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王の寝室に侍るシスター1
しおりを挟む エスタマゼナ王国王宮、国王の寝室。
金と藍の重厚な装飾の施された豪華な一室に、質素な身形のシスターが、一人でベッドサイドの椅子に座っていた。
ベッドの中に人はいない。退屈そうに背もたれに寄りかかり、小声で童謡を歌っている。
サイドテーブルに置かれたランプに照らされた姿は、天使もかくやというほどの、得も言われぬ無垢で清らかな容貌をしている。
背中まで届く黒い頭巾の下からは艶のある栗色の髪が見えており、まだ正式に出家していない準シスターなのだと知れた。
キシ、とわずかに扉が軋んだ。彼女は急いで体を起こし、まるで今までずっとそうしていたかのように姿勢を整えると、扉へと顔を向けた。
静かに背の高い男が入ってくる。精悍な面差しの若い男だ。この部屋の主である。
「こんばんは、シスター・シア」
湯浴みをすませてきたばかりなのだろう。赤い髪はまだ濡れており、そこから垂れた雫がいくつも落ちて、絨毯に染み込んだ。
その無造作さに、彼女は心中、眉を顰めた。
この絨毯の毛足、模様、織の緻密さ、どれをとっても一級品なのがわかってないのか!? 貴様何様だ。王様か!!
彼女は、あくまでも淡々とした表情を変えずにいたが、激しい突っ込みを入れていた。
まったく、水なんぞたらしおって。しかも、気にもしていないとは。いっぺん、真冬に、うちの教会の隙間だらけの部屋で寝てみるがいいのだ。この絨毯のありがたさが、一晩でわかるだろう。
この権力者にして、大金持ちめ。
恵まれし者よ、神への門は遠いと知れ。
最後に思い浮かんだ一文に溜飲を下げ、彼女はようやく挨拶を返した。
「こんばんは、ハミル王」
「すっかり遅くなってしまって、すまない」
王はでかい図体で申し訳なさそうに目尻を下げて、彼女の前に腰かけた。ベッドは軽く沈んだだけで、軋み一つあげなかった。寝返りを打つだけでギシギシいうシアのベッドとは雲泥の差だ。
「疲れただろう。よければ今夜こそ、こちらに泊まっていったらどうだろう」
こんなところでさんざん待たせた挙句、親切面して、なに言っている、このウスラバカめ。
彼女は、清らかに無表情なまなざしで、密かに強烈な悪態をついた。
自分で言い出したこととはいえ、こんな所まで入り込んでいるのも問題なのに、そんなことしたら、いよいよ正シスターへの道が遠くなるだろうが。
シスター・シアは無言で罵りつつ、王の髪から目を離せなかった。
それより、雫が布団にもたれている。だらしないことこの上ない。
「拭け」
「は?」
「頭を拭け、ベッドが濡れる」
「ああ」
王はおとなしくもそもそと首に掛かった拭き布で髪を拭いはじめた。が、まったく不器用で埒が明かない。要所を押さえてないので、ますます雫が飛び散るばかりで、ちっとも吸い取っていないのだ。
シスター・シアの苛々ボルテージはいよいよ急上昇した。
いきなりすっくと立ち上がり、拭き布ごと王の頭を押さえつけた。そして、ものすごい勢いで、しゃかしゃかと拭きはじめた。
教会の養い子たちの世話で、こんなのは朝飯前だ。彼女は王の髪を一房すくって乾き具合を確かめると、うむ、と満足気に頷いた。
「よし、いいだろう。寝ろ」
拭き布をサイドテーブルに放り、掛け布団が入りやすいように斜めにめくられたベッドを、ビシリと指差す。
「いや、実はまだ眠くないのだ。少し話をしたい気分なのだが」
王は手を伸ばし、ベッドを指差す彼女の手を、そっととった。それをベシッと叩き落とし、彼女は冷たい目で見返した。
「眠くなくても布団に入って体を休めろ。話なら、お伽噺をしてやる」
「いや、お伽噺ではなく、」
「では、羊か」
実は彼女はあれを数えるのは、自分がすぐに眠くなってしまって苦手だった。しかし、不眠気味の王を助けてやったらどうかとの大司教様のご助言だからしかたない。
「いや、羊でもなく、」
「わかった。子守唄だな。そういうことは、遠慮なく言えと言っているだろう。私はあなたのためにここにいるのだから。さあ、早くベッドに入るのだ」
シスター・シアは、ぐいぐいと王の肩を押して、ベッドの上に転がした。さらに、靴を脱がせてやり、重い足を持ち上げてベッドの上に放り上げる。
そこでまだガウンを着ているのに気付いて、腰の紐を引っ張って解き、はだけさせて、腕を抜いてやった。
まったく、手間のかかる男だ。
密かに悪態を思い浮かべつつも、しかし、彼女は王に自分で脱げとは言わなかった。
少し同情していたのだ。
彼女のように十何番目のたいした後ろ盾もない側妃の生んだ子で、いてもいなくても同じ王族は見逃してもらえる可能性もあるが、国王である彼は、いざまさかの時は、死ぬしかない。つまり、一生、自分で着替える必要なんかないのだ。
金と藍の重厚な装飾の施された豪華な一室に、質素な身形のシスターが、一人でベッドサイドの椅子に座っていた。
ベッドの中に人はいない。退屈そうに背もたれに寄りかかり、小声で童謡を歌っている。
サイドテーブルに置かれたランプに照らされた姿は、天使もかくやというほどの、得も言われぬ無垢で清らかな容貌をしている。
背中まで届く黒い頭巾の下からは艶のある栗色の髪が見えており、まだ正式に出家していない準シスターなのだと知れた。
キシ、とわずかに扉が軋んだ。彼女は急いで体を起こし、まるで今までずっとそうしていたかのように姿勢を整えると、扉へと顔を向けた。
静かに背の高い男が入ってくる。精悍な面差しの若い男だ。この部屋の主である。
「こんばんは、シスター・シア」
湯浴みをすませてきたばかりなのだろう。赤い髪はまだ濡れており、そこから垂れた雫がいくつも落ちて、絨毯に染み込んだ。
その無造作さに、彼女は心中、眉を顰めた。
この絨毯の毛足、模様、織の緻密さ、どれをとっても一級品なのがわかってないのか!? 貴様何様だ。王様か!!
