28 / 41
★忙しくても
27
しおりを挟む
旅館のような和食の朝食を作った。
「あー、郁実ごめん。朝から米無理」
気合を入れても空回り。
「じゃあみそ汁だけでも」
「うん」
いつものマフィンのほうが片手で食べられてよかっただろうか。
「はい、どうぞ。ジャガイモは昨日の渡部さんにもらったやつ」
「おいしい」
「小さい玉ねぎもジャガイモも市場には出回らなくてもこうやってちゃんと消費されてるって知らなかった」
都会で生きていると断面とか縮図しか見られない。
「そうかも。こっちに来てよかったね」
と利紗子は笑った。
そう思ってくれて嬉しいって言えたらいいのだけれど。
後片付けもゴミ捨ても自分でする。期待してはいけない。利紗子だって、今まで何も言わずにやってくれていた。
チリチリン。まだ開店前なのに、おばあさんが店に入ってきた。
「おはよう」
「おはようございます」
見覚えはないが、口ぶりから察するとうちのシュークリームは初めてではないようで、たぶん親族が利紗子に仕事を依頼している側のようで、だからサービスしてねというのが会話の節々から感じられる。
いつもだったらそういうことには対応しないのだが、利紗子の仕事が関わっているのなら仕方がない。
「私ね、あんこが好きなの。だからシューの皮にあんこだけ挟んでちょうだい」
このばあさん、無茶言わないでよ。用意してないよ。
でも、注文を受けて好きなものをオーダーで挟んであげるのもいいな。和香さんからちょうどこしあんが届いたところだった。旦那が迷惑かけたと良くしてくれる。あんなオーナーが伴侶でなかったら今頃は幸せな人生を歩んでいただろうし、ああいう人だから惚れてしまったんだろうなと推測する。和香さんは今、一人で日本中を食べ歩きながらライターのようなことをしているらしかった。
「生クリームもいらないですか?」
私はおばあさんに聞いた。
「あったほうがおいしい?」
「私は、そっちのほうが好きです」
「甘すぎない?」
「まろやかになると思います」
「じゃあ、そうする。ふたつね。帰ってじいさんと食べるから」
ふくよかだが、魔女みたいなたたずまいのおばあさん。
「お待たせしました」
「ありがとうね。いくら?」
「あ…」
店頭にないものだから困る。
「これでいいかしら?」
昔から500円玉が好きだ。それだけ握りしめて、散歩に出られる。大人になってからもそうだ。利紗子と散歩をするときもポケットに忍ばせる。二人分の飲み物くらいは買えるし、お菓子も買える。店があればの話だが。それを忘れて洗濯機から出て来たときには大目玉。だから、なるべく洗濯も自分でしたい。
もらいすぎだな。今度来たらクッキーをおまけしよう。名前は知らないけれど雰囲気でわかる。
あんこの使い道に困っていたけど、消費方法はたくさんありそうだ。シュークリームの発想はなかった。
店の排水溝の吸い込みが今日は悪い。お昼に冷凍うどんをすすりながらも気になってしまう。
「小向さんのお父さんが建築関係って言ってたから詳しいかなぁ」
と利紗子が電話をしてしまう。
ご近所さんだからすぐに来てくれた。
「建築士なんだけどね」
と苦笑い。
「すいません」
利紗子は二階で自分の仕事をしている。
「女の人よりは得意かも。ま、こまめに掃除することだね」
小向さんは即席の、古くなったスポンジにいらない棒を刺して、排水をごしごししてくれた。
「こんなこと頼んで申し訳ないです」
「若い女の子に頼れるのは嬉しいよ」
女の子だって思われることに違和感はない。だから、私の心は女なのだろう。
利紗子の音楽がこちらにまで聞こえてくる。
「利紗子ちゃん? 見かけによらず激しい音楽好きだね?」
おじさんがリズムに乗って頭を振る。病気に差し障りがないだろうか。
「すいません。仕事をしていると音が聞こえないみたいで」
「音楽っていいよね。音が楽しいで音楽だよ」
そんなふうに思ったことなかった。嫌いな習い事のひとつにすぎなかった。
「小向さんのお店にもオルガンありますよね。弾けるんですか?」
小向さんのカフェの隅に年代物のオルガンがあった。いつも布がかけてあって、まるでアンティークの飾り物。
「ううん。音は出るよ。弾けるなら弾いてあげて」
「はい」
もう何年も鍵盤に指を乗せていない。それでも、指に感触が残っている。
