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【7】魔法を使ってみたかったのです。
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馬車に家族が乗り込んでいく。初めに兄、次に母、最後に父と抱擁を交わす。
「道中、くれぐれも気をつけてくださいね」
「セリナ、おまえも体に気をつけるのだよ。シュリオス様のことだ、滅多なことはないと思うが、もしもだ、もしも我慢ならないとなったら、ヴィルへミナ殿下を頼りなさい。公爵家に対抗できるのは王家だけだからね。王家は我が聖女の家系を無碍にはしない。殿下から陛下に話を通してもらうのだ。いいかい? わかったかい?」
父に小声で懇々と諭されて、縁起でもないことを言わないでちょうだいとか、殿下とシュリオス様の力関係は、シュリオス様の方が上なんだけどとか思いながら、一応頷く。
「わかりました」
父も馬車に乗り込み、扉が閉められた。馬車が動きだす。父も母も兄も、窓から見えるかぎり手を振ってくれていた。
その馬車も遠ざかって見えなくなる。滲んでくる涙を、ハンカチで押さえた。でもなかなか止まらなくて、しばらくそのまま佇む。
背後から足音が近付いてきて、ふわりと背中から抱きしめられた。シュリオス様だ。家族の別れを邪魔しないようにと、少し離れて待っていてくれたのだ。
「セリナ」
抱きしめてくれる腕に手を重ね、甘えて彼に寄りかかった。それでも止まらない涙を追って、彼が頬にキスをくれる。
このタウンハウスを離れたら、二度とレンフィールド家に「ただいま」と戻ることはなくなる。
彼が「行きましょう」とは言わないで、ただただ抱きしめて慰めてくれる優しさに、もっと涙が止まらなくなった。
……う、うわーん、鼻水も止まらなくなってきた、苦しー! それに、目も腫れぼったくなってきた気がする。これは絶対、兄なら「ブサイクだな」と笑うのだわ!
同居一日目にして、いきなり不細工なお顔を見られたくない! これから公爵ご夫妻にご挨拶もしなければならないし!
感傷が引っ込み、そわそわしてくる。おかげで涙も引っ込んだ。
このままではいけない。こんな晴れた空の下では、泣きはらしたお顔がはっきりと見えてしまう。せめて少しは薄暗い馬車の中に早く行かなければ。
「……ありがとうございます。落ち着いてきました。もう行きましょう」
ハンカチで目から下をしっかりと覆い隠し、もごもごと告げる。
シュリオス様は肩を抱いてエスコートしてくれた。
そうして、馬車の中でも肩を抱かれてぐすぐす鼻を押さえているうちに、公爵邸に着いたのだった。
いつも降りていた馬車寄せを通り過ぎ、中庭に入っていく。……うん、中庭、よね?途方もなく広いけれど、建物と建物の間にあるのだから、たぶん中庭。お屋敷と言うよりお城だしね、中庭のスケールだって、大きくなるというもの。
馬車が停まった。シュリオス様に手を取られて降りる。
かわいらしいお屋敷だった。いえ、大きさではなく、外観が。赤い壁に植物をかたどった白い窓枠が並んでいる。……ずーっと向こうまで。果てがわからないくらい続いている。いったい何部屋あるのかしら?
「こちらが私の屋敷です。初代が妻のために建てたもので、古いのですが、中は代々手を入れてきましたので、不便はないと思います。
あなたと選びたいと思って、壁紙やカーテンは変えてありません。家具や改装も結婚式までに、相談して一つ一つ決めましょう」
おお! よく聞く「理想の婚約者」の台詞だわ! 家を好きに設えていいというのは、それだけの財力がある上に、家の伝統より妻の意見を尊重してくれる心の広い男、ということらしい。
でもそれは、自分のセンスに自信のある方にとっての理想で、私のように良いか悪いかくらいはわかっても、ではどうすれば良くなるかがわからない者には、なかなかハードルが高い問題なのよね……。
「公子、お帰りなさいませ。お嬢様もお待ちしておりました」
あら、この方、従者として王宮の控え室にいた人ではないかしら? スカートの襞の間から落ちた靴を、拾って揃えて置いてくれた人。
「執事のヴェステニアです。祖父方の又従兄弟です」
高貴な方のお世話には、高貴な方が侍るというあれ!? 下手すると、私より身分や血筋が上かもしれないのね?
