暁にもう一度

伊簑木サイ

文字の大きさ
上 下
150 / 272
第九章 束の間の休息(海賊の末裔の地キエラにおいて)

閑話 楔

しおりを挟む
「今夜もおまえに触れたい」

 頬に触れながらそう告げると、俯いて目をそらしつつも、素直に頷く。
 そうして腕の中に閉じ込め、心を通わせながら、少しずつ体を開くことに慣れさせていく。彼女の拙く必死な様子は初々しく、ひどく心をかき乱される。
 こちらも余裕など欠片もない。全身全霊が彼女に攫われていく。狂おしい思いで彼女に触れる。

 許されるなら、息が止まるまで彼女だけを見て、彼女に自分だけを見ていてもらいたい。そうして彼女と死ねるなら、残り一晩の命でも惜しくはなかった。
 自分に触れている男がそんなことを考えているなんて、彼女は知らない。きっと考えもしないに違いない。

 彼女が堪えきれずにしがみついてくる。ただひたすらに何もかもをさしだしてくる彼女の体を強く抱きとめながら、あまりの愛しさに胸が軋んだ。愛しすぎて、最早痛みにしか感じられない。



 そうして彼女は私の心に楔を打ち込むのだ。
 無垢で無防備なその愛で。




 本当は、初めて会ったを、いや、彼女を誘った視察旅行で、できることなら死んでしまえればいいと思っていた。
 しがらみが多すぎて自分では死ぬこともできず、かといって生きたところで未来はない。惰性で死なずにすむ手を幾つも打ちながら、誰かがすべてを終わらせてくれるのを待っていた。

 そんなところへ、なぜ彼女を誘ったのか。今考えれば、おそらくあの時から、もう惹かれていたのだろう。
 人々の喧騒をぬって突然耳に届いた、生き生きとした声に誘われた。姿を目にしたら、その鮮やかさに目が離せなくなった。そして言葉を交わしたら、また明日も会いたいと思わずにいられなくなった。

 彼女はせいいっぱい背伸びして、いつでもがむしゃらに無茶をする。出会ったばかりの死にたがっている男のことも、何の迷いもなく体を張って、命懸けで守ろうとした。
 たぶん、あれが一つ目の楔。彼女の前でだけは死ねないと思わされた。きっと彼女を巻き添えにしてしまうから。



 それでも、生きたいとまでは思えなかった。自分が生きるには、膨大な血が必要なことは見えていた。流された血の分だけ増える恨みと怨嗟を受けながら、生き長らえるほどの意味を見出せなかった。
 そうやって迷いながら迎えた慈善事業の日、彼女が血塗れで泣き叫んでおきながら、傍を離れないと言い張った時に、二つ目の楔が打ち込まれてしまったのではないかと思う。
 あの時、どのくらい彼女を失うことに恐怖し、失いたくないと思わされたことか。

 それからは、彼女の何もかもが、その笑顔も涙も怒りさえ、幾つもの楔となって私を引き留め、いつしか無意識に生きる道を探していた。
 彼女が欲しくて、彼女と共に生きる未来が欲しくて。

 だが、それを手に入れるためには、私は王国に身を売るしか方法がなく、そしてそれは端(はな)から見えていたとおり、戦乱の世を生きることに他ならなかった。
 代々の宝剣の主が、封印してきたウィシュミシアの秘術を、世界に放たねばならぬほどの激動の世を。



 それを、悔いてはいない。
 いずれ先の世に、私の名が血塗られて語られたとしても、かまいはしない。私はするべきことをするだけだ。それを恐れたり、まして恥じたりしない。
 彼女がこの手を取り、心も体も未来も私に預け、寄り添ってくれる。

 それを思い知る度に、彼女と共に生きたいと願わずにはいられない。この命の及ぶかぎり、彼女と生きる喜びを分かち合いたいと。
 彼女は光だ。彼女が傍にいてくれるなら、きっと道を迷わずに進んでいけるだろう。そしていつか、彼女が望んだとおり、目も眩むほどの高みを見られるに違いない。



 だから、あの時、思わず口走ってしまった。
『もし、私が先に死んだら、この剣を継いでくれ』
 共に死ぬことではなく、生きることをこそ望まずにはいられなかったから。

 それを怒って泣いた彼女の気持ちが、どれほど嬉しく愛しかったことか。
 共に死ねるなら、それ以上の喜びはきっとない。でも、私たちの生きる道はそこにはないのだ。
 彼女を本当に愛し、愛されるこの命を誇らしく思いたいのなら。この生を貫き通さねばならない。生きかなければならない。
 死が二人を分かちても。死が二人を共に受け入れてくれるまで。



 ソラン。初代の宝剣の主が何を望んだのか、教えてくれと言っていたが、おまえには本当にわからないのだな。
 彼が、いや、私が、死の瞬間に何を望むのか。
 ああ、でも、私もおまえが何を望むのか想像もつかないのだから、おまえばかりを責められないのか。

