初愛シュークリーム

吉沢 月見

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★忙しくても

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 旅館のような和食の朝食を作った。
「あー、郁実ごめん。朝から米無理」
 気合を入れても空回り。
「じゃあみそ汁だけでも」
「うん」
 いつものマフィンのほうが片手で食べられてよかっただろうか。
「はい、どうぞ。ジャガイモは昨日の渡部さんにもらったやつ」
「おいしい」
「小さい玉ねぎもジャガイモも市場には出回らなくてもこうやってちゃんと消費されてるって知らなかった」
 都会で生きていると断面とか縮図しか見られない。
「そうかも。こっちに来てよかったね」
 と利紗子は笑った。
 そう思ってくれて嬉しいって言えたらいいのだけれど。
 後片付けもゴミ捨ても自分でする。期待してはいけない。利紗子だって、今まで何も言わずにやってくれていた。
 チリチリン。まだ開店前なのに、おばあさんが店に入ってきた。
「おはよう」
「おはようございます」
 見覚えはないが、口ぶりから察するとうちのシュークリームは初めてではないようで、たぶん親族が利紗子に仕事を依頼している側のようで、だからサービスしてねというのが会話の節々から感じられる。
 いつもだったらそういうことには対応しないのだが、利紗子の仕事が関わっているのなら仕方がない。
「私ね、あんこが好きなの。だからシューの皮にあんこだけ挟んでちょうだい」
 このばあさん、無茶言わないでよ。用意してないよ。
 でも、注文を受けて好きなものをオーダーで挟んであげるのもいいな。和香さんからちょうどこしあんが届いたところだった。旦那が迷惑かけたと良くしてくれる。あんなオーナーが伴侶でなかったら今頃は幸せな人生を歩んでいただろうし、ああいう人だから惚れてしまったんだろうなと推測する。和香さんは今、一人で日本中を食べ歩きながらライターのようなことをしているらしかった。
「生クリームもいらないですか?」
 私はおばあさんに聞いた。
「あったほうがおいしい?」
「私は、そっちのほうが好きです」
「甘すぎない?」
「まろやかになると思います」
「じゃあ、そうする。ふたつね。帰ってじいさんと食べるから」
 ふくよかだが、魔女みたいなたたずまいのおばあさん。
「お待たせしました」
「ありがとうね。いくら?」
「あ…」
 店頭にないものだから困る。
「これでいいかしら?」
 昔から500円玉が好きだ。それだけ握りしめて、散歩に出られる。大人になってからもそうだ。利紗子と散歩をするときもポケットに忍ばせる。二人分の飲み物くらいは買えるし、お菓子も買える。店があればの話だが。それを忘れて洗濯機から出て来たときには大目玉。だから、なるべく洗濯も自分でしたい。
 もらいすぎだな。今度来たらクッキーをおまけしよう。名前は知らないけれど雰囲気でわかる。
 あんこの使い道に困っていたけど、消費方法はたくさんありそうだ。シュークリームの発想はなかった。
 店の排水溝の吸い込みが今日は悪い。お昼に冷凍うどんをすすりながらも気になってしまう。
「小向さんのお父さんが建築関係って言ってたから詳しいかなぁ」
 と利紗子が電話をしてしまう。
 ご近所さんだからすぐに来てくれた。
「建築士なんだけどね」
 と苦笑い。
「すいません」
 利紗子は二階で自分の仕事をしている。
「女の人よりは得意かも。ま、こまめに掃除することだね」
 小向さんは即席の、古くなったスポンジにいらない棒を刺して、排水をごしごししてくれた。
「こんなこと頼んで申し訳ないです」
「若い女の子に頼れるのは嬉しいよ」
 女の子だって思われることに違和感はない。だから、私の心は女なのだろう。
 利紗子の音楽がこちらにまで聞こえてくる。
「利紗子ちゃん? 見かけによらず激しい音楽好きだね?」
 おじさんがリズムに乗って頭を振る。病気に差し障りがないだろうか。
「すいません。仕事をしていると音が聞こえないみたいで」
「音楽っていいよね。音が楽しいで音楽だよ」
 そんなふうに思ったことなかった。嫌いな習い事のひとつにすぎなかった。
「小向さんのお店にもオルガンありますよね。弾けるんですか?」
 小向さんのカフェの隅に年代物のオルガンがあった。いつも布がかけてあって、まるでアンティークの飾り物。
「ううん。音は出るよ。弾けるなら弾いてあげて」
「はい」
 もう何年も鍵盤に指を乗せていない。それでも、指に感触が残っている。
 小向さんは前の仕事のつながりで、こっちにも知り合いが多数いるらしい。掃除の手配ならするよと言ってくれた。
「郁ちゃんは、苦労している手をしているな」
 男の人に腕を掴まれたのに、嫌な感じはしなかった。
「そうですか?」
「人の苦労は手に出るって言うだろう?」
「男の人はそうかもしれませんね。女は手が一番先に老けるらしいです」
 人から見れば苦労なのかもしれないが、利紗子を好きなことをそれにはしたくない。親が望む人生が楽だったのかもしれないし、それはそれで苦労しただろう。たぶん自分を追い詰めていたと思う。
「人生でほろ苦さを知らない人は、逆に損をしているよ」
 小向さんが笑う。
 歳を取ったら私もそう言えるのだろうか。
 掃除を終えた小向さんとコーヒーを飲む。幾つか買ったものを選んでいる途中だった。
「お店で出すのはこの薄いのにしようかと」
 そろそろここで食べられるようにしないと客が増える気がしない。
「うん、おいしい。すっきりした味で甘いものに合いそうだ」
 小向さんにそう言ってもらえるとほっとする。
「すいません。カフェの商売の邪魔ですよね?」
「あははっ。うちが混んでいたらこっちに来る人もいるだろうし、逆もあるだろう? お互い様だよ」
 悪い人ではないのだろう。でも、小向さんから見たら私も利紗子も女なのだ。
 どうしてか警戒してしまう。まだチャラい息子の源基のほうが信頼できる。無理強いをしない奴だ。
 利紗子にお茶を届けるとパソコンにキスする寸前だった。
「顔近いよ」
「ああ、だから肩凝るのか。目もカピカピ」
 モニターには暗号が並ぶ。
 夜までずっとその調子。先に寝ても、
「え、リンク切れ?」
 と叫び声が聞こえた。
 折角こっちにいるのだから、一緒に星が見たいよ。誰と見上げてもきれいなのだろうが、一緒に見るなら利紗子がいい。4月の夜空にも星はある。正座には詳しくないけど。田舎に暮らしても星なんてほとんど見ない。利紗子と見たいな。そんな余裕はないようだけど。星はずっとあるから、いつかのんびり見よう。冬がきれいなんだよな。そう思いながら年だけ取るのだろう。利紗子と一緒なら、それもよし。見えなくても星はきれい。ずっと消えないで。
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