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12-ヒロイン症候群(シンドローム)
133.××、解放される。
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その言葉を脳が噛み砕いた瞬間、自然とわきあがってきたのは「まさか」という一言だった。この場面でそんな事を言うなんてイニも冗談がきつい。
ニチカは笑いながら顔を上げた。
……上げようと、した。
「嘘でしょ? 私がそんな願いをするはずない、だってお母さんとミィ子がいるのにそんな」
「その母親とは本当の母親のことか? それとも君が作り上げた理想の母親のことか? ミィ子とは誰だ? その妹は実在しているのかね?」
本当にこの男は先ほどから何を言っているのだろう。人の大切な家族に対して失礼すぎる。
「……やめてよ」
「いやはや君の存在を根本から消すのは大変だったよ、どんなクズでも生まれ落ちた時点で星の数ほどの人生に影響を及ぼすからね」
「……るさい」
ギリリと奥歯を噛みしめる。
魔導球を持っていない方の手が自然と震えだした。
「それらを全てつじつま合わせするのに多大なる魔力を要した」
「黙れ」
普段ならば絶対にしないような口調が簡単にとび出る。
もうその段階になると、喋っているのが自分なのかそうでないかの区別が付かなくなっていた。
「だが安心してくれ、記憶から記録まで全てを改ざんした。もう君はあちらの世界には『存在していない』望んだとおり最初から居なかったことになっているんだよ!」
もう限界だった。自分でも感情をコントロール出来ず金切り声を上げる。
「うるさい!うるさい!うるさい!! いい加減なこと言うなっ!! 私がそんなこと望むわけ――」
いきなりグッと肩を引かれ間近で覗き込まれる。極彩色に色を変えるクリスタルの瞳に、燃え盛る炎の部屋が移り込んだ。
「おや? 少しずつ化けの皮が剥がれてきたようだ」
――もうすぐみんなに、本性がバレてしまうんだ
封じ込めていた記憶の小箱がギシギシと音を立てて歪みだす。どこか狂喜じみた表情を浮かべたイニはたて続けに質問を繰り出した。
「確かめてみよう。君の優しい母親は君が辛い時何をしてくれた? 貰って一番嬉しかった誕生日プレゼントは? 好きだった手料理は? よく読んでもらった絵本のタイトルは?」
答えようとしてどれ一つ思い浮かばないことに愕然とする。
代わりに蘇って来るのは頬に走る強烈な平手と叩きつけるような怒声ばかり。
カー……ン
力の抜けた手から魔導球がすべり落ち、硬質な音を立てて床に転がった。
胸をおさえた少女は、はくはくと息を吐きながら自らに言い聞かせるように呟き出す。
「や、やだやだ、違う、おかあ、さん、優しくて強くて賢くて、いつでも私を一番に考えて愛してくれる大切な」
「可哀想に、そうやって自分に暗示をかけ続けてきたのだね。優しい母親なんて最初から居ない。それは苦しんだ君が作り出した幻想なんだよ」
その時、充填が完了したのか床に転がった魔導球が眩しいほどに光り出す。それを見たイニは薄笑いを浮かべ構えた右手を後ろに引いた。
「そして君はこうも言った『こんな身体もう要らない、好きにしていい』とね」
「!?」
ドスッ、と鈍い音が響き、気づけば手刀が胸へと突き立てられていた。
「う、あ、ぁ、っ?」
信じられない思いで自分の胸から生えている腕を見下ろす。痛みは無く奇妙な感覚がぞぞぞと全身をかけめぐる。と、弄る手が何かを見つけたのか内部をグッと掴まれた。
「やっ、やだ、いやだ……ッ!」
「もらうぞ『器』ッッ!!」
少女の絶叫と共に白い器が引き抜かれた。
輝きを放つそれはイニが用意した替えの器と酷似していて――違う、これが、『私こそが』、替えの器だったのだ。
そう悟った少女はふわりと意識が浮き倒れこむ。豹変したイニは美しく光る聖杯を頭上に掲げて高笑いを上げた。
