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第一章 起
青天の霹靂
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「あ、そうだ」
私は会社を出たところで思い出した。そういえば、小腹のすいた時用にと、八島さんがおやつを持たせててくれたんだった。
バッグのサイドポケットをさぐり、かわいいピンクの巾着を取り出す。その中には、色とりどりの包み紙に包まれた、
「チョコレートボンボン」
ふっふっふ、と笑いがこぼれる。なんと八島さんの手作り!! チョコの中にお酒入れるって、どうやるんだろうね、難しそうだよね。
歩きながら包みをむき、口に放りこむ。かし、と噛み割れば、とろりと出てくるドライフルーツと芳醇なお酒。ただのボンボンは辛いお酒がどばっと出てきて苦手なんだけど、八島さんスペシャルのこれはドライフルーツがポイントで、とってもフルーティーで甘くて、すごくおいしい。
さすが八島さん! いつもいい仕事するなあ!
足早に歩きながらも、やめられなくて、もう一つ、もう一つ、と、ついつい次から次へと食べてしまった。
でも、駅に着いたところで、これで最後と一粒を口に入れ、心を鬼にして巾着をしまった。電車の中では、さすがに飲食するわけにはいかないもんね。
そのかわり定期を取り出して、ピッと改札を通って、私は口の中でボンボンを転がしながら、構内に入った。
急いだおかげで一本早い電車に間に合ったようだ。乗り込んで吊り革につかまり、一息ついて、薄くなったチョコレートを噛み砕く。なんとも言えない美味しさが口の中に広がり、にやん、と笑んだところで、前に座っていた見知らぬ青年と目が合ってしまった。
青年が、はっとしたように目を見張る。うわ、変な顔見られちゃったよと目をそらしたら、急に彼が立ちあがった。
「どうぞ」
どうやら席を譲ってくれるらしい。いまどき見上げた心掛けの青年だ。三駅だけだし、座らなくても苦じゃないけれど、せっかくの好意を無視するのは、相手に申し訳ない。私は戸惑いながらも、ありがとうございます、と席に座った。
だけど、なんとなく変な雰囲気に落ち着かなくて、ちょっと顔を上げてみた。ばちり、と席を替わってくれた彼と目が合う。私はぺこりと頭を下げて、俯いた。
……なんか気のせいか、視線を感じる。ような気がする。それも、前の彼だけじゃなくて、もっといっぱい。
試しに、ちらりと斜め前を見れば、そこのおじさんも、その後ろのお兄さんも、そのまた奥も横も、いるだけの男の人たち全員と目が合った。……気がした。慌てて下を向く。な、なんだろう。
そうして漂う厭な感じに小さくなっていたら、ふいに右の肩に、とんと小さな衝撃があって、息を飲んで横を見た。隣に座ったおじさんがこちらを見てて、にこっとした。私もにこっと返して、また俯いた。……知らない人に笑いかけられちゃった。悪いことじゃないはずなのに、薄気味悪いのはどうしてかなあ。
それに、なんか、左隣のおじさんの足が、腿から膝の下まで、やたらぴったりと私の足に触れてるし、前に立っている青年の足も、いくら満員電車だからって、なんで私の膝の間に入ってきてるんだろう。
困ったなと思っているうちに、笑いかけてきたおじさんの肩と腕が、だんだん寄ってきて、む、胸に肘が当たってる気がするんだけど、私、自意識過剰かなあっ。
前と両隣から、のしかかられるように囲まれ、さらにその周りを、たくさんの車両に乗った男の人たちに、塞がれている気分になってくる。
気のせいだ、気のせいだと思い込もうとしても、気持ち悪さと恐怖が体の中で膨れあがっていく。カタカタと震えだす体を止めようと、私は縮こまった。ぎゅっと目をつぶって、歯を食いしばる。
怖いよう!!
