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第四話
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「はあ……なんだか疲れた……」
風呂上がり、そおっと自室に戻った京介は、疲労感を感じながらベッドに腰を下ろした。
これからどうなるんだろう、ちゃんと上手くやっていけるんだろうか、迷惑をかけないだろうか……用事を済ませて一人でぼおっとしていると、腹の底から不安がぞわぞわとせり上がってくる。振り払いたいのに不安や憂鬱は否応なく京介の心を侵食し、アッという間に精神を飲み込んでゆく──
気持ちがどんどん沈んでいき、呼吸が苦しくなる。
振りほどきたいのに、不安と憂鬱はぬるりと心に絡みつき離れようとしない。京介は胃をぎゅうっと抑え、苦痛に表情を歪めた。
「ダメだ、何もしてないと余計なこと考えちゃう……」
ベッドボードのスマホを取り、適当にSNSを開いてみたり、画像投稿サイト【インスタントスカイ】を開いてタイムラインの風景写真を眺めてみた。
と、広告に、時生が出てきた。
新しいスマホの広告だった。制服姿でスマホを片手に無邪気な笑顔を見せている。
「本当に芸能人なんだなあ」
改めてそんなことを思い、なんとなく、時生のことをネット検索してみた。
烏丸時生
年齢:15歳
身長157センチ
誕生日8月11日
日本の芸能人・アイドル
清純派アイドルとして若者から絶大な支持を得ている。特技は料理、洗濯、掃除。苦手なものは虫。
過度な露出はNGで、水着もNGである。しかし若者達は彼女のその豊満なバストを拝める日を待ち望んでいる。彼女の衣装に包まれた桃源郷を目指し若者達は今日も声を上げる。さあ、夏だプールだ水着だ今だ封印されし魔物を解き放つのだ時生──
「な、なんだこれ……」
すると、その時、扉をノックする音が聞こえた。
「うぇっ? は、はい!」
京介は慌ててスマホをベッドに伏せた。
「京介君、今いいかな?」
ちょこ、と、時生が顔を覗かせた。
「か、烏丸さんっ?」
「入っていい?」
「えっと、い、いいけど……どうしたの?」
「うん、さっきのこと謝ろうと思って」
時生が部屋に入ってくる。
白いTシャツに水色のショートパンツという無防備な姿の彼女に、思わずどきっとしてしまう。
時生は恥ずかしそうにもじもじしながら上目遣いで京介を見ながら、
「隣、いいかな?」
そう言って京介に近づいてきて、肩と肩が触れ合う距離で隣に座る時生。
間近で見ると、彼女の可愛さを再確認させられてしまつ。長いまつ毛も潤んだ黒い瞳も柔らかそうな唇も、何もかもが魅力的だ。
恥ずかしくなって、京介は慌てて顔をそらす。
「時生でいいよ、京介君。これから一緒に暮らすんだし名字も阿賀波に変わったんだから烏丸さんはおかしいよ」
時生はくすくす笑う。
「そ、それはそうなんたけどでも呼び捨てはちょっと」
「んー、それじゃあ」
人差し指を顎にちょこんと添えて、ちょっと上を向いて考える時生。
「じゃあ、お姉ちゃんなんてどうかな」
「お姉ちゃんっ? 待って僕達同い年だしそれはおかしい、ていうか恥ずかしいよっ」
思わず時生の方を向いてしまったが、うっかり視線があってしまい、慌てて顔をそらす。
「あはは、冗談だよ。じゃあ時生って呼んでね」
「時生……さん……」
「呼び捨てでもいいんだけどなあ。じゃあ、これから少しずつ慣れていこっか」
「は、はあ……」
「あ、そうだ。さっきはごめんね。ノックもしないで入っちゃって。びっくりしたよね」
「気にしなくていいよ、僕は男だから見られても別に……」
「ところで京介君はなんでずっとそっち向いてるの?」
「あーいや、それはその」
時生の顔を見るのが恥ずかしいからだ、とは言えない。
「私ね、おじ様から京介君のことよく聞かされてたんだよね。それでね、ずっとどんな子なのかなって興味があって、早く会いたいなって思ってたんだ」
「そ、そうなんだ。なんかごめん……こんなので……本当にごめん……」
「なんで謝るの? 思った通りの男の子だったから私嬉しかったんだよ?」
「でも僕なんかが義理の兄弟とか普通に考えたら嫌だと思うし……」
「ねえ、京介君、こっち向いてくれるかな?」
「は、はい… …」
京介はゆっくりと時生のに顔を向け、目が合わないように必死に時生のおでこを凝視した。
「あのね、私ね」
と、時生はぎゅっと京介のパジャマの袖を掴んだ。
「1年前からずっと京介君のこと知ってたんだ。おじ様とお母さんから話を聞いててね、顔写真も見せてもらってたんだ」
時生の頬がほんのり赤らむ。
気のせいだろうか、瞳も僅かに潤んでいる気がする。一体どうしたんだろう、京介は戸惑った。
「あ、あの時生さん?」
「京介君は臆病で自己肯定感が低くて他人の目をめちゃくちゃ気にして常に何かに怯えながら生きてて頭はいいけど壊滅的なまでに運動神経が悪くて運動会が嫌すぎて前日に家出した程だっておじ様から聞いて……」
「父さんそんな黒歴史まで話したの!? 消えたい!」
「消える必要なんてないよ」
時生はそっと、京介の頭をなでた。
「私ね、そんはな話をおじ様から聞くたびに、早く会って抱きしめてあげたいなって思ってたんだ」
「は……え……?」
「うん。私、ずっと思ってたんだ」
頭を撫でていた時生の手が、するりと京介の頬に降りてくる。
時生の表情はとても優しく、それは京介の全てを包み込んでくれそうな気さえした。でも、さすがに気のせいだろう。今日あったばかりの彼女が自分に対しそんな感情を抱くはずもなく───
「私、京介君のこと、甘やかしてあげたいな」
「………………はい…………?」
「いいこいいこって頭を撫でたりぎゅうっと抱きしめたり、添い寝して寝かしつけたりしたいんだ」
「……………え、と……………」
この子は何を言ってるんだろう?
