暁にもう一度

伊簑木サイ

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第十章 バートリエ事変

3-2

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「捕虜を放て」

 殿下の静かな声が静寂を切り裂いた。我に返ったように裏返った復唱が続き、右翼に囲われていた百人あまりの捕虜が連れ出されてきた。武器は返してある。そのままバートリエへと導き、全員を町の中へと追い込んだ。彼らには、中の仲間に伝言を届ける役目を負わせてある。

 ・女たちはウィシュタリアの一騎士が貰い受けたこと。
 ・彼女たちの屈辱を晴らすために、その騎士が決闘を申し込むこと。
 ・タリア側の代表は、その騎士一人であること。
 ・この決闘で勝てば、ウィシュクレアへの進入の罪を問わず、エランサへ返すこと。
 ・決闘を受けなければ、引き続き大砲で攻撃し、バートリエごと撃ち払うこと。
 ・決闘を受ける者は、一刻以内にバートリエの外に出てきて、まずは武器を差し出すこと。
 ・出てこなければ、攻撃を開始すること。

 続けて殿下は次の命令を発した。

「決闘場の準備をしろ」

 木材や工具を持った兵が、バートリエと布陣の真ん中あたりの窪地に赴き、杭を打ち込み、板を打ちつけ、柵をめぐらせて、即席の決闘場を作り上げる。
 一番低い場所を十メートル四方ほどの闘技場とし、少し離れた斜面に、折り返しながら一列に並べるよう区切られた待合所が造られた。

 工兵が下がり、完成したことが告げられると、ソランたちは闘技場へと移動した。
 殿下とその護衛の三十人が、闘技場の正面に陣取った。他に五十人が決闘の人員整理に当たるために、待合所のバートリエ側にて待つ。そして闘技場の脇に、女性たちを助け出したとされるエランサ人の一団が招かれた。

 なだらかな窪地であるので、斜面の上に寄ればどこからでも良く見える場所だった。残りの兵たちが、斜面の上辺に立って見下ろす。

 ソランは冑を脱いで柵の杭に掛けてから斜面を登り、一人、バートリエからよく見える所に立った。
 人員整理をするためにいる男たちが、少し離れてはいるが傍にいるおかげで、ソランはさぞかし細身で小柄に見えることだろう。目も良ければ、一見優男風なのもわかるはずだ。
 あれだけの条件で、決闘の相手がこれなら、出てこないわけがない。案の定、ソランが姿を見せてしばらくすると、バートリエからぞろぞろと男たちが出てきた。

 ガラが悪く、統率というほどには纏まっていない、締まりのない男たちだ。彼らに比べれば、エレイアの盗賊団は上品だったと、ソランは思った。
 どうやら、西でのエーランディア聖国との戦から逃げ出した脱走兵の集まりらしい。そんな身分で故郷へ帰れるわけもない。だからといって同国民を殺し、生きる場所を奪ってそこへ居座るなど、たとえ聖国対策で喉から手が出るほど人員が欲しくても、手を結ぶに値しない相手である。七百少しの兵を手に入れるために、ウィシュタリア軍の名を落とすなどありえなかった。

 彼らと鉢合わせしないうちに、町から出てこちらに向かってくるのを確認したところで、ソランは闘技場へと下りた。

「ソラン」

 殿下の声に振り向くと、あちらだと顎で示される。そちらへ目をやれば、ジェナスたちに付き添われたホルテナたちがやってくるところだった。
 ソランは柵に手をついて身軽に乗り越え、彼女たちへと走っていった。進み出てきたホルテナの手を取る。

『来てくれた。ありがとう』

 こんな、武器を持った威圧的でむさ苦しい男の集団の真っ只中に来るなんて、勇気のいることだっただろう。たとえそれがエランサの流儀だとしても。
 ホルテナは横に首を振った。

『ソラン様こそ』

 言葉に詰まった瞳は潤んでいる。ソランは微笑んで抱き寄せ、あやすように背中を軽く叩いた。

『大丈夫。私が勝つから』

 こちらを心配げに見つめる女性たちに、ホルテナの肩越しに笑いかける。

『皆、怖かったら、目を瞑って、耳を塞ぐ。ね?』

 これから始まるのは、見ていて楽しいものではない。きっと、家族が殺された時のことを思い出して、辛い思いをする。

『いいえ。見届けます』

 顔を上げた彼女の瞳には、昨日、この話をした時に見せた憎しみの炎は、鳴りを潜めていて見えなかった。ただひたすらにソランを気遣う思いにあふれていた。
 あの痛みと怯えに彩られた暗く深い傷は、今も彼女たちを苛んでいる。それでもこの瞬間は、ソランを思ってくれている。だから少し安心した。本当は、さらに傷つけるだけな気がして怖かったから。
 ソランがこうすることで、彼女たちをこの世界に引き留めることができるのなら、こんなことは苦でもなんでもなかった。

 ジェナスは、それを彼女たちに課す義務と表現したけれど。ソランの払う代償を見せ、それに見合う忠誠を刻みつけなさい、と。そうすれば、彼女たちは生きる意味を失わないですむだろう、と。
 それが良いことなのかわからない。ソランには痛ましいことにしか感じられない。どうか、痛みだけを与えずにすみますように、と願う。一欠片の救いにでもなれますように。そして、いつか彼女たちの愛しい思い出が、痛みではなく優しさを与えてくれるようになるまで、生きてくれますように。

 腕の中のホルテナが動き、ソランは身を離した。彼女が懐から焦げ茶色のものを差し出してくる。

『私たちの髪で編んだお守りです。どうかお持ちください』

 ソランは大きく笑んだ。彼女たちを見まわす。

『ありがとう。とても嬉しい』

 そしてそれを、鎧の上から首周りに巻いてもらい、留めつけてもらったのだった。
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