを劣化を防ぐ目的で保管している場所だ。暗く穏やかで湿度も低く、熱くもなく寒くもなく――極力刺激の少ない場所がニチカには必要だった。

「だぁから謝ってんじゃん。確かにキミらに全部丸投げして天界に昇った僕も悪かったよ? でもこっちだって被害者っていうか、イニにほぼ拉致られる形だったんだって」

 そして患者用に急遽つくられた一室の隣りの控え室ではユーナと『ゆかいなしもべ軍団』が久しぶりの邂逅を喜び合う――でもなくギスギスとした雰囲気に包まれていた。
 反論を受けたガザンが怒りでゆらりと髪の毛を逆立てながら主人であるはずのユーナに食って掛かる。

「それにしたって連絡くらい寄越すべきだろう。我らがどのような気持ちで地上を護っていたと思っているのだ」
「…………ほら、それはほら、便りのないのは元気な証拠と言いますし」
「ユーナぁ! そなた単に忘れていただけだろう!」

 噴火した彼をなだめるようにシルミアが肩をポンポンと叩く。ちなみにルゥリアは隅で脅え、ノックオックはうろたえるばかりであった。
 さらに言うとその向こうではシャルロッテとランバールが顔を突き合わせてお通夜な雰囲気を醸し出していたりする。

「ユーナ様、イメージとのギャップが激しすぎるわ……」
「あれが女神サマとか誇大広告にも限度ってものが……」
「おーい聞こえてんぞ、そこの異世界人ー」

 ピクピクと頬を引きつらせるユーナは頭を掻いていたかと思うとパンと一つ手を叩いた。泣きじゃくっていたアンジェリカも、それを慰めるメリッサも、深刻そうな顔をしていたグリンディエダ校長もそちらに向き直る。注目を集めた彼女はようやく経緯を話し出した。

「つまりさ、結論から言っちゃえば僕も現代から召喚された日本人なんだよ。本名は優奈。そういう意味ではあの子の異世界トリップの先輩ってことになるのかな」

 そこでピッとメリッサ達の方を指したユーナは唐突にこんな質問をした。

「そこのキミ達、突然だけど僕の先天性属性なんだと思う?」

 いきなり話を振られた少女たちはうろたえたが、幼い頃から教えられてきたイメージのまま素直に答える。

「ユーナ様は聖なる女神様ですから、当然『聖属性』だと教えられてきたのですが」
「ぶーっ、ハズレ。正解は闇、まっくろ黒々『闇属性』でした」

 イメージとはかけ離れた属性に精霊達を除くその場に居た全員にどよめきが起こる。

「どうしましょう、やっぱり偽者じゃないかしら」
「妄言症……思い込み……なりすまし」
「だから聞こえてるって言ってるだろ、そこの二人」

 苦笑いしながら振った指先から闇色の小さなボールが飛び出しランバールの後頭部にコツンと当たる。じわりと床に溶け出すそれは世界を蝕んでいた闇のマナとまったく同じ色をしていた。

「まったくさぁ天界のヤツら失礼しちゃうよね。現代でそれなりに充実した日々を送っていたのにいきなりこんな世界に呼び出されて『異世界人は魔力が強いから救世主になれ』だよ? しかも呼び出した後で僕が闇属性なのに気づいて慌てて誤魔化そうってんだからダサいったらありゃしない」
「なんという……ではユーナ様は最初から?」

 信じられないような顔をしたグリンディエダ校長の問いに彼女はコクンと頷く。

「黒髪じゃイメージが悪いからって金髪碧眼にさせられて、ヒロインに仕立て上げられたんだ。いやもう全っ然やる気なんか無かったけど、やらなきゃ元の世界に帰してもらえないってんだからやるしかなくてさ」

 割り切った彼女は地上に光臨し、持ち前の行動力と途方もない魔力を振りかざしあっという間に下界の精霊戦争を収束させた。元々そういった素質はあったのだろう、自分の本性を隠し良き聖女を演じるのは容易いことだった。

「イニってのはその時に天界から付けられたお目付け役だったんだけどさ。何を間違ったか僕にベタ惚れしちゃって、ウザくなったから放置してたら道中ずっと追っかけてくるストーカーになっちゃって」