脳裏をよぎった八島さんの姿に、思わずその中で手を伸ばした。
その瞬間、バチバチバチッとすっごい静電気が起きて、うわっと叫んで、男の人たちが退いた。
電車がホームに滑り込み、ぷしゅーっとドアが開く。私は迷わず周りを押し退けて、電車を飛び降りた。
「千世様」
うちの最寄り駅でもないのに、なぜか目の前に八島さんが立っていた。
ううん、それは嘘だ。そこがどこだろうと、手を伸ばした先に、いてくれると確信してた。
「八島さあん!」
私は半ば泣きながら、彼の胸にすがりついた。
彼の腕の中に囲われる。周囲がすべて遮断される。安心が、どっと胸の中に広がった。
「千世様」
名前を呼ばれて、ふっと我に返った。見上げれば、八島さん。その背後は、見慣れた自分の部屋だった。
「あ。あれ」
帰ってきた間の記憶がない。混乱して八島さんに視線を向けると、大丈夫でございますよ、と頷かれた。そっと押されて、ベッドの上に腰掛けさせられる。
彼は私の前に膝をついて、布団の上に投げ出した私の手の甲を、ぽんぽんと叩いてから、ぎゅっと握ってくれた。
「怖い思いをされましたね」
そう言われたとたん、電車の中のことが鮮明によみがえって、私はぶるっと震えた。自分の中にあるのが耐えられなくて、吐き出してしまいたくて、でも、そのまま言うのは憚られて、私は無理矢理笑顔を作って、冗談っぽく言った。
「な、なんかね、ち、痴漢みたいな人に遭っちゃった。……それも、一人じゃないよ。いっぱい。……私、魅力的、なのかな? 今日、会社で告白もされちゃったし」
へへ、と笑ってみせる。それに、八島さんは大真面目に頷いてくれた。
「そうでございましょう。千世様は、天仙級の位階となられましたから」
「てんせんきゅうのイカ?」
って、どんなイカ? ダイオウイカの仲間? 今日の夕飯は、もしかしてイカのてんぷら?
八島さんが突然何を言い出したのかわからずに、私は首を傾げて、次の言葉を待った。
「天女や仙女と同クラスの存在となられたということです」
「てんにょ? せんにょ?」
「この地で有名なのは、織姫や、羽衣の天女でしょうか」
「昔話の?」
「はい」
私は考え込んだ。てんにょがそれなら、せんにょは、仙女だろう。どちらも美人の代名詞だ。
……八島さん、普段は冗談を言わないくせに、こんな時に、冗談みたいな慰め方をするなんて。いつもソツなくなんでもこなすのに、慰めるのは、ぜんぜん上手じゃないみたい。それがおかしくて、私はくすくすと笑った。
「やだなあ、八島さん。でも、慰めてくれて、ありがとうございます」
「本気にしておられませんね」
彼は立ち上がって、姿見の鏡を、コロコロと引いてきた。
「ご覧ください」
真正面に鏡が置かれる。鏡の中には、スーツを着て、まとめ髪がちょっとほつれた、……美女。
「え?」
私が驚くと、鏡の中の美女も、目を見開いた。
「ええ?」
ぽかんと目も口も丸くしてるが、美人は美人。なにこの美女、隙がない。
私は立って、鏡の裏に回って確かめた。鏡にそれらしい仕掛けはない。もう一度鏡を覗くと、そこには、やっぱり美女。いったい、どんな仕掛けだ。
「千世様の初めての願いが、長生きしたいということでしたので、長寿を付与するべく、神饌を召し上がっていただいておりました。その成果でございます」
「長生き、ですか?」
そんなこと言ったかな。まあ、普通に早死にはしたくないけれど。
「はい。誓いの杯を交わして一週間ほどした頃に、一度、生気を与えるのはお嫌だと仰った時に」
「あれは、嫌っていうか、命を奪われているのかと誤解しただけです。嫌じゃないですよ!」
「そうでございましたね」
ふわん、と八島さんが微笑む。喜んでくれているようだ。私も嬉しくなって、同じように微笑み返した。
「そういえば、そんなこと言った気がします。それで、神饌って、神様にお供えするご飯のことですよね? それと同じものを用意してくれていたんですか?」
「はい。そうでございます」
「そうだったんですね! だから、すごくおいしかったんですね」
私は、パンと手を打ち鳴らして合わせた。なるほどー。おいしいわけだ!
「ようやくお体のすべてが、彼岸のものと入れ代わられました。よろしゅうございました。これで老いや病に悩まされることはないでしょう」
は? 今、聞き捨てならないこと聞いた気がする。
「老い……、って、老いないんですか、私」
「さようでございます。老いは長寿の大敵でございますから」
「ええ!? それっていつまで老いないんですか!?」
「ご心配ございません。私が責任を持って、永遠となるよう努めますので」
「永遠!?」
息が止まった。でも、息の根は止まらなかった。っていうか、どうやら、永遠に息の根は止まらないらしい。
「えーっ!? そんなの困ります! 永遠に生きるって、だって、若いまま、ずっと? そんなの、同じ会社で働くこともできなければ、一箇所に住んでいることもできないですよ!?」
絶対気味悪がられて、迫害される。そうでなければ、研究対象にされて、酷い目にあわされそう。
それに、なにより、
「そんなんじゃ、結婚もできないじゃないですか! い、一応、私だって、いつか好きな人と結婚して、子供が欲しいなと思ってたのに」
優しい旦那様とかわいい子供がいて、裕福でなくてもいいから、ちょっとした日常に幸せを感じるような、普通の家庭の主婦になりたいなあって。
「天女も仙女も、子供は生めますよ。人間の男との間に子をもうけていたはずです」
そういえばそうだ。
「長い生の間には、気に入った男が見つかることもございましょう。相手だけでよいなら、私が務めてもよいですし」
さらっと言われたことに、赤面する。それって、あれだよね、私とあれするってことだよね。
だけど、少しもロマンティックじゃないっていうのか、事務めいているということに、すぐに気付いた。これは、あれか。執事のお仕事の一環なわけか。
理解したとたんに、うろたえさせられた分、なんともいえない腹立たしい気分になった。ようするに、私のこと、ぜんぜんちっとも、そういう対象に見てないってことだよね!!
私は、つんと顔をそむけて言ってやった。
「愛もない相手と、私はそーゆーこと、したりしません!」
どんないい男とだってね!!
八島さんから返事はなかった。いつまでたってもなかった。おもいきり顔をそむけていた私は、首が苦しくなってきて、あと、沈黙が気詰まりになってきて、ゆっくりと首を元に戻した。
彼は、いつか見た、考え込むような顔をして、じっと私を見ていた。
「な、なんですか」
と強気に言って、まだ不機嫌なんですからね、と言外に威嚇する。
「愛があればよろしいのですか?」
思ってもみないことを聞かれる。
「そ、そうですね。それが絶対条件です」
「ならば、私にも、その愛というものを教えていただけませんか?」
私は眉を顰めた。この人、おかしなことを、真剣に言ってるぞ。ぜんぜん女として興味のない相手と愛を育もうなんて、男として自暴自棄もいいところだろう。
「それを知って、どうするつもりなんですか?」
「わかりません」
即答だった。馬鹿にするにもほどがあるだろう! と、私はカッとした。したが、彼の次の言葉で、別の意味で、カッとなった。
「ですが、私を相手にしたくないと言われて、あなたに愛されてみたいと思いました」
それはなんですか。口説き文句ですか。いいえ、違いますよね。顔色一つ変わってませんもんね。……ああああ、わかっているのに、赤面するのが止められない。なに、この天然タラシ執事。凶悪だ。
私は答える言葉をなくして、真っ赤になって、恨みがましく彼を見つめた。
そんなわけで、ほどなく私は、彼の故郷の彼岸とやらに旅立つことになった。おもに、一歩外に出ると、会う男遭う男、全員ストーカー化してしまうのが原因だった。
そして、そこで、彼が八つの島を支配する大執事の一人だったとか、彼の支配地に住む神様からご飯を巻き上げて私に供していたとか、下着類も同じく神様に仕立てさせて強力な守護をかけさせていたとか、罰当たりなとんでもないことを知る羽目になるのだが、それは話すと長くなるので、また今度。
とりあえず、今日も私は、朝から晩まで、異世界産の執事にかしずかれている。
……愛はいつ教えてくださるのかと、口説かれながら。
私は会社を出たところで思い出した。そういえば、小腹のすいた時用にと、八島さんがおやつを持たせててくれたんだった。
バッグのサイドポケットをさぐり、かわいいピンクの巾着を取り出す。その中には、色とりどりの包み紙に包まれた、
「チョコレートボンボン」
ふっふっふ、と笑いがこぼれる。なんと八島さんの手作り!! チョコの中にお酒入れるって、どうやるんだろうね、難しそうだよね。
歩きながら包みをむき、口に放りこむ。かし、と噛み割れば、とろりと出てくるドライフルーツと芳醇なお酒。ただのボンボンは辛いお酒がどばっと出てきて苦手なんだけど、八島さんスペシャルのこれはドライフルーツがポイントで、とってもフルーティーで甘くて、すごくおいしい。
さすが八島さん! いつもいい仕事するなあ!
