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好きなの

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 そうか。天国って浮いているから地上から離れているのだ。花の種だけは飛ばされてきて、土ではなく雲にくっついて発芽する。水耕栽培みたいなもの。
 ああ、お風呂が恋しい。みずみずしい野菜が食べたい。甘いものも欲する。私は欲深なのかもしれない。だからここが合わない。
 汚い人がいないことと体が汚れないことは別だと思う。芯しん亭の従業員用風呂に入りたい。狭くてコの字で、好きだ。

「すまない。新月になるのを待っていた。こっちの空気はきれいすぎていつもの体では来られないんだ」
 一心さんが急に現れてびっくりした。
「一心さん?」
「ああ、この空気は苦手だ。吐き気がする。ずらかるぞ」
 掴まれた手が熱い。
「どうして?」
「こっちはお前には退屈だろう?」
 お見通しか。
「性格悪いからですかね?」
「俺もだ。あれ? このへんから上ってきたはずだが?」
 真っ白で平坦だから方向感覚がおかしくなる。足元は雲で隠されているし。
「数日しかいないのに、どうやってここへ来たのか覚えていません」
 私は言った。毎日が同じだから記憶に残らない。
「ここは、そういうところだ」
 呆けるを通り越して、記憶が薄れ、気力もなくなる。
「一心様?」
 心角さんの声がする。電話ではなくトランシーバーのようなもので連絡を取っている。
「迷った。どっちだ?」
「床の扉をお探しください」
 そう指示されても床も白いし、雲のような煙でぼんやりしている。
 歩くとその靄が動いて、一瞬だけ床が見える。
「強い風でも吹けばいいのだけれど」
 空の上だから風も吹かない。
「風か」
 鬼であれば力が使えるのだろうが、一心さんも今は私と変わらない人間だ。
「先輩、こっちです」
 凌平くんだった。
「来てたの?」
「予備要員です」
 地獄に落ちてからの期間が短いほうが人間としての部分が多く残っていると一心さんが教えてくれた。
「助かった」
 ひょこっと床から顔を出す凌平くんの腕を掴もうとしたときだった。
「危ない」
 一心さんの声に反応する間もなく私の右腕が私の体から離れた。

 痛いと思ったのは1秒後。
「その女は渡さない」
 天国にも大鎌を持つ人がいて、なんだか閻魔様みたいだなと思った。地獄よりも天国のほうで殺されそうになるって、どういうこと? 死ぬのかな。
「瑠莉?」
 一心様に名前を呼ばれるのは初めて。どくどくするのは、血が体外に流れているせいで心臓が頑張ってくれているから。がんばれ、私の心臓。
 でもね、無理みたい。だって、右腕の肘下から切られてしまったんだもの。
 痛いしじんじんする。
「瑠莉様、お気を確かに」
 心角さんの声がする。手拭いで止血してくれる。
「先輩、しっかり」
 凌平くんの声もする。
 人間界なら手術をしてどうにかなるのではないだろうか。地獄には祈祷師しかいない。鬼は強いから病気になりにくいのだ。
 ああ、体が冷たい。血が作れなくなっているのだろう。やだな、死ぬのは。もうちょっと生きて、お店を持ちたかったな。好きな人からも愛されたかった。強欲な私はきっと地獄に落ちるのだろう。一心さん、そうしたら私を雇ってくれますか?
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