小向さんは前の仕事のつながりで、こっちにも知り合いが多数いるらしい。掃除の手配ならするよと言ってくれた。
「郁ちゃんは、苦労している手をしているな」
男の人に腕を掴まれたのに、嫌な感じはしなかった。
「そうですか?」
「人の苦労は手に出るって言うだろう?」
「男の人はそうかもしれませんね。女は手が一番先に老けるらしいです」
人から見れば苦労なのかもしれないが、利紗子を好きなことをそれにはしたくない。親が望む人生が楽だったのかもしれないし、それはそれで苦労しただろう。たぶん自分を追い詰めていたと思う。
「人生でほろ苦さを知らない人は、逆に損をしているよ」
小向さんが笑う。
歳を取ったら私もそう言えるのだろうか。
掃除を終えた小向さんとコーヒーを飲む。幾つか買ったものを選んでいる途中だった。
「お店で出すのはこの薄いのにしようかと」
そろそろここで食べられるようにしないと客が増える気がしない。
「うん、おいしい。すっきりした味で甘いものに合いそうだ」
小向さんにそう言ってもらえるとほっとする。
「すいません。カフェの商売の邪魔ですよね?」
「あははっ。うちが混んでいたらこっちに来る人もいるだろうし、逆もあるだろう? お互い様だよ」
悪い人ではないのだろう。でも、小向さんから見たら私も利紗子も女なのだ。
どうしてか警戒してしまう。まだチャラい息子の源基のほうが信頼できる。無理強いをしない奴だ。
利紗子にお茶を届けるとパソコンにキスする寸前だった。
「顔近いよ」
「ああ、だから肩凝るのか。目もカピカピ」
モニターには暗号が並ぶ。
夜までずっとその調子。先に寝ても、
「え、リンク切れ?」
と叫び声が聞こえた。
折角こっちにいるのだから、一緒に星が見たいよ。誰と見上げてもきれいなのだろうが、一緒に見るなら利紗子がいい。4月の夜空にも星はある。正座には詳しくないけど。田舎に暮らしても星なんてほとんど見ない。利紗子と見たいな。そんな余裕はないようだけど。星はずっとあるから、いつかのんびり見よう。冬がきれいなんだよな。そう思いながら年だけ取るのだろう。利紗子と一緒なら、それもよし。見えなくても星はきれい。ずっと消えないで。
「あー、郁実ごめん。朝から米無理」
気合を入れても空回り。
「じゃあみそ汁だけでも」
「うん」
いつものマフィンのほうが片手で食べられてよかっただろうか。
「はい、どうぞ。ジャガイモは昨日の渡部さんにもらったやつ」
「おいしい」
「小さい玉ねぎもジャガイモも市場には出回らなくてもこうやってちゃんと消費されてるって知らなかった」
都会で生きていると断面とか縮図しか見られない。
「そうかも。こっちに来てよかったね」
と利紗子は笑った。
そう思ってくれて嬉しいって言えたらいいのだけれど。
後片付けもゴミ捨ても自分でする。期待してはいけない。利紗子だって、今まで何も言わずにやってくれていた。
チリチリン。まだ開店前なのに、おばあさんが店に入ってきた。
「おはよう」
「おはようございます」
見覚えはないが、口ぶりから察するとうちのシュークリームは初めてではないようで、たぶん親族が利紗子に仕事を依頼している側のようで、だからサービスしてねというのが会話の節々から感じられる。
いつもだったらそういうことには対応しないのだが、利紗子の仕事が関わっているのなら仕方がない。
「私ね、あんこが好きなの。だからシューの皮にあんこだけ挟んでちょうだい」
このばあさん、無茶言わないでよ。用意してないよ。
でも、注文を受けて好きなものをオーダーで挟んであげるのもいいな。和香さんからちょうどこしあんが届いたところだった。旦那が迷惑かけたと良くしてくれる。あんなオーナーが伴侶でなかったら今頃は幸せな人生を歩んでいただろうし、ああいう人だから惚れてしまったんだろうなと推測する。和香さんは今、一人で日本中を食べ歩きながらライターのようなことをしているらしかった。
「生クリームもいらないですか?」
私はおばあさんに聞いた。
「あったほうがおいしい?」
「私は、そっちのほうが好きです」
「甘すぎない?」
「まろやかになると思います」
「じゃあ、そうする。ふたつね。帰ってじいさんと食べるから」
ふくよかだが、魔女みたいなたたずまいのおばあさん。
