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☆日々
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一秒が続いて一分になり、一時間になり、一日が終わる。
朝起きてキスをして、朝食を作りながらまたキスをした。これぞ、同棲の醍醐味。
なんとなく、朝食と夜ごはんは郁実が作り、お昼は私の担当になってきた。
悩みはもちろんある。郁実のシュークリームが売れないこと、私に仕事が回って来ないこと。
どちらかがバズれば二人とも収入面だけでも安心できるのに。
シュークリームを作っているときの郁実の真剣な顔が好き。化粧はしないのに、きれいな肌。切れ長の目に長い睫毛、黒髪ショート。仕事中は衛生面を気にして帽子。眉毛が入らないように目深にかぶるから小顔が更に強調される。
混ぜるも振るうも手伝わせてくれない。彼女なりの、こだわりが随所にある。生クリームの泡立ても自分でする。容器にうつす、冷やすために運ぶ。腱鞘炎の私にお菓子作りのお手伝いは向かない。
会社に勤めていたとき、
「全部を自分でしようとするな」
と上司に幾度か注意されたが、それのなにがいけなかったのだろう。郁実を見ていると余計にそう思う。新人のために簡単な仕事を作り、わかりやすく教えても結局自分で直す。それならば一人でしたほうがいい。病気になったら、ケガをしたときに困ると言われるが、そんなこと滅多にない。
「利紗子、薬を飲むならお水でね」
郁実を見ていても仕事はできる。だか、ここはもう彼女の空間だ。
「はいはい。上にいるね。混んだら呼んで」
「うん」
郁実の体温は冷たい。その点では菓子職人に向いていた。でも人に使われるのとか、人を雇うのとかはきっと向いていない。寡黙というよりも、話すことが苦手。それなのに、よくお店を自分で始めようと思ったものだ。
保健所の人に来てもらって、隅々まで見られる。元々レストランだったから問題はないよう。トイレの手洗い場所が別に必要だなんて知らなかった。確かに思い返すと多くのレストランがそうだ。それから消防署にも届けを出して、営業許可を提出。
オープン日を決めて、メニューを決めるあたりからは私の出番。ポップを作って、ホームページを作り始める。それ用に写真を撮る。
「いろいろさせちゃって悪いね」
が郁実の口癖。
「好きでやってるの」
というか、二人の生活のため。お互いにわかっているのに、そう言えない。
「利紗子、『プレーン』と『オリジナル』ってどっちがいい?」
郁実が聞く。
「自分で決めなさいよ。店主でしょ?」
「オーナーは『エクレア』で出してたな。味ついてるのは、『エクレア(苺)』だった」
「どうするの?」
それによってはメニュー表も変わる。ホームページも。
「ちょっと考える」
ノーマルという言葉が頭に浮かんだけれど、言葉にはしなかった。それはちょっとニュアンスが違う。
苺は近くの直売所で買っている。
『いちご(季節限定)』
ずっとパソコンの文字を見ているせいか、いちごは平仮名がかわいいと思う。
『抹茶』
は漢字。抹茶の粉は郁実がオーナーの奥さんから送ってもらったもの。和香さんに頼ることに私は反対したけれど、
「なんで?」
と郁実は気にも留めてくれない。
人との接点を持ちたがらない郁実が頼れるのが、よりによってどうして郁実を傷つけた人たちなんだろうと私は疑問に思う。奥さんは悪い人ではないようだったがお金にずるく、遂には郁実は退職金をもらえなかった。そのことに不満のない郁実のほうが謎。個人店だったから仕方ないと思っているのだろうか。
仕事のために私はパソコンを買った。安物のノートパソコン。ホームページのトップ画面にシュークリームの写真を貼りつける。メニュー、アクセス、ご注文はこちらにと別ページに飛べるようにする。
「利紗子、クッキー焼いてみた」
郁実がクッキーとほうじ茶を持ってきてくれていた。
「ありがとう」
チョコで模様ができている。プリントでもないのに、すごい。
「焼きたて」
と郁実がむしゃむしゃ食べる。
「食べる前に写真撮る」
「これ、試作だよ。写真撮るならもっとちゃんと作るよ」
これで? こんなにすごい幾何学模様なのに?
