暁にもう一度

伊簑木サイ

文字の大きさ
上 下
74 / 272
第七章 不死人(ふしびと)

1-3

しおりを挟む
 一行が修練場近くの回廊を通りかかった時だった。

「ファレノ殿でいらっしゃいますか?」

 備品倉庫から続く回廊を、大声で呼ばいながら駆けてくる男がいた。赤い制服を着ている。

「行きましょう」

 ディーが促すが、

「もう目が合ってしまいました」

 ソランは彼に見覚えがあった。王女の護衛隊長であるカルシアン・ペイヴァーだ。

「仕方ないですね。では下がっていてください。俺が話をつけます」

 一行は立ち止まり、ディーが前へ出て、彼を出迎えた。

「もうけりがついたんですか? でしたらどうぞ直接、アティス殿下へご報告ください」
「いいえ、まだです。そちらのファレノ殿にお話があります」

 ペイヴァーはソランに会釈をした。
「殿下の庇護しておられる女性に、許しもなく話しかけるなど、お控え願いたいものですね」
「失礼は承知の上です。どのようなご不興も甘んじて受けます。どうかお願い申し上げます。ソラン・ファレノ殿の体調はいかがなのですか。お教えください。そして、もしものことがあるのならば、どうか、ミルフェ殿下の面会を叶えていただきたいのです」

 ディーを飛び越し、ソランに視線を合わせて言う。

「それは、そちらの誠意を見せてもらわないことには、とても受け入れられないと申し上げたはずですが」

 ディーはさえぎる位置に歩を移した。

「承知しています。でもそれでは、とてもミルフェ殿下がもちません。殿下はあれ以来ふさぎこまれ、ほとんど何も口にできないのです」
「お甘いことだ。ご自分の配下も掌握できない、その後始末もする気がない。その様な御仁と瀕死の重傷を負った者を会わせ、何をさせようというのですか。泣いて許しを請うのを、慰めてさしあげろと? 冗談じゃありませんな。持ち直すものも持ち直しません」

 ペイヴァーが怒りに顔を紅潮させた。ソランは思わず、ディーの肩に手を掛けた。

「あなたはお気になさらなくてよいのですよ。ただでさえ心痛甚だしいのに、こんなことで煩わせたと知れたら、殿下は激怒なさいますからね」

 ディーは振り返り、肩に乗った手を取って、なだめるように軽く叩いた。それでもソランが引かないと知ると、困った様子で、

「どうするおつもりですか?」
「私の知っていることは少ないですが、これでは彼も引くに引けないでしょう」

 ソランは握られた手を軽く振り払って引き戻し、数歩前に出てディーに並ぶ。

「ミルフェ殿下の?」
「カルシアン・ペイヴァーと申します。護衛隊長を務めております。失礼をお許しください」

 彼は改めて深く頭を下げた。

「イリス・ファレノでございます。私は殿下のご厚意により、束の間お仕えすることを許されているだけの者にございます。お気遣いは無用にございます」

 彼は驚いた表情をした。なぜ驚かれるのかわからなかったが、尻尾が出てはまずいので、とにかく早く切り上げることにする。

「ミルフェ殿下にお伝えくださいませ。愚弟は丈夫だけが取り柄でございます。しばしお待ちくだされば、必ずや、ご心配おかけしたことを謝りに行かせますので、どうかお心安くいらっしゃってくださいと。そしてその時に、お元気なお姿を見せてやってくださいませと」
「ソラン殿は回復に向かっているのですね」
「そう信じております」

 ソランも、我ながら微妙な言い回しだと思ったが、先ほど耳にした『けり』とやらがつかない限り、『ソラン』を回復させるわけにいかないのは、推測できた。
 己の知らないところで、ずいぶんと話が進んでいるらしいのを知り、後で殿下とディーに確認しようと心に決める。
 ペイヴァーは真偽を確かめるように、ソランを観察していた。そして、ふと剣に目を留める。

「それはソラン殿の剣ですか?」
「はい。愚弟に、これで自分の代わりに殿下を守ってほしいと頼まれました」
「あなたもソラン殿ほどの使い手なのですか?」
「まさか。とてもお役に立てるとは思いません。ですが、いざまさかの時は、己の身は己で守り、皆様のお手を少しでも煩わせずにすめばと思っております」
「お手を拝借できますか?」

 どきりとする。手を見れば、大抵のことはわかってしまうものだ。手袋はしているが、それさえも怪しさを増しているかもしれない。女性の小物としてはポピュラーだが、日常的にしている人は少ない。
 ソランは躊躇いがちに差し出した。彼は恭しく手にすると、手袋の上から甲に口付けを落とす。

「このような可愛らしい手で、剣までとられるとは。得がたい方だ。尊崇いたします」

 ソランは失礼にならない程度に、急いで手を引っ込めた。可愛らしいなどと初めて言われて、柄にもなくどぎまぎする。

「いいえ。お恥ずかしいことに傷だらけで、とてもお見せできないのです」
「それで手袋をなさっているのですね。その価値のわからぬ者など、放っておかれればよい。あなたはもっとご自分を誇ってよろしいですよ」

