初愛シュークリーム

吉沢 月見

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☆日々

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 一人で寂しいのに、郁実はシュークリームを作っていってくれなかった。
 郁実って寡黙というよりも、必要なことしか伝達してくれない。実は、音大を中退したことも知らなかった。他の人から聞かされる虚しさを知らないのだろう。
「寂しい」
 そう呟きながら、源基の穴埋めという言葉の卑猥さに今頃気づく。穴を埋めたくて郁実と付き合っているわけじゃない。
「はあ」
 ため息をついても一人。
 郁実は楽しくやっているだろうか。
 合宿って、もしかして女と同室だったりするのかな。
 ネットで調べたら、
『その場合あり』
 って。今は大学も始まって閑散期のはず。人が多ければ相部屋ということなのだろうか。
 ああ、郁実が今他の女の人といると考えると胸が締め付けられる。その点でもやっぱり普通の恋。
 いつもはマメでないのに、
『勉強久々。脳みそ疲れる』
『いきなり車に乗るんだね。まだ教習所の敷地内だけど』
 と頻繁にメッセージをくれた。それが余計に浮気を疑う。
 郁実は他人がそんなに好きではないから一人部屋をいつもなら選ぶはず。しかし、今回の合宿の費用を鑑みて、節約をしようと思っちゃったりするのかもしれない。相部屋の女の子が偶然にかわいくて、私よりも若くてピッチピチのぷにぷにで性格だってすこぶるいい子かもしれない。
 女だけじゃない。郁実はきれいだから男に声をかけられる可能性もある。教習所に通っていた知り合いが教官に一目惚れをしていたことを思い出した。車の中は教官と二人だ。密室と変わらない。
 郁実が本当は男が好きだと気づくことがあるのだろうか。無意識に優しい男の人って世の中にたくさんいる。
「だめだ」
 布団に入ったのにちっとも眠れない。
『抱腹絶倒』
 とスマホに打とうとして、
『報復窃盗』
 になる。
 楽しい動画を見ても笑えない。
 郁実がいないだけで、私の世界は地獄だ。
「うぇーん」
 と泣いたって郁実には届かないのに。
 ぐらっと一瞬だけ揺れた。
『利紗子、地震だよ。気をつけて』
 郁実からメッセージが届いた。
「郁実、好きぃ」
 とスマホに向かって叫んだ。
 私は自分でも気持ち悪いと思うのだけれど、子どものときから大泣きすると大雨が降ったり、今みたいにとてつもなく寂しいと地震が起こる。なんの力もないはずなのに、なにかとリンクしてしまう。私の寂しさで誰かが不幸になるのは嫌だから、郁実がくれた文字を見て心を静める。
 返信を忘れていたら郁実から電話がかかってきた。
「郁実、ごめん。お風呂に入ってた。うん、こっちもちょっと揺れた」
「本当にお風呂? 浮気してない?」
「してないよ」
 郁実の声にほっとする。
「一人だから退屈」
 と郁実がぼやく。
「一緒に合宿している人いないの?」
「みんな大学生で若いよ」
「そっか」
 心配をかけたくないからゴミを漁られたことを言わなかった。人じゃない。獣かカラス。どれも嫌だ。
「棚が倒れて利紗子が潰れてないならよかった。じゃあ、おやすみ」
「うん、おやすみなさい」
「湯冷めしないようにね。頭ちゃんと乾かすんだよ」
 なぜだろう。電話越しだと郁実がしっかり者風味。そっちこそ脇を甘くしないでね。
 誰かに大切に思われるのって嬉しい。それが郁実だからもっと嬉しい。
 こういう気持ちに昔の偉い人はいちいち名前をつけていったのだろう。慕情に嬉しさを加えたらなんですか? 愛に幸せをのっけたらなんでしょう? 教えてください。
 郁実がいない日は寂しい。この寂しさをバネにして、日記を書く。田舎暮らしのこと、パートナーと暮らすということ、お仕事のお願い。
 郁実の店の名前を出して、仕事の成果を見せられたらいいのだが、それでは身バレの危険が伴う。
 こんなところまでわざわざ嫌がらせをしに来る人は少ないだろう。交際をオープンにすれば、むしろ好感を持ってくれる人も少なくないかもしれない。
 敢えてマイノリティになることを選択したわけじゃない。郁実が好き。それだけ。
 パソコンに向かっていると時間の経過はあっという間。写真の色補正をしていただけでもう日が暮れる。
 家の裏口付近から物音がする。泥棒? タヌキ?
 キッチンの鍋と包丁を手にする。
 ひよるな、私。
 勝手口のドアを少し開ける。
 鳥が鳥を食べていた。立派な足で押さえつけ、鋭い嘴でついばむ。彼か彼女かは知らないが大きな鳥さんの食事。
 私は扉をそっと閉め、その場にへたり込む。
 郁実が掃除好きでよかった。キッチンの床なのに清潔。仕事を終えて掃除、始めるときも掃除から。無駄じゃないかと私は思う。
 それは前のオーナーのすり込みらしい。なんというか、郁実は彼に憧れていて、崇拝している。いい加減な部分を取り除けば、腕のいいパティシエなのだろう。
「空気を読んでお菓子が作れる人」
 と郁実は褒め称える。
「温度とか湿度が感覚でわかるっていうこと?」
 と聞くと、
「それだけじゃないよ。今日はこれが売れるとか、お客さんが少ないだろうとかまでわかるの」
 と言った。
「それって、ただ雨とか天気がいいからさっぱりしたものとか、長年の経験からくるものでしょ?」
 私の言葉に、
「もっと神々しく考えてよ」
 と郁実は言った。
「お菓子の神様に愛されてるとか?」
「そうそう。なりたいな」
 腕とか見極める力は、やはり経験だと私は思う。前に勤めていた会社の営業さんとはどうしても色バランスが合わない人がいた。
「同色のほうが柔らかいイメージになりますよ」
 と訴えても、
「ここが水色なんだからこっちは黄色でしょ? よくそんなのでWEBデザイナーって言えるな」
 とぶちギレ。
 なんとかねじ込んでクライアントに見てもらえば私の案のほうがいいと言われる。私は普通なのだ。反対に彼のような突飛な発想はできない。
 それなのに、郁実を好きになった。一緒にいると楽しい。幸せ。
 離れていてこれだけ想うのだから傍にいたら尚更。
 そうではない夫婦が多いと聞く。結婚したら途端に嫌いになってしまったり、長年の夫婦生活で相手に幻滅したり。夫婦になれないから、私はこんなにも郁実が大切なのだろうか。
 一人で考えても埒が明かない。
 再びドアを開けると、鳥の羽が残っていた。そこは食べる箇所がないのだろうか。骨っぽいもの。目を逸らしながら土をかける。
 郁実が帰って来たら伝えよう。よくやったと褒めてもらおう。
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