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2-港町シーサイドブルー

17.少女、操られる。

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「……その考えが甘いっていうんだよ」

 フンと視線をそらしたオズワルドは落ちた注射器を拾い上げた。壊れていない事を確認しながら冷徹な声を出す。

「仕事は仕事だ。お前を助けたのなんか気まぐれにすぎん。俺の仕事の邪魔をするくらいなら見殺しにすれば良かったと思っているところだ」
「……でも、私はあなたを」
「もう黙れ」

 ニチカは泣きこそしなかったが眉尻を下げてうつむいた。オズワルドは再び注射器を刺しかける。だが――

「…………」

 腕をおろした彼はしばらく動きを止めた後、それはそれは重いため息をついた。誰もがその動向を見守る中、投げやり気味に「あぁ」とつぶやく。

「そういえば、忘れていましたミームさん」
「へっ、あ、アタシ?」

 急に話を振られたミームはうろたえた。その手の中に何かの紙束が押し付けられる。

「あなたに頼まれていた調査の結果をお渡しするのを忘れていました。どうぞ」
「アタシなんにも頼んでなんか」
「調査の結果をお渡しするのを忘れていました」
「だから」
「結果を渡すの忘れてたって言ってんだよ黙って受け取れこの野郎」

 素の暴言に顔を引きつらせつつ、ミームは資料に視線を落とす。細かい文字の羅列を追っていく内に、その表情がみるみるうちに深刻なものに変わって行った。

「これは!」
「えっ、なになに?」

 興味を抱いたウルフィが震えるミームの腕に前足を掛け伸び上がる。言葉を失う彼女に代わって能天気に明るい声で調査結果とやらを読み上げ始めた。

「シーサイドブルー近郊に出現するクラーケンの調査結果について。本来のこの地区には出現しないはずの赤いクラーケンは南のサンドニ大陸から誰かが意図的に輸入し放流している可能性が非常に高く――」
「んなっ、やめろ、やめるんだ!」

 不恰好に駆けて来たゴラム社長が紙を奪おうとして派手に転ぶ。それを見下ろしながらミームは一つの可能性に思い当ってしまった。

「これは一体……輸入って、まさか」
「お察しの通り、クラーケンを輸入しているのはゴラム社長のようですね。いや驚きました」

 どこか芝居がかった口調でオズワルドは肩をすくめる。ふっきれているような、ヤケクソ気味に見えるのは気のせいか。

「海に凶暴なマモノが出るとあっては、安全な空のルートを行きたくなるのが旅人の心理です。実際、クラーケンが現れるようになってからはホウェール航空会社の業績は右肩あがり。ライバルルートが封鎖されたようなものだから当然ですがね」
「黙れ! 私はそんな事しとらん! 証拠はあるのか!?」

 顔を真っ赤にして怒るゴラムに、オズワルドは涼しい顔で答えた。

「大量の発注書、納品書、請求書に帳簿もろもろのコピー。経理の女の子に頼んだらあっさり見せてくれましたよ。表向きは設備費となっていましたが、橋桁というのは一月に三度も壊れるものなんですか?」
「ぐ……」

 一瞬詰まったゴラムだったが、ミームから用紙を奪い取ったかと思うとビリビリに破り捨てた。勝ち誇ったように高笑いを上げ肥えた腹を揺らす。

「どうだ! 証拠を握りつぶしてしまえば真実などゴミだ!」
「つまり認めるわけですね。もちろんそれはコピーで、原本は私の宿にあるわけですが」
「このっ……! ここで貴様らを消してしまえば同じことだ! やれ!」

 その合図で後ろで控えていた黒服たちが十数人、各々武器を構えゆっくりとこちらに迫ってくる。床に転がされたままのニチカは当然悲鳴をあげた。

「いやー! いやー!! こないでー!!」
「こうなるから大人しくゴラム側についていれば良かったんだ。迎え撃つぞ」
「そう思うんなら縄をといてぇえ!!」

 ため息をついたオズワルドが手をかざすと縄は溶けるように消えた。少女はすぐに逃げ出そうとする。が、頭をガッと掴まれ止められてしまった。ウルフィとミームが構えるのを横目に岩陰へと引きずり込まれる。

