(自称)愛の女神と巫女姫と護衛騎士

伊簑木サイ

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16 ドレクサスの守護神

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 林を抜けると灌木が生い茂る荒れた地が続き、一段低くなった場所にドレクサスとの国境線となるルフスタン川が滔々と流れていた。
 その向こう。ドレクサス側。青と黄に彩られたものがいくつも集まり、時に傾いた日に反射して何かが煌めく。
 それが何かを理解した瞬間、ネイドは無意識に手綱をひき、緊張に体をこわばらせた。
 ドレクサスの軍隊だった。総勢は見たところ三万はくだらない。渡河の準備をしているらしく、いくつものいかだが用意されていた。
「フェスティア女神」
「心配ない。敵はまだ川向こう。渡河には時間がかかる」
「しかし」
 いくら女神の加護があろうと、あの物量で来られたら、ネイドも防ぎきれない。
「心配ないというに。我が箱庭内のもの、何一つとして損なわせたりせぬ。もちろん、この巫女姫もな。さあ、馬をすすめよ。でなければ、我はあそこまで歩いて行かねばならん。我を一人であそこまで行かせる気か?」
「いいえ。いいえ、けっして」
 ネイドは語気強く言った。
 神馬をうながすと、神馬は心得たように灌木を大きな蹄で踏み砕き、数蹴りで石だらけの河原に降り立った。
「さて、では、日が暮れる前に始末をつけようか。降ろせ」
 ネイドは逡巡したが、女神のめいである。先に馬を降りて、女神を抱き下ろした。
 すぐに盾と兜も取ろうとしているところへ、声がかかった。
「荷物はそのままにしておけ。それより、巻き込まれんよう、もそっと下がっていよ。おまえの出番は、我が神界に帰った後だ。巫女姫の保護を頼むぞ。我はあの下種を、再起不能なまでに切り刻んでやらねば気が済まんのでな」
 女神が、あの、と言ったところで振り向いた場所を目で追うと、そこに同じく神馬と思われる大きな馬に乗った、一人の男の姿があった。
「やあ、フェスティア。口説きにきたよ。新しい巫女姫の体はどうだい? ……わたし好みのいい女じゃないか。とうとう、わたしの求婚を受け入れる気になってくれたのかな? この男の体も良いだろう? ともにめくるめく肉欲の快楽に溺れようじゃないか」
 距離と水音から聞こえるはずのない声が、はっきりと届いた。大音声というわけではない。まるでこの世界のものが、その声にすら邪魔するのを憚ったかのようだった。
 話の途中で兜をとり、さらした顔は野性味あふれた整った容貌だった。首も太く鍛えられているのが見て取れる。淡く内から発光するその姿は、ただの人というには、存在感が過ぎていた。
 ドレクサスの守護神ラズウェル。技芸の神と言われている。武芸、舞踏、軽業、果ては閨房術まで、ありとあらゆる体の能力を引き出すことに長けている。
 故に、ドレクサスの軍は強く、また、男娼や娼婦の技も世界一と噂される。
 ネイドは男の言い分を聞いた瞬間、ぎり、と強く歯を食いしばって、馬の背にくくりつけられた槍を手に取った。
「女神よ」
 軋るような声で許しを求める。
「うん。許す。あのたわけに目に物見せてやるといい」
 ネイドは槍を持って大きく振りかぶった。二、三歩跳ねるように前に出て、最後の一歩で地を抉り、全身の力をのせ、男に向かって槍を投げ飛ばす。
 常のネイドではできない芸当だが、今は女神の力をいただいている。ビュッと風を裂き、槍は一直線に飛んだ。男の胸元に突き刺さるかと思われた刹那、見えない何かにぶつかり、耐えきれずに穂先からバリバリと音をたて砕け散った。
「ほう。面白い。その男、少しは楽しめそうだ」
 ラズウェルは馬の腹に蹴りを入れ、前に出てくる。ネイドも剣の柄に手をかけた。
「護衛騎士、これ以上は下がっておれ。あれの始末は、我が仕事」
 女神は前へ出ると、すっと右手を天へと伸ばした。
「来い! ヴァルヴォルフ!!」
 女神の呼び声に頭上の暗い天が裂け、光があふれる。かと思ったら、どごおおおおおおおんっと、あたりをゆるがす轟音とともに、鋭い光が降ってきた。
 あまりの光量にネイドの目が眩んだ。視界が戻ってきた時には、女神は彼女の背丈ほどありそうな大剣を、軽々と手にしていた。
「ヴァル、少し暴れようか」
 女神の愛用する神剣ヴァルヴォルフ。彼女の夫だともいう刃の表面に、女神は愛しげに頬を寄せた。
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