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第三話

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「はあ……本当に一体どういうことなんだろう……」

 放課後、京介は一人でとぼとぼと下校しながら、真剣な顔で今朝のことを考えていた。

 なぜ、烏丸時生がこの学校に? なぜ、自分のことを知っていた? 実は昔幼い頃に出遭っていて、こっちの学校に転校することになり、久しぶりの再開を喜んでいる……とかだろうか? しかし思い当たるフシはない。というか恋愛ゲームも真っ青なそんなベタ展開が現実に起こり得るはずがないのだ。

「いや、もしかしたら僕の勘違いかもしれない。うん、そうだ、あれはただの白昼夢だ! 春だもの! 白昼夢白昼夢!」

 などと自分を納得させる京介。

「そうそう、白昼夢以外に何があるんだよ……ははっ……」

 家に辿り着き、自分を無理やり納得させながら玄関ドアに手を伸ばす。が、ドアノブに触れようとして、けれども、やっぱり開ける勇気がなくて手を引っ込めそうになった。

「今日からお義母さんと暮らすのか……」

 他人とひとつ屋根の下。

 それを考えるだけで胃がきゅうっとなる。

 だが家に入らないわけにはいかないし、なにより、きちんと受け入れて父親を安心させなければならない。

 だから、不安だけれど、勇気を振り絞って扉を開けた。

 自宅の扉がこれほどまでに重いと感じたことはあっただろうか?不安と緊張で早鳴る心臓をなだめながら、ゆっくりゆっくりと扉を開けてゆく。

「おう! 帰ったか京介ぇ!」

 聞き慣れたガサツな声が飛んできた。
いつからそのにいたのか、高身長で筋骨隆々、目鼻立ちのくっきりとした、京介とは似ても似つかない男が、仁王立ちしている。
 
白いTシャツの上からでもはっきりとわかるほど鍛え上げられた肉体は、もはや芸術と言っても過言ではない。

 見る人が見ればうっとり見惚れてしまうだろう。そんな彼の頭には飼い猫のブリテッシュショートヘアのマルコがだらりと貼り付き、彼の頭頂部に頭を乗せてじっと京介を見ている。

「た、ただいま父さん……」
「引っ越しの片付けはもう粗方終わって美月はリビングで休んでるぜ。お前も荷物置いて挨拶しに行ってくれや」
「あ、う、うん……そだね……」

 わかってはいる。
 わかってはいるのだ。
 父親の幸せのためにも、自分が我慢しなければならないことは。わかってはいるのだが、やはり、否応なく不安と恐怖がせり上がってくる。

 すると、突然、頭を乱暴にガシガシと撫でられた。

「大丈夫だって、誰も取って食おうってんじゃねえんだからよお」

 と父親──阿賀波康介はガハハと豪快に笑った。

「そ、そだね……」

 康介は京介と正反対に豪快でガサツで、やや無神経な所がある。これが親子関係でなければ、出会った瞬間から距離を置いているだろう、と思う時がある。

「あらあ、京介君帰ったの~? 晩ごはんもうできてるから、荷物置いて手を洗ってきてね~」

 のんびりとした他人の声が聞こえて、思わずビクッと体を震わせる京介。

 見ると、そこには、真っ白なワンピース姿の女性が立っていた。整った顔立ちは美人としか形容しがたく、そこに立っているだけで、存在しているだけで、周りの視線を集めてしまう。

 実際、これまでに何度か一緒に食事をしたことがたるのだが、彼女がそこに立っているだけで行き交う人々の視線が自分達に向けられていた。彼女は常におっとりとした笑みを浮かべており、まとう雰囲気も柔らかく、まさに癒やしの女神と言った感じだ。

「ど、どうも美月さん……えと、これからどうぞよろしくお願いします」
「うふふ、こちらこそよろしくね」
「あー、ところで京介。実はちょーっとお前に話さなきゃなんねえことがあってよお」
「え? ああ、母さんの部屋を美月さんが使うって話なら……」
「いや、実はそうじゃなくてよお」

