暁にもう一度

伊簑木サイ

文字の大きさ
上 下
151 / 272
第十章 バートリエ事変

1-1

しおりを挟む
 執務室に入ってきたその人と、殿下は固く握手をしてから軽く抱き合った。殿下が他人にそんなに親しげで敬意を表した態度を取るのを、ソランはリングリッド将軍以外で初めて見た。
 殿下と挨拶をすますと、その人は真っ直ぐにソランを見て、人懐こい笑顔で会釈した。

「ソラン、ウィシュクレア代表ダニエル・エーランディアだ。ダニエル、彼女は私の婚約者のソラン・ファレノ・エレ・ジェナシスだ」
「お初にお目にかかります。ダニエル・エーランディアと申します。姫にお会いできるとは光栄の至り。夢のようです」
「お噂を聞いて、ぜひお会いしたいと思っていました。私もお会いできてとても嬉しく思います」

 彼が、さっと手を差し出してきた。それに合わせて右手を出すと、あたたかく乾いた大きな両手でしっかりと握られ、振られる。
 緊張の色もなく合わせる目は明るく楽しそうで、堅苦しくはないが誠実そうな顔をしていた。引き締まった逞しい体とごつごつと荒れた手から、体を使って働いているのだと知れる。三十代半、体力も気力も溢れんばかりに充実しているのが見て取れた。

 ソランは不思議な人だと思って、彼をしげしげと見た。会ったばかりなのに、彼には何事であっても安心して任せてしまえるような信頼感を抱かされる。
 実際、彼はウィシュクレアの代表である。商人としても指導者としても卓越した手腕を持っているのだろう。その割に威圧感がなく、人に欠片の警戒心も抱かせない。まさに外交向けの才能だった。
 彼はにこりと笑って手を離した。ソランも同じように笑い返す。

「お許し願えるなら、宝剣を手にして見せていただきたいのですが」
「よかろう」

 殿下が剣を鞘ごとはずし、ソランに手渡してきた。胸の前で少し力を込めて鞘口を切り、そのままスラリと抜き放つ。数瞬前まで確かに剣だったそれが、まるでソランの体の一部のように煌いた。

「確かに」

 彼は膝をつき、頭を垂れた。

「我が持てる力のすべてでお仕え申し上げます、宝剣の主(あるじ)方(かた)。どうか私を存分にお使いください」

 そこに打算や裏心が見出せず、ソランは率直に疑問をぶつけた。

「なぜ、それほどにつくしてくれようとするのですか?」
「世界の美しさを知っておられるからです」

 膝をついたまま顔を上げた彼は、喜びに満ちた表情でそう告げた。

「私は世界の美しさに魅入られているのです。その美しい世界をくまなく見てまわりたくて、商人となりました。主方もまた、世界の美しさを知っておられる。その方々が導く未来にお供したいと思うのは当然ではありませんか」
 確かに世界は美しいとは思う。でも、この人は何を以って、人の心持ちをそれほど確信しているのか。

 ふっと手の中の感触に剣の存在を思い出し、ソランは会話の途中であったが鞘にしまった。そして、同時に愚問だったと思い返した。
 この剣の主であることが証になるのだ。地上に平和をもたらそうとした若き将軍の、また、地の守護神の佩剣だったという、これこそが。
 殿下に剣を返し、彼に向き直る。

「わかりました。あなたを頼りにします、エーランディア殿」
「殿下と同じくダニエルとお呼びください」
「では、ダニエル殿とお呼びしましょう。私のこともどうぞソランと呼んでください」

 もう一度手を差し出し、彼の手を取って立たせる。

「ありがとうございます、ソラン様」

 新しく結んだ絆を確かめ強めるように、二人は固く手を握り合った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