足早に歩きながらも、やめられなくて、もう一つ、もう一つ、と、ついつい次から次へと食べてしまった。
でも、駅に着いたところで、これで最後と一粒を口に入れ、心を鬼にして巾着をしまった。電車の中では、さすがに飲食するわけにはいかないもんね。
そのかわり定期を取り出して、ピッと改札を通って、私は口の中でボンボンを転がしながら、構内に入った。
急いだおかげで一本早い電車に間に合ったようだ。乗り込んで吊り革につかまり、一息ついて、薄くなったチョコレートを噛み砕く。なんとも言えない美味しさが口の中に広がり、にやん、と笑んだところで、前に座っていた見知らぬ青年と目が合ってしまった。
青年が、はっとしたように目を見張る。うわ、変な顔見られちゃったよと目をそらしたら、急に彼が立ちあがった。
「どうぞ」
どうやら席を譲ってくれるらしい。いまどき見上げた心掛けの青年だ。三駅だけだし、座らなくても苦じゃないけれど、せっかくの好意を無視するのは、相手に申し訳ない。私は戸惑いながらも、ありがとうございます、と席に座った。
だけど、なんとなく変な雰囲気に落ち着かなくて、ちょっと顔を上げてみた。ばちり、と席を替わってくれた彼と目が合う。私はぺこりと頭を下げて、俯いた。
……なんか気のせいか、視線を感じる。ような気がする。それも、前の彼だけじゃなくて、もっといっぱい。
試しに、ちらりと斜め前を見れば、そこのおじさんも、その後ろのお兄さんも、そのまた奥も横も、いるだけの男の人たち全員と目が合った。……気がした。慌てて下を向く。な、なんだろう。
そうして漂う厭な感じに小さくなっていたら、ふいに右の肩に、とんと小さな衝撃があって、息を飲んで横を見た。隣に座ったおじさんがこちらを見てて、にこっとした。私もにこっと返して、また俯いた。……知らない人に笑いかけられちゃった。悪いことじゃないはずなのに、薄気味悪いのはどうしてかなあ。
それに、なんか、左隣のおじさんの足が、腿から膝の下まで、やたらぴったりと私の足に触れてるし、前に立っている青年の足も、いくら満員電車だからって、なんで私の膝の間に入ってきてるんだろう。
困ったなと思っているうちに、笑いかけてきたおじさんの肩と腕が、だんだん寄ってきて、む、胸に肘が当たってる気がするんだけど、私、自意識過剰かなあっ。
前と両隣から、のしかかられるように囲まれ、さらにその周りを、たくさんの車両に乗った男の人たちに、塞がれている気分になってくる。
気のせいだ、気のせいだと思い込もうとしても、気持ち悪さと恐怖が体の中で膨れあがっていく。カタカタと震えだす体を止めようと、私は縮こまった。ぎゅっと目をつぶって、歯を食いしばる。
怖いよう!!