京介は理解が追いつかなかった。
「ねえ、ぎゅうって抱きしめてもいいかな」
ほんのり頬を赤らめつつ、年上のお姉さんみたいな少し大人の余裕を見せた笑みを浮かべている。
それがまた魅力的で……そんな表情で、そんなことを言われたら、思春期真っ盛りの男子は大パニックである。
「は、ははははははい!? ちょ、ちょ、ちょっと待っ………!!! うわあああああああ!」
京介は慌てて後ずさりし、そして、勢い余ってベッドの足元から転げ落ちた。
「大丈夫京介君!」
時生がベッドの上から覗き込んでくる。
ゆったりめのTシャツの胸元から彼女の豊満な胸がチラリと覗く。
「ほわああああああ!」
「落ち着いて京介君!?」
「ま、待って、あの、僕達今日会ったばかりだよね! なのにこういうのはやっぱり早いというか!」
「うん、とりあえず座ろう?」
時生がスッと手を伸ばす。
「は、はい………」
促され、トキオの手を取って立ち上がる。
そして隣に座り直すと、時生が
「うん。やっぱり京介君て抱きしめたくなっちゃうね」
「どどどどうして!?」
「ね。じっとしてて」
ほんのり頬を赤らめた時生が、立ち上がって京介の正面に立った。と思った次の瞬間、突然、顔を抱き寄せられた。
時生の大きくて柔らかな二つの膨らみが、京介の顔をふんわり包み込む。
「う、うわああああああ!?」
「よしよし。いいこいいこ」
京介を胸に抱きしめながら、彼の頭を撫でる時生。
「とととと時生さん、あの!」
「そんなに恥ずかしがらなくても大丈夫だよ」
時生はクスクス笑う。
恥ずかしがるな、と言われても、そんなの無理な話だ。
彼女もいないし母親は早くに亡くなっているし、女兄妹がいるわけでもない。まともに女の子と触れ合ったのがこの時が初めてなのだ。なのに触れ合い方が初心者の入り口を軽くすっ飛ばしている。こんなことをされて、冷静でいろという方が無理である。
「ね。これから私がたーっぷり甘えさせてあげるからね? 明日からお弁当は私が作ってあげるし、耳掃除も私がしてあげるし、辛い事があったらこうやってぎゅうっとしてあげる」
「はうっ……あ、あの、時生さ……」
「うん? どうかした?」
「な、なんでこんなこと……」
「うん。さっきも話したけど、京介君の話をおじ様から聞かせてもらう度に、守ってあげたいな……てずっと思ってたんだ。なんだろう、庇護欲を掻き立てられるっていうのかな」
そう話しながら時生はずっと京介の頭を撫で続ける。
「そうだ。お母さんとおじ様からお話聞いてたっけ? しばらくは学校でも私達のことは秘密にしてなさいって。皆が混乱しちゃうといけないから。しばらくは名字も烏丸のままなんだって」
「そ、そうなんだ。うん、僕もそれでいいと思う……」
「でも安心していいよ、学校でもちゃんと甘やかしてあげるから。もちろん、みんなに見つからないようにこっそりとね」
「いいいいやいいよ甘えさせてくれなくていいから!」
「京介君お顔ポカポカしてるね」
時生がおかしそうにクスクス笑う。
「だ、だって、そりゃあっ……」
こんなことされて冷静でいられるはずもない。
こんな可愛い子にこんなふうに抱きしめられて。柔らかくて温かなふわふわとした感触に顔を包み込まれて。布越しに伝わる温もりと柔らかな感触は、まるで、その服の下に何も着けていないかのようで……
「あ、あの、時生さん……」
「うん。どうしたのかな?」
「思ったんたけど、もしかして、時生さん……その、服の下って何も着けてなかったり………」
「へ………?」
