4 / 99
芯しん亭
3
しおりを挟む
「ここだ」
連れて来られた芯しん亭は老舗の旅館のようだ。古そうだけれど、きれいにしている。
「立派な建物ですね」
奥になるほど段々と高くなる。5建てくらいだろうか。
「古いだけだ」
と一心さんも芯しん亭を見上げる。
「一心様、おかえりなさい。そちらが瑠莉様ですね。私、番頭の心角と申します」
心角さんは長い髪を束ねた美しい男の人。にっこりと優しい顔で微笑んでくれたが、一心さんよりも高身長。
「初めまして。菅原瑠莉です」
芯しん亭の脇には第二の門。門番には強そうな鬼が立っている。この向こうが本当の地獄。こちらの状況とは大きく異なるのだろう。それこそ異世界。
「たまに逃亡者が来るんですよ。大半は第一の門との間で捕われますが」
心角さんも見上げるほど巨大な門だ。
「門の向こうへ行ったことあるんですか?」
その質問はご法度らしかった。一心さんも押し黙る。
「手なんかつないで、仲良しですね。良きことです」
心角さんの言葉に思わず手を離す。
「これは違うんです。その、私が迷子になりそうで」
言い訳をしながら、これも嘘になるのだろうかと心配になる。嘘をつくほど罪が重くなる。地獄は下へ下へとダンジョンのような階層があって、罪を重ねるほど下へ行かされる。下へ行くのも這い上がるのもものすごく長い時間を要するらしい。人間が生きる人生では足りないほど。
「嫌だ。行きたくない」
声の方向を見ると、向かいの立派な宿から出てきた人が暴れていた。
「もうお沙汰は決まってるんだ」
腕を引っ張られても座り込んで中年男性が駄々をこねている。
「ここにいたい」
門と門の間には地獄へ行く人がほんの数日滞在するのが決まりごと。あとは商売をする鬼や許可を得た私のような人間、それから地獄で罪を償えない人が働いている。
「ほら、行くぞ」
鬼の役人に腕を引っ張られたら人間は転がるしかない。
「嫌だ」
ここへ来る前に地獄の講習を受けているのだろうから、罪を償わないと転生できないと知っているはず。地獄に行ったら死にたくても死ねない。門と門の間で湯に入り身を清め、人としての尊厳を失う覚悟をするのだ。
生きているのが辛くない人などいるだろうか。地獄はもっと辛い。
「待ってください」
私は声を発した。
役人のような鬼に縋る男性は足をひきずっていた。50代のおじさんが泣いて暴れているのは滑稽だった。死んだら体は病気から解放される。しかし長年の癖が抜けないのだろう。
足を擦ると筋肉が張っていた。
「そこに掛けて。ちょっと押しますね」
向かいの宿はいいところに足湯まである。その中でマッサージをしてあげる。
「気持ちいいです」
お湯が流れる音がおじさんの心もほぐす。
「痛くはないですか?」
私は聞いた。
「大丈夫です」
左足に比べて右足が極端に細い。ずっと歩けなかったのだろうか。
「ありがとう。もう、いいよ」
彼は私に頭を下げ、荷物の中から高級そうな時計をくれた。
「いや、いらないです」
男物でごついし。
「もう使わないから」
確かにそうだ。地獄にも時間の概念はあるけれど、四六時中明るさは同じだし、高級な時計も必要ない。
古くてずっしり重い腕時計だった。
「大切な人からの贈り物では?」
私は聞いた。
「父の遺品でね。でも僕は誰にも残せなかったから君にあげるよ」
重たいものをもらってしまったなと思った。しかし彼は扉の向こうへ消えていった。一瞬見えた地獄はここよりも更に暗く、湿った生温かい風が流れ込んできた。
連れて来られた芯しん亭は老舗の旅館のようだ。古そうだけれど、きれいにしている。
「立派な建物ですね」
奥になるほど段々と高くなる。5建てくらいだろうか。
「古いだけだ」
と一心さんも芯しん亭を見上げる。
「一心様、おかえりなさい。そちらが瑠莉様ですね。私、番頭の心角と申します」
心角さんは長い髪を束ねた美しい男の人。にっこりと優しい顔で微笑んでくれたが、一心さんよりも高身長。
「初めまして。菅原瑠莉です」
芯しん亭の脇には第二の門。門番には強そうな鬼が立っている。この向こうが本当の地獄。こちらの状況とは大きく異なるのだろう。それこそ異世界。
「たまに逃亡者が来るんですよ。大半は第一の門との間で捕われますが」
心角さんも見上げるほど巨大な門だ。
「門の向こうへ行ったことあるんですか?」
その質問はご法度らしかった。一心さんも押し黙る。
「手なんかつないで、仲良しですね。良きことです」
心角さんの言葉に思わず手を離す。
「これは違うんです。その、私が迷子になりそうで」
