暁にもう一度

伊簑木サイ

文字の大きさ
上 下
107 / 272
第八章 思い交わす時

3-2

しおりを挟む
 そんなわけで、三人がやってくる頃には、ソランは殿下から一番遠い椅子に腰掛けていた。つん、と横を向き、目を合わせない。対する殿下は、かまわず楽しそうにソランを観察していて、ソランは、マリーがイアルを邪険に扱う気持ちが、ものすごくよくわかったのだった。そうしていないと、とてもではないが、心臓がもたないのだ。

 ただし、祖父や両親が来た時には、殿下の後ろに控えて、なんでもない顔をして優雅に礼をしてみせた。自分でも言葉にできない、ありとあらゆるものを悟られたくない一心だ。

 殿下は三人に腰掛けるように勧め、自らは彼らの反対側にソランと並んで座った。お茶を用意させようとしたが、三人が断ったので、すぐに人払いをした。

 祖父と母は優しい笑みを浮かべていた。それだけで承知しているのがわかり、ソランは心なし俯いた。父だけは、珍しくむっつりと不機嫌にしているのが気になったが、いたたまれなくて、もう、彼らの方(ほう)を見ることができなかった。

「私の気持ちは、あなたたちには伝えてあったが、昨日ようやく、ソランがそれを受け入れてくれた。まずは、あなたたちに礼を言いたい。彼女を生み育て、引き合わせてくれた。感謝申し上げる」

 ソランは目を瞠り、殿下の下げられた頭を見た。心を打たれる。
 なにを頑なになっていたのだろうと思った。この人を思い、思われるのは誇らしいことではないのか。
 ゆっくりと起こされた顔には、穏やかな笑みがあった。父が苦々しげに言う。

「親として当たり前のこと。礼を言われる筋合いはありません」
「ああ。そうも思ったのだが、言わずにはいられなかった。気分を害したのなら、すまない」
「いいえ、そう仰ってくださって、どのくらいソランを大事に思ってくださっているか、わかりました。ありがとうございます」

 母は父の膝をやんわりと叩いて言った。

「改めて、あなたたちにお願いしたい。どうか、ソランとの婚姻を認めてほしい」
「ソランはどう思っているんだね?」

 祖父が初めて口を開き、尋ねた。

「殿下と同じ気持ちです」

 三人を見まわし、はっきりと伝える。

「ならば、以前申し上げたとおり、私に異存はありません」
「私も」

 母もにっこりと頷く。

「まだ十六だ。早すぎる」
 父が横柄に理由にもならない理由を上げた。
「でも、そんなことを言っていると、外聞の悪いことになりかねないぞ」

 そう言った母を、父が怪訝な顔で見る。

「あなたが認めないでいるうちに、孫の顔を先に見ることになるかもしれない」
「なっ、まさか、どうしてそんなことを!」
「だって、マリーがいなかった。今日出仕したはずのイアルも。あの子たちが理由もなくソランの傍を離れると思うか?」

 みるみるうちに理解の色を示し、怒りを頬にのぼらせる。 

「なんだと!? 私はそんなことを許した覚えはありませんぞ、殿下!!」

 殿下は黙って肩をすくめた。それに、さらに怒りをつのらせた様子の父に、母が呆れたように言った。

「あなただって、私の両親に、そんなこと許しを得たりしなかっただろう」
「私は、あなたに押し倒されたんだ」
「へえ、そう、ふうん、そうだったんだ」

 ひどく冷たい母の声に、父がはっと我に返った。

「いや、今のは言葉のアヤだ。私は君に一目惚れだった」
「そんなふうには見えなかったけれど」
「それはそうだろう。一目惚れした女性にいきなり迫られたら、夢なのか、かつがれているのか、どちらかだと思うものだろう」
「そう? なのに手を出したわけだ」

 軽蔑の目で見る。

「リリア! 私の気持ちを疑わないでくれ」

 父は母の両手を握り締めた。

「疑うに決まってる。あんまりわからず屋なことしか言わないんだから。そういう気持ちを知らないとしか思えない」
「まさか。痛いほどよくわかる。わかるからこそ、腹が立つんだ!」