「まあ、お身内の方なのですね。……あの、失礼ですが、王宮の控え室にいらした方ですか?」
「さようでございます。ヴェステニア・ホーソンにございます」
「その節はお世話になりました。これからどうぞよろしくお願いします」
「もったいないお言葉です。誠心誠意お仕えさせていただきます」
彼が扉を開けてくれる。
玄関ホールをぐるりと見まわして、感嘆の声をあげてしまった。
「素敵ですね!」
なんだろう、全体的にかわいらしい。外観も中も、とにかく乙女心をくすぐるものがある。それでいて洗練されていて、どこもかしこも優雅。見ているだけで、はわ~、てなってくるわ……。
「こんなに素敵なのに、変えてしまうなんてもったいないです。それに、歴史のあるものなのでしょう? シュリオス様のご先祖様が大切にされてきたものではないのですか? でしたら、私も大切にしていきたいです」
絶対、私よりセンスいいし! それに、この中でシュリオス様が育ったのなら、それはシュリオス様の一部みたいなもの。それだけで大切にしたい~~!
シュリオス様が足を止め。私の手をすくいあげた。指の背にキスを落とす。
「セリナ。様は付けないでとお願いしましたよ?」
ボッと顔が赤くなるのがわかる。うあ、失敗した! 意識して呼ばないようにしていたのに! ついうっかり、お名前を呼んでしまった!
妻になるのだから、あなたも様を付けて呼ぶ必要はないのですよ、と言われても、シュリオス様はシュリオス様なんだもの、難しいー! そもそも、この方を呼び捨てにできる何かなんて、私にはないのよ。同列に並ぶなんておこがましい……。
「道中、くれぐれも気をつけてくださいね」
「セリナ、おまえも体に気をつけるのだよ。シュリオス様のことだ、滅多なことはないと思うが、もしもだ、もしも我慢ならないとなったら、ヴィルへミナ殿下を頼りなさい。公爵家に対抗できるのは王家だけだからね。王家は我が聖女の家系を無碍にはしない。殿下から陛下に話を通してもらうのだ。いいかい? わかったかい?」
父に小声で懇々と諭されて、縁起でもないことを言わないでちょうだいとか、殿下とシュリオス様の力関係は、シュリオス様の方が上なんだけどとか思いながら、一応頷く。
「わかりました」
父も馬車に乗り込み、扉が閉められた。馬車が動きだす。父も母も兄も、窓から見えるかぎり手を振ってくれていた。
その馬車も遠ざかって見えなくなる。滲んでくる涙を、ハンカチで押さえた。でもなかなか止まらなくて、しばらくそのまま佇む。
背後から足音が近付いてきて、ふわりと背中から抱きしめられた。シュリオス様だ。家族の別れを邪魔しないようにと、少し離れて待っていてくれたのだ。
「セリナ」
抱きしめてくれる腕に手を重ね、甘えて彼に寄りかかった。それでも止まらない涙を追って、彼が頬にキスをくれる。
このタウンハウスを離れたら、二度とレンフィールド家に「ただいま」と戻ることはなくなる。
彼が「行きましょう」とは言わないで、ただただ抱きしめて慰めてくれる優しさに、もっと涙が止まらなくなった。
……う、うわーん、鼻水も止まらなくなってきた、苦しー! それに、目も腫れぼったくなってきた気がする。これは絶対、兄なら「ブサイクだな」と笑うのだわ!
同居一日目にして、いきなり不細工なお顔を見られたくない! これから公爵ご夫妻にご挨拶もしなければならないし!
