(自称)愛の女神と巫女姫と護衛騎士

伊簑木サイ

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15 女神の忠告

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 国王や神官、神官見習いたちに見送られ、神殿を出た。
 門前通りは街道まで神殿騎士たちによって先払いがかけられ、参拝者や町の者たちは皆、雪の降る中、道の脇に寄って、騎士たちと共に待っていた。
 女神はつつましやかにネイドに寄り添い、笑顔をふりまいて手を振り、二人は大きな声援を受けて送り出されたのだった。
 街道に出て人波が途切れたところから、神馬は足を速めた。神馬の脚は速かった。一蹴りごとに速度を増し、全速力となると、ほとんど宙を飛んでいた。目を凝らしていないと、過ぎ去っていく景色の判別がつかないほどだった。
 こうなってくると、馬を操るというより、巫女姫を抱えているだけで精いっぱいである。それでも進行方向を確認して手綱をさばけたのは、女神の加護のおかげだろう。そうでなかったら、そもそも目を開けていられなかっただろうし、寒さや風圧に体が耐えられたとも思えない。
 三日の距離をわずか三時間ほどで駆け抜け、現地に辿り着いたのは、日が沈む少し前だった。
 アルス山の麓では、まだ雪が降っていなかった。ただし、風が強く、空には暗い雲が押し寄せている。
「あちらへ」
 それまで黙っていた女神が指し示すままに、ネイドは街道からそれ、草原に入った。しばらく行ったところで、止まれと言われ、手綱を引いた。
「あの三つ連なった木がわかるか」
 女神は山腹を指さした。下から四分の一ほどの高さの場所が小山のように張りだし、そこに高いモミの木が生えている。
「はい」
「あの奥の岩場に、湯の湧く場所がある。今夜は巫女姫をあの湯に浸からせてやるといい。肌にとてもいいのだ。緊張もほぐれよう。……ずっと緊張続きのようだったからな」
 女神は確かめるように、指さしていた指の力を抜き、ぷらぷらと手首を振った。
「近くには洞穴もあって、風雨をしのげる。今夜は吹雪く。そこで一晩明かしてから、戻るといいだろう」
「承知しました」
「巫女姫に優しくしてやれよ」
「承知しております」
「護衛騎士」
 ネイドの胸元で、ことりと首が傾げられ、さらりと髪が揺れる。魅惑的な瞳がきらめき、彼をじっと見つめた。
 巫女姫であるのに、これは巫女姫ではない。彼には痛いくらいによくわかった。巫女姫はけっして彼を直視しない。ろくに顔を見せてくれない。こんなにも美しく、可愛らしいのに。よく見たことのなかった瞳が、吸い込まれそうな深い色をしていて、こんな色をしていたのかと、切ない気持ちになった。
 たおやかな手が、ついっと動き、指で彼の唇の端に触れ、ぎゅっと押す。
「難しい顔をしていないで、愛想笑いの一つもしてみせよ。女は優しげな男には警戒をとくものだ」
「……はい。努力いたします」
 女神は指をひっこめ、くっく、と笑った。
「努力、とな? 嘘は吐かんということか。馬鹿正直なのも可愛げがあってよいがな、しかし、嘘を吐くのも男の器量のうちだぞ」
 悪戯なまなざしで彼をしかと見つめ、戯言のように、助言のように、言葉を続けた。
「嘘も貫き通せば真になる。女のために見栄を張って、命を張るのも、男を上げる術だ。……なりふりかまわず、そうしたいと思えるほどの女には、そうは巡り会えんものだがな」
 そうして浮かべた微笑みは、いつもの綺羅綺羅しく力強いものと違い、珍しく、優しいたおやかなものだった。
 護衛騎士に就任して以来、なぜか、妖艶で美しいこの女神を、武神であるかのように感じていたネイドは、その表情にはっとした。本質は愛の神だったのだと認識を新たにせずにはいられないものだったのだ。
「人の命は短い。我にとっては瞬きほどのこと。我は、その中であがくおまえたちが愛しい。おまえも我に見せておくれ。その短い命が必死にあがいて輝くさまを。さすれば、我が加護はいつでもおまえの上にある。……正統な理由なく女を泣かさぬかぎりだがな! 女を泣かせたら神罰をくだすぞ!」
 ニヤッとして、冗談なのか本気なのかわからない脅しを口にすると、女神は握った手の甲で、こん、と鎧の胸元を叩いた。
「さて。もう少し行ってくれるか。このまままっすぐだ」
 ネイドは目前の林に向かって、神馬をすすめた。
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