「お待たせしました」
「ありがとうね。いくら?」
「あ…」
店頭にないものだから困る。
「これでいいかしら?」
昔から500円玉が好きだ。それだけ握りしめて、散歩に出られる。大人になってからもそうだ。利紗子と散歩をするときもポケットに忍ばせる。二人分の飲み物くらいは買えるし、お菓子も買える。店があればの話だが。それを忘れて洗濯機から出て来たときには大目玉。だから、なるべく洗濯も自分でしたい。
もらいすぎだな。今度来たらクッキーをおまけしよう。名前は知らないけれど雰囲気でわかる。
あんこの使い道に困っていたけど、消費方法はたくさんありそうだ。シュークリームの発想はなかった。
店の排水溝の吸い込みが今日は悪い。お昼に冷凍うどんをすすりながらも気になってしまう。
「小向さんのお父さんが建築関係って言ってたから詳しいかなぁ」
と利紗子が電話をしてしまう。
ご近所さんだからすぐに来てくれた。
「建築士なんだけどね」
と苦笑い。
「すいません」
利紗子は二階で自分の仕事をしている。
「女の人よりは得意かも。ま、こまめに掃除することだね」
小向さんは即席の、古くなったスポンジにいらない棒を刺して、排水をごしごししてくれた。
「こんなこと頼んで申し訳ないです」
「若い女の子に頼れるのは嬉しいよ」
女の子だって思われることに違和感はない。だから、私の心は女なのだろう。
利紗子の音楽がこちらにまで聞こえてくる。
「利紗子ちゃん? 見かけによらず激しい音楽好きだね?」
おじさんがリズムに乗って頭を振る。病気に差し障りがないだろうか。
「すいません。仕事をしていると音が聞こえないみたいで」
「音楽っていいよね。音が楽しいで音楽だよ」
そんなふうに思ったことなかった。嫌いな習い事のひとつにすぎなかった。
「小向さんのお店にもオルガンありますよね。弾けるんですか?」
小向さんのカフェの隅に年代物のオルガンがあった。いつも布がかけてあって、まるでアンティークの飾り物。
「ううん。音は出るよ。弾けるなら弾いてあげて」
「はい」
もう何年も鍵盤に指を乗せていない。それでも、指に感触が残っている。
小向さんは前の仕事のつながりで、こっちにも知り合いが多数いるらしい。掃除の手配ならするよと言ってくれた。
「郁ちゃんは、苦労している手をしているな」
男の人に腕を掴まれたのに、嫌な感じはしなかった。
「そうですか?」
「人の苦労は手に出るって言うだろう?」
「男の人はそうかもしれませんね。女は手が一番先に老けるらしいです」
人から見れば苦労なのかもしれないが、利紗子を好きなことをそれにはしたくない。親が望む人生が楽だったのかもしれないし、それはそれで苦労しただろう。たぶん自分を追い詰めていたと思う。
「人生でほろ苦さを知らない人は、逆に損をしているよ」
小向さんが笑う。
歳を取ったら私もそう言えるのだろうか。
掃除を終えた小向さんとコーヒーを飲む。幾つか買ったものを選んでいる途中だった。
「お店で出すのはこの薄いのにしようかと」
そろそろここで食べられるようにしないと客が増える気がしない。
「うん、おいしい。すっきりした味で甘いものに合いそうだ」
小向さんにそう言ってもらえるとほっとする。
「すいません。カフェの商売の邪魔ですよね?」
「あははっ。うちが混んでいたらこっちに来る人もいるだろうし、逆もあるだろう? お互い様だよ」
悪い人ではないのだろう。でも、小向さんから見たら私も利紗子も女なのだ。
どうしてか警戒してしまう。まだチャラい息子の源基のほうが信頼できる。無理強いをしない奴だ。
利紗子にお茶を届けるとパソコンにキスする寸前だった。
「顔近いよ」
「ああ、だから肩凝るのか。目もカピカピ」
モニターには暗号が並ぶ。
夜までずっとその調子。先に寝ても、
「え、リンク切れ?」
と叫び声が聞こえた。
折角こっちにいるのだから、一緒に星が見たいよ。誰と見上げてもきれいなのだろうが、一緒に見るなら利紗子がいい。4月の夜空にも星はある。正座には詳しくないけど。田舎に暮らしても星なんてほとんど見ない。利紗子と見たいな。そんな余裕はないようだけど。星はずっとあるから、いつかのんびり見よう。冬がきれいなんだよな。そう思いながら年だけ取るのだろう。利紗子と一緒なら、それもよし。見えなくても星はきれい。ずっと消えないで。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
