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犬山さんとの電話

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 喜多家の夕食は少し早い。
 別に決まりという訳では無いが、何故か必ず十八時に食べ始める。
 少し時間が早いが故に、夜中に小腹が空いてくることもしばしばあるが、もう習慣となってしまっているので夕食の時間を遅くしよう、なんて事は考えたことが無かった。

 学生時代に「皆の家の夕食は何時か」という話題になった事がある。
 家族と一緒に食べないから時間は決まっていないという者や、十九時、二十時あたりから食べだすという家庭もあった。と言うか、大半が二十時あたりから食べだすという感じだった。
 そう、喜多家は少数派だったのだ。
 たかが夕食の時間が少し早いくらいで、イジられたりもした。なんとも子供らしい、学生らしいイジり方だ。まぁ、このイジりは別段イジメと言うわけではなく、ただ単に友人同士のじゃれあいのようなものだったから傷心したという事も無かったわけだが。

 ってな訳で、我が家の夕食は十八時からだ。
 そして今はその十八時。夕食を用意し、サクラコと一緒に食べだしている。

「孝文、電話しなくていいの?」
「うん?あぁ、犬山さんにか。仕事が十八時に終わるからと言ってピッタリ十八時に電話かけるのは迷惑になるだろ」
「そっかぁ」

 少し残業してるかもしれないし、帰宅途中かもしれない。職場からどれくらいの距離に家があるのかは知らないけど。十九時か二十時あたりに電話するのが良いのでは、と思ってる。

「電話の事は気にしなくていいから、ご飯食べような」
「はぁーい」

 俺達は、ゆっくりと談笑しながら夕食を食べ進めた。


 十九時を過ぎ、テレビ局各社はこれ見よがしにバラエティ番組を放送している。所謂、ゴールデンタイムというやつだ。
 サクラコはそれを観てケラケラと笑っている。
 俺は高校まではバラエティ番組とかは観ていたが、社会人になってからはもっぱらニュースくらいしか観なくなっていた。前の家に居た時から一応念の為、と思って買っていたテレビが今更になって大活躍だ。テレビとしても、こんなに観てもらえてさぞ嬉しい事だろう。
 さて、もうそろそろ電話をしてみようかな。
 俺はそう思い、スマホを取り出し電話を掛けた。
 三回、四回とコールが鳴り、なかなか出ない。まだ帰宅途中かな。

『は、はい!犬山です!』

 おぉ、出た。

「こんばんは、喜多です」
『喜多くん、なかなか出れなくて、ごめんね』
「いいや、気にして無いよ。もしかして、まだ帰宅中だった?」
『急患があった時に備えて、家は病院からすぐ近くなんだ。だからもう家だよ。ちょっとお料理してて、なかなか出られなかったの』

 やっぱり医者って大変な職業だということが伝わった気がした。
 わざわざ職場の近くの家に住まなきゃなんて……休みの日でも、休んだ気がし無さそうだ。
 それにしても、犬山さんは料理をするのか。学生時代の犬山さんは学業優秀でとても真面目な人だった。きっと、家事も完璧にこなすんだろうな。

「そっか。忙しい時間に電話しちゃってごめんね。もしあれだったら、後で掛け直そうか?」
『うぅん、大丈夫だよ!それで……喜多くんは今、どんな問題を抱えてるのかな?』

 さてさて、どこから話したものか。ひとまずは俺が引っ越してきた経緯から話しつつ、サクラコについて触れていこうかな。

「じゃあまずは、俺がこっちに引っ越してきた経緯から話していくね――」



 小一時間程ぶっ通しで話しただろうか。こんなに長く話したのは久しぶりだ。
 俺が前の仕事を辞めてこっちに引っ越してきたこと、引っ越してきてから何をやっていたのか、どのようにしてサクラコと出会ったか、そしてサクラコがどんな問題を抱えているのか……包み隠さず、全てを正直に話した。
 その間犬山さんは静かに聞いていた。ツッコミを入れるでもなく、茶々を入れるでもなく。しっかりと、確実に聞いてくれた。

「――そんな訳で、俺は今サクラコと暮らしてるんだよ」
『……そっか、そんな事があったんだね』

 そこからは、俺も犬山さんも沈黙だった。
 俺は、怒られるのだろうか。いや、怒られるの確定だろうなぁ。常識的に考えて、赤の他人の子と一緒に住むなんて、んな阿呆な話聞いた事ないもんな。

『……喜多くん』
「……はい」

 沈黙を破り、犬山さんが声を出した。
 はぁ、どんなに大人になろうが、怒られる前の緊張感ってのは嫌なもんだ。だが、そういう事も含めて俺はサクラコの面倒を見ると決めたんだ。こんな事でへこたれちゃいけないな。
 俺は深呼吸をして決意を決め、犬山さんの言葉を待った。

『今まで、大変だったよね。お仕事を辞めた事もそうだけど……私だったら、見ず知らずの子の、面倒を見るなんてできないと思う』

 ……あれっ、怒られない。えっ何で?
 俺は怒られない事に理解できず声を出せないでいる間に、犬山さんは更に言葉を続ける。

『私にも、サクラコちゃんのご両親の考えてる事は、今の話だけじゃ分からないよ。でもね、しっかりとサクラコちゃんの話を聞いて、寂しい思いをさせない為に、一緒に暮らしていく選択をした喜多くんは、とっても尊敬するよ』
「あぁ……」