言い訳をしながら、これも嘘になるのだろうかと心配になる。嘘をつくほど罪が重くなる。地獄は下へ下へとダンジョンのような階層があって、罪を重ねるほど下へ行かされる。下へ行くのも這い上がるのもものすごく長い時間を要するらしい。人間が生きる人生では足りないほど。
「嫌だ。行きたくない」
声の方向を見ると、向かいの立派な宿から出てきた人が暴れていた。
「もうお沙汰は決まってるんだ」
腕を引っ張られても座り込んで中年男性が駄々をこねている。
「ここにいたい」
門と門の間には地獄へ行く人がほんの数日滞在するのが決まりごと。あとは商売をする鬼や許可を得た私のような人間、それから地獄で罪を償えない人が働いている。
「ほら、行くぞ」
鬼の役人に腕を引っ張られたら人間は転がるしかない。
「嫌だ」
ここへ来る前に地獄の講習を受けているのだろうから、罪を償わないと転生できないと知っているはず。地獄に行ったら死にたくても死ねない。門と門の間で湯に入り身を清め、人としての尊厳を失う覚悟をするのだ。
生きているのが辛くない人などいるだろうか。地獄はもっと辛い。
「待ってください」
私は声を発した。
役人のような鬼に縋る男性は足をひきずっていた。50代のおじさんが泣いて暴れているのは滑稽だった。死んだら体は病気から解放される。しかし長年の癖が抜けないのだろう。
足を擦ると筋肉が張っていた。
「そこに掛けて。ちょっと押しますね」
向かいの宿はいいところに足湯まである。その中でマッサージをしてあげる。
「気持ちいいです」
お湯が流れる音がおじさんの心もほぐす。
「痛くはないですか?」
私は聞いた。
「大丈夫です」
左足に比べて右足が極端に細い。ずっと歩けなかったのだろうか。
「ありがとう。もう、いいよ」
彼は私に頭を下げ、荷物の中から高級そうな時計をくれた。
「いや、いらないです」
男物でごついし。
「もう使わないから」
確かにそうだ。地獄にも時間の概念はあるけれど、四六時中明るさは同じだし、高級な時計も必要ない。
古くてずっしり重い腕時計だった。
「大切な人からの贈り物では?」
私は聞いた。
「父の遺品でね。でも僕は誰にも残せなかったから君にあげるよ」
重たいものをもらってしまったなと思った。しかし彼は扉の向こうへ消えていった。一瞬見えた地獄はここよりも更に暗く、湿った生温かい風が流れ込んできた。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした
結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。
飯屋の娘は魔法を使いたくない?
秋野 木星
ファンタジー
3歳の時に川で溺れた時に前世の記憶人格がよみがえったセリカ。
魔法が使えることをひた隠しにしてきたが、ある日馬車に轢かれそうになった男の子を助けるために思わず魔法を使ってしまう。
それを見ていた貴族の青年が…。
異世界転生の話です。
のんびりとしたセリカの日常を追っていきます。
※ 表紙は星影さんの作品です。
※ 「小説家になろう」から改稿転記しています。

それいけ!クダンちゃん
月芝
キャラ文芸
みんなとはちょっぴり容姿がちがうけど、中身はふつうの女の子。
……な、クダンちゃんの日常は、ちょっと変?
自分も変わってるけど、周囲も微妙にズレており、
そこかしこに不思議が転がっている。
幾多の大戦を経て、滅びと再生をくり返し、さすがに懲りた。
ゆえに一番平和だった時代を模倣して再構築された社会。
そこはユートピアか、はたまたディストピアか。
どこか懐かしい街並み、ゆったりと優しい時間が流れる新世界で暮らす
クダンちゃんの摩訶不思議な日常を描いた、ほんわかコメディ。
偏屈な辺境伯爵のメイドに転生しましたが、前世が秋葉原ナンバーワンメイドなので問題ありません
八星 こはく
恋愛
【愛されスキルで溺愛されてみせる!伯爵×ぽんこつメイドの身分差ラブ!】
「私の可愛さで、絶対ご主人様に溺愛させてみせるんだから!」
メイドカフェ激戦区・秋葉原で人気ナンバー1を誇っていた天才メイド・長谷川 咲
しかし、ある日目が覚めると、異世界で別人になっていた!
しかも、貧乏な平民の少女・アリスに生まれ変わった咲は、『使用人も怯えて逃げ出す』と噂の伯爵・ランスロットへの奉公が決まっていたのだ。
使用人としてのスキルなんて咲にはない。
でも、メイドカフェで鍛え上げた『愛され力』ならある。
そう決意し、ランスロットへ仕え始めるのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる