(自称)愛の女神と巫女姫と護衛騎士

伊簑木サイ

文字の大きさ
上 下
11 / 26

10 巫女姫の涙

しおりを挟む
 国王の剣幕に、どうすればいいのかわからなくて、リサはただ泣くしかなかった。
 すると、急に誰かに腕をつかまれて、びっくりした。驚いて目を開けたら、ネイドの横顔が見え、彼に強く体を横に押しやられて、たたらを踏む。彼にしっかりとつかまれていたから転びはしなかったが、その険しい顔と強引さに怯えて竦んでいるうちに、マントを頭からバサリとかけられた。かと思ったら、今度は腰のあたりをガッシリとつかまれ、体が浮き上がった。
 驚いたなんてものではなかった。怖いとか辛いとか悲しいとか、そういうものがすっとんでしまい、突然作られた暗闇の中で、リサは目をぱちくりとした。
 体が不安定に揺れはじめ、ネイドが彼女を抱えたまま歩いているらしいと見当をつける。それが、国王の呼び声で止まり、彼の声が聞こえてきた。
「女神は、このかたを依代にと選ばれました。をです。女神はありのままのこの方を気に入られたのだと私は理解しているのですが、それは間違っていますか」
 リサは、あ、と思った。胸の奥を、強く衝かれたようだった。言葉にできない感情に、一瞬にして支配される。冷えきって凝り固まっていた心を、熱い手で握られたみたいだった。
「巫女姫を休ませてきます。失礼」
 そうして、また揺れはじめた。
 国王のいる、あの恐ろしい場所から連れ出してくれている。それがわかって、リサの体から力が抜けていった。
 それに、ネイドは彼女を庇ってくれた。……あの言動は、そういうことだったのではないかと、じわじわと理解が追いついてきた。これまで見たことのない怖い顔も、したことのない手荒さも、聞いたことのない厳しい声も。
 リサの護衛になんか選ばれて、とても迷惑しているだろうに、国王の不興も恐れずに、助けてくれた。
 出会った時からそうだった。見も知らない見習いの仕事を手伝って、洗濯物を運んでくれた。怪我がなくてよかったと、心から笑ってくれた。
 上辺だけ優しい人なら、いくらでもいる。でも、彼は違う。これだけ迷惑をかけていても、こうしてまだ助けてくれて、リサのために怒ってくれる。
 やっぱり好きだという気持ちが、次から次にわきあがってきた。
 自分なんかが彼を好きなのも、醜い姿を見せるのも、話すのも申し訳なくて、なるべく彼の前では小さくなってうつむいて、口数を少なくし、気持ちを消そうと頑張ってきた。
 だけど、そんなのは無駄な努力だったと、リサは悟った。
 だって、こんなに素敵なのに、好きにならずにはいられない。
 女神よ、とリサは胸の内で強く呼びかけた。この気持ちを、もうどうしていいのかわからなかった。ただただ、女神よ、と何度も呼ぶ。どうか、どうか、どうか、お願いですから、と。
 その先に何を願っているのか、自分でもわからなかった。
 リサは抱えられながら、ネイドにともされた熱に浮かされて、拭っても拭っても出てくる涙と鼻水を、自分の袖口と彼のマントに染み込ませた。

 揺れが止まり、リサははっとした。とうとう降ろされるのかと身構える。マントの上から押さえている腕の位置が変わり、ノックの音が聞こえた。
 また少し揺れて、彼の足が止まり、今度こそ下に降ろされた。硬い床の上に座らされ、マントが、つつっと後ろに引っ張られる。
 マントが無くなってしまうのは嫌だった。自分の姿が見えないことに、外界から閉ざされていることに、安心を覚えていた。だが、ネイドのものである。リサは、ぎゅっと縮こまって、取り去られるのを待った。
 しかし、マントは前が見えるようになったところで動きを止めた。目の前には暖炉があって、そこへ身を乗り出し、火を熾そうとするネイドの姿が、ちらりと見えた。
 どうやらマントはそのままにしてもらえるらしい。リサは安堵して、放心してマントの陰から見えるものを、見るともなく眺めた。
 ネイドの姿が消え、歩きまわる音がして、また戻ってくるのを、無意識に目と耳は拾っていたが、少し前まで激しく動いていた感情は、その反動で麻痺したようになってしまっていたのだ。
 手に何かが触れ、条件反射でリサはそれを握った。大きなマグカップだった。
「どうぞ。気分が落ち着きます」
 薄赤く色付いた液体が入っている。ふうっとワインの香りが鼻をくすぐった。
 良く知った匂いだった。どこで嗅いだものだったかと記憶の中を探る。遠い、遠い、すごく昔のどこか。
 思い出せなかったが、リサはカップに口をつけた。ワインが舌の上に広がった瞬間、ぶわっと頭の中に映像が広がった。
 食卓だった。家族がそろっていた。粗末なカップを持って誰もが笑っていた。食後の光景だった。
 中身は、水で薄めた安物のワイン。
 神殿で、巫女姫になって、最高級のワインを飲んで、その芳醇な香りと味わいに驚嘆した。とても美味しかった。それは間違いようがなかった。
 けれど、本当にリサの舌が求めていたのは、幼い頃から慣れ親しんだ、この味だった。
「おいしい」
 リサは懐かしさに涙した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