 言葉にもならない事が漏れてしまう。多分だが俺は、これまで知らぬ内に色々と溜め込んでいたのだろう。その事実を、第三者に認めてもらいたかったんだろう。

「ありがとう。正直、怒られると思ってたんだよ」
『……でも、ずっと続けるわけには、いかないんでしょ?』
「……そうだね。いつかはサクラコの両親としっかり話をしたい所だけど、連絡手段が無いからなぁ……」

 サクラコの家のご近所さんとかに、知ってる人でもいればいいんだがな。

『あれっ、今サクラコちゃんって、学校に通ってるんだよね?』
「あぁ、通ってるね。田舎すぎて生徒がサクラコしかいないっぽいけどね」
『学校の先生なら、連絡先知ってるんじゃないかな……?』
「あっ――」

 そうじゃん。学校の先生なら、連絡先知ってる可能性があるじゃん。何故そこに気が付かなかったんだ俺。

『あはは……その反応だと、まだ学校の先生には聞いてないみたいだね』
「盲点だったよ……今度聞いてみるよ……」

 俺の視野が狭いだけなのか、考えが浅いのか、はたまた犬山さんの頭が良いのか。やっぱりこういった問題は一人で抱え込むんじゃなくて第三者の意見を貰うべきだな。
 ……いや、つい先日ほなみさんにもこの事情は話しているからもともと一人で抱えていたわけじゃないか。こんな感じで、少しずつ確実に相談できる人を増やしていくべきなんだろうか。

『先生が、連絡先知ってるといいね』
「そうだね。途中から相談みたいになってたけど良い意見が貰えて本当に助かるよ」
『そんなっ、私なんて思った事言っただけだもん』

 犬山さんはそう言うが、実際に俺は助かっているわけだ。俺とサクラコの問題を親しい人全員に相談して意見を募るわけにもいかなかったし、ほなみさんに相談を持ちかけるわけにもいかなかった。彼女は今、店の立て直しを頑張っているんだ。心配をさせるわけにはいかない。

『ふふっ、ひとまずは問題解決の、糸口が見えてきたみたいでよかったよ。昼間は取り乱しちゃって、ごめんね』
「そんな、犬山さんが誤らないでよ。俺が誤解を生むようなことをしていたのが問題だったわけだし」
『……そうだね。他の人にも誤解を生んじゃうかもだから、しっかり説明しなきゃダメだよ?』
「手厳しいなぁ……うん、肝に銘じておくよ」

 そうだな。近所の人に誤解を生ませるわけにもいかないから今度しっかり説明するとしよう。きっと、ここの心優しい住民たちなら理解してくれるはずだ。

『しっかり伝えるんだよ? ……それじゃあ、私は作りかけのご飯をまた作るとするね』
「そっか、料理をしている最中だったよね。長々と付き合ってもらってごめんね」
『いいんだよ!また何かあったら気軽に相談してね!それじゃあ――あっ』
「何かあった?」

 電話はここまでかな、と思ったら突然何かを思い出したかのように声を上げる犬山さん。はて、何かあっただろうか。

『ごめんね!本当は診た後に言うべきだったんだけど、今日診た子犬、経過観察も兼ねてまた来週に、診せに来てくれるかな?』
「ははっ、何かと思えば仕事の話か。了解、また来週に診せに行くよ」
『うん、お願いね!それじゃあまた来週、待ってるね』
「うん、また来週」

 こうして、犬山さんとの電話は終わった。少し、スッキリとした気分だ。問題解決の糸口が見えてきたからだろうか?

「孝文、電話終わった?」
「あぁ、終わったぞ」

 リビングでテレビを見ていたサクラコが声を掛けてくる。

「お姉さんと電話したんでしょ?」
「そうだが……何かあったか?」

 サクラコは俺の顔をまじまじと見つめてきていた。いったい何があったんだか。

「……なんか孝文、お姉さんと電話してる時、優しい感じだったね」
「何を言うかと思えば……俺はいつも優しいだろう?」
「ふぅーん……優しくするのはいいけど、ほなみちゃんにはもっと優しくしなきゃダメだよ?」

 ……俺は今、小学生に何を言われているのだろうか。まったく、サクラコもマセたもんだな。

「んな事、サクラコに言われんでも分かっとるわ」


 サクラコにからかわれながらも、無事に今日やる事を終える事ができた。正直犬山さんに何を言われるか電話をする前は緊張していたが、最終的には良い意見を聞けた。今度サクラコが通う学校の先生と一度話してみよう。
 これから、やる事がいっぱいだ。先生にサクラコの両親の事を聞きにいかなきゃだし、アリスを来週また病院に連れて行かなきゃだ。それ以外にも月末には車の点検だから家にいない間動物たちをどうするか検討する必要もある。行動しなきゃだし、考える事も多い。
 だが、働いていた時と比べるとずっと充実しているし、なにより楽しいんだ。この生活がいつまでも続けていけるように、頑張っていこうと思う。
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