(自称)愛の女神と巫女姫と護衛騎士

伊簑木サイ

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7 巫女姫の目覚め

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 大聖堂の壁際で待機していたリサは、目の前を横切っていくネイドを、顔を動かさないように目だけで追った。今日も彼は麗しいと、一人胸をときめかせた。
 彼とよく似た、彼より華やかな色合いの妹と並ぶ様は、伝説の初代巫女姫姉弟を思わせる美麗さだ。リサのひいき目かもしれないが、彼ら兄妹の美しさは群を抜いていて、巫女姫と護衛役には二人が選ばれるのではないかと、密かに思った。
 もちろん、どの候補にも平等に接しなければならない女神官としては、そんな思いはおくびにも出さなかったが。
 彼女にとって新巫女姫選定は、しょせん他人事でしかない。女神官になったとは言え、下っ端の下っ端でしかない彼女の務めが変わるわけではないからだ。
 もちろん、美しくも優しい現巫女姫が退任するのは寂しかったが、新しく神殿に住まうあるじに誰が選ばれようと、憂いなく過ごしていただけるよう、誠心誠意尽くすだけだ。
 だから、当代の巫女姫が最後のお勤めとして女神を呼び出した時も、いったい誰が選ばれるのかと、固唾をのんで見守っていただけだった。
 巫女姫の呼び声に応えて、急速に女神の気配が濃くなっていく。空間を満たす圧迫感が耐えきれないところまで強まっていって……。

 リサは瞬きをした。
 ここはどこだろう。私は何をしていたのだったか。
 彼女はぼんやりと目の前にあるものに焦点を合わせた。三十センチほどしかない近さから、ネイドが顔を覗きこんでいた。
「ネイド、様?」
 とんでもなく近い。だからリサは、これは夢だと思った。そうでなければ、ありえない。
 彼は少し目を見開いて、それからすぐに真面目な顔になって、やけに改まった口調で話しかけてきた。
「お見知りいただき、光栄です。聖下の護衛騎士に選ばれました、ネイド・べステスでございます。身命を賭してお守りし、お仕えする所存です。どうぞ御身のお傍に侍ることをお許しくださいますよう」
「は、い?」
 彼が何を言っているのか、まったく理解できなかった。少し考え、巫女姫選定式に参列したから、こんな夢を見てしまっているのかもしれないと思いついた。
 思わず、彼女は自分の単純さと厚かましさに赤面した。巫女姫に自分が選ばれる? 絶対あるわけがない!
 しかも、ソファの上で斜めに倒れ込んで、床に膝をついたネイドに支えてもらっている状態だ。まるでしなだれかかっているみたいだ。 
 夢の中とはいえ恥ずかしくてたまらなくなって、彼女はネイドから離れようとした。自分で座面に手をついて、体を起こす。
 その時、己の体を見下ろして、驚愕した。
「きゃああああああっ!?」
 反射的に悲鳴をあげて、胸とお腹に腕をまわした。
 彼女は突拍子もない格好をしていた。上半身は胸のまわりに真っ赤な布が巻いてあるだけで、下半身は足の付け根のちょっと下あたりまでのとても短い同じ色のスカートをはき、それらの上から、白いスケスケのロングコート状のものを羽織っていたのだ。
 言ってみれば、普通の下着より露出の多い格好だ。そのせいで、たわわな胸は形も谷間も露わに、むっちりとした白い腿も惜しげもなくさらされている。お臍まで丸見えだ。
「な、なんで!?」
 あわを食って動いたせいで膝が上がり、奥の下着がちらりと見えたのに本人は気付かなかったが、前にいるネイドからはちょうどいい具合に目に入った。
 彼は自分の上着を脱ぐと、真っ赤になっておろおろしているリサに、前から着せかけた。
「女神が、聖下にはその装いがお似合いになると仰って、お着替えになりました」
「め、女神?」
 リサには、本当にわけがわからなかった。夢だ、夢のはずだと思うのに、感覚が妙に現実めいていて、夢に感じられないのだ。
「リサ」
 豪奢な銀髪を揺らして、新たに自分の前に膝をついた人物に、リサは縋るように体を傾けた。優しく笑んだ巫女姫が、リサの膝に手を置いて、ぽんぽんと宥めるように叩いた。
「驚くのも無理はありません。女神がいらっしゃる間のことを、私たちは覚えていられないのですから」
 どくり、とリサの心臓が嫌な音をたてて一つ打った。どくどくどくどくと鼓動が速くなっていく。
「よく聞いてください。これは夢ではありません。冗談でもありません。私はあなたに嘘を言いません。これまでも、これからも。それは信じてくださるかしら?」
 リサは怖々頷いた。巫女姫の清廉さはよく知っていたし、人を傷つけるような嘘や冗談を言ったりする人でもない。信ずるに値する人だとわかっている。
「女神フェスティアは、新しい巫女姫にあなたを選びました」
「え?」
 驚きに見開かれた瞳が、せわしなく揺れた。
「そ、そんなわけ、だって、私は、こんなに醜くて、」
「あなたは可愛らしいわ。私は、魅力的な人だと、ずっと思っていました」
「そんなわけないです!」
 リサは何度も頭を横に振った。違う、ありえない、と主張するように。
「髪も目も真っ黒だし、む、胸だってこんなに大きくて、お尻だって、」
「女神は、それが魅力的だと仰いました。人々に、あなたの体は素晴らしいと誇示されたのです。そして、隠すなどもったいないと、その衣裳を自らご用意されました。それは女神がくださったものなのですよ。あなたによく似合っています」
「い、いやです、こんなの!」
「ええ。普段は確かにこれでは体が冷えてしまいますから、もう少し温かい格好をした方が良いでしょうね。でも、女神を呼ぶ時の正式な衣装は、それになります。女神がそう望まれましたし、それに、本当によく似合っていて、綺麗ですよ」
 巫女姫は、隣で見守っていたネイドに向くと、同意を求めて話しかけた。
「あなたも、女神の見立ては正しいと思いますでしょう? この衣裳は、彼女を魅力的に見せると」
「はい」
 ネイドはなんの躊躇いもなく頷いた。ただ追従したという感じではなかった。まるで、彼自身がそう考えているとでもいうようだった。……前巫女姫からリサへと視線を移すまでは。
 彼はリサと目が合った瞬間、そっと、リサの顔の横あたりに目線をずらした。……リサを注視できないとでもいうように。
 彼女は、ネイドの態度に、意識を取り戻してからはじめて共感できた。
 そうですよね、と。こんなに醜い女を、正視するなんてできないですよね、と。
 リサは深く傷ついた。好きな人に、見ることすら嫌だと思われているのに。
 でもだからこそ、この話が本当であると納得した。
 だって、そうだろう。そうでもなければ、ネイドみたいな男が跪き、命を懸けて守るなんて、言うわけがない。
 リサはネイドの上着が膝へと滑り落ちるのもかまわずに、顔を手で覆って、滲んでくる涙を必死にこらえた。
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