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3話 気まずい外食

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 仕事中に私情は持ち込むな、とは日頃から静弥が部下たちにも厳しく言いつけていることである。が、しかし、休憩時間中くらいは許してやってもいい……と、今なら思う。
「清花……」
 ふぅ、とため息を吐きながら、屋上のベンチに座って静弥はため息を吐いた。
 普段は女性社員たちの井戸端会議の場所として賑わっているここも、今は鉄面皮の専務が占領しているとあって、人っ子一人いない。
 そう、先ほどから重苦しいため息を吐きつつ頭を抱えている静弥を覗けば……である
 あの日、微妙な空気の中で別れてからというもの、静弥は何となく、あの繁華街に足を向けにくくなっていた。
 もし、今度清花に会ったらなんと言って詫びればいいかも分からなかったからだ。
 彼女を傷つけたショックから、別れ際に二人分の食事代を渡すのも忘れていた。一旦奢られたふりをして、大人の男らしくスマートに、「それじゃ、また」などと言ってお金を渡そうと思っていたのに。
 また、どころではない。
 謝ることもできず、こうして逃げ回っている始末である。
「おう、静弥。何だよ、暗いじゃねーか」
 背後からいきなりそんな風に声を掛けられたかと思えば、豪快に背を叩かれた。
 宮間商事情報システム部門の部長、海城かいじょうだ。
 短く刈り上げた髪に、ガタイのいい体つき。
 見るからに体育会系であるのに、SEという似合わない職に就いている彼は、早月さつきというこれまた似合わない美しい名を持っている。
「……なんだ、海城。俺は忙しいんだ」
 中学時代の同級生である彼には、つい口調もぞんざいになってしまう。
 すると海城は気を悪くした様子もなくベンチの隣にどっかりと腰掛けながら、静弥の顔をのぞき込んできた。
「お前、さっきから乙女みたいにずっと空を見上げてはため息付いてるだけじゃねーか。それのどこが忙しいんだ?」
「……いつから見ていたんだ」
「お前が乙女チックな顔して、女の名前を呼んだ辺りだな。さやかって誰だよ」
 このこの、と言いながら海城が静弥のわき腹を肘でつつく。それを避けながら立ち上がり、静弥は冷徹な視線を向けた。
「別に、お前の想像しているようなことじゃない。妙な勘ぐりはよせ」
「だってあの冷酷専務サマに女の影だぜ? 興味津々にもなるだろうよ」
 冷酷専務、という言葉に、静弥の眉間に皺が寄る。
 普段からあまり表情が変わらないせいもあり、部下を淡々と叱る様子からそのようなあだ名がついたことは知っていた。気に病むほど繊細な神経はしていないが、やはりあまり面白くはない。
「俺はもう戻る」
「あっ、ちょっと待てよ、何怒ってんだよ!」
「怒ってなんかいない。呆れているだけだ」
 屋上から階段に繋がる扉を開けると、追い縋ってくる海城を無視して専務室へ戻ろうとする。
 しかし後ろから肩を掴まれ、振り向かざるを得なくなった。
「おい待てってば。お前に用があったんだよ」
「手短に言え。何だ」
「今夜、久しぶりに飲みに行こうぜ。いい店見つけたんだ。創作料理を出す店でさ、和風とかイタリアンとかフレンチとか、とにかく美味いんだよ。アルバイトの女の子も可愛いし」
 そんな気分ではない、と断ろうと思った静弥だったが、酒を飲んで気分転換もいいかもしれないと思い直す。アルバイトの女の子とやらにはまったく興味がないが、美味しい料理を食べられるのならば行ってみる価値はある。
 眼鏡のずれを直しながら、素っ気なく頷いた。
「……いいだろう」
「よし、それじゃ今日仕事帰りにな!」
 ばんばんと静弥の肩を叩くと、海城は上機嫌にその場を去って行った。
 いちいちオーバーリアクションなやつだな、とため息を吐きながら、静弥は苦笑する。
 なんだかんだで友情が続いているのは、海城のあの明るさに救われることも多かったからだ。今日も、彼と酒を飲むことですっきりできるかもしれない。
 そんな目論見は、しかしその料理屋に足を踏み入れた直後に壊されるのだったが。