「迎え撃つって言ってるだろうが」
「でも、どうやって!?」

 当たり前だが、ただの女子高生であるニチカに戦う手段などない。オズワルドも白兵戦には向かなそうだし、今牽制している二人だけでこの人数相手にするのは難しいだろう。おまけにこちらには動けないマリアも居るのだ。

「わっ、私、邪魔になるよ?」
「お前は俺が使う」
「今なんて!?」

 何かとんでもない発言が聞こえたような気がして反射的に身構える。だが答えの代わりに差し出されたのは美しい青い石のついた髪飾りだった。それを手に取って確かめる前にベシッと頭につけられる。すぐさまキィィイン……と、微かな耳鳴りがして奇妙な感覚が全身を走った。

「なに!? 今度は何をしたの!?」
「――同調率六十五% ふむ、初めてにしてはなかなかの数値だな」
「だからなんなの!?」

 自分の身に何が起こるか戦々恐々としていた少女は再び襟元を掴まれ岩陰から放り出された。背中を押され戦場の真っ只中に躍り出ると、その場に居た全ての人物から注目が集まる。それだけで張り詰めた空気を突(つつ)くのには充分だった。

「やれェ!」

 バッと手を振り切ったゴラムの合図と共に、黒服の男たちが一斉に飛びかかってくる。逆手に構えたナイフが鈍く光り思考を鈍らせる。怯んで一歩退いた瞬間、後ろに居たオズワルドが鋭く命令を出した。

「手を突き出せ!」
「うぇぇ!?」

 反射的に両手を開いた状態で突き出すと、頭の中に何かの図式が流れた。身体の中をぐるりと『何か』が動くような感覚が走り、手の中に反発するような力が生まれる。それが抑え込めなくなる限界で――放つ!

「ファイヤーッッ!」

 意思とは関係なく叫ぶと、手のひらから人を呑み込むほど巨大な火球が打ち出された。反動でニチカは尻もちをつく。その攻撃をモロに食らった敵は、マリアの方まで吹き飛ばされ水に落ちた。ぷかりと浮かび上がってきた男は髪をチリチリにして気絶しているようだった。

「うわぁぁ、何!? なにいまの!?」
「次くるぞ、さっさと立て!」

 超常現象に驚いている暇もない。慌てて立ち上がり次の敵を迎え撃つ。ミームとウルフィも近くに寄り、四人はマリアを守るように戦い始めた。

***

 操り人形のように師匠に『使われた』ニチカは、すさまじい戦闘力を発揮した。結果だけ言えばそれから数分で決着は着いてしまった。仮にも護衛であったはずの男たちは全員、押(の)されて累々と積み上げられている。一人残されたゴラムは完全に腰を抜かしているようで懇願するように両手を組んだ。

「ひぃぃ、やめてくれぇぇ、頼むこのとおりだ! 何でもするから命だけは!」
「今のアンタに望むのなんてただ一つだ、いますぐホウェール社から出て行け!」

 ボウガンを向け勇ましく言うミームに、社長は転げるように逃げ出した。肥え太った外見からは想像もつかないスピードで小さくなっていく背中に、オズワルドは焦ったように手を伸ばす。

「あっ、待て貴様! 報酬の件はっ」
「あはは、逃げられた、みたいね……」

 すぐに追いかけようとした男は今にも消え入りそうな声に振り返った。膝に手を着いたニチカが玉のような汗を掻き震えている。

「お前……」
「お金は入らなかったけど、これが平和的解決じゃない? 今回は、私の勝ち――」

 最後まで言葉を継げずに意識を手放した少女がドサリと倒れこむ。近寄り上体を抱き起した男はその額に手をやり、あまりの熱さに目を見開いた。


***


 夢を見た気がするの。

 ひだまりみたいな柔らかい子猫を抱きかかえる私。
 さぁかえろう。怖いことなんか何も無い、



 何もないんだから。
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