「ついに手に入れた!! これさえあればユーナを呼び戻せる!!」
サァと二人を囲んでいた黒い霧が晴れる。外側から呼びかけていた者たちは中から現れた光景に目を疑った。
少女がガクガクと倒れ伏している横で、イニがユーナの肉体と魔導球と白い聖杯を抱え翼を広げている。彼はそのまま羽ばたいたかと思うと皆の上空へと飛んだ。
駆け寄った師匠が少女を抱き起こすが視線を合わすことができない。触れている肩の温度が急激に下がっていく。どう見ても異常だ。
「イニ! どういうことだ!!」
ガザンが鋭く上空に呼びかけるが、浮かんだままの神は朗らかに笑いを返してきた。
「やぁ諸君、協力ありがとう。ここまで揃えばあとは私だけでも出来る。君達も愛しのユーナに早く会いたいだろうが、私の功績を称えて最初の再会は二人きりにさせてくれ」
「この子に何をしたんだ!?」
あの臆病なノックオックまでもがうろたえたように叫ぶ。
その様子に少し白けたような顔をした神は冷たい声でこう言った。
「何って、その子と交わした取引を完了したまでさ。この方法しか無いことは君達も薄々察して居たはずだ。それとも君たちにとってユーナよりもそんなちっぽけな人間の方が大事だと言うのか?」
「そういう問題じゃない、なぜ彼女の了承もなしにやった! 降りて来たまえ!」
シルミアの呼びかけにも応じず、イニは不服そうな顔をした。まるでこんな詰問をされるのは心外だといわんばかりに。
「了承? 了承なら――あぁそうか、記憶の封印を解かないとな」
オズワルドの腕の中でぼんやりとしていたニチカがビクッと跳ねた。両手で耳を塞ぎいやいやと首を振る。
「や……いや……やめて、思い出させないで!!!」
ニッコリと笑ったイニはこれまでで一番良い笑顔で指を構えた。
「おはよう、知花」
無情にもパチンと打ち鳴らされる。
記憶の小箱が、壊れた。
「っ……うぁ、いやああああああ!!!!」
引き裂くような少女の悲鳴がホールに響き渡る。
声というよりはほとんど音に近い絶叫をBGMに、イニは腕の中のユーナに優しく頬を寄せた。
「聞こえるかいユーナ、これが悲惨な少女の断末魔だよ。耳障りかい? そうだね早く二人きりになれる場所へ行こうか。あぁ愛しの君よ!」
それだけ言い残した彼は金色の光になったかと思うとドームの天井を突き破り外へと逃げた。糸が切れたようにニチカの頭がガクリと落ちる。
「追うぞ!」
飛んだガザンの後をシルミア、ノックオックが追った。
その場に残されたのはぐしゃぐしゃに顔を濡らした水精霊と、ぐんにゃりと力なく横たわる弟子を支える男だけ
「……」
先ほどまでの喧騒が嘘のように静寂が訪れる。
しゃくりあげるルゥリアも他の精霊たちに着いていこうとした瞬間、ドーム内の景色が変わった。
「な、なんじゃ?」
青空を映していたガラスは黒く塗りこめられ、突き破られたはずの天井さえ暗闇に塞がれる。すぐに夜よりも深い暗黒の世界にとっぷりと漬けられてしまった。
怯えたルゥリアが背中にしがみつくのを感じた時、オズワルドは腕の中の存在がいつの間にか消えていることに気づいた。
慌てて辺りを探ろうとするものの、これだけ深い闇では自分の鼻先すら見えない。舌打ちをして明かりを出そうとした手がふと止まる。
「……」
少し先に薄汚れた子猫が一匹、背を向けて座り込んでいた。
薄茶色で体のあちこちに殴られたような痕があり、わずかに血を滲ませている。
千切れた耳をうな垂れさせ、子猫はこちらに背を向けたままボソリと声を漏らした。
「ヒロインになりたかった」
暗く沈んだ声はよく見知った少女の物だが、あまりにも普段と違いすぎて別人のように聞こえる。
「明るく元気で、どんな逆境にも負けずに笑顔で乗り越えていく、物語りの主人公みたいなヒロインに」
とつじょ暗闇の中に見慣れぬ光景が広がる。見たこともないような灰色の建物が整然と並び、往来をすさまじいスピードで乗り物らしきものが行き交っている。