 急に殿下に向き直って、睨みつけた。ソランは思わず口を挿んだ。

「殿下はそんなことなさいません」

 ぎょっとした空気が流れる。なにかまずいことを言ったのだろうかと思いながら、引っ込みがつかず、言葉を続ける。

「戦の前だから、と」

 殿下が沈痛な面持ちで額に手をあてた。祖父が、ぶふっと噴き出し、横を向いて肩を震わせる。父はとたんに喜色満面となり、さすがは殿下、と、いきなり褒めた。

「よくわきまえていらっしゃる。素晴らしい心がけです」
「でも、マリーは?」

 母が不思議そうに尋ねる。

「朝までいらっしゃったのを勘違いして」
「おや、朝まで一緒にいたの?」

 祖父が激しく肩と腹を揺らし、ごまかすようにげほごほと咳き込んだ。
 答えようとしたソランの顔の前に、すっと手をかざし、殿下は陰鬱に懇願した。

「頼む。それ以上何も言ってくれるな」

 それがとどめだったようだ。ソランにはわからない理由で、祖父は涙を流してゲラゲラと笑いだしたのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

転生先は盲目幼女でした ~前世の記憶と魔法を頼りに生き延びます~

丹辺るん
ファンタジー
前世の記憶を持つ私、フィリス。思い出したのは五歳の誕生日の前日。 一応貴族……伯爵家の三女らしい……私は、なんと生まれつき目が見えなかった。 それでも、優しいお姉さんとメイドのおかげで、寂しくはなかった。 ところが、まともに話したこともなく、私を気に掛けることもない父親と兄からは、なぜか厄介者扱い。 ある日、不幸な事故に見せかけて、私は魔物の跋扈する場所で見捨てられてしまう。 もうダメだと思ったとき、私の前に現れたのは…… これは捨てられた盲目の私が、魔法と前世の記憶を頼りに生きる物語。

【完結】殿下、自由にさせていただきます。

なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」  その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。  アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。  髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。  見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。  私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。  初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?  恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。  しかし、正騎士団は女人禁制。  故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。  晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。     身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。    そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。  これは、私の初恋が終わり。  僕として新たな人生を歩みだした話。  

《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。

友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」 貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。 「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」 耳を疑いそう聞き返すも、 「君も、その方が良いのだろう?」 苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。 全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。 絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。 だったのですが。

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

ボロ雑巾な伯爵夫人、やっと『家族』を手に入れました。~旦那様から棄てられて、ギブ&テイクでハートフルな共同生活を始めます2~

野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ファンタジー
 第二夫人に最愛の旦那様も息子も奪われ、挙句の果てに家から追い出された伯爵夫人・フィーリアは、なけなしの餞別だけを持って大雨の中を歩き続けていたところ、とある男の子たちに出会う。  言葉汚く直情的で、だけど決してフィーリアを無視したりはしない、ディーダ。  喋り方こそ柔らかいが、その実どこか冷めた毒舌家である、ノイン。    12、3歳ほどに見える彼らとひょんな事から共同生活を始めた彼女は、人々の優しさに触れて少しずつ自身の居場所を確立していく。 ==== ●本作は「ボロ雑巾な伯爵夫人、旦那様から棄てられて、ギブ&テイクでハートフルな共同生活を始めます。」からの続き作品です。  前作では、二人との出会い~同居を描いています。  順番に読んでくださる方は、目次下にリンクを張っておりますので、そちらからお入りください。  ※アプリで閲覧くださっている方は、タイトルで検索いただけますと表示されます。

【完結】貧乏令嬢の野草による領地改革

うみの渚
ファンタジー
八歳の時に木から落ちて頭を打った衝撃で、前世の記憶が蘇った主人公。 優しい家族に恵まれたが、家はとても貧乏だった。 家族のためにと、前世の記憶を頼りに寂れた領地を皆に支えられて徐々に発展させていく。 主人公は、魔法・知識チートは持っていません。 加筆修正しました。 お手に取って頂けたら嬉しいです。

飯屋の娘は魔法を使いたくない?

秋野 木星
ファンタジー
3歳の時に川で溺れた時に前世の記憶人格がよみがえったセリカ。 魔法が使えることをひた隠しにしてきたが、ある日馬車に轢かれそうになった男の子を助けるために思わず魔法を使ってしまう。 それを見ていた貴族の青年が…。 異世界転生の話です。 のんびりとしたセリカの日常を追っていきます。 ※ 表紙は星影さんの作品です。 ※ 「小説家になろう」から改稿転記しています。

処理中です...