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20 ネイドの望み
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笑う巫女姫は感動的に可愛らしかった。松明の明かりしかないのが惜しいくらい。いや、この程度の明かりでよかったのかもしれない。はっきり見えていたら、心だけでなく、体も持て余しただろう。
ああ、いいな、とネイドはしみじみと思った。こんなふうに、いつも笑ってもらえたら、と。愛しくて、ものがなしくて、切なさに胸の奥が締まった。
やがて、二人とも自然に笑いやんだ。ネイドはなごやかな雰囲気に後押しされて、口を開いた。
「ここにお連れしたのは、体がひどく冷えていたのと、女神が聖下をこの湯に浸からせるようにと仰ったためです。肌に良いのだそうです。それと、緊張がほぐれるだろうと。……ですが、聖下の許しも得ず服を脱がせましたこと、まことに申し訳ありませんでした」
ネイドは四の五の言い訳をせず、とにかく頭を下げた。どんな理由があろうと、心を許してもいない男に勝手に服を脱がされたら、どんな女性だってショックを受けるに違いない。少なくとも、妹がそんな扱いを受けたら、ネイドなら兄として相手の男を殴り倒す。
「いいえ! いいんです! 気にしないでください! 私が逃げたりしたのがいけなかったんです。でも、あんなになるなんて思わなくて……、すごい勢いで飛ばされて、怖くて、心細くて、気が遠くなって……、私、気を失ってしまったんですね。……あああの、すみません、見苦しいものをお見せした上、探していただいて、お手数までおかけして、本当にかさねがさね申し訳なく……」
せわしなく手振り身振りを加えて、一所懸命に気にしていないことをアピールしていた巫女姫は、途中からいつもみたいに小さくなっていった。
ネイドは慌てた。そんな顔を巫女姫がしなければならない理由は、何一つとしてない。
「いいえ、あのような場所にいた私の落ち度です。その後も、私がすぐに駆けつけられなかったせいで、ずいぶん体を冷えさせてしまいました。申し訳ないのは、私の方です。体は大丈夫ですか? 具合悪くはありませんか?」
「大丈夫です! 私、小さい頃から体は丈夫なんです。風邪もほとんどひいたことがないです。……本当ですよ?」
「ええ。信じます。ですが、巫女姫に就任してから、慣れないことばかりで疲れていらっしゃるでしょう。どうか、些細なことでもよいので、不調があれば教えてください。私は不調法者なので、そういったことには気づいてさしあげられない」
「は、はい。ありがとうございます」
巫女姫は恥ずかしそうに、ぺこりと頭を下げた。
彼はさらに、巫女姫の頑なな思い込みをほぐしたくて、真面目に言いつのった。
「それから、あなたは見苦しくなどありません。むしろ、眼福でした」
言い切ってから、ネイドは自分の失言に気付いた。
苦手だと思っている男に下着を見られて、眼福と言われたら、……普通、嫌だと思うんじゃないだろうか……。
ざーっと血の気が引いていく。動きを止めた彼の耳に、巫女姫の平坦な呟き声が届いた。
「……眼福」
彼はいたたまれなくなって顔をそむけ、右手を額の生え際に突っ込んで、半ば目元を隠して、謝った。
「申し訳ありません。ただ、あなたは魅力的だと伝えたくて」
沈黙が落ちる。ネイドは恥ずかしくて、とても向き合ってなどいられなかった。いっそ消えてなくなってしまいたかった。
「ほ、ほ、ほ、ほ、ほ、本当でっすかっ」
勢い込みすぎて妙なイントネーションになった可愛らしくも艶やかな声が聞こえて、ネイドは物憂げに手をどけた。育ちのいい彼は、淑女からの質問に、おざなりな態度をとるという頭がないのだった。きちんと向き直って、相手の目を見て答える。
「はい。本当です」
巫女姫が目を見開いた。口もぽかんと開いている。それが、見る見る恥ずかしげな表情に変わり、どうしていいのかわからないというように、お湯に視線を落とした。……小さな呟きとともに。
「ありがとうございます」
それが、ネイドの言うことを信じたというより、お世辞に対するお礼に聞こえて、彼は微妙な心持ちになった。
長く付き合わなければならない相手だ、気まずくなりたくないなら、このまま大過なくやり過ごしてしまえ、という思慮があった。だが、彼女を誰よりも魅力的だと感じていると、……特別に思っているのだと、伝えたい気持ちもあった。
彼の逡巡は短かった。
二年越しの想いだ。それが、開放感に満ちた露天風呂で二人きりで、しかもいつになく会話が成立しているという状況に、思慮を押し切った。
考えるというより、こぼれだした言葉だった。
「あなたを、探していました」
「え?」
「ずっと」
彼の言葉に引かれて顔を上げる巫女姫の様子をつぶさに見ながら、ああ、そうだ、とネイドは思った。もう、ずっと前から。出会ったあの日よりも、もっと前からだった、と。
どんな女性を見ても、心惹かれなかった。でも、誰かを探していた。ずっとずっとずっと、求めていたのだ。求めて、求めて、求めて、やっと出会えた人だった。だから、探した。
「もう一度会いたくて」
そうして、抱きしめたかった。腕の中に囲ってしまいたかった。自分のものにしたかった。
