暁にもう一度

伊簑木サイ

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第九章 束の間の休息(海賊の末裔の地キエラにおいて)

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 跳ね橋を渡ると城の前は原っぱになっていて、その真ん中を一本道が通っている。見通しを確保するために木の切り払われた吹きさらしのそこに、戦時は兵を集めるのだという。
 収穫祭や春祭りにも、領内から私兵が集まり、色とりどりのテントを張って、とても賑やかになるのだそうだ。しかし、今の季節、しかも日の傾いた今頃は、荒涼として寒々しい。実際半刻も立っていれば、海風に体の芯から冷え切ってしまうだろう。

 模擬戦から帰ってくると、その一本道に女性が立っていた。燃える炎のような色の髪を高く結い上げ、珍しいことに男装している。おかげで、豊かな胸と引き締まったウエストと熟れた果物を思わせる腰の線が、よけいに露わになっていた。
 近付いていくと、顔の造作もよく見えるようになった。少したれ気味の目元に、ぽってりとした唇がなんとも婀娜っぽい美女。

 ソランは目が釘付けになってしまった。祖母も妖艶な人だったが、それに引けを取らない。なにより、男装しているのに明らかに女性に見えるのである。女装をしてみせても男だと思われていたソランとは大違いである。これが羨望せずにいられようか。

 ソランは初めて、気が引ける、という気持ちを体験した。この見事な肢体を持つ女性と見比べられたくないと思わずにはいられなかった。今まで自分の体型に期待したことはなかったが、恥じたこともなかった。家族やご先祖とどこかが少しずつ似ている、ソランの必要としているものを全部兼ね備えてくれている大切な体だ。領主としての任に堪えられる頑丈さ、それで満足だったはずなのに。

 その美女が、その場に膝をつき、頭を下げた。道をあける気はないようだ。自然と隊列が止まる。ディーが一人馬を進め、彼女の前で馬を降りた。言葉を交わし、助け起こして彼女を連れて戻ってくる。

「よく来てくれたな、ジェナス」

 殿下の呼んだ名に、ソランは目を見開いた。

「招請に従いまかり越してございます、宝剣の主殿」

 慇懃だが、愛想のない挨拶。二人の間には、むしろ冷たい空気さえ漂っていた。

 彼女はいっそ無視するかのごとく殿下から視線をそらし、何かを探すように視線を彷徨わせた。ソランと目が合うと、なぜか途端に、蕩けるような微笑を面にのぼらせる。ふらふらっとやってきて、馬の傍らに両膝をつき、両手を伸ばしてきた。そして、ソランの汚れきった長靴に触れる。

 ぎょっとするが、見上げてきた彼女の色っぽすぎる目に、なぜか心臓が跳ね、背を震えが駆け抜けていく。その、体が一瞬制御できなくなった瞬間を捉えて、彼女はソランのちように口付けた。

「おやめください!」
 ソランは器用に馬を数歩下げさせた。それから飛び降りる。その名の通りの人ならば、ソランの方こそ礼を尽くさねばならぬ相手である。
 イアルがやってきて並び、ソランの前に出た。油断なくジェナスと呼ばれた人に視線を据える。

「ご不快でしたか? 大変失礼いたしました」

 ジェナスは深く頭を下げた。

「そうではありません。私は、只今ジェナシス領の領主を務めさせていただいております。ソランと申します。もしやあなたは」

 それ以上のことを言ってよいのか迷い、言葉が途切れる。しかし、理解してくれたのだろう、彼女は一度顔を上げると、頷くようにして頭を下げた。視線が合った瞬間に、またも背筋がざわりとする。腹の底がすかすかとする寄る辺なさを感じる。

「それはいにしえの死者にすぎません。ご覧のとおり、私は黒髪ですらなく、今は縁も所縁もない者にございます。ですが、その名に今も意味があると仰ってくださるのなら、それに免じて、この魂が再びあなた様にお仕えすることを、お許しいただきたく存じます」

 視線と同じに熱をはらんだ声だった。ソランは既視感に息を呑んだ。拒絶感で心がいっぱいになる。違う、という言葉が強烈に思い浮かぶ。

「私は」

 なんと言えばよいのかわからなかった。彼女の申し出を、とても受け入れられなかった。

「ジェナス、控えよ」

 殿下が割って入った。馬をソランの前へ進め、手を差し伸べてくる。何事かと見上げると、手を寄越せと上を向けた掌を振られた。

「ソラン」

 強く呼ばれる。躊躇いながらそこに手を重ねたら、来い、と短く命じられ、ぐいっと引っ張り上げられた。ソランはとっさに地を蹴り、鞍に空いている手を掛け、馬に上った。
 殿下は自分の前にソランを座らせ、ジェナス側の手で彼女の頭を抱え込んだ。少々手荒に引き寄せ、その視界をさえぎる。

「我等は見てのとおりの有様だ。まずはこれを休ませてやらねばならん。空いた馬をあなたに貸そう。共に城に来られるがよい」

 ソランは頭を押さえ込まれ、振り返ることもできなかった。硬い鎧に頭を付けて、じっとしているしかない。
 仮にも一国のあるじからの問い掛けである。答えねばならないことは重々承知していた。今の態度が不躾だということもわかっている。
 それでも、殿下がするままに従い、それに甘えて、ソランは彼女を振り返ろうとしなかった。ぎゅっと目を瞑る。体を支えてくれる殿下にもたれかかる。
 ひしひしと感じる彼女の視線から、逃げたくて逃げたくてたまらなかった。
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