ひねくれ師匠と偽りの恋人

紗雪ロカ@失格聖女コミカライズ

文字の大きさ
上 下
103 / 156
10-水面にて跳ね空

103.少女、心を殺す。

しおりを挟む
「ふおおお!」

 両の拳を胸の前で握りしめ、少女は感激の声を漏らした。
 なだらかな丘を越えた先に見えてきたのは、とんでもなく広い湖だ。
 左から右へぐりりと首を動かしてようやく端が見えるような、そんな大きさ。

 その中心にはまるで飴細工のように繊細な光を反射する宮殿のような建物が立っている。周囲には同じようにガラスをふんだんに使った美麗な建物がいくつも水面から突き出ていて、まさに湖上の街が広がっていた。

 水の国サリューン。現在いる大陸の中でも最北端にある観光と娯楽の国である。

「綺麗だね!」
「岸にゴンドラが止まってるのが見えるか? あれに乗って街まで行くんだ」

 オズワルドの指すほうを見ればなるほど、確かに何隻か船が停泊している。岸から離れた一艘がゆるゆるとした動きで街へと向かう。観光気分にはいいかもしれないが急いでいるときはどうするのだろう。

「空から飛んで入るとかはしないの?」
「やってもいいが――」

 その時、はるか後方から叫ぶような雄叫びが上がった。

「ヒャーーーーッハーーー!!!」

 聞き覚えのあるような声に振り向いた瞬間、すぐ側を緑色の何かが通過した。一拍おいてブワァと吹き付けた風によろめきそうになる。
 豪速の『何か』はそのまま湖上空へと突っ込んでいき、水中から発射された水の玉に狙撃されぽちゃりと落ちた。

「飛んで入ろうとするとああなる」
「ラン君ーーッッ!?」

 間違いない。あの声と後ろ姿は追いかけてきているはずの彼だった。
 ぶくぶくと気泡がはじけたと思うと、緑の髪の青年が水中から飛び出した。ランバールはケタケタと笑いながら頭を振る。

「だはははっ、失敗失敗」
「ごしゅじーんっ!」

 またも聞きなれた声が響き、今しがた越えてきた丘の方から茶色のオオカミが現れる。素晴らしい速度で駆けてきた彼は目の前でキキーっと急ブレーキをかけた。

「追いついた追いついた! どうどう? 宣言通り水の国に入るくらいで追いつけたでしょ? えらい? 褒めて褒めてっ」

 全力で走ってきたことでテンションが上がっているのか、尻尾をちぎれんばかりに振るウルフィを見てクスリと笑いがこみ上げる。離れていたのは3日ぐらいだと言うのになんだか懐かしく、思わずその鼻先に頬ずりをした。

「早かったのね。フルルに挨拶はしてきたの?」
「ニチカ! うんっ、ちゃんと送り出してくれたよ!」

 満面の笑みで答える彼はこう続けた。

「そんな大事な使命のお供を引き受けたんなら、果たすまで死んでも帰って来るなってさ!」

 それは……えぇと……彼女なりの照れ隠しなのだろう、きっと。
 そうだ間違いない。なぜなら彼の右耳には毛に埋もれるようにして緑色のピアスがきらりと光っている。その件を指摘すると彼は照れたように慌てふためいた。

「照れちゃって~」

 ネコ族から聞いた話を思い出す、あれはきっと『つがいの証』だろう。
 将来を誓い合ったイヌ族同士が互いの瞳の色を模した耳飾りを贈り合う、言うなれば婚約。きっと今頃、純白のオオカミの左耳には太陽のように輝く黄色のピアスが揺れているはずだ。

 ――婚約。

 ずきりと胸に走る痛みは無視して、ようやく湖から這い上がってきたランバールの元へと歩み寄る。ブルブルッとまるで犬のように水滴を飛ばしている半精霊は、こちらと目が合うとへにゃりと笑った。

「久しぶり」
「かな?」
「生身では、だよ」

 久しぶりに見た彼はやっぱり少しだけくせ者っぽくて、でも人なつこい笑みでそれを打ち消していた。髪の毛を乾かすのを熱魔法で手伝いながら、ニチカは心配そうな顔を向けた。

「あんな飛ばしたら危ないよ、水に落ちたから良かったけど」
「えええ、世の中にはあれよりもっと飛ばすバケモノじみた美人が居る――」

 まさにその言葉を言った瞬間だった。
 二人から少し離れた場所にドサリと大きな荷物が降ってくる。

「え」
「えっ」

 そしてランバールの時とは比べものにならないくらいの突風になぎ倒される。
 転んで見上げた空を、金色のキラキラした光が尾を引きながら通過していった。

「ヒャーーーーッハーーー!!!」

 デジャヴだろうか。
 その人物はランバールとまったく同じ軌道を描いて水の弾に撃墜される。

「シャルロッテさぁぁあああん!?」


「あはははっ、失敗失敗」

 しばらくして、やはり同じような照れ笑いを浮かべながら上がってきたのは、配達業を営む顔見知りの魔女だった。彼女はこちらに気づいたかと思うとパッと顔を輝やかせた。

「ちょっとやだ、またオズちゃんとニチカちゃんじゃない。よく逢うわねぇ」
「シャル、スピード狂もほどほどにしないといつか飛行船辺りにぶつかって死ぬぞ」
「うふ、心配してくれるの?」