そして時生が無言になる。
いや、まさか、そんなことがあるわけないだろう。さすがにそんなこと有り得ないだろう──京介は思いつつ、そっと時生の顔を窺ってみた。だが、そのまさかだったようで、時生は顔を真っ赤にして硬直していた。
「うわあああああ!」
と、京介は慌てて時生から離れようとするが、なぜか、再びぎゅうっと抱き寄せられてしまった。
「やだもー、今までお母さんと二人だったから、いつもの癖でつけ忘れちゃってたよぉ!」
「うわあああああああああ!」
時生から逃れようと必死こいて身をよじる京介。
「うん。私もさすがにこれはちょっと恥ずかしいかも」
時生ははにかみながらそう言うと、ようやく京介を解放した。
ようやく彼女から逃れられた京介は、安堵と同時にほんの僅か残念な気持ちを感じてもいた。が、そんな自分に気づき、慌てて首を振る。
「でも、いつでもぎゅうってしてあげるからね? 遠慮せずに言ってちょうだいね?」
時生はにっこり微笑んで両腕を京介に向けて広げた。その時の彼女は、先程ネット上で見たアイドルの烏丸時生とは違った。アイドルの彼女は無邪気で天真爛漫な少女と言った風だったが、今目の前にいる烏丸時生は同い年でありながらどこか年上の女性のような余裕と魅力を見せている。
「や……でも、やっぱり、さすがに血の繋がらない男女がそういうことをするのはどうかと思う……かな……」
京介は指をもじもじさせながら、やんわりお断りをしてみた。
「気にしなくていいよ。私ずっと弟か妹欲しかったんだ」
「お、弟……?」
「だから、ね。私のことお姉ちゃんて呼んでくれてもいいんだよ」
「ごめんそれは無理!」
「んー、じゃあ、1回だけ。1回だけ呼んでみて?」
時生がベッドに飛び乗り、京介の方を向いて正座する。なので京介も彼女の方に向き直った。
正面で真剣な顔をする時生の顔を見ていると、彼女が本気で弟を欲しがっているのがよくわかった。だから京介ももう拒否しきれずに、折れてしまうのだった。
「え……と。それじゃあ……」
お姉ちゃん、と呼ぶだけなのに、なぜだか緊張する。京介はベッドの上できちんと正座をし、膝の上でぎゅっと拳を握りしめた。
「お……お姉……ちゃん………」
なんとか頑張って呼んでみたが、思った以上に恥ずかしい。
「やっぱ無理!」
「なんで!? いい感じだったよ!」
「よくない! よくないよ! そもそも同い年なのにおかしいって!」
「わかった。じゃあママはどうかな」
「どうもこうも悪化してるよ!?」
「そっかあ、だめかあ。残念だけどしょうがないか」
時生はクスクス笑い、京介の頭を撫でた。
「まあ、それは冗談として。京介君、これから何かあったらちゃんと私に相談してね? なんでもいいから。辛い事でも腹が立ったことでもいいから……ね? お話たっぷり聞いてあげるから」
「あ、ありがとう……」
「うん。約束ね」
時生はそう言うと、京介の頭を優しく撫でた。
「それじゃあおやすみ、また明日ね」
時生は微笑み、ぴょこっとベッドを飛び降りると小走りで去っていった。そして彼女が部屋を出て行くのを見届けると、京介は小さく息を吐いた。
「なんか……とんでもない事になったなあ……」
そして横になり、一息つく。
が、そこは思春期真っ盛りの男の子である。一息ついた瞬間に頭の中に彼女の胸の感触やその時の光景がもんもんと蘇り、忘れようとするのに本能がむらむらと湧き上がってくる。
(いやいやいやいやダメだって待ってダメだよさすがにそんなことしちゃ失礼だろっ………!)