10年間の結婚生活を忘れました ~ドーラとレクス~

緑谷めい
恋愛
 ドーラは金で買われたも同然の妻だった――  レクスとの結婚が決まった際「ドーラ、すまない。本当にすまない。不甲斐ない父を許せとは言わん。だが、我が家を助けると思ってゼーマン伯爵家に嫁いでくれ。頼む。この通りだ」と自分に頭を下げた実父の姿を見て、ドーラは自分の人生を諦めた。齢17歳にしてだ。 ※ 全10話完結予定

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。

松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。 そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。 しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

【完結】私たち白い結婚だったので、離婚してください

楠結衣
恋愛
田舎の薬屋に生まれたエリサは、薬草が大好き。薬草を摘みに出掛けると、怪我をした一匹の子犬を助ける。子犬だと思っていたら、領主の息子の狼獣人ヒューゴだった。 ヒューゴとエリサは、一緒に薬草採取に出掛ける日々を送る。そんなある日、魔王復活の知らせが世界を駆け抜け、神託によりヒューゴが勇者に選ばれることに。 ヒューゴが出立の日、エリサは自身の恋心に気づいてヒューゴに告白したところ二人は即結婚することに……! 「エリサを泣かせるなんて、絶対許さない」 「エリサ、愛してる!」 ちょっぴり鈍感で薬草を愛するヒロインが、一途で愛が重たい変態風味な勇者に溺愛されるお話です。

【完結】もう一度やり直したいんです〜すれ違い契約夫婦は異国で再スタートする〜

四片霞彩
恋愛
「貴女の残りの命を私に下さい。貴女の命を有益に使います」 度重なる上司からのパワーハラスメントに耐え切れなくなった日向小春(ひなたこはる)が橋の上から身投げしようとした時、止めてくれたのは弁護士の若佐楓(わかさかえで)だった。 事情を知った楓に会社を訴えるように勧められるが、裁判費用が無い事を理由に小春は裁判を断り、再び身を投げようとする。 しかし追いかけてきた楓に再度止められると、裁判を無償で引き受ける条件として、契約結婚を提案されたのだった。 楓は所属している事務所の所長から、孫娘との結婚を勧められて困っており、 それを断る為にも、一時的に結婚してくれる相手が必要であった。 その代わり、もし小春が相手役を引き受けてくれるなら、裁判に必要な費用を貰わずに、無償で引き受けるとも。 ただ死ぬくらいなら、最後くらい、誰かの役に立ってから死のうと考えた小春は、楓と契約結婚をする事になったのだった。 その後、楓の結婚は回避するが、小春が会社を訴えた裁判は敗訴し、退職を余儀なくされた。 敗訴した事をきっかけに、裁判を引き受けてくれた楓との仲がすれ違うようになり、やがて国際弁護士になる為、楓は一人でニューヨークに旅立ったのだった。 それから、3年が経ったある日。 日本にいた小春の元に、突然楓から離婚届が送られてくる。 「私は若佐先生の事を何も知らない」 このまま離婚していいのか悩んだ小春は、荷物をまとめると、ニューヨーク行きの飛行機に乗る。 目的を果たした後も、契約結婚を解消しなかった楓の真意を知る為にもーー。 ❄︎ ※他サイトにも掲載しています。

すれ違ってしまった恋

秋風 爽籟
恋愛
別れてから何年も経って大切だと気が付いた… それでも、いつか戻れると思っていた… でも現実は厳しく、すれ違ってばかり…

15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~

深冬 芽以
恋愛
 交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。  2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。  愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。 「その時計、気に入ってるのね」 「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」 『お揃いで』ね?  夫は知らない。  私が知っていることを。  結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?  私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?  今も私を好きですか?  後悔していませんか?  私は今もあなたが好きです。  だから、ずっと、後悔しているの……。  妻になり、強くなった。  母になり、逞しくなった。  だけど、傷つかないわけじゃない。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

処理中です...