 その言葉で当時を思い出したのか、四大精霊たちが暗い声を出す。

「あれはうっとおしかった……」
「思い出しても寒気がするのぅ……」
「わたしなんか地味で目立たないからって「今日から私が土精霊だ!」とか成り代わられようとしたことが……」
「アハハ、僕はそんな被害なかった」
「だからお前は傍観していただけだろうシルミア!」

 風と火がじゃれ合う横でユーナは話を進める。

「まぁ、なんていうかな、ウザいのは確かだったけど、アイツはアイツで良いところあるし、それだけ毎日好き好き言われてたら、その……こっちもそんな気になってきちゃってさ」

 その手の話題に目がないメリッサが顔を輝かせる。それに気づいたユーナは顔を赤らめながら話を強引に進めた。

「と、とにかく、好きになっちゃったものはどうしようもないし、僕はこの世界に残ることに決めたんだ。それにちょっとした制約も残ったままだったしね」

 制約という言葉に壁にもたれかかっていたオズワルドがピクッと反応するが、流れ的には些細な事だったらしく話は先へ進む。

「そうやって数百年は天界で平和に暮らしてたんだ。世界全体のマナの流れを調整しつつ、アイツと幸せに暮らしてた。でも……」

 フッと瞳を翳らせたユーナはこぶしをギュッと握り締める。その黒々とした眼差しの奥に怒りの炎がジリジリと燃え始めた。

「結婚しようって言ってくれた時は嬉しかった。だけど周りからストップがかかったんだ。正式に我々の仲間になるからには闇属性など許されない、遺伝子情報をいじくって聖属性になれ。だって」

 皮肉ったような笑みを浮かべていた彼女はいきなりテーブルを叩き付けた。

「ふざけんなよ! 僕という存在を遺伝子レベルから変える? そんなの納得できるかってんだ!! しかもイニが何て言ったと思う? 『それもそうだなユーナ』って、アホかぁぁぁ!!!」

 ぶわりと闇のオーラが彼女から吹き出し周りに居た精霊たちが一歩引く。それにも気づかずユーナはまくしたてた。

「闇属性だとしても僕は僕だ! そんな形にこだわるぐらいなら最初から言い寄って来なければ良かったんだ、それでも僕が欲しいっていうんなら周りの反対を押し切ってでも愛してみろよーっ!!」

 シャウトし終えた彼女はしばらくハァハァと肩で息をしていたが、パタリと手を落とした。しかしその目は据わったままだ。

「もうね、愛想が尽きたね。百年の恋も醒めたよ。ヤケになった僕は行方をくらます事にしたんだ。ちょっとは頭を冷やせばいいってさ」

 しかしただ逃げたのでは腹の虫が治まらない。後先考えない性格のユーナはとんでもない計画を立て実行してしまった。ニヤリと笑った彼女は、今回の一連の騒動の真相を打ち明ける。

「表向きは聖属性になるのを承諾したふりをしてさ、儀式当日みんなが見てる前で僕自身の『心の器』を破壊してやったのさ! 女神ユーナは魂が肉体から抜け出し無事死亡! あっはっは、ザマぁみろってんだ!」

 あの男が何よりも大切にしているのは自分。ならそれを目の前で失わせてやるのが一番の仕返しになるのではないか。そしてその考えは大当たりだった。

「いや~あの時のイニの顔ったら! 本当に見ものだったよ」

 ケラケラと笑うユーナは自分の性格が悪い事を自覚していた。ある意味とても子供っぽい復讐は見事に功を奏した。

「もちろん僕だってバカじゃないからね、下準備はしてたさ」

 うろたえるイニの手から魂だけ抜け出し、密かに用意していたホムンクルスの素体に入り込む。そして黒竜に乗りまんまと天界を脱出したユーナは天界が慌てふためく様を観察しようと気ままに地上をさ迷い始めた。

「なら、おぬしが今入っているその身体は……」
「うん、僕が作ったホムンクルス。すごいっしょ」

 ルゥリアは目の前の少女が、様々な分野において類まれなる才能を宿していたことを思い出した。数百年もヒマがあれば地上で未だ困難といわれているホムンクルスの完全体を作る事など造作もないだろう。