脳裏をよぎった八島さんの姿に、思わずその中で手を伸ばした。
その瞬間、バチバチバチッとすっごい静電気が起きて、うわっと叫んで、男の人たちが退いた。
電車がホームに滑り込み、ぷしゅーっとドアが開く。私は迷わず周りを押し退けて、電車を飛び降りた。
「千世様」
うちの最寄り駅でもないのに、なぜか目の前に八島さんが立っていた。
ううん、それは嘘だ。そこがどこだろうと、手を伸ばした先に、いてくれると確信してた。
「八島さあん!」
私は半ば泣きながら、彼の胸にすがりついた。
彼の腕の中に囲われる。周囲がすべて遮断される。安心が、どっと胸の中に広がった。
「千世様」
名前を呼ばれて、ふっと我に返った。見上げれば、八島さん。その背後は、見慣れた自分の部屋だった。
「あ。あれ」
帰ってきた間の記憶がない。混乱して八島さんに視線を向けると、大丈夫でございますよ、と頷かれた。そっと押されて、ベッドの上に腰掛けさせられる。
彼は私の前に膝をついて、布団の上に投げ出した私の手の甲を、ぽんぽんと叩いてから、ぎゅっと握ってくれた。
「怖い思いをされましたね」
そう言われたとたん、電車の中のことが鮮明によみがえって、私はぶるっと震えた。自分の中にあるのが耐えられなくて、吐き出してしまいたくて、でも、そのまま言うのは憚られて、私は無理矢理笑顔を作って、冗談っぽく言った。
「な、なんかね、ち、痴漢みたいな人に遭っちゃった。……それも、一人じゃないよ。いっぱい。……私、魅力的、なのかな? 今日、会社で告白もされちゃったし」
へへ、と笑ってみせる。それに、八島さんは大真面目に頷いてくれた。
「そうでございましょう。千世様は、天仙級の位階となられましたから」
「てんせんきゅうのイカ?」
って、どんなイカ? ダイオウイカの仲間? 今日の夕飯は、もしかしてイカのてんぷら?
八島さんが突然何を言い出したのかわからずに、私は首を傾げて、次の言葉を待った。
「天女や仙女と同クラスの存在となられたということです」
「てんにょ? せんにょ?」
「この地で有名なのは、織姫や、羽衣の天女でしょうか」
「昔話の?」
「はい」
私は考え込んだ。てんにょがそれなら、せんにょは、仙女だろう。どちらも美人の代名詞だ。
……八島さん、普段は冗談を言わないくせに、こんな時に、冗談みたいな慰め方をするなんて。いつもソツなくなんでもこなすのに、慰めるのは、ぜんぜん上手じゃないみたい。それがおかしくて、私はくすくすと笑った。
「やだなあ、八島さん。でも、慰めてくれて、ありがとうございます」
「本気にしておられませんね」
彼は立ち上がって、姿見の鏡を、コロコロと引いてきた。
「ご覧ください」
真正面に鏡が置かれる。鏡の中には、スーツを着て、まとめ髪がちょっとほつれた、……美女。
「え?」
私が驚くと、鏡の中の美女も、目を見開いた。
「ええ?」
ぽかんと目も口も丸くしてるが、美人は美人。なにこの美女、隙がない。
私は立って、鏡の裏に回って確かめた。鏡にそれらしい仕掛けはない。もう一度鏡を覗くと、そこには、やっぱり美女。いったい、どんな仕掛けだ。
「千世様の初めての願いが、長生きしたいということでしたので、長寿を付与するべく、神饌を召し上がっていただいておりました。その成果でございます」
「長生き、ですか?」
そんなこと言ったかな。まあ、普通に早死にはしたくないけれど。
「はい。誓いの杯を交わして一週間ほどした頃に、一度、生気を与えるのはお嫌だと仰った時に」
「あれは、嫌っていうか、命を奪われているのかと誤解しただけです。嫌じゃないですよ!」
「そうでございましたね」
ふわん、と八島さんが微笑む。喜んでくれているようだ。私も嬉しくなって、同じように微笑み返した。
「そういえば、そんなこと言った気がします。それで、神饌って、神様にお供えするご飯のことですよね? それと同じものを用意してくれていたんですか?」
「はい。そうでございます」
「そうだったんですね! だから、すごくおいしかったんですね」
私は、パンと手を打ち鳴らして合わせた。なるほどー。おいしいわけだ!