 困ったように笑いながらボリボリと頭を掻く康介。

 この仕草、この表情は、相手に対して後ろめたさを感じているときの康介の癖だ。母親の使っていた部屋を美月が使うという話ならもう聞いているし、了承もしている。それ以外に、他に、なにがあるというのだろうか。

「ごめんなさいね、実は京介君に黙っていたことがあったの」
「えっと、はい、なんでしょう」
「いやあ、実は美月には子供がいてよお」
「子供、て……。ああ! そういうことなの? おめでとうございます美月さん。あ、あの、僕も一緒にお手伝いさせていただきますので。遠慮なくなんでも言ってください」
「や、そういう話じゃなくてだな……」
「え……ち、違うの? じゃあどういう話で……」
「うん。私ね、京介君と同い年の娘がいるのよ」

 初耳だった。
 京介は一瞬聞き違いかと思ったが、

「言おう言おうと思ってるうちに言い出せないまま今日まで来ちまってなあ」
「京介君、人が苦手でしょう? だから教えたら不安とストレスで体を壊しちゃうんじゃないかと思って」
「まあでも娘さんも美月に似てのんびりした性格だから上手くやってけるだろうよ」

 ちょっと申し訳なさそうに笑う康介。
 京介は絶望していた。美月だけでも不安と緊張で今まさに逃げ出したいと思うほどなのに。

「や、でもあれだぞ? びっくりするほど可愛い娘さんだからお前も喜ぶんじゃねえかな?」
「うんうん、そうよ、うちの子とーっても可愛いんたからあ」
「そうそう、なんてったってあの子は」
「まあいいわ、さっそくご挨拶しちゃいましょ!」

 美月は両手をぽんと合わせた。
 京介に対して申し訳ないという気持ちはあるらしく、二人とも、不自然なくらい早口になっている。笑顔も引きつっている。しかし絶望して石のように固まる京介の頭には、彼らの言葉なんて全く入ってこないのだった。

「ほ、ほら、リビングで待たせてるから行くぞ京介」
「大丈夫大丈夫すぐ仲良くなれるわよお」

 二人の必死のフォローも虚しく京介の中でグングンと不安とストレスが膨らんでゆく。

 どんな子だろう?
 怖くないかな。
 知らない人だ。
 知らない人怖い。
 人間怖い。

 赤の他人とひとつ屋根の下。

 学校でもしんどい思いをして、家に帰ってまで他人に怯える日々が始まるのか。

 いや、でも、父親の幸せのためにも我慢しなければ────

「こんばんは、京介君」

 突然、女の子の声が聞こえた。
 京介はビクッと体を震わせ、恐る恐る顔を上げ───

「大丈夫? 体調は回復したかな」
 そこにいたのは、なんと、今朝保健室で出会ったあの少女……現役トップアイドルの烏丸時生だった。

「っな、ななななななっ………なんでっ?」
「えへへ、だから言ったでしょ? あとのお楽しみだよって」
「お? もしかしてもう顔合わせてたのか? なるほどー、そりゃよかったよかった!」
「はい。今日学校に行った時に保健室に入っていくのが見えたのでこっそり追いかけちゃいました」
「はっはっは! なるほどなあ! 時生ちゃんは京介に会いたがってたからなあ」
「いや、ていうか、え、待って、本当に烏丸時生さん……なの?」
「うん、そうだよ。今朝も思ったけど、京介君はあんまりテレビ見ない方なのかな。これでも一応少しは人気ある方だと思ってたんだけどなー」