「魔女とか錬金術分野は専門外だったけど、色んな知識フル活用したら何かぽろっと出来ちゃったんだよね。あ、でも製造方法は秘密だよ、あんまり気持ちの良い話じゃないし地上にはまだ早すぎる技術だと思うから。自分たちで発見しなさい」

 その場に居た魔女たち数名が呻きながら頭を抱えた。この女神はあまりにも規格外すぎる。

 どこまで話したっけ? と少し考えたユーナは、そうそうと手を叩く。

「で、まんまと逃げ出してファントム(仮名)になって久しぶりの自由を満喫してたんだ。ほとぼりが醒めて反省したころに戻ってやってもいいかな~って思ってたしね。でも数ヶ月が経った頃あるウワサが僕の耳に入ってきてさ……」

 ――なんでもお隠れになった女神ユーナの代わりに、新たな女神候補である『精霊の巫女』が各地を周って精霊を集めているらしい。

 各地に広がっていくにつれ微妙に意味の捻じ曲がったウワサを、イニからの接触がなく不審に思っていたユーナはそっくりそのまま信じてしまった。

「それ聞いてブチ切れちゃってさ。おいなんだ? 僕は用済みかよって、結局女神なんて誰でも良かったんじゃないか、精霊たちも彼女に協力的みたいだしコイツら裏切りやがったなって」

 それを横で聞いていた火の精霊が遠い目をしながら苦言を申し立てる。

「それで呪いの矢を撃ち込まれても困るのだが……」
「すまんなガァくん。僕、裏切り者には容赦しないタイプなんだ」
「言い直そう。事実確認もせずに呪いの矢を撃ち込むなこの無鉄砲娘!」

 危うく精霊としての尊厳を失うところだったと喚く彼を捨て置き、ユーナはまとめに入った。

「つまり、そんなわけで僕はあの子にちょっかい出してたんだ。ごめん、一言で言うとすっごい勘違いしてた」
「あのー……その時イニの方に直談判しようとは思わなかったんスか」

 ランバールの脱力したような問いかけにも、彼女はあっけらとこう答えた。

「だって僕、陰湿だし。その方が双方にダメージでかいかなって」

 なんという慈愛の女神なのだろう。各地にあるユーナの女神像を片っ端から破壊したくなる発言だ。

 だが手をパンパンと叩いた彼女は少しも悪びれずに言い出した。

「ほらほら、謝罪なら後から十二分にするからさ。まずはあの子の器を取り返す方が先でしょ? 切り替え切り替え」

 ここで黒い笑みを浮かべた彼女は据わった目でこう宣言する。

「こうなった以上、僕にもだいぶ責任あるからねぇ。全力でイニを伸すのに協力するよ。っていうかいい加減許さねぇあんにゃろう、僕らの問題に他人を巻き込みやがって……」

 どっちもどっちな気がするけど、とその場に居た全員が思ったが、経緯がどうであれこれは強力な味方だ。心強い。

「だけど当のニチカ様があの様子では……」

 再び大きな瞳に涙をにじませたアンジェリカが鼻をすすりながら水を差す。
 隣の部屋へと視線を向けた皆は、ドアの下から這い出ている茨を見て何も言えなくなる。


 生きる気力を失ったニチカは、ここに安置されると全てを拒絶するかのように自分の殻に引きこもってしまった。

 食べ物も受け付けず、誰からの見舞いも拒み、子供のように泣き続けること半日、最初にその異変に気づいたのは彼女の身体を熱いおしぼりで拭いてやっていたメリッサだった。

 ニチカの腕の皮膚の下で何かがもぞりと動き、あっけに取られている内に皮膚を突き破りしなやかな薔薇の枝が飛び出す。悲鳴を上げ転げるように部屋から逃げ出すと瞬く間に茨は成長し、彼女を守るシェルターのように張り巡らされてしまった。

『バカな! まだ猶予はあったはずだぞ!』

 血相を変えた彼女の師匠がその包囲網を突破しようと試みるが引っかき傷を作るだけに終わる。そのまま死んでしまうのかと胆を冷やしたが、鋭い棘の向こうから聞こえてくるすすり泣きに少しだけホッとする。


 しかし何の手立ても打てないままこうして丸一日が経過してしまった。
 重たい沈黙を破ったのはやはりユーナだった。

「フェイクラヴァー、か。まさかそんな物まで引っ張り出してきてるとはなぁ」
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