転生先は盲目幼女でした ~前世の記憶と魔法を頼りに生き延びます~

丹辺るん
ファンタジー
前世の記憶を持つ私、フィリス。思い出したのは五歳の誕生日の前日。 一応貴族……伯爵家の三女らしい……私は、なんと生まれつき目が見えなかった。 それでも、優しいお姉さんとメイドのおかげで、寂しくはなかった。 ところが、まともに話したこともなく、私を気に掛けることもない父親と兄からは、なぜか厄介者扱い。 ある日、不幸な事故に見せかけて、私は魔物の跋扈する場所で見捨てられてしまう。 もうダメだと思ったとき、私の前に現れたのは…… これは捨てられた盲目の私が、魔法と前世の記憶を頼りに生きる物語。

【完結】殿下、自由にさせていただきます。

なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」  その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。  アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。  髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。  見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。  私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。  初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?  恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。  しかし、正騎士団は女人禁制。  故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。  晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。     身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。    そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。  これは、私の初恋が終わり。  僕として新たな人生を歩みだした話。  

【完結】義妹とやらが現れましたが認めません。〜断罪劇の次世代たち〜

福田 杜季
ファンタジー
侯爵令嬢のセシリアのもとに、ある日突然、義妹だという少女が現れた。 彼女はメリル。父親の友人であった彼女の父が不幸に見舞われ、親族に虐げられていたところを父が引き取ったらしい。 だがこの女、セシリアの父に欲しいものを買わせまくったり、人の婚約者に媚を打ったり、夜会で非常識な言動をくり返して顰蹙を買ったりと、どうしようもない。 「お義姉さま!」           . . 「姉などと呼ばないでください、メリルさん」 しかし、今はまだ辛抱のとき。 セシリアは来たるべき時へ向け、画策する。 ──これは、20年前の断罪劇の続き。 喜劇がくり返されたとき、いま一度鉄槌は振り下ろされるのだ。 ※ご指摘を受けて題名を変更しました。作者の見通しが甘くてご迷惑をおかけいたします。 旧題『義妹ができましたが大嫌いです。〜断罪劇の次世代たち〜』 ※初投稿です。話に粗やご都合主義的な部分があるかもしれません。生あたたかい目で見守ってください。 ※本編完結済みで、毎日1話ずつ投稿していきます。

《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。

友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」 貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。 「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」 耳を疑いそう聞き返すも、 「君も、その方が良いのだろう?」 苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。 全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。 絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。 だったのですが。

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

飯屋の娘は魔法を使いたくない?

秋野 木星
ファンタジー
3歳の時に川で溺れた時に前世の記憶人格がよみがえったセリカ。 魔法が使えることをひた隠しにしてきたが、ある日馬車に轢かれそうになった男の子を助けるために思わず魔法を使ってしまう。 それを見ていた貴族の青年が…。 異世界転生の話です。 のんびりとしたセリカの日常を追っていきます。 ※ 表紙は星影さんの作品です。 ※ 「小説家になろう」から改稿転記しています。

ボロ雑巾な伯爵夫人、やっと『家族』を手に入れました。~旦那様から棄てられて、ギブ&テイクでハートフルな共同生活を始めます2~

野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ファンタジー
 第二夫人に最愛の旦那様も息子も奪われ、挙句の果てに家から追い出された伯爵夫人・フィーリアは、なけなしの餞別だけを持って大雨の中を歩き続けていたところ、とある男の子たちに出会う。  言葉汚く直情的で、だけど決してフィーリアを無視したりはしない、ディーダ。  喋り方こそ柔らかいが、その実どこか冷めた毒舌家である、ノイン。    12、3歳ほどに見える彼らとひょんな事から共同生活を始めた彼女は、人々の優しさに触れて少しずつ自身の居場所を確立していく。 ==== ●本作は「ボロ雑巾な伯爵夫人、旦那様から棄てられて、ギブ&テイクでハートフルな共同生活を始めます。」からの続き作品です。  前作では、二人との出会い~同居を描いています。  順番に読んでくださる方は、目次下にリンクを張っておりますので、そちらからお入りください。  ※アプリで閲覧くださっている方は、タイトルで検索いただけますと表示されます。

処理中です...