 ジェナスの言うように、そこに同じ魂があり、私も彼だったのだと言うのなら、そして、どんな願いでも叶えてもらえるというのなら、私には一つしか思いつけない。



 もう一度会いたい、と。



 会えたら、口説いて、もう一度おまえを手に入れる。そして、おまえの一生を再び私に縛りつけたい。
 もちろん、おまえが見惚れて、よそ見できない男になる努力はする。今の私がしているように、きっと来世の私も必死になってやるだろう。

 未だ加護が解けていないところをみると、前世の私は、会えること以上のものを望んだのだろう。
 さて、畏れ多くも神であった彼女を、どのあたりまで手に入れることを望んだのか、それとも、まったく違うことを望んだのか。
 私たちが死ぬまでにわかればいいと願っている。宝剣の主と失われた神の間に交わされた誓いが叶い、不死人にかかった呪いが解ければと。

 死して尚、数千年も解けぬほど、強く願った彼らの願いが。



 ソラン。約束したとおり、目が覚めたら問いの答えを必ず教える。
 この願いは、眠りに落ちる前よりも、夜明けの光の中で伝えるのが、きっと相応しいから。
 おまえと生きられる一日の始まりに。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

愛していました。待っていました。でもさようなら。

彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。 やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

【完結】殿下、自由にさせていただきます。

なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」  その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。  アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。  髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。  見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。  私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。  初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?  恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。  しかし、正騎士団は女人禁制。  故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。  晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。     身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。    そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。  これは、私の初恋が終わり。  僕として新たな人生を歩みだした話。  

殿下、側妃とお幸せに! 正妃をやめたら溺愛されました

まるねこ
恋愛
旧題:お飾り妃になってしまいました 第15回アルファポリス恋愛大賞で奨励賞を頂きました⭐︎読者の皆様お読み頂きありがとうございます! 結婚式1月前に突然告白される。相手は男爵令嬢ですか、婚約破棄ですね。分かりました。えっ?違うの?嫌です。お飾り妃なんてなりたくありません。

悪役令嬢の慟哭

浜柔
ファンタジー
 前世の記憶を取り戻した侯爵令嬢エカテリーナ・ハイデルフトは自分の住む世界が乙女ゲームそっくりの世界であり、自らはそのゲームで悪役の位置づけになっている事に気付くが、時既に遅く、死の運命には逆らえなかった。  だが、死して尚彷徨うエカテリーナの復讐はこれから始まる。 ※ここまでのあらすじは序章の内容に当たります。 ※乙女ゲームのバッドエンド後の話になりますので、ゲーム内容については殆ど作中に出てきません。 「悪役令嬢の追憶」及び「悪役令嬢の徘徊」を若干の手直しをして統合しています。 「追憶」「徘徊」「慟哭」はそれぞれ雰囲気が異なります。

【本編完結】さようなら、そしてどうかお幸せに ~彼女の選んだ決断

Hinaki
ファンタジー
16歳の侯爵令嬢エルネスティーネには結婚目前に控えた婚約者がいる。 23歳の公爵家当主ジークヴァルト。 年上の婚約者には気付けば幼いエルネスティーネよりも年齢も近く、彼女よりも女性らしい色香を纏った女友達が常にジークヴァルトの傍にいた。 ただの女友達だと彼は言う。 だが偶然エルネスティーネは知ってしまった。 彼らが友人ではなく想い合う関係である事を……。 また政略目的で結ばれたエルネスティーネを疎ましく思っていると、ジークヴァルトは恋人へ告げていた。 エルネスティーネとジークヴァルトの婚姻は王命。 覆す事は出来ない。 溝が深まりつつも結婚二日前に侯爵邸へ呼び出されたエルネスティーネ。 そこで彼女は彼の私室……寝室より聞こえてくるのは悍ましい獣にも似た二人の声。 二人がいた場所は二日後には夫婦となるであろうエルネスティーネとジークヴァルトの為の寝室。 これ見よがしに少し開け放たれた扉より垣間見える寝台で絡み合う二人の姿と勝ち誇る彼女の艶笑。 エルネスティーネは限界だった。 一晩悩んだ結果彼女の選んだ道は翌日愛するジークヴァルトへ晴れやかな笑顔で挨拶すると共にバルコニーより身を投げる事。 初めて愛した男を憎らしく思う以上に彼を心から愛していた。 だから愛する男の前で死を選ぶ。 永遠に私を忘れないで、でも愛する貴方には幸せになって欲しい。 矛盾した想いを抱え彼女は今――――。 長い間スランプ状態でしたが自分の中の性と生、人間と神、ずっと前からもやもやしていたものが一応の答えを導き出し、この物語を始める事にしました。 センシティブな所へ触れるかもしれません。 これはあくまで私の考え、思想なのでそこの所はどうかご容赦して下さいませ。

王太子妃の仕事って何ですか?

七辻ゆゆ
ファンタジー
婚約を破棄するが、妾にしてやるから王太子妃としての仕事をしろと言われたのですが、王太子妃の仕事って?

怖いからと婚約破棄されました。後悔してももう遅い!

秋鷺 照
ファンタジー
ローゼは第3王子フレッドの幼馴染で婚約者。しかし、「怖いから」という理由で婚約破棄されてしまう。

処理中です...