欲望を抑えようとするのに体は正直に興奮を抑えきれずどんどん火照り汗ばみ………京介はそっとパジャマのズボンに手をかけた。
「あ、そうだ京介君! 明日のお弁当のことなんだけど、苦手なものってあるかな?」
突然時生が扉を開けた。
またしても一発フルオープンである。
「うわあああああああ! ごめんなさいごめんなさいもうしません嘘です嘘ですごめんなさいごめんなさい殺してください!」
まだ何もしていないのだが、京介はバンバン頭と腕をベッドに打ち付ける程の激しい土下座を何度も繰り出した。お前は悪霊にでも憑かれたのか、と聞きたくなるほどの荒ぶりっぷりである。
「はっ? え、なになにどうしたの、大丈夫っ?」
来なくていいのに時生が駆け寄ってくる。
「ぎゃああ! 待ってダメ来ないで!」
「うん、とりあえず一旦落ち着こう?」
ベッドに上がり、京介の頭をぎゅっと抱きしめる時生──再び彼女の柔らかく温かな胸に包み込まれ、京介は失神しそうになった。
「落ち着いた? なにか怖いものでも見たのかな。虫でもいたの?」
「いえ、あの、なんでもないです……」
必死にパジャマで股間を隠しつつ片手で時生を引き離そうとする京介。だがそこへ、
「なんだなんだどうした、虫でも出たかあ?」
康介が顔を覗かせた。
「あ、おじ様。何かあったみたいで京介君がパニックになっちゃって」
「な、なななななんでもないよっ」
「はあん?」
康介が訝しみながら部屋に入ってくる。
そして彼は京介が時生に抱きしめられていること、そして必死にパジャマで股間を隠そうとしていることに気がついた。
「なーるほどなあ。よし、それじゃあ俺からお守りをやろう。受け取れ、京介」
康介はズボンのポケットから1枚の写真を取り出して京介に差し出した。
「お、お守り?」
写真を受け取り、確認する。
そこには、康介が勤めるマッスル運送のトラックを背景に、逞しく鍛え上げられた筋骨隆々とした肉体美を披露して立つ彼の姿があった。ふんどし姿だ。しかも六尺ふんどしだ。股間の魔物が今にも暴れ出しそうに盛り上がり、獰猛な雄の臭いを撒き散らしている。いや、写真だから実際に臭いなんかするわけがないのだが。
しかし、写真越しにも漂ってきそうなほどに彼の魔物は荒々しく六尺ふんどしにその形を浮かび上がらせている。
そんな写真の中の康介は自慢の真っ白な歯を眩しく輝かせながらウインクし、力強く親指を立てている。
まるで「困ったら俺を頼りな」とでも言っているかのように。
「妙な気分になったらソレを使いな。一瞬でクールダウンだぜ! ガハハハハ!」
「うん……そうだね……」
康介の言うとおり、父親のふんどし姿を見た瞬間、体から火照りが消えていき股間の疼きも鎮まっていくのがわかった。効果は絶大である。
「京介君大丈夫? 一緒に寝なくて大丈夫?」
「いい、いい、もう大丈夫だからっ」
「そう? 何かあったらちゃんと言ってね?」
「あー、まあ大丈夫だろ。俺のお守りは効果抜群だからな」
「なんの写真なんですか?」
と時生が写真を確認しようとしたので、京介は慌ててソレを尻の下に隠した。
「な、なんでもないよ! とにかく僕なら大丈夫だから。一人で寝れるから。じゃあ、また明日!」
「そう? わかった。それじゃあおやすみね」
「う、うん、おやすみ」
「よし、じゃあもう寝るか。んじゃ行こうぜ時生ちゃん」
「はい。じゃあね、また明日。おやすみ」
そうして二人は部屋を出ていった。
康介に貰ったお守りを尻の下から取り出し、じっと眺める。我が父ながら惚れ惚れする肉体美だ、と京介は感心した。
「あと3枚くらいコピーしとこうかな……」
「それじゃ、おやすみなさいおじ様」
時生は康介に挨拶をして、自室の扉に手をかけた。
時生の部屋は京介の隣の部屋で、ついこの間まで物置になっていた。それを康介が大掃除して使えるようにしたのだ。ちなみに何も知らない京介も、大掃除するとだけ聞かされて手伝わされた。
