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閑話集 こぼれ話
ディーの休暇2
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馬車の中は沈黙が続いていた。二人でいて、会話が弾んだことなどない。黙って隣り合って座っているだけだ。それでも幼い頃は気詰まりではなかった。彼女の傍は無心に呆けられて、むしろ居心地が良かったものだった。それがいつからか間合いの読めない妙に緊張するものになった。
今日もどうせそうなるだろうからと、馬で行こうとしたのだが、馬車に乗り込む彼女に無言の圧力をかけられて、一緒に乗る破目に陥った。
彼女は万事に控え目でおとなしく、無駄口は叩かない淑女だが、言い換えれば非常に冷静で合理的な人でもある。故に顔付きは可愛らしいのに、性格はおよそ可愛気とは無縁で、実はむしろ視線一つで人を逆らえなくさせる人だ。それに気付いたとたん、頭の痛いことに、大抵の男たちは去っていくのだった。
「あー。えーと、それで、母上が俺をお呼びとはどういうことでしょうか」
そんなわけで、彼女に話しかける時は、俺も例に漏れず緊張して、おかしな具合に敬語が混ざり込んでしまう。
「そのままの意味です。お母様はディエンナ様をお呼びです」
「『ディエンナ』はあなたのはずですが?」
「ええ。『ディエンナ』は私です。それでも、『ディエンナ』はいつ帰ってくるの、とお聞きになられます。とても寂しげでいらっしゃいます」
彼女が迎えに来るぐらいだ、母はかなり荒れているのだろう。
「そうでしたか。すみませんでした。家のことは放りっぱなしで。あなたには本当に感謝しています」
俺の今生の母は精神を病んでいる。二歳で死んだ姉『ディエンナ』の死に堪えきれず、俺が生まれると、この子は『ディエンナ』だと言い張った。俺を『ディエンナ』として育てることで、母の精神は飛躍的に安定した。
しかし、男の俺がいつまでも『ディエンナ』でいられるわけもない。無理がありすぎた。それに、『ディエンナ』を愛し忘れられないからこその執着だ。彼女にとって『ディエンナ』は唯一無二の存在であり、信じ込もうとしたからといって、他の誰かが身代わりになどなれるわけがなかった。
やがて母は再び現実に耐えられなくなっていった。俺と『ディエンナ』との違いを見つけると、暴力を振るうようになった。そうして終いに、俺を殺そうとした。
俺を、と言ったが、実のところ、『現実』を殺そうとしたのだろう。彼女にとって、俺は生まれてもいない子供だ。存在さえしていないのだから、俺を殺そうとなど思いもよらないだろう。
だとしても、『現実』の俺は常に母によって命の危険にさらされるようになり、危惧した父は、俺を王都へと送り出した。そして、母を安定させるために俺の代わりに連れてこられたのが、シリンだった。
シリンは母方の従姉妹だ。父は入り婿であるから、もしシリンが『ディエンナ』としてエフィルナン家を継いだとしても、親戚連中はうるさく言わない。俺も殿下の下で職を得ているし、領主にならなくても困りはしなかった。
ただ、彼女と婚約という形を取っているのは、父に対する気遣いと、こうすることで彼女に望まない縁談が来るのを阻むためだ。全然関係のない彼女に面倒事を押し付けているという自覚はある。せめて伴侶くらいは彼女の望む人物を与えてやりたかった。
最早逆立ちしても、『ディエンナ』には絶対になれない俺には、それくらいしか彼女にしてやれることがなかったのだ。
今日もどうせそうなるだろうからと、馬で行こうとしたのだが、馬車に乗り込む彼女に無言の圧力をかけられて、一緒に乗る破目に陥った。
彼女は万事に控え目でおとなしく、無駄口は叩かない淑女だが、言い換えれば非常に冷静で合理的な人でもある。故に顔付きは可愛らしいのに、性格はおよそ可愛気とは無縁で、実はむしろ視線一つで人を逆らえなくさせる人だ。それに気付いたとたん、頭の痛いことに、大抵の男たちは去っていくのだった。
「あー。えーと、それで、母上が俺をお呼びとはどういうことでしょうか」
そんなわけで、彼女に話しかける時は、俺も例に漏れず緊張して、おかしな具合に敬語が混ざり込んでしまう。
「そのままの意味です。お母様はディエンナ様をお呼びです」
「『ディエンナ』はあなたのはずですが?」
「ええ。『ディエンナ』は私です。それでも、『ディエンナ』はいつ帰ってくるの、とお聞きになられます。とても寂しげでいらっしゃいます」
彼女が迎えに来るぐらいだ、母はかなり荒れているのだろう。
「そうでしたか。すみませんでした。家のことは放りっぱなしで。あなたには本当に感謝しています」
俺の今生の母は精神を病んでいる。二歳で死んだ姉『ディエンナ』の死に堪えきれず、俺が生まれると、この子は『ディエンナ』だと言い張った。俺を『ディエンナ』として育てることで、母の精神は飛躍的に安定した。
しかし、男の俺がいつまでも『ディエンナ』でいられるわけもない。無理がありすぎた。それに、『ディエンナ』を愛し忘れられないからこその執着だ。彼女にとって『ディエンナ』は唯一無二の存在であり、信じ込もうとしたからといって、他の誰かが身代わりになどなれるわけがなかった。
やがて母は再び現実に耐えられなくなっていった。俺と『ディエンナ』との違いを見つけると、暴力を振るうようになった。そうして終いに、俺を殺そうとした。
俺を、と言ったが、実のところ、『現実』を殺そうとしたのだろう。彼女にとって、俺は生まれてもいない子供だ。存在さえしていないのだから、俺を殺そうとなど思いもよらないだろう。
だとしても、『現実』の俺は常に母によって命の危険にさらされるようになり、危惧した父は、俺を王都へと送り出した。そして、母を安定させるために俺の代わりに連れてこられたのが、シリンだった。
シリンは母方の従姉妹だ。父は入り婿であるから、もしシリンが『ディエンナ』としてエフィルナン家を継いだとしても、親戚連中はうるさく言わない。俺も殿下の下で職を得ているし、領主にならなくても困りはしなかった。
ただ、彼女と婚約という形を取っているのは、父に対する気遣いと、こうすることで彼女に望まない縁談が来るのを阻むためだ。全然関係のない彼女に面倒事を押し付けているという自覚はある。せめて伴侶くらいは彼女の望む人物を与えてやりたかった。
最早逆立ちしても、『ディエンナ』には絶対になれない俺には、それくらいしか彼女にしてやれることがなかったのだ。
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お読みいただき、ありがとうございます。
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それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。
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