その道端を俯き加減で歩く少女が居た。
少し俯瞰の視点で記憶の上映会が始まる。
「始まりとかきっかけだなんてそんな物なくて、物心ついた時にはその日常を過ごしてた――」
ニチカは笑いながら顔を上げた。
……上げようと、した。
「嘘でしょ? 私がそんな願いをするはずない、だってお母さんとミィ子がいるのにそんな」
「その母親とは本当の母親のことか? それとも君が作り上げた理想の母親のことか? ミィ子とは誰だ? その妹は実在しているのかね?」
本当にこの男は先ほどから何を言っているのだろう。人の大切な家族に対して失礼すぎる。
「……やめてよ」
「いやはや君の存在を根本から消すのは大変だったよ、どんなクズでも生まれ落ちた時点で星の数ほどの人生に影響を及ぼすからね」
「……るさい」
ギリリと奥歯を噛みしめる。
魔導球を持っていない方の手が自然と震えだした。
「それらを全てつじつま合わせするのに多大なる魔力を要した」
「黙れ」
普段ならば絶対にしないような口調が簡単にとび出る。
もうその段階になると、喋っているのが自分なのかそうでないかの区別が付かなくなっていた。
「だが安心してくれ、記憶から記録まで全てを改ざんした。もう君はあちらの世界には『存在していない』望んだとおり最初から居なかったことになっているんだよ!」
もう限界だった。自分でも感情をコントロール出来ず金切り声を上げる。
「うるさい!うるさい!うるさい!! いい加減なこと言うなっ!! 私がそんなこと望むわけ――」
いきなりグッと肩を引かれ間近で覗き込まれる。極彩色に色を変えるクリスタルの瞳に、燃え盛る炎の部屋が移り込んだ。
「おや? 少しずつ化けの皮が剥がれてきたようだ」
――もうすぐみんなに、本性がバレてしまうんだ
封じ込めていた記憶の小箱がギシギシと音を立てて歪みだす。どこか狂喜じみた表情を浮かべたイニはたて続けに質問を繰り出した。
「確かめてみよう。君の優しい母親は君が辛い時何をしてくれた? 貰って一番嬉しかった誕生日プレゼントは? 好きだった手料理は? よく読んでもらった絵本のタイトルは?」
答えようとしてどれ一つ思い浮かばないことに愕然とする。
代わりに蘇って来るのは頬に走る強烈な平手と叩きつけるような怒声ばかり。
カー……ン
力の抜けた手から魔導球がすべり落ち、硬質な音を立てて床に転がった。
胸をおさえた少女は、はくはくと息を吐きながら自らに言い聞かせるように呟き出す。
「や、やだやだ、違う、おかあ、さん、優しくて強くて賢くて、いつでも私を一番に考えて愛してくれる大切な」
「可哀想に、そうやって自分に暗示をかけ続けてきたのだね。優しい母親なんて最初から居ない。それは苦しんだ君が作り出した幻想なんだよ」
その時、充填が完了したのか床に転がった魔導球が眩しいほどに光り出す。それを見たイニは薄笑いを浮かべ構えた右手を後ろに引いた。
「そして君はこうも言った『こんな身体もう要らない、好きにしていい』とね」
「!?」
ドスッ、と鈍い音が響き、気づけば手刀が胸へと突き立てられていた。
「う、あ、ぁ、っ?」
信じられない思いで自分の胸から生えている腕を見下ろす。痛みは無く奇妙な感覚がぞぞぞと全身をかけめぐる。と、弄る手が何かを見つけたのか内部をグッと掴まれた。
「やっ、やだ、いやだ……ッ!」
「もらうぞ『器』ッッ!!」
少女の絶叫と共に白い器が引き抜かれた。
輝きを放つそれはイニが用意した替えの器と酷似していて――違う、これが、『私こそが』、替えの器だったのだ。
そう悟った少女はふわりと意識が浮き倒れこむ。豹変したイニは美しく光る聖杯を頭上に掲げて高笑いを上げた。
「ついに手に入れた!! これさえあればユーナを呼び戻せる!!」
サァと二人を囲んでいた黒い霧が晴れる。外側から呼びかけていた者たちは中から現れた光景に目を疑った。