無駄な空間の一角にライティングスペースを確保できた。お皿ではなく紙のシートの上にクッキーを並べる。
「ちゃんとしたものを撮る練習。食べ物だから逆光のほうがいいかな。こっちのライトを少し抑えめにして…」
ライトはそれなりに高かった。しょうがない。こういう仕事をしたいのだ。
「うん、いいね」
郁実がカメラをのぞき込む。
「あ、独り言。ごめん」
私は言った。
「なんで? かわいいよ。あ、ごめん。こういうときは、真剣にやってくれて嬉しいか」
郁実が表情を変えずに言う。デレない。
「どっちでも、嬉しい」
顔が熱くなる。
「利紗子は、こんなこともできるんだね」
照明を調整して、レフ代わりの白い紙を郁実に持たせる。今は顔を見られたくない。熱いのはライトのせいじゃない。
「仕事の一環だからね。もし、いろんな色のシュークリームをまとめて映える写真がいいなら別撮りして合成したほうがきれいになると思う」
「へえ」
「ケーキのときはそうしていたから。ケーキよりは色の濃淡の差ないか」
チョコレート、生クリーム、抹茶、苺タルト、ブルーベリーのムースのケーキを並べたら光の具合が難しかった。シュークリームでは色とりどりなのはクリームの部分だけだろう。生地に果汁を混ぜれば色がつきそうなものだが。
「ふーん、すごいね。クッキーもおいしそう。ありがとう」
パソコンでもっと補正をするつもり。郁実が喜んでくれるのは嬉しい。頭を撫で撫でされるのも心地いい。甘え上手だったら、もっとって言えるのに。
「褒めすぎだよ。でも嬉しゅうございます」
私はようやくクッキーを口に運んだ。甘くて、体中に染みわたる。好きな人が作ったクッキーだからだ。他の人はここまでは感じないのだろう。
「なんで、戦国時代? あ、『嬉シューございます』ってどう? シューはシュークリームの絵描いて」
郁実は絵がど下手だ。説明も下手。ぱっと書いたそれが岩にしか見えない。シュークリーム自体は天才的においしく作るのに。
「激しくダサいよ」
私は冷めたほうじ茶を飲んだ。二階は窓が少ないせいか日が入らずに寒い。机に座ればひざ掛けを手放せない。
「役に立たなくてすいません」
二階でしかキスをしてくれない郁実をたまにずるいと思う。でも、そうゆとこ好き。
生きているだけで郁実は私の役に立っている。私もそうだといいな。
朝起きてキスをして、朝食を作りながらまたキスをした。これぞ、同棲の醍醐味。
なんとなく、朝食と夜ごはんは郁実が作り、お昼は私の担当になってきた。
悩みはもちろんある。郁実のシュークリームが売れないこと、私に仕事が回って来ないこと。
どちらかがバズれば二人とも収入面だけでも安心できるのに。
シュークリームを作っているときの郁実の真剣な顔が好き。化粧はしないのに、きれいな肌。切れ長の目に長い睫毛、黒髪ショート。仕事中は衛生面を気にして帽子。眉毛が入らないように目深にかぶるから小顔が更に強調される。
混ぜるも振るうも手伝わせてくれない。彼女なりの、こだわりが随所にある。生クリームの泡立ても自分でする。容器にうつす、冷やすために運ぶ。腱鞘炎の私にお菓子作りのお手伝いは向かない。
会社に勤めていたとき、
「全部を自分でしようとするな」
と上司に幾度か注意されたが、それのなにがいけなかったのだろう。郁実を見ていると余計にそう思う。新人のために簡単な仕事を作り、わかりやすく教えても結局自分で直す。それならば一人でしたほうがいい。病気になったら、ケガをしたときに困ると言われるが、そんなこと滅多にない。
「利紗子、薬を飲むならお水でね」
郁実を見ていても仕事はできる。だか、ここはもう彼女の空間だ。
「はいはい。上にいるね。混んだら呼んで」
「うん」
郁実の体温は冷たい。その点では菓子職人に向いていた。でも人に使われるのとか、人を雇うのとかはきっと向いていない。寡黙というよりも、話すことが苦手。それなのに、よくお店を自分で始めようと思ったものだ。
保健所の人に来てもらって、隅々まで見られる。元々レストランだったから問題はないよう。トイレの手洗い場所が別に必要だなんて知らなかった。確かに思い返すと多くのレストランがそうだ。それから消防署にも届けを出して、営業許可を提出。
オープン日を決めて、メニューを決めるあたりからは私の出番。ポップを作って、ホームページを作り始める。それ用に写真を撮る。
「いろいろさせちゃって悪いね」
が郁実の口癖。
「好きでやってるの」
というか、二人の生活のため。お互いにわかっているのに、そう言えない。
「利紗子、『プレーン』と『オリジナル』ってどっちがいい?」
郁実が聞く。
「自分で決めなさいよ。店主でしょ?」
「オーナーは『エクレア』で出してたな。味ついてるのは、『エクレア(苺)』だった」
「どうするの?」
それによってはメニュー表も変わる。ホームページも。
「ちょっと考える」
ノーマルという言葉が頭に浮かんだけれど、言葉にはしなかった。それはちょっとニュアンスが違う。
苺は近くの直売所で買っている。
『いちご(季節限定)』
ずっとパソコンの文字を見ているせいか、いちごは平仮名がかわいいと思う。
『抹茶』
は漢字。抹茶の粉は郁実がオーナーの奥さんから送ってもらったもの。和香さんに頼ることに私は反対したけれど、
「なんで?」
と郁実は気にも留めてくれない。
人との接点を持ちたがらない郁実が頼れるのが、よりによってどうして郁実を傷つけた人たちなんだろうと私は疑問に思う。奥さんは悪い人ではないようだったがお金にずるく、遂には郁実は退職金をもらえなかった。そのことに不満のない郁実のほうが謎。個人店だったから仕方ないと思っているのだろうか。
仕事のために私はパソコンを買った。安物のノートパソコン。ホームページのトップ画面にシュークリームの写真を貼りつける。メニュー、アクセス、ご注文はこちらにと別ページに飛べるようにする。
「利紗子、クッキー焼いてみた」
郁実がクッキーとほうじ茶を持ってきてくれていた。
「ありがとう」
チョコで模様ができている。プリントでもないのに、すごい。
「焼きたて」
と郁実がむしゃむしゃ食べる。
「食べる前に写真撮る」
「これ、試作だよ。写真撮るならもっとちゃんと作るよ」
これで? こんなにすごい幾何学模様なのに?
無駄な空間の一角にライティングスペースを確保できた。お皿ではなく紙のシートの上にクッキーを並べる。
「ちゃんとしたものを撮る練習。食べ物だから逆光のほうがいいかな。こっちのライトを少し抑えめにして…」
ライトはそれなりに高かった。しょうがない。こういう仕事をしたいのだ。
「うん、いいね」
郁実がカメラをのぞき込む。
「あ、独り言。ごめん」
私は言った。
「なんで? かわいいよ。あ、ごめん。こういうときは、真剣にやってくれて嬉しいか」
郁実が表情を変えずに言う。デレない。
「どっちでも、嬉しい」
顔が熱くなる。
「利紗子は、こんなこともできるんだね」
照明を調整して、レフ代わりの白い紙を郁実に持たせる。今は顔を見られたくない。熱いのはライトのせいじゃない。
「仕事の一環だからね。もし、いろんな色のシュークリームをまとめて映える写真がいいなら別撮りして合成したほうがきれいになると思う」
「へえ」
「ケーキのときはそうしていたから。ケーキよりは色の濃淡の差ないか」
チョコレート、生クリーム、抹茶、苺タルト、ブルーベリーのムースのケーキを並べたら光の具合が難しかった。シュークリームでは色とりどりなのはクリームの部分だけだろう。生地に果汁を混ぜれば色がつきそうなものだが。
「ふーん、すごいね。クッキーもおいしそう。ありがとう」
パソコンでもっと補正をするつもり。郁実が喜んでくれるのは嬉しい。頭を撫で撫でされるのも心地いい。甘え上手だったら、もっとって言えるのに。
「褒めすぎだよ。でも嬉しゅうございます」
私はようやくクッキーを口に運んだ。甘くて、体中に染みわたる。好きな人が作ったクッキーだからだ。他の人はここまでは感じないのだろう。
「なんで、戦国時代? あ、『嬉シューございます』ってどう? シューはシュークリームの絵描いて」
郁実は絵がど下手だ。説明も下手。ぱっと書いたそれが岩にしか見えない。シュークリーム自体は天才的においしく作るのに。
「激しくダサいよ」
私は冷めたほうじ茶を飲んだ。二階は窓が少ないせいか日が入らずに寒い。机に座ればひざ掛けを手放せない。
「役に立たなくてすいません」
二階でしかキスをしてくれない郁実をたまにずるいと思う。でも、そうゆとこ好き。
生きているだけで郁実は私の役に立っている。私もそうだといいな。
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