 仕事を終え帰りの準備を整えた静弥と海城は、並んで例の繁華街を歩いていた。
 夕食時ということもあって人通りは多く、客引きの居酒屋店員の姿も多く見受けられる。
 海城も静弥と同じく背が高く、長身の男が二人並んでいる姿は圧巻だ。
 タイプは違うけれど、二人とも男前であることは変わらない。先ほどから、若い女性たちが色めいた視線を送っているのを無視しながら、目的の場所を目指す。
 秋の夕暮れは暗く、しかし繁華街はパチンコやカラオケ店の照明に照らされ、独特の明るさを保っていた。
 若い女性が通り過ぎるたび、静弥は清花の姿がないか探してしまう。 そしてそのたびに、落胆と安堵を同時に覚えるのだった。
 この繁華街を歩くのも久しぶりだ。
 清花は、どうしているだろうか。こんな年上男の吐いた失言などとっくに忘れて、友達たちと毎日を過ごしているだろうか。
「……弥。おい、静弥」
 唐突に耳に飛び込んできた海城の声に、静弥はハッとした。
 海城が怪訝そうな顔でこちらを見ていた。
「何ぼうっとしてるんだよ。着いたぞ」
 どうやらいつの間にか、目的の店にたどり着いていたらしい。
 そこは繁華街の中では比較的目立ちにくい、細い路地の奥まった場所にある小さな店だった。
 看板には、『創作割烹Shinohara』と書いてある。
 派手ではないがこじゃれた雰囲気で、品書きを見ると手頃な値段で酒と料理が楽しめるようである。
 扉をからからと開くと、海城は出迎えたアルバイトらしき若い女性に告げた。
「すいません、予約してた海城ですけど」
「はい、海城さまですね。こちらのお席へどうぞ」
 通されたのは、店の一番奥にある四人がけの席だった。
 空いた椅子に鞄を置き、スーツの上着を脱いで、メニューを開く。
「お前、何にする」
酔鯨すいげい
「いつものか。じゃあ俺は武尊《ほたか》の雪で」
 先に飲み物と数種類の料理を頼み、出されたお通しをつつく。枝豆と海老の白和えだった。
「うん、美味い」
「だろ。さっき頼んだ鶏たたきのカルパッチョも美味いんだよ。それと、カマンベールチーズのオムレツな」
「本当に、色々あるんだな」
 品書きに目を通せば、イタリアン風やフレンチ風、和風など、様々な料理がずらりと並んでいる。
 酒の種類も豊富で、ビールや日本酒の品揃えもさることながら、若い女性の喜びそうなカクテルがたくさんあった。
 感嘆と共にそれを眺めていると、やがて店員が頼んだ酒を持ってくる。
「お待たせいたしました、酔鯨と、武尊の雪です」
 その声にいやに聞き覚えがあり、品書きから顔を上げた静弥は、思わず目を見開いた。
 そこにいたのは、店名のロゴの入った制服を着た清花だったからだ。
「さや……」
 いつも心の中で「清花」と呼び捨てにしていたため、ついそのまま彼女の名を口にしようとして、慌てて口をつぐむ。
「上条……さん」
「筧さん……。お、お久しぶりです。いらっしゃいませ」
 動揺しつつも、清花が店員としての自覚を忘れることはなかった。
 日本酒をテーブルに置くと、盆を抱えたまま礼儀正しく頭を下げる。
「ここでアルバイトしていたのか……」
「はい、週に三度ほど」
「何だ、お前さやかちゃんの知り合いなのか」
 さやかちゃん、という言葉に眉がぴくりと反応してしまう。
 自分だってまだ名前で呼んだことがないというのに、どうして海城がなれなれしくそんな呼び方をするのか。
「おい、睨むなよ。名札に『さやか』って書いてあるから、そのまま呼んでるだけだ」
 冷えた視線に、海城が慌てたように両手を振る。
 そんな彼を無視し、清花に話しかけようとした静弥だったが、それは鳴り響く電話の音によって邪魔された。
「あ、わたし出ます! すいません筧さん、ごゆっくり寛いでいってくださいね」
 逃げるようにパタパタとその場を後にした清花を見送り、静弥はぐいっと酒を煽った。飽きの来ないすっきりとした飲み口だが、しかしいつものように美味しく感じられないのは、どこか重苦しい感情のせいか。
 その後も清花が何度か料理を運んできてくれたが、仕事中の彼女の邪魔をするわけにもいかない。
 海城が何か話しかけるのも上の空に、静弥はただ機械的に料理を口元に運び続けた。

 
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