少女がガクガクと倒れ伏している横で、イニがユーナの肉体と魔導球と白い聖杯を抱え翼を広げている。彼はそのまま羽ばたいたかと思うと皆の上空へと飛んだ。
駆け寄った師匠が少女を抱き起こすが視線を合わすことができない。触れている肩の温度が急激に下がっていく。どう見ても異常だ。
「イニ! どういうことだ!!」
ガザンが鋭く上空に呼びかけるが、浮かんだままの神は朗らかに笑いを返してきた。
「やぁ諸君、協力ありがとう。ここまで揃えばあとは私だけでも出来る。君達も愛しのユーナに早く会いたいだろうが、私の功績を称えて最初の再会は二人きりにさせてくれ」
「この子に何をしたんだ!?」
あの臆病なノックオックまでもがうろたえたように叫ぶ。
その様子に少し白けたような顔をした神は冷たい声でこう言った。
「何って、その子と交わした取引を完了したまでさ。この方法しか無いことは君達も薄々察して居たはずだ。それとも君たちにとってユーナよりもそんなちっぽけな人間の方が大事だと言うのか?」
「そういう問題じゃない、なぜ彼女の了承もなしにやった! 降りて来たまえ!」
シルミアの呼びかけにも応じず、イニは不服そうな顔をした。まるでこんな詰問をされるのは心外だといわんばかりに。
「了承? 了承なら――あぁそうか、記憶の封印を解かないとな」
オズワルドの腕の中でぼんやりとしていたニチカがビクッと跳ねた。両手で耳を塞ぎいやいやと首を振る。
「や……いや……やめて、思い出させないで!!!」
ニッコリと笑ったイニはこれまでで一番良い笑顔で指を構えた。
「おはよう、知花」
無情にもパチンと打ち鳴らされる。
記憶の小箱が、壊れた。
「っ……うぁ、いやああああああ!!!!」
引き裂くような少女の悲鳴がホールに響き渡る。
声というよりはほとんど音に近い絶叫をBGMに、イニは腕の中のユーナに優しく頬を寄せた。
「聞こえるかいユーナ、これが悲惨な少女の断末魔だよ。耳障りかい? そうだね早く二人きりになれる場所へ行こうか。あぁ愛しの君よ!」
それだけ言い残した彼は金色の光になったかと思うとドームの天井を突き破り外へと逃げた。糸が切れたようにニチカの頭がガクリと落ちる。
「追うぞ!」
飛んだガザンの後をシルミア、ノックオックが追った。
その場に残されたのはぐしゃぐしゃに顔を濡らした水精霊と、ぐんにゃりと力なく横たわる弟子を支える男だけ
「……」
先ほどまでの喧騒が嘘のように静寂が訪れる。
しゃくりあげるルゥリアも他の精霊たちに着いていこうとした瞬間、ドーム内の景色が変わった。
「な、なんじゃ?」
青空を映していたガラスは黒く塗りこめられ、突き破られたはずの天井さえ暗闇に塞がれる。すぐに夜よりも深い暗黒の世界にとっぷりと漬けられてしまった。
怯えたルゥリアが背中にしがみつくのを感じた時、オズワルドは腕の中の存在がいつの間にか消えていることに気づいた。
慌てて辺りを探ろうとするものの、これだけ深い闇では自分の鼻先すら見えない。舌打ちをして明かりを出そうとした手がふと止まる。
「……」
少し先に薄汚れた子猫が一匹、背を向けて座り込んでいた。
薄茶色で体のあちこちに殴られたような痕があり、わずかに血を滲ませている。
千切れた耳をうな垂れさせ、子猫はこちらに背を向けたままボソリと声を漏らした。
「ヒロインになりたかった」
暗く沈んだ声はよく見知った少女の物だが、あまりにも普段と違いすぎて別人のように聞こえる。
「明るく元気で、どんな逆境にも負けずに笑顔で乗り越えていく、物語りの主人公みたいなヒロインに」
とつじょ暗闇の中に見慣れぬ光景が広がる。見たこともないような灰色の建物が整然と並び、往来をすさまじいスピードで乗り物らしきものが行き交っている。
その道端を俯き加減で歩く少女が居た。
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