異世界執事

伊簑木サイ

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第二章 承

暗中模索

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「さて、ではどういたしましょうか」

 足元のおぼつかない私を抱えたまま、すっかり憂いのなくなった爽やか微笑みで八島さんは言った。

「ど、どう……?」

 私はぼーっとして、どもって鸚鵡返しすらできずに聞き返した。

「はい。お仕事に行かれたいのですよね。しかし、今のままでは、先ほどと同じことが起こるでしょう」

 言われた内容に、一瞬にして体がこわばる。それを察してくれたのだろう。八島さんは頬に添えていた手も私の背中にまわして、そっと囲い込むように抱きしめてくれた。
 ああ、こうされると、本当に安心する。この人の腕の中はとても心地いい。
 ずっとここでこうしていたい。会社なんて、行きたくない。外に出たくない。男の人のいる所に行くのが怖い。
 ……でも、しがない一般庶民は、そんなことしていたら生きていけない。
 私は細く溜息をついて八島さんを押し戻し、腕の中から抜けて、尋ねた。

「どうしたら美人じゃなくなりますか。八島さんの作ったご飯を食べなければ、どのくらいで元の私に戻りますか?」
「さて、どのくらいになるのでしょうか。千二百年前の羽衣を隠された天女の話では、四人の子を産んだとなっています。少なくとも、四年以上の歳月を此岸の物を食べて過ごしても、天女としての属性は失われなかったようです」

 四年!?

「だけどそれは、はじめから天女だった人のことでしょう? 私は元々人間だから、もっと短いんじゃ」
「それは関係ありません。千世様も天仙となられたのですから」
「じゃあ、八島さんのご飯を食べなくても、美女のままってことですか!?」
「はい」
「そんな」

 それじゃ、この部屋から一歩も出られないってこと!? ショックのあまり思考が停止する。
 そんな私に、八島さんは、大丈夫でございますよ、と優しく声を掛けてくれた。藁にもすがる思いで彼を見ると、力強く頷いてくれた。

「千世様に害意のある者は、身に着けておられる下着に施したしゅによって、触れることも近づくこともできません。また、千世様が本気で拒否されれば、それらを退けることもできます。先ほど体験されたはずです」
「バチバチって、あれ?」
「はい」

 確かにあれで、あの変な人は離れていった。それに、それ以外の人たちも、囲みはしても、それ以上近づいてはこなかった。
 だけど、

「みんなの注目をそらすことはできないの?」

 そうでないと、会社のおじさんたちも、私にふらふらと近づいてきて、仕事にならなくなるかもしれない。

「そういった術を扱える仙女もいるようですが、修行によって身につけるには何百年もかかるようです」

 何百年……。今日明日にでも解決したい問題なのに、そんなに悠長に待っていられない。

「姿を偽る宝貝パオペイを仙人からまきあげてきてもよろしゅうございますが、外見を覆い隠しても、その本質までは隠せません。また、存在自体を隠ぺいしてしまいますと、此岸の者たちでは、千世様をまったく認識できなくなるかと思われます。
「ぱおぺい?」

 聞きなれない言葉が出てきて、思わず聞き返す。

「仙人の力の込められた道具です」

 仙人?
 私はしばらく考えてからまた聞いた。

「仙人のお知り合いがいるんですか?」
「はい。仙界は我が支配地の一つですので」

 仙界? 支配地?
 とうとう私は首を傾げた。八島さんの言っていることが、よくわからない。
 そういえば、下着にバチバチってなる、えーと、なんて言ってたっけ、えーと、

「しゅ」

 って音だったような。髪に付けるシュシュを思い浮かべたから、それに似た何かを、どうかしたとかなんとか。

「呪でございますか。……なるほど。担当者に命じてみましょうか。八百万もいれば、どれか一柱ぐらい千世様の望みを叶えるモノがいるかもしれません。お時間をいただかねばなりませんが」
「それって、どのくらいかかりそうですか」
「そうでございますね。うまくいけば、こちらの時間にして数か月というところでございましょうか」
「うまくいかなかったら?」
「どのくらいになるか、お答えするのが難しゅうございます。ですが、何千年でも何万年でも、出来上がるまで必ずやらせますので、そこはご安心いただいてけっこうです」

 いえ、むしろ安心できないです! 何千年!? 何万年!? そんな先まで私生きて……るつもりで、この人お話してる!?

「ええ!? 昨日言っていた永遠って、比喩でも例えでもなんでもなく、本当に本気で永遠なんですか!? その、文字通り、っていうか、そのまんまっていうか」

 一晩たって、あれは言葉の綾かなあと思いはじめていたのに。

「もちろんでございます。千世様が我が主でいてくださるかぎり、永遠をお約束いたします」

 私は目を見開いて、改めて八島さんを見た。
 テレビやスクリーンの中でもなかなかお目にかかれないほどのイケメン。背が高くて、手足が長くて、体はよく引き締まってて、それでいてしなやか。形のいい唇から発せられる声は、高すぎず低すぎずとにかく素敵で耳に心地いい。家事は完璧。お料理の腕も超人級。仙人の知り合いがいて、魔法みたいな下着を作る知り合いが八百万もいて、それで、えーと。
 ……ああ、そうだった。私の生気を、力の源にしている、って。

 ふっと、突然、八島さんが得体の知れないものに見えた。ぞっとする何かが背筋を駆け抜け、私は思わず一歩、二歩と、後ろに足を引いた。けれど、三歩目でベッドにぶつかり、ぼすん、と布団の上に倒れ込む。
 八島さんがどこから来て、どこで何をしてきた人なのか、それどころか、『八島』っていう名字しか知らない。あんなに毎日お世話になって、何日も暮らしてきたのに、私、何も知らない。ううん、知ろうとしてこなかった。

 ……うわあ、恥ずかしい! 会社から帰ってくれば、あれが大変だったの、これが嫌だったの、同僚たちからこんな話聞いたの、通勤路でこんなもの見たの、そんな話ばっかり、自分のことばかりしゃべって。
 ダメにもほどがあるご主人様っぷりだ! 得体が知れないって、私がそういう扱いを八島さんにしていたからだ。ごめんなさい。ごめんなさい。でも、興味がなかったとかじゃなくて、居るのがあまりにも自然だったから、疑問にも思わなかったんですぅぅぅぅ。
 大いに反省した私は急いで改善に努めることにした。

「八島さん、あの、いまさらで申し訳ないんですが、下の名前、なんていうんですか、教えてくださいませんか」
「下の名前、でございますか?」

 八島さんはやや戸惑いがちに言った。

「はい」
「特にございませんが」
「え?」
「必要ならば、今、千世様が『ヤシマ』と呼んでくださるように、お好きに付けてください」

 なんか会話が噛みあってない気がして、考え考え、疑問点を尋ねる。

「八島さんの名前は『八島』なんですよね? そう名乗ってくださったと思ってたんですが」
「そうでございますね。『     』と確かに名乗りました」
「え? なんて?」

 なぜだろう。八島さんの声が何重にも聞こえた気がして、とっさに聞き返す。
 『八島』、『八つの島の支配者』、『八つのシマを支配する執事種』、それから、

「『八つの神域を支配する主に仕えるべきモノ』?」

 おや、と八島さんは驚いた色を浮かべて、次いで嬉しそうに笑った。

「さすが千世様でいらっしゃいますね。もう神語を操られるようになるとは」
「神語?」

 またなにやらわけのわからないものが出てきて、私は食傷気味に呟いた。

「神々が話す言葉でございます」

 とうとう神様まで出てきちゃったよ。

「八島さんって、陰陽師かなんかなんですか?」

 私は困惑して尋ねた。そういうのに詳しくないから、他に例があげられないのだけれど。

「いいえ、私は千世様の『   』でございます」

 八島さんの言葉が、また何重にも重なって聞こえる。
 『執事』、『契約者』、『しもべ』、『力の代行者』。
 うううううううう~ん? 聞けば聞くほど、教えてくれるはしから理解できない。頭の中がいっぱいいっぱいで、学生時代のテスト前夜のようになってくる。
 私は最早聞き返す気力もなくして、情けない顔で黙りこんだ。
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