 時生はわざとらしくすねた顔を見せる。そんな表情も、とても愛らしい。

「あっ、ごごごごめんっ」
「あはは、嘘、冗談だよ気にしないで」

 時生は楽しそうに笑った。
 その表情もまた、愛らしい。

「さあ、それじゃあ、みんなで晩ごはん食べましょうか。今日は散らし寿司とお刺身よー」
「やったあ! お刺身大好き!」

 時生は嬉しそうに飛び跳ねた。
 そんな姿もまた愛らしい。
 なんか、もう、とにかく、可愛い。
 この時京介は、男子生徒が夢中になる理由にようやく気がついたのだった。



 そんなこんなで一家団欒の晩ごはんとなったのだが。正面には父・康介、その隣には義母の美月。そして京介の隣には、烏丸時生。

他人と食事をするのは苦手中の苦手なのに、食卓に他人が二人もいる。もう、それだけで、美味しいはずの散らし寿司が無味に思えた。

 正反対に、マルコは美味しそうに餌をがっついている。

「ごめんね京介君、今日は驚いたよね。ずっと写真とお母さんとお義父さんの話でしか京介君のこと知らなかったから、こっそり覗きに行っちゃった」
「そ、そうなんだ……」
「まったく時生ったら、帰ってくるまで我慢しなさいって言ったのに。ごめんなさいねぇ、京介君」
「いえ、全然……気にしないでください」
「がっはっは! まあでも良かったじゃねえか、兄妹が増えてよお!」
「困ったことがあったらなんでも相談してね? 私がちゃんと話を聞いてあげるから」
 時生はにっこり微笑む。
「あ、ありがとう……」

 たぶん、彼女にも美月にも、この先なにがあっても相談をすることはないだろう。京介は、はっきりとそう思っていた。

 別に家族と認めないと言っているわけではない、単純に、人に自分の気持ちを知られたくないだけだ。

「そういやあ京介、お前とゆっくり飯食うのも久しぶりだよなあ。最近学校はどうだ?」
「えっと……うん、まあ、普通かな」
「知ってた? 私、京介君と同じクラスなんだよ」
「そ、そうなんだ」
「よかったわねえ時生。学校楽しみでしょう」
「うん! 入学してからこの1ヶ月ずっと学校に行く日を心待ちにしてたもん。今晩寝れるかな」
「えっと……転校じゃないの?」
 隣でわくわくしている時生に、京介が聞いた。
「そうなの。時生は京介君と同じ青嵐高校に入学したんだけどね、お仕事の都合もあったし、なにより京介君が学校生活に慣れない間は時生とも一緒に暮らさない方がいいんじゃないかと思って。それで1ヶ月だけ休学することにしたの」
「京介は人が苦手だからなあ、学校にも慣れねえ家でも他人と顔合わせなくちゃならねえ、だったら落ち着くまで1ヶ月は間空けたほうがいいんじゃねえかって話になってな。あと普通に時生ちゃんが入学してきたらクラス中パニックでお前ぇも教室いんのしんどくなるだろ」
「やっぱりまだ早すぎたかしら。ごめんなさいね」
「い、いえ、全然大丈夫です!」

 本当は全然大丈夫ではないのだが、そんなこと言えるはずもなかった。男手一つで自分を育ててくれた父親の幸せを、自分の都合で台無しにしたくはない。我慢できるところは我慢しよう、京介はそう思った。

「ねえ京介君、明日一緒に学校に行こうね」
「う、うんそうだね……って、ま、待って一緒にはマズいよ! 一緒に暮らしてることもあんまり知られたくないっていうか」
「そうなの? どうして?」 

 時生は少し残念そうな顔を見せた。

「いや、ほら、だって。烏丸さんてアイドルだし……僕なんかと一緒に歩いてたらみんな驚いちゃうよ」
「そうねえ、時生ちゃんはアイドルだものねえ。しばらくは今まで通り送迎がいいんじゃないかしら」
「えー、京介君と一緒に登校したいよお」
「ワガママ言わないの。京介君にも迷惑でしょう」
「はあい」