「あー、ちょっといいかな時生ちゃん」
「はい、なんでしょう?」
「や。京介のこと、すまねえな。俺も仕事が忙しくてよ、禄に相手もしてやれなくてさ。芙美が死んでからアイツ相談相手もいねえまま色んなもん抱え込んで生きてきちまってさ……」
「なに言ってるんですか。約束したじゃないですか、私が京介君を幸せにしますって。私もお父さんが早くに死んじゃったから京介君の気持ちよくわかるんです。お母さんは私のために働き詰めで、だから迷惑かけちゃいけないって思ってどうしても自分の気持ちを抑え込んじゃうんですよね。ただ私の場合は京介君と違って社交的な面もあるから学校の先生とか友達とかにお話聞いてもらえたんですけど……」
時生は京介の部屋の扉を見、
「京介君は反対に臆病で引っ込み思案、加えて自分に自信がない。そんな京介君の気持ちを考えると、私ができることならなんでもしてあげたいなって思っちゃうんですよね」
「アイツも幸せもんだなあ、こんな可愛い子にそこまで思ってもらえるなんてな」
「お話はおじ様からよく聞いてましたから。人と目を合わせるのが苦手でいつも俯いてる、人が苦手すぎて修学旅行を仮病使って休む、文化祭の準備はするけど当日は保健室で寝て過ごす、運動会が嫌すぎて家出したことがある、目立ちたくないからっていつも背中を丸めてる……極めつけは人と関わりたくないから出家したいと言い出す。かと思えば」
と、いつの間にか足元にまとわりついていた猫のマルコをひょいと抱き上げて、
「子猫を助けるために公衆の面前で川に飛び込んでずぶ濡れになる」
頬に軽くキスをした。
「もっと京介君のこと知りたいなって思いました」
「アイツは臆病だけど、優しいやつなんだよな。だから時生ちゃん、色々迷惑かけると思うけど京介のことよろしくな」
「はい、もちろんです!」
時生は満面の笑みで答えた。
そんな二人の会話が、すぐそこの京介の部屋に届かないわけもなく。京介はこっそり扉に耳をくっつけ、顔を真っ赤にして唇を噛み締めていたのだった。
「父さん……出家の話まで…………」
風呂上がり、そおっと自室に戻った京介は、疲労感を感じながらベッドに腰を下ろした。
これからどうなるんだろう、ちゃんと上手くやっていけるんだろうか、迷惑をかけないだろうか……用事を済ませて一人でぼおっとしていると、腹の底から不安がぞわぞわとせり上がってくる。振り払いたいのに不安や憂鬱は否応なく京介の心を侵食し、アッという間に精神を飲み込んでゆく──
気持ちがどんどん沈んでいき、呼吸が苦しくなる。
振りほどきたいのに、不安と憂鬱はぬるりと心に絡みつき離れようとしない。京介は胃をぎゅうっと抑え、苦痛に表情を歪めた。
「ダメだ、何もしてないと余計なこと考えちゃう……」
ベッドボードのスマホを取り、適当にSNSを開いてみたり、画像投稿サイト【インスタントスカイ】を開いてタイムラインの風景写真を眺めてみた。
と、広告に、時生が出てきた。
新しいスマホの広告だった。制服姿でスマホを片手に無邪気な笑顔を見せている。
「本当に芸能人なんだなあ」
改めてそんなことを思い、なんとなく、時生のことをネット検索してみた。
烏丸時生
年齢:15歳
身長157センチ
誕生日8月11日
日本の芸能人・アイドル
清純派アイドルとして若者から絶大な支持を得ている。特技は料理、洗濯、掃除。苦手なものは虫。
過度な露出はNGで、水着もNGである。しかし若者達は彼女のその豊満なバストを拝める日を待ち望んでいる。彼女の衣装に包まれた桃源郷を目指し若者達は今日も声を上げる。さあ、夏だプールだ水着だ今だ封印されし魔物を解き放つのだ時生──
「な、なんだこれ……」
すると、その時、扉をノックする音が聞こえた。
「うぇっ? は、はい!」
京介は慌ててスマホをベッドに伏せた。
