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芯しん亭
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「ここだ」
連れて来られた芯しん亭は老舗の旅館のようだ。古そうだけれど、きれいにしている。
「立派な建物ですね」
奥になるほど段々と高くなる。5建てくらいだろうか。
「古いだけだ」
と一心さんも芯しん亭を見上げる。
「一心様、おかえりなさい。そちらが瑠莉様ですね。私、番頭の心角と申します」
心角さんは長い髪を束ねた美しい男の人。にっこりと優しい顔で微笑んでくれたが、一心さんよりも高身長。
「初めまして。菅原瑠莉です」
芯しん亭の脇には第二の門。門番には強そうな鬼が立っている。この向こうが本当の地獄。こちらの状況とは大きく異なるのだろう。それこそ異世界。
「たまに逃亡者が来るんですよ。大半は第一の門との間で捕われますが」
心角さんも見上げるほど巨大な門だ。
「門の向こうへ行ったことあるんですか?」
その質問はご法度らしかった。一心さんも押し黙る。
「手なんかつないで、仲良しですね。良きことです」
心角さんの言葉に思わず手を離す。
「これは違うんです。その、私が迷子になりそうで」
言い訳をしながら、これも嘘になるのだろうかと心配になる。嘘をつくほど罪が重くなる。地獄は下へ下へとダンジョンのような階層があって、罪を重ねるほど下へ行かされる。下へ行くのも這い上がるのもものすごく長い時間を要するらしい。人間が生きる人生では足りないほど。
「嫌だ。行きたくない」
声の方向を見ると、向かいの立派な宿から出てきた人が暴れていた。
「もうお沙汰は決まってるんだ」
腕を引っ張られても座り込んで中年男性が駄々をこねている。
「ここにいたい」
門と門の間には地獄へ行く人がほんの数日滞在するのが決まりごと。あとは商売をする鬼や許可を得た私のような人間、それから地獄で罪を償えない人が働いている。
「ほら、行くぞ」
鬼の役人に腕を引っ張られたら人間は転がるしかない。
「嫌だ」
ここへ来る前に地獄の講習を受けているのだろうから、罪を償わないと転生できないと知っているはず。地獄に行ったら死にたくても死ねない。門と門の間で湯に入り身を清め、人としての尊厳を失う覚悟をするのだ。
生きているのが辛くない人などいるだろうか。地獄はもっと辛い。
「待ってください」
私は声を発した。
役人のような鬼に縋る男性は足をひきずっていた。50代のおじさんが泣いて暴れているのは滑稽だった。死んだら体は病気から解放される。しかし長年の癖が抜けないのだろう。
足を擦ると筋肉が張っていた。
「そこに掛けて。ちょっと押しますね」
向かいの宿はいいところに足湯まである。その中でマッサージをしてあげる。
「気持ちいいです」
お湯が流れる音がおじさんの心もほぐす。
「痛くはないですか?」
私は聞いた。
「大丈夫です」
左足に比べて右足が極端に細い。ずっと歩けなかったのだろうか。
「ありがとう。もう、いいよ」
彼は私に頭を下げ、荷物の中から高級そうな時計をくれた。
「いや、いらないです」
男物でごついし。
「もう使わないから」
確かにそうだ。地獄にも時間の概念はあるけれど、四六時中明るさは同じだし、高級な時計も必要ない。
古くてずっしり重い腕時計だった。
「大切な人からの贈り物では?」
私は聞いた。
「父の遺品でね。でも僕は誰にも残せなかったから君にあげるよ」
重たいものをもらってしまったなと思った。しかし彼は扉の向こうへ消えていった。一瞬見えた地獄はここよりも更に暗く、湿った生温かい風が流れ込んできた。
連れて来られた芯しん亭は老舗の旅館のようだ。古そうだけれど、きれいにしている。
「立派な建物ですね」
奥になるほど段々と高くなる。5建てくらいだろうか。
「古いだけだ」
と一心さんも芯しん亭を見上げる。
「一心様、おかえりなさい。そちらが瑠莉様ですね。私、番頭の心角と申します」
心角さんは長い髪を束ねた美しい男の人。にっこりと優しい顔で微笑んでくれたが、一心さんよりも高身長。
「初めまして。菅原瑠莉です」
芯しん亭の脇には第二の門。門番には強そうな鬼が立っている。この向こうが本当の地獄。こちらの状況とは大きく異なるのだろう。それこそ異世界。
「たまに逃亡者が来るんですよ。大半は第一の門との間で捕われますが」
心角さんも見上げるほど巨大な門だ。
「門の向こうへ行ったことあるんですか?」
その質問はご法度らしかった。一心さんも押し黙る。
「手なんかつないで、仲良しですね。良きことです」
心角さんの言葉に思わず手を離す。
「これは違うんです。その、私が迷子になりそうで」
言い訳をしながら、これも嘘になるのだろうかと心配になる。嘘をつくほど罪が重くなる。地獄は下へ下へとダンジョンのような階層があって、罪を重ねるほど下へ行かされる。下へ行くのも這い上がるのもものすごく長い時間を要するらしい。人間が生きる人生では足りないほど。
「嫌だ。行きたくない」
声の方向を見ると、向かいの立派な宿から出てきた人が暴れていた。
「もうお沙汰は決まってるんだ」
腕を引っ張られても座り込んで中年男性が駄々をこねている。
「ここにいたい」
門と門の間には地獄へ行く人がほんの数日滞在するのが決まりごと。あとは商売をする鬼や許可を得た私のような人間、それから地獄で罪を償えない人が働いている。
「ほら、行くぞ」
鬼の役人に腕を引っ張られたら人間は転がるしかない。
「嫌だ」
ここへ来る前に地獄の講習を受けているのだろうから、罪を償わないと転生できないと知っているはず。地獄に行ったら死にたくても死ねない。門と門の間で湯に入り身を清め、人としての尊厳を失う覚悟をするのだ。
生きているのが辛くない人などいるだろうか。地獄はもっと辛い。
「待ってください」
私は声を発した。
役人のような鬼に縋る男性は足をひきずっていた。50代のおじさんが泣いて暴れているのは滑稽だった。死んだら体は病気から解放される。しかし長年の癖が抜けないのだろう。
足を擦ると筋肉が張っていた。
「そこに掛けて。ちょっと押しますね」
向かいの宿はいいところに足湯まである。その中でマッサージをしてあげる。
「気持ちいいです」
お湯が流れる音がおじさんの心もほぐす。
「痛くはないですか?」
私は聞いた。
「大丈夫です」
左足に比べて右足が極端に細い。ずっと歩けなかったのだろうか。
「ありがとう。もう、いいよ」
彼は私に頭を下げ、荷物の中から高級そうな時計をくれた。
「いや、いらないです」
男物でごついし。
「もう使わないから」
確かにそうだ。地獄にも時間の概念はあるけれど、四六時中明るさは同じだし、高級な時計も必要ない。
古くてずっしり重い腕時計だった。
「大切な人からの贈り物では?」
私は聞いた。
「父の遺品でね。でも僕は誰にも残せなかったから君にあげるよ」
重たいものをもらってしまったなと思った。しかし彼は扉の向こうへ消えていった。一瞬見えた地獄はここよりも更に暗く、湿った生温かい風が流れ込んできた。
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