「ようやくお体のすべてが、彼岸のものと入れ代わられました。よろしゅうございました。これで老いや病に悩まされることはないでしょう」
は? 今、聞き捨てならないこと聞いた気がする。
「老い……、って、老いないんですか、私」
「さようでございます。老いは長寿の大敵でございますから」
「ええ!? それっていつまで老いないんですか!?」
「ご心配ございません。私が責任を持って、永遠となるよう努めますので」
「永遠!?」
息が止まった。でも、息の根は止まらなかった。っていうか、どうやら、永遠に息の根は止まらないらしい。
「えーっ!? そんなの困ります! 永遠に生きるって、だって、若いまま、ずっと? そんなの、同じ会社で働くこともできなければ、一箇所に住んでいることもできないですよ!?」
絶対気味悪がられて、迫害される。そうでなければ、研究対象にされて、酷い目にあわされそう。
それに、なにより、
「そんなんじゃ、結婚もできないじゃないですか! い、一応、私だって、いつか好きな人と結婚して、子供が欲しいなと思ってたのに」
優しい旦那様とかわいい子供がいて、裕福でなくてもいいから、ちょっとした日常に幸せを感じるような、普通の家庭の主婦になりたいなあって。
「天女も仙女も、子供は生めますよ。人間の男との間に子をもうけていたはずです」
そういえばそうだ。
「長い生の間には、気に入った男が見つかることもございましょう。相手だけでよいなら、私が務めてもよいですし」
さらっと言われたことに、赤面する。それって、あれだよね、私とあれするってことだよね。
だけど、少しもロマンティックじゃないっていうのか、事務めいているということに、すぐに気付いた。これは、あれか。執事のお仕事の一環なわけか。
理解したとたんに、うろたえさせられた分、なんともいえない腹立たしい気分になった。ようするに、私のこと、ぜんぜんちっとも、そういう対象に見てないってことだよね!!
私は、つんと顔をそむけて言ってやった。
「愛もない相手と、私はそーゆーこと、したりしません!」
どんないい男とだってね!!
八島さんから返事はなかった。いつまでたってもなかった。おもいきり顔をそむけていた私は、首が苦しくなってきて、あと、沈黙が気詰まりになってきて、ゆっくりと首を元に戻した。
彼は、いつか見た、考え込むような顔をして、じっと私を見ていた。
「な、なんですか」
と強気に言って、まだ不機嫌なんですからね、と言外に威嚇する。
「愛があればよろしいのですか?」
思ってもみないことを聞かれる。
「そ、そうですね。それが絶対条件です」
「ならば、私にも、その愛というものを教えていただけませんか?」
私は眉を顰めた。この人、おかしなことを、真剣に言ってるぞ。ぜんぜん女として興味のない相手と愛を育もうなんて、男として自暴自棄もいいところだろう。
「それを知って、どうするつもりなんですか?」
「わかりません」
即答だった。馬鹿にするにもほどがあるだろう! と、私はカッとした。したが、彼の次の言葉で、別の意味で、カッとなった。
「ですが、私を相手にしたくないと言われて、あなたに愛されてみたいと思いました」
それはなんですか。口説き文句ですか。いいえ、違いますよね。顔色一つ変わってませんもんね。……ああああ、わかっているのに、赤面するのが止められない。なに、この天然タラシ執事。凶悪だ。
私は答える言葉をなくして、真っ赤になって、恨みがましく彼を見つめた。
そんなわけで、ほどなく私は、彼の故郷の彼岸とやらに旅立つことになった。おもに、一歩外に出ると、会う男遭う男、全員ストーカー化してしまうのが原因だった。
そして、そこで、彼が八つの島を支配する大執事の一人だったとか、彼の支配地に住む神様からご飯を巻き上げて私に供していたとか、下着類も同じく神様に仕立てさせて強力な守護をかけさせていたとか、罰当たりなとんでもないことを知る羽目になるのだが、それは話すと長くなるので、また今度。
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