「京介君、今いいかな?」
ちょこ、と、時生が顔を覗かせた。
「か、烏丸さんっ?」
「入っていい?」
「えっと、い、いいけど……どうしたの?」
「うん、さっきのこと謝ろうと思って」
時生が部屋に入ってくる。
白いTシャツに水色のショートパンツという無防備な姿の彼女に、思わずどきっとしてしまう。
時生は恥ずかしそうにもじもじしながら上目遣いで京介を見ながら、
「隣、いいかな?」
そう言って京介に近づいてきて、肩と肩が触れ合う距離で隣に座る時生。
間近で見ると、彼女の可愛さを再確認させられてしまつ。長いまつ毛も潤んだ黒い瞳も柔らかそうな唇も、何もかもが魅力的だ。
恥ずかしくなって、京介は慌てて顔をそらす。
「時生でいいよ、京介君。これから一緒に暮らすんだし名字も阿賀波に変わったんだから烏丸さんはおかしいよ」
時生はくすくす笑う。
「そ、それはそうなんたけどでも呼び捨てはちょっと」
「んー、それじゃあ」
人差し指を顎にちょこんと添えて、ちょっと上を向いて考える時生。
「じゃあ、お姉ちゃんなんてどうかな」
「お姉ちゃんっ? 待って僕達同い年だしそれはおかしい、ていうか恥ずかしいよっ」
思わず時生の方を向いてしまったが、うっかり視線があってしまい、慌てて顔をそらす。
「あはは、冗談だよ。じゃあ時生って呼んでね」
「時生……さん……」
「呼び捨てでもいいんだけどなあ。じゃあ、これから少しずつ慣れていこっか」
「は、はあ……」
「あ、そうだ。さっきはごめんね。ノックもしないで入っちゃって。びっくりしたよね」
「気にしなくていいよ、僕は男だから見られても別に……」
「ところで京介君はなんでずっとそっち向いてるの?」
「あーいや、それはその」
時生の顔を見るのが恥ずかしいからだ、とは言えない。
「私ね、おじ様から京介君のことよく聞かされてたんだよね。それでね、ずっとどんな子なのかなって興味があって、早く会いたいなって思ってたんだ」
「そ、そうなんだ。なんかごめん……こんなので……本当にごめん……」
「なんで謝るの? 思った通りの男の子だったから私嬉しかったんだよ?」
「でも僕なんかが義理の兄弟とか普通に考えたら嫌だと思うし……」
「ねえ、京介君、こっち向いてくれるかな?」
「は、はい… …」
京介はゆっくりと時生のに顔を向け、目が合わないように必死に時生のおでこを凝視した。
「あのね、私ね」
と、時生はぎゅっと京介のパジャマの袖を掴んだ。
「1年前からずっと京介君のこと知ってたんだ。おじ様とお母さんから話を聞いててね、顔写真も見せてもらってたんだ」
時生の頬がほんのり赤らむ。
気のせいだろうか、瞳も僅かに潤んでいる気がする。一体どうしたんだろう、京介は戸惑った。
「あ、あの時生さん?」
「京介君は臆病で自己肯定感が低くて他人の目をめちゃくちゃ気にして常に何かに怯えながら生きてて頭はいいけど壊滅的なまでに運動神経が悪くて運動会が嫌すぎて前日に家出した程だっておじ様から聞いて……」
「父さんそんな黒歴史まで話したの!? 消えたい!」
「消える必要なんてないよ」
時生はそっと、京介の頭をなでた。
「私ね、そんはな話をおじ様から聞くたびに、早く会って抱きしめてあげたいなって思ってたんだ」
「は……え……?」
「うん。私、ずっと思ってたんだ」
頭を撫でていた時生の手が、するりと京介の頬に降りてくる。
時生の表情はとても優しく、それは京介の全てを包み込んでくれそうな気さえした。でも、さすがに気のせいだろう。今日あったばかりの彼女が自分に対しそんな感情を抱くはずもなく───
「私、京介君のこと、甘やかしてあげたいな」
「………………はい…………?」
「いいこいいこって頭を撫でたりぎゅうっと抱きしめたり、添い寝して寝かしつけたりしたいんだ」
「……………え、と……………」
この子は何を言ってるんだろう?