感傷が引っ込み、そわそわしてくる。おかげで涙も引っ込んだ。
このままではいけない。こんな晴れた空の下では、泣きはらしたお顔がはっきりと見えてしまう。せめて少しは薄暗い馬車の中に早く行かなければ。
「……ありがとうございます。落ち着いてきました。もう行きましょう」
ハンカチで目から下をしっかりと覆い隠し、もごもごと告げる。
シュリオス様は肩を抱いてエスコートしてくれた。
そうして、馬車の中でも肩を抱かれてぐすぐす鼻を押さえているうちに、公爵邸に着いたのだった。
いつも降りていた馬車寄せを通り過ぎ、中庭に入っていく。……うん、中庭、よね?途方もなく広いけれど、建物と建物の間にあるのだから、たぶん中庭。お屋敷と言うよりお城だしね、中庭のスケールだって、大きくなるというもの。
馬車が停まった。シュリオス様に手を取られて降りる。
かわいらしいお屋敷だった。いえ、大きさではなく、外観が。赤い壁に植物をかたどった白い窓枠が並んでいる。……ずーっと向こうまで。果てがわからないくらい続いている。いったい何部屋あるのかしら?
「こちらが私の屋敷です。初代が妻のために建てたもので、古いのですが、中は代々手を入れてきましたので、不便はないと思います。
あなたと選びたいと思って、壁紙やカーテンは変えてありません。家具や改装も結婚式までに、相談して一つ一つ決めましょう」
おお! よく聞く「理想の婚約者」の台詞だわ! 家を好きに設えていいというのは、それだけの財力がある上に、家の伝統より妻の意見を尊重してくれる心の広い男、ということらしい。
でもそれは、自分のセンスに自信のある方にとっての理想で、私のように良いか悪いかくらいはわかっても、ではどうすれば良くなるかがわからない者には、なかなかハードルが高い問題なのよね……。
「公子、お帰りなさいませ。お嬢様もお待ちしておりました」
あら、この方、従者として王宮の控え室にいた人ではないかしら? スカートの襞の間から落ちた靴を、拾って揃えて置いてくれた人。
「執事のヴェステニアです。祖父方の又従兄弟です」
高貴な方のお世話には、高貴な方が侍るというあれ!? 下手すると、私より身分や血筋が上かもしれないのね?
「まあ、お身内の方なのですね。……あの、失礼ですが、王宮の控え室にいらした方ですか?」
「さようでございます。ヴェステニア・ホーソンにございます」
「その節はお世話になりました。これからどうぞよろしくお願いします」
「もったいないお言葉です。誠心誠意お仕えさせていただきます」
彼が扉を開けてくれる。
玄関ホールをぐるりと見まわして、感嘆の声をあげてしまった。
「素敵ですね!」
なんだろう、全体的にかわいらしい。外観も中も、とにかく乙女心をくすぐるものがある。それでいて洗練されていて、どこもかしこも優雅。見ているだけで、はわ~、てなってくるわ……。
「こんなに素敵なのに、変えてしまうなんてもったいないです。それに、歴史のあるものなのでしょう? シュリオス様のご先祖様が大切にされてきたものではないのですか? でしたら、私も大切にしていきたいです」
絶対、私よりセンスいいし! それに、この中でシュリオス様が育ったのなら、それはシュリオス様の一部みたいなもの。それだけで大切にしたい~~!
シュリオス様が足を止め。私の手をすくいあげた。指の背にキスを落とす。
「セリナ。様は付けないでとお願いしましたよ?」
ボッと顔が赤くなるのがわかる。うあ、失敗した! 意識して呼ばないようにしていたのに! ついうっかり、お名前を呼んでしまった!
妻になるのだから、あなたも様を付けて呼ぶ必要はないのですよ、と言われても、シュリオス様はシュリオス様なんだもの、難しいー! そもそも、この方を呼び捨てにできる何かなんて、私にはないのよ。同列に並ぶなんておこがましい……。
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