 ソランは曖昧に笑ってごまかした。彼もそれに応えて笑った。いつも気難しい顔ばかりしている男だったが、それは実に魅力的な笑顔だった。

「それ以上はご遠慮願いましょうか」

 ディーが半身を割りこませる。ペイヴァーは彼には目を向けず、ソランに向かって頭を下げた。

「お話を伺えて、心の重荷が下りました。ありがとうございました」
「いいえ」
「お言葉、確かに承りました。それでは失礼致します」

 彼は来た時とは違って、落ち着いた態度で帰っていった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

異世界着ぐるみ転生

こまちゃも
ファンタジー
旧題:着ぐるみ転生 どこにでもいる、普通のOLだった。 会社と部屋を往復する毎日。趣味と言えば、十年以上続けているRPGオンラインゲーム。 ある日気が付くと、森の中だった。 誘拐?ちょっと待て、何この全身モフモフ! 自分の姿が、ゲームで使っていたアバター・・・二足歩行の巨大猫になっていた。 幸い、ゲームで培ったスキルや能力はそのまま。使っていたアイテムバッグも中身入り! 冒険者?そんな怖い事はしません! 目指せ、自給自足! *小説家になろう様でも掲載中です

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

男装の皇族姫

shishamo346
ファンタジー
辺境の食糧庫と呼ばれる領地の領主の息子として誕生したアーサーは、実の父、平民の義母、腹違いの義兄と義妹に嫌われていた。 領地では、妖精憑きを嫌う文化があるため、妖精憑きに愛されるアーサーは、領地民からも嫌われていた。 しかし、領地の借金返済のために、アーサーの母は持参金をもって嫁ぎ、アーサーを次期領主とすることを母の生家である男爵家と契約で約束させられていた。 だが、誕生したアーサーは女の子であった。帝国では、跡継ぎは男のみ。そのため、アーサーは男として育てられた。 そして、十年に一度、王都で行われる舞踏会で、アーサーの復讐劇が始まることとなる。 なろうで妖精憑きシリーズの一つとして書いていたものをこちらで投稿しました。

転生先は盲目幼女でした ~前世の記憶と魔法を頼りに生き延びます~

丹辺るん
ファンタジー
前世の記憶を持つ私、フィリス。思い出したのは五歳の誕生日の前日。 一応貴族……伯爵家の三女らしい……私は、なんと生まれつき目が見えなかった。 それでも、優しいお姉さんとメイドのおかげで、寂しくはなかった。 ところが、まともに話したこともなく、私を気に掛けることもない父親と兄からは、なぜか厄介者扱い。 ある日、不幸な事故に見せかけて、私は魔物の跋扈する場所で見捨てられてしまう。 もうダメだと思ったとき、私の前に現れたのは…… これは捨てられた盲目の私が、魔法と前世の記憶を頼りに生きる物語。

[完結] 邪魔をするなら潰すわよ?

シマ
ファンタジー
私はギルドが運営する治療院で働く治療師の一人、名前はルーシー。 クエストで大怪我したハンター達の治療に毎日、忙しい。そんなある日、騎士の格好をした一人の男が運び込まれた。 貴族のお偉いさんを魔物から護った騎士団の団長さんらしいけど、その場に置いていかれたの?でも、この傷は魔物にヤられたモノじゃないわよ? 魔法のある世界で亡くなった両親の代わりに兄妹を育てるルーシー。彼女は兄妹と静かに暮らしたいけど何やら回りが放ってくれない。 ルーシーが気になる団長さんに振り回されたり振り回したり。 私の生活を邪魔をするなら潰すわよ? 1月5日 誤字脱字修正 54話 ★━戦闘シーンや猟奇的発言あり 流血シーンあり。 魔法・魔物あり。 ざぁま薄め。 恋愛要素あり。

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

辺境領主は大貴族に成り上がる! チート知識でのびのび領地経営します

潮ノ海月@書籍発売中
ファンタジー
旧題:転生貴族の領地経営~チート知識を活用して、辺境領主は成り上がる! トールデント帝国と国境を接していたフレンハイム子爵領の領主バルトハイドは、突如、侵攻を開始した帝国軍から領地を守るためにルッセン砦で迎撃に向かうが、守り切れず戦死してしまう。 領主バルトハイドが戦争で死亡した事で、唯一の後継者であったアクスが跡目を継ぐことになってしまう。 アクスの前世は日本人であり、争いごとが極端に苦手であったが、領民を守るために立ち上がることを決意する。 だが、兵士の証言からしてラッセル砦を陥落させた帝国軍の数は10倍以上であることが明らかになってしまう 完全に手詰まりの中で、アクスは日本人として暮らしてきた知識を活用し、さらには領都から避難してきた獣人や亜人を仲間に引き入れ秘策を練る。 果たしてアクスは帝国軍に勝利できるのか!? これは転生貴族アクスが領地経営に奮闘し、大貴族へ成りあがる物語。

処理中です...