京介は理解が追いつかなかった。
「ねえ、ぎゅうって抱きしめてもいいかな」
ほんのり頬を赤らめつつ、年上のお姉さんみたいな少し大人の余裕を見せた笑みを浮かべている。
それがまた魅力的で……そんな表情で、そんなことを言われたら、思春期真っ盛りの男子は大パニックである。
「は、ははははははい!? ちょ、ちょ、ちょっと待っ………!!! うわあああああああ!」
京介は慌てて後ずさりし、そして、勢い余ってベッドの足元から転げ落ちた。
「大丈夫京介君!」
時生がベッドの上から覗き込んでくる。
ゆったりめのTシャツの胸元から彼女の豊満な胸がチラリと覗く。
「ほわああああああ!」
「落ち着いて京介君!?」
「ま、待って、あの、僕達今日会ったばかりだよね! なのにこういうのはやっぱり早いというか!」
「うん、とりあえず座ろう?」
時生がスッと手を伸ばす。
「は、はい………」
促され、トキオの手を取って立ち上がる。
そして隣に座り直すと、時生が
「うん。やっぱり京介君て抱きしめたくなっちゃうね」
「どどどどうして!?」
「ね。じっとしてて」
ほんのり頬を赤らめた時生が、立ち上がって京介の正面に立った。と思った次の瞬間、突然、顔を抱き寄せられた。
時生の大きくて柔らかな二つの膨らみが、京介の顔をふんわり包み込む。
「う、うわああああああ!?」
「よしよし。いいこいいこ」
京介を胸に抱きしめながら、彼の頭を撫でる時生。
「とととと時生さん、あの!」
「そんなに恥ずかしがらなくても大丈夫だよ」
時生はクスクス笑う。
恥ずかしがるな、と言われても、そんなの無理な話だ。
彼女もいないし母親は早くに亡くなっているし、女兄妹がいるわけでもない。まともに女の子と触れ合ったのがこの時が初めてなのだ。なのに触れ合い方が初心者の入り口を軽くすっ飛ばしている。こんなことをされて、冷静でいろという方が無理である。
「ね。これから私がたーっぷり甘えさせてあげるからね? 明日からお弁当は私が作ってあげるし、耳掃除も私がしてあげるし、辛い事があったらこうやってぎゅうっとしてあげる」
「はうっ……あ、あの、時生さ……」
「うん? どうかした?」
「な、なんでこんなこと……」
「うん。さっきも話したけど、京介君の話をおじ様から聞かせてもらう度に、守ってあげたいな……てずっと思ってたんだ。なんだろう、庇護欲を掻き立てられるっていうのかな」
そう話しながら時生はずっと京介の頭を撫で続ける。
「そうだ。お母さんとおじ様からお話聞いてたっけ? しばらくは学校でも私達のことは秘密にしてなさいって。皆が混乱しちゃうといけないから。しばらくは名字も烏丸のままなんだって」
「そ、そうなんだ。うん、僕もそれでいいと思う……」
「でも安心していいよ、学校でもちゃんと甘やかしてあげるから。もちろん、みんなに見つからないようにこっそりとね」
「いいいいやいいよ甘えさせてくれなくていいから!」
「京介君お顔ポカポカしてるね」
時生がおかしそうにクスクス笑う。
「だ、だって、そりゃあっ……」
こんなことされて冷静でいられるはずもない。
こんな可愛い子にこんなふうに抱きしめられて。柔らかくて温かなふわふわとした感触に顔を包み込まれて。布越しに伝わる温もりと柔らかな感触は、まるで、その服の下に何も着けていないかのようで……
「あ、あの、時生さん……」
「うん。どうしたのかな?」
「思ったんたけど、もしかして、時生さん……その、服の下って何も着けてなかったり………」
「へ………?」
そして時生が無言になる。
いや、まさか、そんなことがあるわけないだろう。さすがにそんなこと有り得ないだろう──京介は思いつつ、そっと時生の顔を窺ってみた。だが、そのまさかだったようで、時生は顔を真っ赤にして硬直していた。
「うわあああああ!」
と、京介は慌てて時生から離れようとするが、なぜか、再びぎゅうっと抱き寄せられてしまった。
「やだもー、今までお母さんと二人だったから、いつもの癖でつけ忘れちゃってたよぉ!」
「うわあああああああああ!」
時生から逃れようと必死こいて身をよじる京介。
「うん。私もさすがにこれはちょっと恥ずかしいかも」
時生ははにかみながらそう言うと、ようやく京介を解放した。
ようやく彼女から逃れられた京介は、安堵と同時にほんの僅か残念な気持ちを感じてもいた。が、そんな自分に気づき、慌てて首を振る。
「でも、いつでもぎゅうってしてあげるからね? 遠慮せずに言ってちょうだいね?」
時生はにっこり微笑んで両腕を京介に向けて広げた。その時の彼女は、先程ネット上で見たアイドルの烏丸時生とは違った。アイドルの彼女は無邪気で天真爛漫な少女と言った風だったが、今目の前にいる烏丸時生は同い年でありながらどこか年上の女性のような余裕と魅力を見せている。
「や……でも、やっぱり、さすがに血の繋がらない男女がそういうことをするのはどうかと思う……かな……」
京介は指をもじもじさせながら、やんわりお断りをしてみた。
「気にしなくていいよ。私ずっと弟か妹欲しかったんだ」
「お、弟……?」
「だから、ね。私のことお姉ちゃんて呼んでくれてもいいんだよ」
「ごめんそれは無理!」
「んー、じゃあ、1回だけ。1回だけ呼んでみて?」
時生がベッドに飛び乗り、京介の方を向いて正座する。なので京介も彼女の方に向き直った。
正面で真剣な顔をする時生の顔を見ていると、彼女が本気で弟を欲しがっているのがよくわかった。だから京介ももう拒否しきれずに、折れてしまうのだった。
「え……と。それじゃあ……」
お姉ちゃん、と呼ぶだけなのに、なぜだか緊張する。京介はベッドの上できちんと正座をし、膝の上でぎゅっと拳を握りしめた。
「お……お姉……ちゃん………」
なんとか頑張って呼んでみたが、思った以上に恥ずかしい。
「やっぱ無理!」
「なんで!? いい感じだったよ!」
「よくない! よくないよ! そもそも同い年なのにおかしいって!」
「わかった。じゃあママはどうかな」
「どうもこうも悪化してるよ!?」
「そっかあ、だめかあ。残念だけどしょうがないか」
時生はクスクス笑い、京介の頭を撫でた。
「まあ、それは冗談として。京介君、これから何かあったらちゃんと私に相談してね? なんでもいいから。辛い事でも腹が立ったことでもいいから……ね? お話たっぷり聞いてあげるから」
「あ、ありがとう……」
「うん。約束ね」
時生はそう言うと、京介の頭を優しく撫でた。
「それじゃあおやすみ、また明日ね」
時生は微笑み、ぴょこっとベッドを飛び降りると小走りで去っていった。そして彼女が部屋を出て行くのを見届けると、京介は小さく息を吐いた。
「なんか……とんでもない事になったなあ……」
そして横になり、一息つく。
が、そこは思春期真っ盛りの男の子である。一息ついた瞬間に頭の中に彼女の胸の感触やその時の光景がもんもんと蘇り、忘れようとするのに本能がむらむらと湧き上がってくる。
(いやいやいやいやダメだって待ってダメだよさすがにそんなことしちゃ失礼だろっ………!)
