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悪夢
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******8-3「エウル、覚悟を決める」のアニャン側******
気付くと、私は崖にしがみついていた。この下は危ないと知っていた。
必死に上を目指して登ろうとするのに、体が泥のように重く、うまく動かない。
ふと、気配を感じて後ろを振り返ると、そこには可愛らしく笑っているあの少女がいて、あっと思ったときには、ガツ、と頭を殴られていた。
ずるずると体が滑り落ち、死に物狂いで崖にしがみついた。下まで落ちたら殺される。
もがくように手足を動かして、のろのろと上へ向かって逃げる。なのに、少女の持つ棒は長く、また殴られて、落とされる。何度も何度もそれを繰り返した。
ところが何度目かに見た少女の顔は、いつのまにかあの少女ではなく、お嬢様になっていて、私は反射的に息を呑んで体を縮めた。
「おまえ、人に迷惑ばかりかけて、恥ずかしくないのかい? おまえみたいなのろまは、死んだ方が人のためだよ」
そうだそうだ、と少女が笑う。その隣にいるニーナも。
その後ろには、ミミルも、パタラも、スレイもいた。他の男たちも。エウルの部族の人達も。
誰もが嘲笑い、棒を持って追いかけてきた。
私は草原を走って逃げた。一生懸命走ろうとすればするほど、なぜか腕も足もろくに動かない。
あっというまに追いつかれ、彼らが棒を振り上げた。いっせいに打ち下ろされる。私は頭を腕で覆ってしゃがみ込んだ。
「やっ! あ、エウル、助けて、エウル!」
いないのはわかっていた。それでも呼ばずにはいられなくて、叫んだはずが、くぐもった声しか出なかった。
こんな声では、誰にも届かない。誰も助けてくれない。絶望が心を染め上げる。
ところが、伸ばした手がつかまれて、ぐいっと引かれ、大きな体に包み込まれた。
『大丈夫だ、耀華公主。もう大丈夫だ』
エウルの声だった。私は夢中で抱きついた。
ばくばくする心臓に息を荒げながら、確かめたくて目を開けると、崖も草原もどこにもなく、炎の影が時折チラチラと天幕の内部を照らしだしていた。
何が現実なのかわからず、それでも力強く抱きしめてくれるぬくもりが幻とは思えない。私は半信半疑で尋ねた。
「エウル? 本当に、エウル?」
『ああ、そうだ、俺だ。耀華公主。……ここは天幕の中だ。俺はあなたの傍に居る。もう怖いことはない』
そうだった、とようやく思い出す。エウルが私を助けに来てくれたのだ。
……怖かった。怖かった。とても、とても、怖かったのだ。
「……ふ。う……」
涙がこみあげてきて、私はエウルに顔をこすりつけた。包み込まれる安心感に、冷たい塊になってしまっていた心が、ゆるんで楽になっていく。
彼が甘やかしてくれるままに、ぐすぐすと泣いているうちに、また眠気が襲ってきた。
この腕の中にいるうちは、きっと怖い夢は近付いて来られない。
私はエウルの服を強くつかんで、睡魔に攫われ、眠りの淵に落ちるにまかせた。
気付くと、私は崖にしがみついていた。この下は危ないと知っていた。
必死に上を目指して登ろうとするのに、体が泥のように重く、うまく動かない。
ふと、気配を感じて後ろを振り返ると、そこには可愛らしく笑っているあの少女がいて、あっと思ったときには、ガツ、と頭を殴られていた。
ずるずると体が滑り落ち、死に物狂いで崖にしがみついた。下まで落ちたら殺される。
もがくように手足を動かして、のろのろと上へ向かって逃げる。なのに、少女の持つ棒は長く、また殴られて、落とされる。何度も何度もそれを繰り返した。
ところが何度目かに見た少女の顔は、いつのまにかあの少女ではなく、お嬢様になっていて、私は反射的に息を呑んで体を縮めた。
「おまえ、人に迷惑ばかりかけて、恥ずかしくないのかい? おまえみたいなのろまは、死んだ方が人のためだよ」
そうだそうだ、と少女が笑う。その隣にいるニーナも。
その後ろには、ミミルも、パタラも、スレイもいた。他の男たちも。エウルの部族の人達も。
誰もが嘲笑い、棒を持って追いかけてきた。
私は草原を走って逃げた。一生懸命走ろうとすればするほど、なぜか腕も足もろくに動かない。
あっというまに追いつかれ、彼らが棒を振り上げた。いっせいに打ち下ろされる。私は頭を腕で覆ってしゃがみ込んだ。
「やっ! あ、エウル、助けて、エウル!」
いないのはわかっていた。それでも呼ばずにはいられなくて、叫んだはずが、くぐもった声しか出なかった。
こんな声では、誰にも届かない。誰も助けてくれない。絶望が心を染め上げる。
ところが、伸ばした手がつかまれて、ぐいっと引かれ、大きな体に包み込まれた。
『大丈夫だ、耀華公主。もう大丈夫だ』
エウルの声だった。私は夢中で抱きついた。
ばくばくする心臓に息を荒げながら、確かめたくて目を開けると、崖も草原もどこにもなく、炎の影が時折チラチラと天幕の内部を照らしだしていた。
何が現実なのかわからず、それでも力強く抱きしめてくれるぬくもりが幻とは思えない。私は半信半疑で尋ねた。
「エウル? 本当に、エウル?」
『ああ、そうだ、俺だ。耀華公主。……ここは天幕の中だ。俺はあなたの傍に居る。もう怖いことはない』
そうだった、とようやく思い出す。エウルが私を助けに来てくれたのだ。
……怖かった。怖かった。とても、とても、怖かったのだ。
「……ふ。う……」
涙がこみあげてきて、私はエウルに顔をこすりつけた。包み込まれる安心感に、冷たい塊になってしまっていた心が、ゆるんで楽になっていく。
彼が甘やかしてくれるままに、ぐすぐすと泣いているうちに、また眠気が襲ってきた。
この腕の中にいるうちは、きっと怖い夢は近付いて来られない。
私はエウルの服を強くつかんで、睡魔に攫われ、眠りの淵に落ちるにまかせた。
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