 忠告したというのにニヤニヤ笑いを返され、オズワルドの機嫌が急激に下降する。ニチカは慌てて話題を逸らした。

「ああ、ええと、シャルロッテさんはお仕事ですか? こんな遠いところまで大変ですね」

 その言葉に輝くようだった笑顔にほんの少しだけ影が差した。
 あれ、と思う間もなく彼女はすぐに苦笑を浮かべて肩をすくめて見せた。

「まぁ、そんなとこ。そっちは順調? ここにいるってことは、んー、火の桜花国でしょ、風の里は通っただろうから……あと目星がついてないのは行方不明って言われてる土くらいかしら?」
「いえ、土の精霊様には偶然会えたんです」
「本当? すごいじゃない! ニチカちゃんサイコーッ」

 まるで自分のことのように破顔して抱き着いてくるシャルロッテに胸が暖かくなる。
 思えばこの人は最初から自分の助けになってくれた。惑わしの森で空からやってきてオズワルドを井戸に突き落としたのが今となっては遠い昔のようだ。

「じゃあ後はここの水精霊に会えればミッションはコンプリートしたも同然ね」

 改めて言葉にされ胸の奥に鈍い痛みが走る。

(やだな、この痛み……)

 原因はわかっているはずなのに認めたくない。
 少し離れたところに立っているはずの師匠を見ることができない。

 だが返事を待つシャルロッテの視線を受け、むりやりに笑顔を作った。

「はいっ。このまま順調に行ってくれると嬉しいんですけど」

 本当に? と、心の中のもう一人の自分が問いかけて来る。
 本当だ、と頭の中でしっかりと答える。
 元の世界に戻るための悲願。この世界を救うため。順調で悪いわけがない。

「だーいじょうぶ、ニチカちゃんだもの。きっと上手くいくわ」

 ウィンクをしてくれるシャルロッテに励まされて微笑み返す。
 そこでようやくもう一人を待たせている事を思い出し、紹介しようと振り返った。

「そうだ、シャルロッテさん。こっちはランバール君って言って風の里の――」

 だがそこで異常に気付く。さきほどから静かにしていた彼は、笑顔でそこにつったって居た。
 とても満面の笑みだ。凄まじく冷や汗さえかいていなければ。

「……ラン君?」

 顔面蒼白という言葉がぴったりな彼を一目みたシャルロッテは、両手を胸の前で握り締めて黄色い声をあげた。

「いやぁぁっ! もしかしてランラン!? やだーっ久しぶり!」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

悪役令嬢は反省しない!

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢リディス・アマリア・フォンテーヌは18歳の時に婚約者である王太子に婚約破棄を告げられる。その後馬車が事故に遭い、気づいたら神様を名乗る少年に16歳まで時を戻されていた。 性格を変えてまで王太子に気に入られようとは思わない。同じことを繰り返すのも馬鹿らしい。それならいっそ魔界で頂点に君臨し全ての国を支配下に置くというのが、良いかもしれない。リディスは決意する。魔界の皇子を私の美貌で虜にしてやろうと。

子持ちの私は、夫に駆け落ちされました

月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

呪いを受けて醜くなっても、婚約者は変わらず愛してくれました

しろねこ。
恋愛
婚約者が倒れた。 そんな連絡を受け、ティタンは急いで彼女の元へと向かう。 そこで見たのはあれほどまでに美しかった彼女の変わり果てた姿だ。 全身包帯で覆われ、顔も見えない。 所々見える皮膚は赤や黒といった色をしている。 「なぜこのようなことに…」 愛する人のこのような姿にティタンはただただ悲しむばかりだ。 同名キャラで複数の話を書いています。 作品により立場や地位、性格が多少変わっていますので、アナザーワールド的に読んで頂ければありがたいです。 この作品は少し古く、設定がまだ凝り固まって無い頃のものです。 皆ちょっと性格違いますが、これもこれでいいかなと載せてみます。 短めの話なのですが、重めな愛です。 お楽しみいただければと思います。 小説家になろうさん、カクヨムさんでもアップしてます!

聖女を騙った少女は、二度目の生を自由に生きる

夕立悠理
恋愛
 ある日、聖女として異世界に召喚された美香。その国は、魔物と戦っているらしく、兵士たちを励まして欲しいと頼まれた。しかし、徐々に戦況もよくなってきたところで、魔法の力をもった本物の『聖女』様が現れてしまい、美香は、聖女を騙った罪で、処刑される。  しかし、ギロチンの刃が落とされた瞬間、時間が巻き戻り、美香が召喚された時に戻り、美香は二度目の生を得る。美香は今度は魔物の元へ行き、自由に生きることにすると、かつては敵だったはずの魔王に溺愛される。  しかし、なぜか、美香を見捨てたはずの護衛も執着してきて――。 ※小説家になろう様にも投稿しています ※感想をいただけると、とても嬉しいです ※著作権は放棄してません

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...