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悪気なく悪い男

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 太陽が遠い分、朝晩の差が少ないから頼みは時計のみ。お客様を迎える時間、ごはんの配膳、お布団の準備、お送りする時間を知らせるためにあちこちで時計がごーんと鳴る。ピピっという機械音は少ない。
 芯しん亭の近くに店を持つ時計店の石上さんがずれた時計のメンテに来てくれる。ついでにアンティークの時計を大女将に見せて、
「掘り出し物ですよ」
 と売りつける。彼の常套句は私でも聞き飽きた。
「今買わないでいつ買うんですか?」「大女将のために特別に取り寄せました」「いい品はその価値がわかる人の元にゆくものですよ」
 見た目50歳くらいの白髪交じりのイケオジだ。本人はぎらついた宝石がついた時計よりも時を刻む音を聴いていたい奇人で、店内は時計音が響き渡る。私は頭が痛くなって、時計店にはずっとはいられない。しっかり者だろうに、大女将がこの人の口車に乗ってしまうところを既に何回か目の当たりにした。自分が騙されると思っていない人ほど騙しやすいってこういうことかと学ぶ。
 他にも芯しん亭では食材を運んでくれる人やリネン類のクリーニング屋さんの出入りがある。酒屋さんに配送業者。しかし、他業種との付き合いはさほど多くない。なんでもあるようで、ここに滞在する人間の娯楽は少ない。

 だから、甘いものとマッサージ。両方はむつかしいだろう。私もいつか鬼を雇ったりするのだろうか。
「マッサージのほうがいい」
 は澪さん。
「絶対に甘いものよ」
 と麻美さん。
「どっちも需要はありそうですけど」
 今里ちゃんは冷静だ。珠絵ちゃんはいつも繕い物をしている。
「予約制にしたら?」
 今里ちゃんの頭は柔軟だ。
「お花をしまい忘れてたわ」

 慌てて庭の花を室内へ。冷たい夜風に曝されても変わらずに花が咲いている。私の力などではない。
 豪華な鉢にしたせいで重すぎる。
「遅かったな。頭が冷たい」
 一心さんが私の頭に触れる。その髪の撫で方、きっと前の奥さんにもしたのでしょう?
「今夜は冷えますね」
 一心さんの部屋で、今日のキスは2秒。数えてしまった。
「すまん」
 と謝るくらいならしなければいいのに。
 一心さんはもしかしたら本当に私の力を安定させることだけを考えてくれているのかもしれない。私だけが邪な考えに流される。
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