 と素直に返事をしたものの、子供っぽく頬を膨らませて唇を尖らせ、あからさまに不満げな表情を見せている。そんな表情も、やっぱり可愛い。

 それから皆で他愛もない話をしながら食事をした。だが京介は他人との食事という苦行のお陰であまり美味しさを感じないのであった。



「はあ、本当に大変なことになったな……まさかあの烏丸時生とひとつ屋根の下で暮らすことになるなんて。なんか、こういうのってあれだよな……」

 京介は、風呂場に向かいながら、ぼんやりと考える。そう、こういう場合の定番のハプニングと言えば、お風呂で鉢合わせである。お風呂に入ろうと思ってドアを開けたら着替え途中の義理の妹、もしくは姉がいて……

「って、なに考えてんだ! 僕のバカバカ!」

 なんて考えてる間に風呂場に到着してしまった。

 もしかしたら、この扉を開けたら、うっかり時生がお風呂に入ろうとしているところに遭遇してしまうかもしれない。そういうハプニングが起きてもおかしくはない状況である。

 考えるだけで顔が赤くなってくる。

 だから京介は、扉をノックした。1回、2回……そしてこれでもかと言うほど連打した。が、中から返事はない。よかった、誰もいない。と、そおっと扉を開けて中に入る。

「なんだか気を使うなあ……」

 ため息をつき、服を脱ぐ。

 烏丸時生だからではない。年頃の女の子と暮らす、ということは、ガサツな父親とのふたり暮らしとはわけが違うのだ。

 今まで気にもしていなかったことを気にして生活していかなければならないのだ。

 でもそれは自分にはきっと想像もつかないことなのかもしれないし、それはこれから一緒に暮らしていきながら学んでいくしかないのだろう。

 今後の生活を少し不安に思いながら、パンツを脱いで洗濯かごに放り込んだ。 
 その瞬間。


 ガチャ。


 突然、扉が開かれた。
 しかも躊躇いもなく、一回でフルオープンだ。

「へ………?」

 京介は呆けた顔を見せた。

 誰だ? とそちらを見ると、そこには、時生がいた。彼女もお風呂に入ろうとしていたらしく、着替え一式を持っている。

 一方の京介は、全裸である。

 パンツは脱いだ直後だ。上も下も、身を覆う布を1枚も着けず、生まれたままの姿をさらけてしまっている。

 時が止まった。

 目が合ってしまっている。 
 
 嘘でしょう。

「あっ……あぁっ……あ…………あ………」

 京介は、顔が沸騰していくのを感じていた。きっと自分は顔を真っ赤にしているのだろう、それがわかるほど、耳まで熱くなっていく。

「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 咄嗟に胸と股間を隠し、情けなくくの字に体を曲げる。無駄とわかっていながら極力肌を隠そうとした努力の末のくの字である。

「ご、ごめんなさい! 私ったらいつもの癖で! あの、えっと、本当にごめんなさい!」

 時生も顔を真っ赤にし、大慌てで扉を閉めた。

 するとそこへ、京介の悲鳴を聞いた康介と美月が駆けつけた。

「あらあら、どうしたの二人とも?」
「なんだあ? ゴキブリでも出たのか?」
「あ、えっと、違くて! 私がノックもせずにドアを開けちゃったから……京介君お洋服脱いだとこで、裸だったんだ……」

 時生は少し恥ずかしそうに、そして、申し訳なさそうに説明した。

「あらあら。時生ちゃん、ちゃんとノックしてから開けないとだめよ? もう今までの生活とは違うんだから」
「あっはははは! なるほどなあ、そりゃあ確かに悲鳴も上げたくなるわな。びっくりしたよなあ」

 康介はゲラゲラ笑う。

「ごめんなさい、気をつけます……」

 そんなやり取りを扉越しに聞きながら、京介は、全身真っ赤にしながら蹲っていた。

「先が思いやられる………」

 それからすぐに、阿賀波家の洗面所の扉には「ノックをしてから開けること」という康介手書きの注意書きが貼られた。




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