彼女は、あくまでも淡々とした表情を変えずにいたが、激しい突っ込みを入れていた。
まったく、水なんぞたらしおって。しかも、気にもしていないとは。いっぺん、真冬に、うちの教会の隙間だらけの部屋で寝てみるがいいのだ。この絨毯のありがたさが、一晩でわかるだろう。
この権力者にして、大金持ちめ。
恵まれし者よ、神への門は遠いと知れ。
最後に思い浮かんだ一文に溜飲を下げ、彼女はようやく挨拶を返した。
「こんばんは、ハミル王」
「すっかり遅くなってしまって、すまない」
王はでかい図体で申し訳なさそうに目尻を下げて、彼女の前に腰かけた。ベッドは軽く沈んだだけで、軋み一つあげなかった。寝返りを打つだけでギシギシいうシアのベッドとは雲泥の差だ。
「疲れただろう。よければ今夜こそ、こちらに泊まっていったらどうだろう」
こんなところでさんざん待たせた挙句、親切面して、なに言っている、このウスラバカめ。
彼女は、清らかに無表情なまなざしで、密かに強烈な悪態をついた。
自分で言い出したこととはいえ、こんな所まで入り込んでいるのも問題なのに、そんなことしたら、いよいよ正シスターへの道が遠くなるだろうが。
シスター・シアは無言で罵りつつ、王の髪から目を離せなかった。
それより、雫が布団にもたれている。だらしないことこの上ない。
「拭け」
「は?」
「頭を拭け、ベッドが濡れる」
「ああ」
王はおとなしくもそもそと首に掛かった拭き布で髪を拭いはじめた。が、まったく不器用で埒が明かない。要所を押さえてないので、ますます雫が飛び散るばかりで、ちっとも吸い取っていないのだ。
シスター・シアの苛々ボルテージはいよいよ急上昇した。
いきなりすっくと立ち上がり、拭き布ごと王の頭を押さえつけた。そして、ものすごい勢いで、しゃかしゃかと拭きはじめた。
教会の養い子たちの世話で、こんなのは朝飯前だ。彼女は王の髪を一房すくって乾き具合を確かめると、うむ、と満足気に頷いた。
「よし、いいだろう。寝ろ」
拭き布をサイドテーブルに放り、掛け布団が入りやすいように斜めにめくられたベッドを、ビシリと指差す。
「いや、実はまだ眠くないのだ。少し話をしたい気分なのだが」
王は手を伸ばし、ベッドを指差す彼女の手を、そっととった。それをベシッと叩き落とし、彼女は冷たい目で見返した。
「眠くなくても布団に入って体を休めろ。話なら、お伽噺をしてやる」
「いや、お伽噺ではなく、」
「では、羊か」
実は彼女はあれを数えるのは、自分がすぐに眠くなってしまって苦手だった。しかし、不眠気味の王を助けてやったらどうかとの大司教様のご助言だからしかたない。
「いや、羊でもなく、」
「わかった。子守唄だな。そういうことは、遠慮なく言えと言っているだろう。私はあなたのためにここにいるのだから。さあ、早くベッドに入るのだ」
シスター・シアは、ぐいぐいと王の肩を押して、ベッドの上に転がした。さらに、靴を脱がせてやり、重い足を持ち上げてベッドの上に放り上げる。
そこでまだガウンを着ているのに気付いて、腰の紐を引っ張って解き、はだけさせて、腕を抜いてやった。
まったく、手間のかかる男だ。
密かに悪態を思い浮かべつつも、しかし、彼女は王に自分で脱げとは言わなかった。
少し同情していたのだ。
彼女のように十何番目のたいした後ろ盾もない側妃の生んだ子で、いてもいなくても同じ王族は見逃してもらえる可能性もあるが、国王である彼は、いざまさかの時は、死ぬしかない。つまり、一生、自分で着替える必要なんかないのだ。
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