欲望を抑えようとするのに体は正直に興奮を抑えきれずどんどん火照り汗ばみ………京介はそっとパジャマのズボンに手をかけた。
「あ、そうだ京介君! 明日のお弁当のことなんだけど、苦手なものってあるかな?」
突然時生が扉を開けた。
またしても一発フルオープンである。
「うわあああああああ! ごめんなさいごめんなさいもうしません嘘です嘘ですごめんなさいごめんなさい殺してください!」
まだ何もしていないのだが、京介はバンバン頭と腕をベッドに打ち付ける程の激しい土下座を何度も繰り出した。お前は悪霊にでも憑かれたのか、と聞きたくなるほどの荒ぶりっぷりである。
「はっ? え、なになにどうしたの、大丈夫っ?」
来なくていいのに時生が駆け寄ってくる。
「ぎゃああ! 待ってダメ来ないで!」
「うん、とりあえず一旦落ち着こう?」
ベッドに上がり、京介の頭をぎゅっと抱きしめる時生──再び彼女の柔らかく温かな胸に包み込まれ、京介は失神しそうになった。
「落ち着いた? なにか怖いものでも見たのかな。虫でもいたの?」
「いえ、あの、なんでもないです……」
必死にパジャマで股間を隠しつつ片手で時生を引き離そうとする京介。だがそこへ、
「なんだなんだどうした、虫でも出たかあ?」
康介が顔を覗かせた。
「あ、おじ様。何かあったみたいで京介君がパニックになっちゃって」
「な、なななななんでもないよっ」
「はあん?」
康介が訝しみながら部屋に入ってくる。
そして彼は京介が時生に抱きしめられていること、そして必死にパジャマで股間を隠そうとしていることに気がついた。
「なーるほどなあ。よし、それじゃあ俺からお守りをやろう。受け取れ、京介」
康介はズボンのポケットから1枚の写真を取り出して京介に差し出した。
「お、お守り?」
写真を受け取り、確認する。
そこには、康介が勤めるマッスル運送のトラックを背景に、逞しく鍛え上げられた筋骨隆々とした肉体美を披露して立つ彼の姿があった。ふんどし姿だ。しかも六尺ふんどしだ。股間の魔物が今にも暴れ出しそうに盛り上がり、獰猛な雄の臭いを撒き散らしている。いや、写真だから実際に臭いなんかするわけがないのだが。
しかし、写真越しにも漂ってきそうなほどに彼の魔物は荒々しく六尺ふんどしにその形を浮かび上がらせている。
そんな写真の中の康介は自慢の真っ白な歯を眩しく輝かせながらウインクし、力強く親指を立てている。
まるで「困ったら俺を頼りな」とでも言っているかのように。
「妙な気分になったらソレを使いな。一瞬でクールダウンだぜ! ガハハハハ!」
「うん……そうだね……」
康介の言うとおり、父親のふんどし姿を見た瞬間、体から火照りが消えていき股間の疼きも鎮まっていくのがわかった。効果は絶大である。
「京介君大丈夫? 一緒に寝なくて大丈夫?」
「いい、いい、もう大丈夫だからっ」
「そう? 何かあったらちゃんと言ってね?」
「あー、まあ大丈夫だろ。俺のお守りは効果抜群だからな」
「なんの写真なんですか?」
と時生が写真を確認しようとしたので、京介は慌ててソレを尻の下に隠した。
「な、なんでもないよ! とにかく僕なら大丈夫だから。一人で寝れるから。じゃあ、また明日!」
「そう? わかった。それじゃあおやすみね」
「う、うん、おやすみ」
「よし、じゃあもう寝るか。んじゃ行こうぜ時生ちゃん」
「はい。じゃあね、また明日。おやすみ」
そうして二人は部屋を出ていった。
康介に貰ったお守りを尻の下から取り出し、じっと眺める。我が父ながら惚れ惚れする肉体美だ、と京介は感心した。
「あと3枚くらいコピーしとこうかな……」
「それじゃ、おやすみなさいおじ様」
時生は康介に挨拶をして、自室の扉に手をかけた。
時生の部屋は京介の隣の部屋で、ついこの間まで物置になっていた。それを康介が大掃除して使えるようにしたのだ。ちなみに何も知らない京介も、大掃除するとだけ聞かされて手伝わされた。
「あー、ちょっといいかな時生ちゃん」
「はい、なんでしょう?」
「や。京介のこと、すまねえな。俺も仕事が忙しくてよ、禄に相手もしてやれなくてさ。芙美が死んでからアイツ相談相手もいねえまま色んなもん抱え込んで生きてきちまってさ……」
「なに言ってるんですか。約束したじゃないですか、私が京介君を幸せにしますって。私もお父さんが早くに死んじゃったから京介君の気持ちよくわかるんです。お母さんは私のために働き詰めで、だから迷惑かけちゃいけないって思ってどうしても自分の気持ちを抑え込んじゃうんですよね。ただ私の場合は京介君と違って社交的な面もあるから学校の先生とか友達とかにお話聞いてもらえたんですけど……」
時生は京介の部屋の扉を見、
「京介君は反対に臆病で引っ込み思案、加えて自分に自信がない。そんな京介君の気持ちを考えると、私ができることならなんでもしてあげたいなって思っちゃうんですよね」
「アイツも幸せもんだなあ、こんな可愛い子にそこまで思ってもらえるなんてな」
「お話はおじ様からよく聞いてましたから。人と目を合わせるのが苦手でいつも俯いてる、人が苦手すぎて修学旅行を仮病使って休む、文化祭の準備はするけど当日は保健室で寝て過ごす、運動会が嫌すぎて家出したことがある、目立ちたくないからっていつも背中を丸めてる……極めつけは人と関わりたくないから出家したいと言い出す。かと思えば」
と、いつの間にか足元にまとわりついていた猫のマルコをひょいと抱き上げて、
「子猫を助けるために公衆の面前で川に飛び込んでずぶ濡れになる」
頬に軽くキスをした。
「もっと京介君のこと知りたいなって思いました」
「アイツは臆病だけど、優しいやつなんだよな。だから時生ちゃん、色々迷惑かけると思うけど京介のことよろしくな」
「はい、もちろんです!」
時生は満面の笑みで答えた。
そんな二人の会話が、すぐそこの京介の部屋に届かないわけもなく。京介はこっそり扉に耳をくっつけ、顔を真っ赤にして唇を噛み締めていたのだった。
「父さん……出家の話まで…………」
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