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閑話集 こぼれ話
ディーの休暇1
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「ディー、一人身が淋しいそうだな」
用事を済ませて帰ってくると、殿下はソファに腰掛けて、ソラン様を膝の上に乗せておられた。はっきり言えば、背の高いソラン様では、胸元に寄りかからせて抱え込むなどという可愛いことはできない。ではどうするのかというと、両腕を自分の首にまわさせるのである。つまり、ソラン様から抱きつかせて、安定した体勢にするのだ。それはそれで、非常に目に毒な姿だった。
初め、ソラン様は恥ずかしがって、ずいぶんと抵抗しておられたが、殿下に諦めるとか折れるとか空気を読むとかいう選択肢はない。逆らうだけ無駄というものだ。この頃では休憩時間などお二人で過ごされる前提の時は、羞恥心に躊躇いつつも、殿下の望むようにしておられる。
今も、殿下の首元に顔を隠すようにしておられるが、耳から首筋から真っ赤である。どうも、恥ずかしいからというだけでなく、雰囲気的に、なにかされていたのだろうと思われた。
俺の視線に気付いて、殿下はニヤリとしながらソラン様の頭に手をやり隠された。見るな、もったいない、減るだろう、というわけだ。
だったら、人前では控えたらどうですか、と思わずにはいられない。こっちだって、見ようと思って見ているのではない。目の前で正々堂々とやられたら、誰だって目に入るに決まっている。気を利かせるべきなのは俺ではなく、殿下が控えるべきであるはずだ。
女に興味がないと思っていたら、意中の女ができた途端これである。どうしてこの人には中庸というものがないのだろう。何事であれ、極端なことしかなさらない。本当に、王子でなければただの迷惑な人だ。
俺は努めて視線を落として、殿下に書類を提出した。
「こちらはこれで本決まりです。すぐに目を通していただけますか」
殿下は書類を取られて、ソラン様にも見やすい場所に掲げられた。ソラン様もこうなると頭の切り替えは早い。隠していた顔を上げられて、二人で顔を並べて真剣な様子で読んでおられる。
やがて読み終わると小声で言葉を交わされ、満足気に頷かれる。少しこちらに身を乗り出して、テーブルの上のペンを取られると、紙をソラン様に押さえさせて、署名をされた。
「早速取り掛かるように指示しろ。そうしたらおまえには十日の休暇をやる。実家に戻って片をつけてこい」
書類を取ろうと伸ばした手が、思わず止まる。
「はい?」
「休暇をくれてやると言っている。実家で有意義に使って来い。いっそ華々しくふられて散ってくるがいい」
振られてだの、散ってだのという単語で、婚約者のことを言われていると、やっと気付く。
「どういう前提ですか。散るもなにも、あとは彼女が気に入った男を連れてくればいいだけで」
「それには次期の座を返上するのが必要だろう。とにかく、これから更に忙しくなるのに、面倒事にかかずらってる暇はない。今の内に身辺を整理しろ」
「いえ、特に必要ありません。ご迷惑は決して掛けませんよ」
「良い心がけだと言いたいところだが、全然信用ならんな。迎えが来ているぞ」
嫌な予感が膨らむ。殿下が、入れ、と別室に続く扉に声をかけると、そこからシリンが現れた。
金茶の柔らかそうな髪をふんわりと結い上げた姿は小柄で、優しげに見える垂れ気味の目尻といい、浮ついたところのない丁寧な所作といい、十人中七人の男は、恋人ではなく妻にしたい女として認識するだろう。
「お久しぶりです、ディー。お母様がお呼びになっておられます。どうか一度お帰り願えませんか」
数年ぶりに会った従姉妹にして婚約者は、相変わらず冷めた瞳で俺を見て、お願いという名の命令を申し渡してきたのだった。
用事を済ませて帰ってくると、殿下はソファに腰掛けて、ソラン様を膝の上に乗せておられた。はっきり言えば、背の高いソラン様では、胸元に寄りかからせて抱え込むなどという可愛いことはできない。ではどうするのかというと、両腕を自分の首にまわさせるのである。つまり、ソラン様から抱きつかせて、安定した体勢にするのだ。それはそれで、非常に目に毒な姿だった。
初め、ソラン様は恥ずかしがって、ずいぶんと抵抗しておられたが、殿下に諦めるとか折れるとか空気を読むとかいう選択肢はない。逆らうだけ無駄というものだ。この頃では休憩時間などお二人で過ごされる前提の時は、羞恥心に躊躇いつつも、殿下の望むようにしておられる。
今も、殿下の首元に顔を隠すようにしておられるが、耳から首筋から真っ赤である。どうも、恥ずかしいからというだけでなく、雰囲気的に、なにかされていたのだろうと思われた。
俺の視線に気付いて、殿下はニヤリとしながらソラン様の頭に手をやり隠された。見るな、もったいない、減るだろう、というわけだ。
だったら、人前では控えたらどうですか、と思わずにはいられない。こっちだって、見ようと思って見ているのではない。目の前で正々堂々とやられたら、誰だって目に入るに決まっている。気を利かせるべきなのは俺ではなく、殿下が控えるべきであるはずだ。
女に興味がないと思っていたら、意中の女ができた途端これである。どうしてこの人には中庸というものがないのだろう。何事であれ、極端なことしかなさらない。本当に、王子でなければただの迷惑な人だ。
俺は努めて視線を落として、殿下に書類を提出した。
「こちらはこれで本決まりです。すぐに目を通していただけますか」
殿下は書類を取られて、ソラン様にも見やすい場所に掲げられた。ソラン様もこうなると頭の切り替えは早い。隠していた顔を上げられて、二人で顔を並べて真剣な様子で読んでおられる。
やがて読み終わると小声で言葉を交わされ、満足気に頷かれる。少しこちらに身を乗り出して、テーブルの上のペンを取られると、紙をソラン様に押さえさせて、署名をされた。
「早速取り掛かるように指示しろ。そうしたらおまえには十日の休暇をやる。実家に戻って片をつけてこい」
書類を取ろうと伸ばした手が、思わず止まる。
「はい?」
「休暇をくれてやると言っている。実家で有意義に使って来い。いっそ華々しくふられて散ってくるがいい」
振られてだの、散ってだのという単語で、婚約者のことを言われていると、やっと気付く。
「どういう前提ですか。散るもなにも、あとは彼女が気に入った男を連れてくればいいだけで」
「それには次期の座を返上するのが必要だろう。とにかく、これから更に忙しくなるのに、面倒事にかかずらってる暇はない。今の内に身辺を整理しろ」
「いえ、特に必要ありません。ご迷惑は決して掛けませんよ」
「良い心がけだと言いたいところだが、全然信用ならんな。迎えが来ているぞ」
嫌な予感が膨らむ。殿下が、入れ、と別室に続く扉に声をかけると、そこからシリンが現れた。
金茶の柔らかそうな髪をふんわりと結い上げた姿は小柄で、優しげに見える垂れ気味の目尻といい、浮ついたところのない丁寧な所作といい、十人中七人の男は、恋人ではなく妻にしたい女として認識するだろう。
「お久しぶりです、ディー。お母様がお呼びになっておられます。どうか一度お帰り願えませんか」
数年ぶりに会った従姉妹にして婚約者は、相変わらず冷めた瞳で俺を見て、お願いという名の命令を申し渡してきたのだった。
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