暁にもう一度

伊簑木サイ

文字の大きさ
上 下
154 / 272
第十章 バートリエ事変

1-4

しおりを挟む
 彼らが出て行ってしまうと、殿下は椅子の背にもたれながら、傍に立つソランを見上げた。

「ずいぶんおとなしかったな」

 揶揄しているというより、疑問に近い雰囲気だ。だが、ソランには何を指してそう言われるのかがわからなかった。

「何がですか?」
「おまえも先に行くと言いだすかと思ったのだ。望むらなら許してもよいとも思っていた」

 心の内を見抜かれていたことに、ソランはバツの悪い思いをする。

「少し、だけです。私が行ったところで、ファティエラたちやジェナス殿以上のことはできません。それより、私は殿下の軍医です。殿下のお傍に控えているべきだと思いました」

 とたんに殿下は、おかしそうに口元を歪ませた。くっくっくっくと喉の奥で笑い、体を震わす。
 人が真面目に話しているのに、失礼にもほどがある。ソランは憤慨して抗議した。

「何で笑うんですか。いくら殿下でもそれは失礼でしょう!」
「すまん、馬鹿にしているわけでは」

 笑いに震えた声で謝り、我慢できなくなったように、声をあげて笑いはじめた。
 ソランはすっかりむくれて、部屋を出て行くことにした。なのに、踵を返した彼女の腕を、後ろから掴み、引き寄せようとする。

「怒るな。短い間に、ずいぶん聞き分けがよくなったものだと思ってな」

 振り払ったはずの腕は、しっかりとソランの腰にまわり、がっちりと捕らえていた。未だ自分の方へと向こうとしないソランにかまわず、話しかける。

「下がっていろと言い聞かせておいたのに、矢面に立ち、剣まで投げ捨てたのは誰だ? 命を狙われているから隠れていろというのに、がんとして受け付けなかったのも同じ者だな?」
「それとこれとは状況が違います。そこまで馬鹿ではありません!」

 ソランは振り返って、キッと睨みつけた。
「うん。それから私をこんな風に邪険に扱って睨みつけるのも、おまえくらいだしな?」
「殿下が一々からかわれるからです!」
「ああ。からかいがいがあるから、つい」

 ソランは、むうっと唇を引き結んだ。腰を掴んでいる手を両方とも叩いてやる。ぴしゃん、といういい音がした。そのまま強気に睨みつけていると、殿下の目つきが剣呑に変わっていった。頭からばりばりと喰われてしまいそうだ。顔には出さずとも、なにかがまずいと後悔しはじめたソランから目を離さず、殿下は低い声で命じた。

「ディー、イアル、下がっていろ」
「あ、待って、私も行く」

 動いた彼らを思わず目で追って、口走ったソランに、

「おまえは、本当に、可愛いな」

 殿下は傲慢で色気のある笑みを浮かべて、有無を言わさず自分の膝へとソランを抱き上げた。

「殿下、そんな場合では」

 少々強引な殿下相手に、下手に暴れて怪我でもさせたらと思うと、弱腰になってしまう。それに、殿下に求められれば、結局は拒絶などできはしないのだ。

「ソラン」

 近くなった瞳は思ったよりも穏やかで、慈しみに満ちていた。

「ダニエルの言っていたことが本当だとしても、おまえのせいでも、私のせいでもない」

 気付かれないように胸の奥に沈めていた不安を、不意打ちで指摘されて、ソランは息を止めた。

「失われた神のせいでも、宝剣の主のせいでもない」

 ゆっくりと言い聞かせるように話す殿下を凝視する。

「遠い昔に神々はいなくなり、それでも我々はこうして生きている。最早地上には人しかいない。だから、どのような行いも、それはすべて人が行っているのだ。神の名の下に正当を主張するのなら、それは己の非道をごまかすために、かたっているにすぎない」
 ソランは泣きたいような気持ちになって声を出せず、こくりと頷いた。
「私たちは、償いをしようとしているのではない。私たちの信じることを行おうとしているだけだ。そうだろう、ソラン?」

 もう一度従順に頷けば、殿下は優しく微笑んだ。

「口付けてもいいか?」

 少しだけからかうように言う。ソランの気持ちが少しでも上向くように気遣ってくれているのがわかるから、今度は怒ったりしなかった。ただたび頷いて、静かに瞼を閉じたのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

【完結】義妹とやらが現れましたが認めません。〜断罪劇の次世代たち〜

福田 杜季
ファンタジー
侯爵令嬢のセシリアのもとに、ある日突然、義妹だという少女が現れた。 彼女はメリル。父親の友人であった彼女の父が不幸に見舞われ、親族に虐げられていたところを父が引き取ったらしい。 だがこの女、セシリアの父に欲しいものを買わせまくったり、人の婚約者に媚を打ったり、夜会で非常識な言動をくり返して顰蹙を買ったりと、どうしようもない。 「お義姉さま!」           . . 「姉などと呼ばないでください、メリルさん」 しかし、今はまだ辛抱のとき。 セシリアは来たるべき時へ向け、画策する。 ──これは、20年前の断罪劇の続き。 喜劇がくり返されたとき、いま一度鉄槌は振り下ろされるのだ。 ※ご指摘を受けて題名を変更しました。作者の見通しが甘くてご迷惑をおかけいたします。 旧題『義妹ができましたが大嫌いです。〜断罪劇の次世代たち〜』 ※初投稿です。話に粗やご都合主義的な部分があるかもしれません。生あたたかい目で見守ってください。 ※本編完結済みで、毎日1話ずつ投稿していきます。

《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。

友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」 貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。 「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」 耳を疑いそう聞き返すも、 「君も、その方が良いのだろう?」 苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。 全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。 絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。 だったのですが。

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

飯屋の娘は魔法を使いたくない?

秋野 木星
ファンタジー
3歳の時に川で溺れた時に前世の記憶人格がよみがえったセリカ。 魔法が使えることをひた隠しにしてきたが、ある日馬車に轢かれそうになった男の子を助けるために思わず魔法を使ってしまう。 それを見ていた貴族の青年が…。 異世界転生の話です。 のんびりとしたセリカの日常を追っていきます。 ※ 表紙は星影さんの作品です。 ※ 「小説家になろう」から改稿転記しています。

【完結】貧乏令嬢の野草による領地改革

うみの渚
ファンタジー
八歳の時に木から落ちて頭を打った衝撃で、前世の記憶が蘇った主人公。 優しい家族に恵まれたが、家はとても貧乏だった。 家族のためにと、前世の記憶を頼りに寂れた領地を皆に支えられて徐々に発展させていく。 主人公は、魔法・知識チートは持っていません。 加筆修正しました。 お手に取って頂けたら嬉しいです。

寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。

にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。 父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。 恋に浮かれて、剣を捨た。 コールと結婚をして初夜を迎えた。 リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。 ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。 結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。 混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。 もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと…… お読みいただき、ありがとうございます。 エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。 それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。

侯爵家の愛されない娘でしたが、前世の記憶を思い出したらお父様がバリ好みのイケメン過ぎて毎日が楽しくなりました

下菊みこと
ファンタジー
前世の記憶を思い出したらなにもかも上手くいったお話。 ご都合主義のSS。 お父様、キャラチェンジが激しくないですか。 小説家になろう様でも投稿しています。 突然ですが長編化します!ごめんなさい!ぜひ見てください!

処理中です...