そう。彼女を伴侶にしたいと思ったのだ。
彼女を腕に抱き留め、深い色の瞳を覗きこんだ、あの時から。
ネイドは強い想いを吞みこんで、痛みを宿した瞳で微笑んだ。
ああ、いいな、とネイドはしみじみと思った。こんなふうに、いつも笑ってもらえたら、と。愛しくて、ものがなしくて、切なさに胸の奥が締まった。
やがて、二人とも自然に笑いやんだ。ネイドはなごやかな雰囲気に後押しされて、口を開いた。
「ここにお連れしたのは、体がひどく冷えていたのと、女神が聖下をこの湯に浸からせるようにと仰ったためです。肌に良いのだそうです。それと、緊張がほぐれるだろうと。……ですが、聖下の許しも得ず服を脱がせましたこと、まことに申し訳ありませんでした」
ネイドは四の五の言い訳をせず、とにかく頭を下げた。どんな理由があろうと、心を許してもいない男に勝手に服を脱がされたら、どんな女性だってショックを受けるに違いない。少なくとも、妹がそんな扱いを受けたら、ネイドなら兄として相手の男を殴り倒す。
「いいえ! いいんです! 気にしないでください! 私が逃げたりしたのがいけなかったんです。でも、あんなになるなんて思わなくて……、すごい勢いで飛ばされて、怖くて、心細くて、気が遠くなって……、私、気を失ってしまったんですね。……あああの、すみません、見苦しいものをお見せした上、探していただいて、お手数までおかけして、本当にかさねがさね申し訳なく……」
せわしなく手振り身振りを加えて、一所懸命に気にしていないことをアピールしていた巫女姫は、途中からいつもみたいに小さくなっていった。
ネイドは慌てた。そんな顔を巫女姫がしなければならない理由は、何一つとしてない。
「いいえ、あのような場所にいた私の落ち度です。その後も、私がすぐに駆けつけられなかったせいで、ずいぶん体を冷えさせてしまいました。申し訳ないのは、私の方です。体は大丈夫ですか? 具合悪くはありませんか?」
「大丈夫です! 私、小さい頃から体は丈夫なんです。風邪もほとんどひいたことがないです。……本当ですよ?」
「ええ。信じます。ですが、巫女姫に就任してから、慣れないことばかりで疲れていらっしゃるでしょう。どうか、些細なことでもよいので、不調があれば教えてください。私は不調法者なので、そういったことには気づいてさしあげられない」
「は、はい。ありがとうございます」
巫女姫は恥ずかしそうに、ぺこりと頭を下げた。
彼はさらに、巫女姫の頑なな思い込みをほぐしたくて、真面目に言いつのった。
「それから、あなたは見苦しくなどありません。むしろ、眼福でした」
言い切ってから、ネイドは自分の失言に気付いた。
苦手だと思っている男に下着を見られて、眼福と言われたら、……普通、嫌だと思うんじゃないだろうか……。
ざーっと血の気が引いていく。動きを止めた彼の耳に、巫女姫の平坦な呟き声が届いた。
「……眼福」
彼はいたたまれなくなって顔をそむけ、右手を額の生え際に突っ込んで、半ば目元を隠して、謝った。
「申し訳ありません。ただ、あなたは魅力的だと伝えたくて」
沈黙が落ちる。ネイドは恥ずかしくて、とても向き合ってなどいられなかった。いっそ消えてなくなってしまいたかった。
「ほ、ほ、ほ、ほ、ほ、本当でっすかっ」
勢い込みすぎて妙なイントネーションになった可愛らしくも艶やかな声が聞こえて、ネイドは物憂げに手をどけた。育ちのいい彼は、淑女からの質問に、おざなりな態度をとるという頭がないのだった。きちんと向き直って、相手の目を見て答える。
「はい。本当です」
巫女姫が目を見開いた。口もぽかんと開いている。それが、見る見る恥ずかしげな表情に変わり、どうしていいのかわからないというように、お湯に視線を落とした。……小さな呟きとともに。
「ありがとうございます」
それが、ネイドの言うことを信じたというより、お世辞に対するお礼に聞こえて、彼は微妙な心持ちになった。
長く付き合わなければならない相手だ、気まずくなりたくないなら、このまま大過なくやり過ごしてしまえ、という思慮があった。だが、彼女を誰よりも魅力的だと感じていると、……特別に思っているのだと、伝えたい気持ちもあった。
彼の逡巡は短かった。
二年越しの想いだ。それが、開放感に満ちた露天風呂で二人きりで、しかもいつになく会話が成立しているという状況に、思慮を押し切った。
考えるというより、こぼれだした言葉だった。
「あなたを、探していました」
「え?」
「ずっと」
彼の言葉に引かれて顔を上げる巫女姫の様子をつぶさに見ながら、ああ、そうだ、とネイドは思った。もう、ずっと前から。出会ったあの日よりも、もっと前からだった、と。
どんな女性を見ても、心惹かれなかった。でも、誰かを探していた。ずっとずっとずっと、求めていたのだ。求めて、求めて、求めて、やっと出会えた人だった。だから、探した。
「もう一度会いたくて」
そうして、抱きしめたかった。腕の中に囲ってしまいたかった。自分のものにしたかった。
そう。彼女を伴侶にしたいと思ったのだ。
彼女を腕に抱き留め、深い色の瞳を覗きこんだ、あの時から。
ネイドは強い想いを吞みこんで、痛みを宿した瞳で微笑んだ。
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