暁にもう一度

伊簑木サイ

文字の大きさ
上 下
130 / 272
第九章 束の間の休息(海賊の末裔の地キエラにおいて)

2-5

しおりを挟む
 下りきると、そこは砂地になっていた。右手は城のある崖で、左手に向かって三十メートルくらい砂浜が続く。

 靴を脱げと言われて、ちようと靴下を脱いだ。階段の横にまとめて置く。本当はドレスには華奢な靴を履くものなのだが、それだと何かあった時に踏みしめられない。だから、帯剣するからには、どうしても必要だったのだ。おかげで先程の階段も難なく下りられた。でなければ少々怖かっただろう。

 手を取られ、海へと近付く。足の下で濡れた砂が鳴った。独特の感触とともに、キュ、キュ、キュと。ソランは思わず殿下に目で問うた。殿下は笑んだだけで、さらに波打ち際へと行こうとする。
 ソランは片手で裾を持ち上げた。教えてもらった飾りを引っ張るには両手が必要で、今は繋いだ手を離したくなかったのだ。

 波が足先に触れた。冷たい。身をすくめる。それでももう少し先へ出て、屈んでたくし上げたスカートを肘で抑えつつ、指先で波の先端に触れてみた。それを口へ持ってゆき、ぺろりと舐める。

「辛い! 塩辛いです!」

 あまりの味に、顔を顰めて舌先を出した。殿下が声をあげて笑った。

「船が難破して漂流しても、海の水だけは飲んではいけないそうだ。塩のせいで、よけいに喉がかわくらしい」

 確かにこれだけ塩辛ければ、そうもなるだろう。
 そんな短い会話をしている間にも、何度も波が訪れて、足の下の砂を攫っていった。足指の間を砂が逃げていく感触がくすぐったく、また、じわじわと砂の間に沈んでいくのが、小さな恐怖心を誘う。風に混じる潮の匂いは、ほんの少しだけ血臭に似ている。寄せては返す波は、だんだんと陸へと上がってきているようだった。

 遠く見晴るかせば、水平線の彼方から波が幾重にも連なって向かってくるのが見えた。晴れ上がった突き抜けるような空の青と、深く折り重なっていく青が交わり、見渡すかぎり開けた視界が得られる。それは美しく、がらんどうな光景だった。
 自分がとてもちっぽけに思えた。足元の砂粒と同じだと。

 この世界は球なのだという。主神セルレネレスの掌の中に、すっぽりと納まってしまう宝玉。その外は神々のおわす天界であり、球の中心に冥界がある。
 珍しい宝石の中に創られた世界。それがここ。セルレネレスは幾らでも同じものを創り出せるのだという。神々は退屈しのぎに趣向を凝らし、世界に彩を加えた。神々にとっては、長すぎる永遠をまぎらわす、ただそれだけのもの。

 それでも、ソランにとって、ここはかけがえのない場所だ。
 隣の殿下に顔を向ける。応えるように、彼もソランへと向いた。目を見交わし、微笑みを交わす。なんと心躍る幸せな一瞬だろう。
 ――私は、ここで、この人と生きたい。
 強く、強く、願う。

 どんなにちっぽけだろうと、そんなのはかまわない。この空のようにがらんどうな神々の世界に、なんの意味がある? ここに、これほど輝き、心を捕らえて離さない存在が在るというのに。

 ソランは、初めて自分から歩み寄り、殿下の胸元に寄り添った。いつもいつも、引寄せられてばかりいた、そこに。
 優しく強く抱きしめてくれる。その心地よさに、ソランはうっとりと溜息を零した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

愛していました。待っていました。でもさようなら。

彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。 やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

【完結】殿下、自由にさせていただきます。

なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」  その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。  アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。  髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。  見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。  私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。  初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?  恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。  しかし、正騎士団は女人禁制。  故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。  晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。     身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。    そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。  これは、私の初恋が終わり。  僕として新たな人生を歩みだした話。  

【完結】番を監禁して早5年、愚かな獣王はようやく運命を知る

恋愛
獣人国の王バレインは明日の婚儀に胸踊らせていた。相手は長年愛し合った美しい獣人の恋人、信頼する家臣たちに祝われながらある女の存在を思い出す。 父が他国より勝手に連れてきた自称"番(つがい)"である少女。 5年間、古びた離れに監禁していた彼女に最後の別れでも伝えようと出向くと、そこには誰よりも美しく成長した番が待ち構えていた。 基本ざまぁ対象目線。ほんのり恋愛。

愛されなかった公爵令嬢のやり直し

ましゅぺちーの
恋愛
オルレリアン王国の公爵令嬢セシリアは、誰からも愛されていなかった。 母は幼い頃に亡くなり、父である公爵には無視され、王宮の使用人達には憐れみの眼差しを向けられる。 婚約者であった王太子と結婚するが夫となった王太子には冷遇されていた。 そんなある日、セシリアは王太子が寵愛する愛妾を害したと疑われてしまう。 どうせ処刑されるならと、セシリアは王宮のバルコニーから身を投げる。 死ぬ寸前のセシリアは思う。 「一度でいいから誰かに愛されたかった。」と。 目が覚めた時、セシリアは12歳の頃に時間が巻き戻っていた。 セシリアは決意する。 「自分の幸せは自分でつかみ取る!」 幸せになるために奔走するセシリア。 だがそれと同時に父である公爵の、婚約者である王太子の、王太子の愛妾であった男爵令嬢の、驚くべき真実が次々と明らかになっていく。 小説家になろう様にも投稿しています。 タイトル変更しました!大幅改稿のため、一部非公開にしております。

彼女はいなかった。

豆狸
恋愛
「……興奮した辺境伯令嬢が勝手に落ちたのだ。あの場所に彼女はいなかった」

殿下、側妃とお幸せに! 正妃をやめたら溺愛されました

まるねこ
恋愛
旧題:お飾り妃になってしまいました 第15回アルファポリス恋愛大賞で奨励賞を頂きました⭐︎読者の皆様お読み頂きありがとうございます! 結婚式1月前に突然告白される。相手は男爵令嬢ですか、婚約破棄ですね。分かりました。えっ?違うの?嫌です。お飾り妃なんてなりたくありません。

【完結】公爵家の末っ子娘は嘲笑う

たくみ
ファンタジー
 圧倒的な力を持つ公爵家に生まれたアリスには優秀を通り越して天才といわれる6人の兄と姉、ちやほやされる同い年の腹違いの姉がいた。  アリスは彼らと比べられ、蔑まれていた。しかし、彼女は公爵家にふさわしい美貌、頭脳、魔力を持っていた。  ではなぜ周囲は彼女を蔑むのか?                        それは彼女がそう振る舞っていたからに他ならない。そう…彼女は見る目のない人たちを陰で嘲笑うのが趣味だった。  自国の皇太子に婚約破棄され、隣国の王子に嫁ぐことになったアリス。王妃の息子たちは彼女を拒否した為、側室の息子に嫁ぐことになった。  このあつかいに笑みがこぼれるアリス。彼女の行動、趣味は国が変わろうと何も変わらない。  それにしても……なぜ人は見せかけの行動でこうも勘違いできるのだろう。 ※小説家になろうさんで投稿始めました

処理中です...