毎日告白
モト
ライト文芸
高校映画研究部の撮影にかこつけて、憧れの先輩に告白できることになった主人公。
同級生の監督に命じられてあの手この手で告白に挑むのだが、だんだんと監督が気になってきてしまい……
高校青春ラブコメストーリー
【7】父の肖像【完結】
ホズミロザスケ
ライト文芸
大学進学のため、この春に一人暮らしを始めた娘が正月に帰って来ない。その上、いつの間にか彼氏まで出来たと知る。
人見知りの娘になにがあったのか、居ても立っても居られなくなった父・仁志(ひとし)は、妻に内緒で娘の元へ行く。
短編(全七話)。
「いずれ、キミに繋がる物語」シリーズ七作目(登場する人物が共通しています)。単品でも問題なく読んでいただけます。
※当作品は「カクヨム」「小説家になろう」にも同時掲載しております。(過去に「エブリスタ」にも掲載)
【完結】【R18百合】会社のゆるふわ後輩女子に抱かれました
千鶴田ルト
恋愛
本編完結済み。細々と特別編を書いていくかもしれません。
レズビアンの月岡美波が起きると、会社の後輩女子の桜庭ハルナと共にベッドで寝ていた。
一体何があったのか? 桜庭ハルナはどういうつもりなのか? 月岡美波はどんな選択をするのか?
おすすめシチュエーション
・後輩に振り回される先輩
・先輩が大好きな後輩
続きは「会社のシゴデキ先輩女子と付き合っています」にて掲載しています。
だいぶ毛色が変わるのでシーズン2として別作品で登録することにしました。
読んでやってくれると幸いです。
「会社のシゴデキ先輩女子と付き合っています」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/759377035/615873195
※タイトル画像はAI生成です
思い出を売った女
志波 連
ライト文芸
結婚して三年、あれほど愛していると言っていた夫の浮気を知った裕子。
それでもいつかは戻って来ることを信じて耐えることを決意するも、浮気相手からの執拗な嫌がらせに心が折れてしまい、離婚届を置いて姿を消した。
浮気を後悔した孝志は裕子を探すが、痕跡さえ見つけられない。
浮気相手が妊娠し、子供のために再婚したが上手くいくはずもなかった。
全てに疲弊した孝志は故郷に戻る。
ある日、子供を連れて出掛けた海辺の公園でかつての妻に再会する。
あの頃のように明るい笑顔を浮かべる裕子に、孝志は二度目の一目惚れをした。
R15は保険です
他サイトでも公開しています
表紙は写真ACより引用しました
私たちは、お日様に触れていた。
柑実 ナコ
ライト文芸
《迷子の女子高生》と《口の悪い大学院生》
これはシノさんが仕組んだ、私と奴の、同居のお話。
◇
梶 桔帆(かじ きほ)は、とある出来事をきっかけに人と距離を取って過ごす高校2年生。しかし、バイト先の花屋で妻のために毎月花を買いにくる大学教授・東明 駿(しのあき すぐる)に出会い、何故か気に入られてしまう。お日様のような笑顔の東明に徐々に心を開く中、彼の研究室で口の悪い大学院生の久遠 綾瀬(くどお あやせ)にも出会う。東明の計らいで同居をする羽目になった2人は、喧嘩しながらも友人や家族と向き合いながら少しずつ距離を縮めていく。そして、「バカンスへ行く」と言ったきり家に戻らない東明が抱えてきた秘密と覚悟を知る――。
出版社はじめました
まさくん
ライト文芸
新社会人の僕は、ラノベの編集者となるため、ある出版社へ入社した。
その出版社は、クレヒロ出版社という会社であるが、できたばかりで編集者は僕一人。社員も社長を合わせてもわずか10人、専属の小説家に限っては0。誰一人としていないのである。
なのに、半年後には、クレヒロ出版が新設するラノベレーベルのクレヒロノベルの第1作目を半年後に発売予定というが、何もない。僕しかいない編集部なのに、入稿締め切りまで4ヶ月。それまでに小説家を見つけ、発売することはできるのか。そして、その小説を売ることはできるのか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる