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10-水面にて跳ね空

104.少女、蚊帳の外になる。

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 ランラン? と思う暇もなく彼女は突進し、その豊満な胸を惜しげもなくランバールに押し付けぎゅうぎゅうと抱きしめ始めた。

「なんでここに居るのー!? しばらく見ない内に良い男になったじゃなーい。背も伸びて!」
「あ、あは、ぐえ」

 男として喜ぶべきところだろうに、彼はできるだけ距離を置こうともがいているようだった。その顔は恐怖でひきつっている。

「お知り合いだったんですか?」
「そーよー、エルミナージュでのカワイイ後輩!」
「ろ、ロッテ先輩、苦し」

 圧殺されそうになっている彼に、ようやくシャルロッテは手を離した。
 すぐに距離を取ったランバールがニチカの後ろに逃げ込んでくる。

「どどどどーも……こんなところで遭うなんてマジ偶然あひょぐらすばびびび」
「そこは最後まで頑張ろうよ!」
「変わんないわねー、まだあの事件根に持ってるの?」
「いや、それは、えっと」

 あの飄々としたランバールが珍しくペースを乱されている。
 ここまで来ると気になってしまうのが人の性《さが》だ。

「……いったい何が?」
「あら、聴きたい? アタシとオズちゃんが学校入ってすぐの話なんだけどね――」
「「やめろ!!」」

 なぜかランバールだけでなく、遠くのオズワルドからも制止がかかる。本当に何があったと言うのか。

「下らないこと話してないで、さっさと行くぞ」

 鬼の形相をした師匠が機嫌悪そうに歩き出す。それを見たシャルロッテは苦笑しながら腰に手を当てた。

「仕方ない。ここは本人達の名誉の為にも黙秘しておくか。また今度ね」
「ホント勘弁してください……」
(き、気になる)

 今度二人きりの時にそれとなく探りを入れてみることにして、三人と一匹はオズワルドの後を追う。

 船着き場に下ると、ちょうど渡りの船が到着したところだった。やや角張ったデザインの竜を船首に据えた中型船の舳先で、よく日に焼けた四十すぎの船頭がにこやかに帽子を少しだけ上げて会釈する。

「サリューンへようこそ! この船は中央広場行きでさァ」

 丁寧に桟橋まで寄せると停止する。最初にオズワルドが乗り込み、その影に沿うようにしてウルフィが飛び込んだ。

「犬を連れ込むのに規制はかかるか?」
「ずいぶん大きなワンちゃんですね。抱っこできるサイズでなければ首輪をつけてもらう形になりやすぜ」

 その言葉を聞いてウルフィはサッと自分の荷物から器用に赤い首輪をくわえて出してみせる。

「ははっ、賢いワンちゃんだ」

 せがまれたので首輪をつけてやっているとゆったりと動き出した。船は穏やかな湖を割る様にして順調に進んでいく。
 話好きなのか、船頭がシャルロッテとランバールを交互に見ながら楽しそうな声を出した。

「しかし、あれだけ見事に飛び込んでくる人も久しぶりでさぁ。見事に飛ぶもんですねお二人とも」
「避けられると思ったんだけどね」
「俺もー」
「いやいや、それで侵入されちゃ水の国の防衛策に問題があることになっちまう。近頃じゃどこに行こうとしてもマモノの襲来が多いとか」

 事実、野生のマモノの襲来は旅を始めた頃とは比べ物にならないほど激化していた。闘志満々の敵にぶつかる度、あふれ出る魔力を発散させて来たニチカが居なければ、とうに街から街への移動など出来なくなっていただろう。
 いや、それは言いすぎか。最悪オズワルドの反則的な魔女道具を駆使したり、またはシャルロッテ達のようにホウキで移動すればいいのだから。
 だが逆に言えばそれだけの力量がなければ気軽に隣町まで行くことすら出来なくなってきており、ニセモノ聖女騒動があったブロニィ村辺りからだろうか、街道ですれ違うのはいかつい姿の戦士だったり、傭兵でがっちり護られた荷馬車ぐらいになっていた。

「おぉっと、辛気臭ェ雰囲気にさせてしやいましたね。そら、もうすぐ到着しますぜ」

 しめっぽい雰囲気を蹴散らすように船頭が皆の視線を上げさせる。キラキラと光輝く水晶の都が視界に飛び込んできた。
 一行はゴンドラに乗ったまま街中へ突入していく。サリューンは本当に美しい街だった。煌びやかとでも言うのだろうか、水路の脇を通る小路の至る所にクリスタルのような装飾が施されている。きっと夜になればこれらがライトアップされ、さらに幻想的な美しい街並みになるのだろう。

「素敵~」

 うっとりと視線を走らせる女性陣をよそに、オズワルドとランバールは一抱えもある妙な装置について話しているようだった。無機質な銀色の箱の上にふよふよと緑の透明な玉が浮かんでいる。パッと見は前衛的なオブジェのようだ。

「それがマキナ君が発明したっていう装置?」
「わふ」

 興味を惹かれてウルフィと共に乗り出すと、それを膝にのせていたランバールが向かいでニッと笑った。

「そそ、彼独自にマナに頼らないで声を遠くに届けるキカイを発明してたらしいんだけど、やっぱり原動力に問題があったみたいで上手く行ってなかったんだって。そこでウチの里にあった風のウワサポータルをくっつけてみたらこれがまー上手く組み合わさって」

 わかるかなー、なんて言いながら箱をパカッと開けて中を見せてくれる。中には複雑な歯車やらせん状を描くバネがぎっしりと詰まっていた。時計の内部に少し似ている。

「ザックリ言うと、ここから入った風のマナが内部でクルクル回転して倍に加速して発射されるってワケ」
「本当にざっくりしすぎだろ。にしてもあのメガネ小僧がこれを……やるな」

 原動力にマナを使ってしまった時点で、これは魔女道具という扱いになるのだろう。だが独学でここまで実用性のあるものを作ったことにオズワルドは素直に感心しているようだった。

「お前よりよほど才能あるぞアイツ」
「うるさいなぁ」

 師匠の嫌味に耳をふさぐような真似をする。と、ここで隣に座っていたシャルロッテが呆けたような顔で首を傾げた。

「あへへ、アタシもぜんっぜんわかんない」

 考えすぎて脳みそが煮詰められてしまったかのような顔だった。
 一瞬船の上に沈黙が降りた後、ランバールが真顔で口を開いた。

「なんつーか、ロッテ先輩って配送業がメインとは言えよく魔女名乗れますね」
「コイツの場合、道具の仕組みなんて理解してないんだ。他人の作った商品の『効果』しか理解してない」
「んまぁ、それが上手く世の中生きてくコツってモンでしょ、あっはっは」

 そんなことを話しているうちにアーチ状のかけ橋をくぐり抜ける。するとそれまで住宅街のようだった狭い水路が一気に開け、広場と一目でわかるような開けた場所に出た。

「……」

 感動して思わず声を失う。広場の中央には『透明に色を付けたような』噴水がそびえ立っていた。
 なにせ土台からてっぺんに至るまで、すべてが複雑なカットが施されたクリスタルで出来ているのだ。頂点から吹き出された水がキラキラとしぶきを上げながら真っ青な空へと駆けあがっていく。
 世の中に計算されつくした美が有るとするなら、これがそうではないだろうか。あまりの美しさにため息しか出てこなかった。

「これが水の精霊ルゥリア様をイメージして作られたという『跳ね空の泉』でさァ。美しいでしょう?」

 漕ぐ手を止めた船頭が嬉しそうな声色で言う。
 そしてそのまま、言葉を奪われた観光客を見て満足そうな顔でうなずいた。


 ようやく船からある通路へと降り立った一行は、それぞれの目的に向けて動き出すことにした。ランバールが例の装置を抱え直して口火を切る。

「じゃ、オレはコイツを取り付けに行く手続きをするために、ちょいとお偉いさんとこに顔出して来ます」
「お偉いさん?」
「この街の取締役だよ、ぶっちゃけ一番偉い人」

 オズワルドはその言葉に目を光らせた。間髪入れずに提案する。

「便乗するぞ」
「びんじょう」
「水の精霊を探すなら一番のトップに聞くのがてっとり早い」
「相変わらず使えるコネはとことん使う気っスねセンパイ……」
「……お願いできる? ラン君」
「ニチカちゃん……」

 かなり師匠に似て来たんじゃない?と言いかけた言葉をグッと呑み込み承諾する。
 余計なこと言って怒らせないで下さいよーなどと念を押しつつ、一人離れていたシャルロッテの方に声をかけた。

「ロッテ先輩はどうします? ――センパイ?」

 向こうの路地へ固い視線を向けていた彼女は、ハッとしたように振り返った。

「え、あっ、何?」

 一緒に来るかと尋ねると、彼女は困ったような笑いを浮かべて頭を掻いた。

「ごめんねー、これからちょっと仕事で人と会う約束があるのよ。行きたいのは山々だけど」

 ポンッと愛用のホウキを取り出したシャルロッテは、離れようとしていた船頭に向かってこう聞いた。

「街中に入っちゃえば飛んでも水に狙撃されないわよね?」
「建物より高く飛ばなければ平気ですぜ。それと水のマナが強くて風のマナはそんなに居ないから落ちないように気をつけて下せぇ」
「ご忠告ありがとう~、それじゃみんな、後でね」

 朗らかな笑みを浮かべた彼女は、水面を滑るような速度でスイーッと狭い水路へと消えていった。

「お仕事かぁ、大変そうだね」
「それじゃこっちも行きましょうか」
「わっふ!」
「ウルフィ、周りに誰も居なければちっちゃな声でしゃべっても良いよ」
「……あのねっ……噴水きれいだったね……!」

 ところがオズワルドだけはシャルロッテが消えた水路を見つめていた。
 そのことに気づいたニチカが振り返って声をかける。

「行かないの?」
「……」
「シャルロッテさんは仕事だって言ってたじゃない。邪魔したら悪いよ」
「いや……そっちは任せたぞ」
「えっ」

 止める間もなく師匠はシャルロッテの後を追って行ってしまう。

「ご主人ー?」
「あらら、どしたんだろ」

 中途半端に伸ばされた手が空を切って力なく落ちる。少女は何とも言えない顔で黒い背中を見送ることになった。
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